九話 お出かけ
―――話はフィオがファルネーゼ侯爵家に来た翌日まで遡る。
ヴァルテルと屋敷の廊下を歩いていた時、あることに気づいた。
大きな屋敷の至る所に美しい絵画が飾ってあったのだ。
「ねぇヴァルテル、この絵もあの絵ももしかして…」
「はい。ニーナ様が描かれた作品でございます。この屋敷の中だけでも数十点はあるかと」
「そうだよね!やっぱりニーナ先生の絵は綺麗だなぁ」
大小様々な風景画や人物画が飾ってある。青々とした山脈を描いたものや、夜に爛々と輝く暖かい街並みを描いたものもある。
また、フィオが思わず笑ってしまうようなおかしな絵もあった。例えば、スライムと戦ってコテンパンに負けた新人冒険者の絵や、水面に映った自分の顔を見て絶叫しているアンデッドの絵、蜘蛛の巣にひっかかって身動きが取れないガーゴイルの絵なんてのもあった。
ニーナが宮廷画家になったのもなんとなく理解できるような作品達であった。何にも縛られないような、自由な作風に人々は魅了されるのだろう。そしてどれも完成度が高くて、鑑賞者が引き込まれるような細かな技術が詰め込まれていた。
「ヴァルテルはどの絵が好き?」
「ニーナ様の作品はどれも素晴らしく、とても私には甲乙つけ難いです…が。それでは面白くありませんよね。分かりました、私に着いてきてください」
ヴァルテルに連れられて、フィオがやってきたのは屋敷の玄関だった。
「この大きな肖像画が私は一番好きです。恐らく…マグヌス様やニーナ様自身も同様かと思われます」
昨日屋敷に来た時は特にこの絵を意識していなかったが。昨日の話を踏まえて改めて見てみると、その絵がどんな意味を持つかがよく分かる。
それは一人の女性が描かれた作品だった。ふわふとした漆黒の髪、人形のような小さい顔、柔らかい笑み、どこをとっても彼女はニーナとそっくりだった。
「もしかして、ニーナ先生のお母さん?」
「はい。セシリア様にはとてもよくしていただきました。それに私が今ここにいるのもセシリア様が私を拾ってくださったおかげなのです」
「どういうこと?」
「私は元々捨て子でした。そしてセシリア様に拾われ、この侯爵家の使用人として育てていただいたのです」
「そうだったんだ…じゃあヴァルテルが養子になればよかったのに。だって平民の僕でもいいなら捨て子のヴァルテルも同じでしょ?」
フィオの言葉を聞いたヴァルテルは困ったような笑みを浮かべた。
「はは、そうかもしれませんね。実際にセシリア様がお亡くなりになった後、各方面から似たような意見が出たのですが…ニーナ様が断固として反対されました。マグヌス様も私自身ももちろん反対でしたが」
ヴァルテルは遠い記憶を遡るように、瞼を閉じてそう語った。
「なんで反対だったの?」
「だって、それではセシリア様が浮かばれないじゃないですか。まるで彼女が見ている所で養子をもらうのが可哀想だから、亡くなるまで待っていたかのようではありませんか。そんなこと…できるはずがありません」
常にしたたかな笑顔を崩さないヴァルテルだが、この時ばかりは弱々しい微笑みを浮かべていた。
「……そっか」
「…失礼しました。少々暗い話ばかりになってしまいましたね」
フィオの瞳がウルウルしだしたのを見て、ヴァルテルはハッとして急いで話題を変えた。
「…私はニーナ様がフィオ様を連れてお帰りになったことが本当に嬉しかったのです」
「それは…なんで?反対だったのに…」
「たしかにその時は反対をしました。しかし、私達がずっと下を向いていてはセシリア様も安らかに眠ることはできないでしょう。彼女もまた、侯爵家の未来を案じていた一人であったのですから」
フィオはヴァルテルの話を聞きながら、目の前の肖像画に思いを馳せていた。話を聞きながらセシリアの顔を見ていると、不思議と彼女の声が聞こえてくるように感じた。
フィオとセシリアが相見えることは絶対にない。それでも彼女の願いは生きている者たちを通じてフィオにまで届いている。その事実に胸が熱くなるのを感じた。
◇◆◇◆
翌日、フィオはニーナ、ローラン、ヴァルテルとともにアルバスの賑やかな街に出かけていた。人が多いため馬車での移動ではあったが。
「ほんっとにこの街は騒がしいよね〜」
馬車の中でうんざりした様子のニーナが吐き捨てるように言った。そう言う割には街の人がニーナのことに気づいて嬉しそうに話しているのを見て、満更でもなさそうにしていた。なんなら手も振っていた。
「ほら、あそこ。あの店!」
「あのお店?あそこに道具が売ってるの?」
「そうだよ!ほら降りて降りて!」
フィオ達がやってきたのは年季の入った石造りの画材屋だった。「白馬の寝床」と書かれた看板が下がっていた。おそろく店の名前なのだろう。
扉を開けるとカランコロンと鈴が鳴る音がして、店の奥からたくさんの髭をたくわえた白髪まじりの男が現れた。
「いらっしゃい。おや、ニーナ様ですか。久しぶりですなぁ…今日はどんな御用で?」
「久しぶりだね。今日はこの子の為の画材を一通り買いに来たんだ」
そう言ってニーナはフィオの頭にポンっと手を置いた。
「承知いたしました。ではこちらへどうぞ」
こうしてフィオは画材を買ってもらった。筆やら絵の具やらをたくさん買ってもらったが、フィオが一番お気に入りだったのが漆黒の革でつくられた落書き帳だ。
「ふふ、私とお揃いだね」
「うん!これでいっぱいお絵描きするんだ!」
「ははは、これは将来が楽しみですなぁ」
画材屋の店主ははしゃいでいる二人を笑顔で眺めていた。
「二人とも、本当に楽しそうですね」
「あぁ、そうだな。ただ…私には道具の善し悪しなど微塵も分からないが…さすがにこれは買いすぎだと思うぞ…」
ヴァルテルとローランは荷物持ちに任命されたようだ。大量に荷物を押し付けられ、お互いの顔が見えないほどであった。
「そう思うなら何か言ってきてくださいよ」
「お前が言ってくればいいだろう」
「嫌ですよ。あんなに楽しそうにしてらっしゃるのに」
そうこうしているうちにまたドカッと荷物の山が増えた。
「「………」」
小一時間経って、やっと満足した二人は店を出た。馬車の中は買ったものでいっぱいである。
「いやー私も結構買っちゃったなぁ」
ニーナの財布は緩みっぱなしだった。フィオにはよく分からなかったが、何やら珍しい鉱石が使われた塗料があったらしい。
「僕、知らなかった。絵の具にもあんなに高級なものがあるんだね」
「そう!そうなんだよ!面白いでしょ?さっきの鮮やかな紫色の塗料!アレは顔料として魔石が使われてるんだよ…!あの色は混色だと中々再現出来ないし…品質が良いものだと千年経っても全く色が変わらないとされてるの!」
ニーナはこれまで見たことないくらい輝いた目で語りだした。フィオもその話を詳しく聞きたかったところだが、ローランが何が言いたげにそわそわしだしたので口を閉じる。
「あの、ニーナ様?」
「千年ってヤバいでしょー!?実際魔石製の塗料で描かれた八百年前の絵画が未だに…」
「ニーナ様!まだ用事が残っていますよ!」
「え?あ!そっか!ごめんごめん」
ニーナは何かを思い出した様子で馬車の外を見た。
「話に夢中になってる間に着いてたみたいだね」
そう言ってニーナは馬車からひょいっと降りた。ローランとヴァルテルも続いて降りていったので、フィオは何のことかと思って外を見てみる。
それは教会だった。用事とはニーナの右手に関することだったようだ。




