五話 ファルネーゼ侯爵
「うわー!人がたくさん!」
大都市というだけあって多くの人で混み合っていた。
「二ヶ月ぶりのアルバスだけど、相変わらず騒がしいね。これがなきゃ文句ないんだけどな」
ニーナは人が多い場所が苦手なようだ。
そうして、ようやく旅が終わる時来たようだ。馬車は荘厳な白い門の前に停まった。運賃は前払いしていたそうで、馬車の御者は昼間の礼をしてそそくさと去っていった。
フィオだけでなくニーナとローランも緊張した面持ちで門へと向かう。
「お帰りなさいませ、ニーナ様。侯爵閣下が広間でお待ちになっております」
「分かった。ご苦労さま」
門番が門を開くと屋敷の全貌が明らかになった。この屋敷も例に漏れず真っ白で、太陽に照らされキラキラと輝いて見えた。流石は侯爵家の屋敷と言うべきか、農園でも作れそうな庭が広がっている。
「ほらフィオ君、行くよ」
「う、うん!」
屋敷に入ると十数人の使用人がお出迎えをしてくれた。ニーナ達は大広間へ案内され、大きな扉が開かれる。
そこには一人の男が座っていた。四十歳くらいの厳しい顔をした人だった。
フィオは唾をゴクリと飲んだ。なんて厳しそうな人なんだ、と。
「父上、ただいま戻りました」
「……ニーナ。その右手はどうした」
「実は…」
ニーナはこの数日間の事を説明した。旅の途中でとある村に立ち寄ったこと、そこでフィオに出会ったこと、あの夜起こったこと。彼は黙ってニーナの話を聞いていた。
「あれは事故だった。呪いはフィオ君のせいじゃないしね。誰にも予想できなかったことだ」
「話が見えてこないな。なぜその呪われた少年がここにいる」
やっと彼が口を開いた。その重く冷たい声にフィオは身震いした。
「決まってるでしょ。うちの養子にするんだよ。男の子が一人はいないと困るでしょ?」
「…本気で言っているのか…?」
「父上が跡継ぎに悩んでたのは知ってるよ。それに私が保証する。フィオ君は私の右手分、いや、それ以上の働きをしてくれるってね」
彼は額に手を当て、何かを考えていた。
「……養子を取ることに一度も頷かなかったニーナがそこまて言うか。そうか。それなら…考えておこう」
「ほんと!?やった!ありがとう父上!」
「…いづれ決めなければいけなかったことだ」
どうやら前向きに検討してくれたようだ。フィオは安堵でその場にへたり込みそうになるのを堪えた。やっと肩の荷が降りた気がした。
「詳しい話は後で聞くとしよう。ひとまず部屋で休むといい。あぁ、フィオと言ったか。君はここに残れ。君とも話をせねばならん」
安堵は一転して恐怖に変わった。フィオはブルブル震えながらニーナとローランが大広間から出ていくのを見ていた。正直一緒にいて欲しかった。
「先程は娘の前だから威厳のある父を演じて見せたが、実際はまだ気持ちの整理が追いついていないんだ。少し待っててくれ。適当に座っていなさい」
そう言って彼はティーカップを手にした。フィオは近くの椅子に座った。
しばらくして彼はフィオに語り始めた。
「まずは自己紹介だな。私はマグヌス、マグヌス・ファルネーゼだ。このアルバスを管理するいくつかの家のうちの一つ、ファルネーゼ家の現当主だ」
フィオは先程の門番を思い出していた。上司より上の立場とはこういうことだったのか。
「フィオ、私もニーナの話を聞いて分かっているつもりだが一つ言わせて欲しい。あの子の右手はそんじょそこらの人間の右手とは価値の重さがまるで違う。責めているのではない、ただ君にはそれを理解してほしいんだ」
「は、はい!わかっています!本当に…ご、ごめんなさい!」
「謝る必要はない」
フィオは涙でぼやけた視界でマグヌスの顔を見る。彼はどこか遠くを見つめるような顔をしていた。ニーナがたまに見せる表情とよく似ていた。
(あ……)
フィオは違和感に気づいた。その違和感の理由をどうしても知りたくて、つい口走ってしまった。
「…なんで…怒らないの?…なんで責めないの…?」
ずっと感じていた違和感だ。ニーナとマグヌスのフィオに対する態度はおかしい。
あの夜フィオのことを殺そうとしたローランだが、本来はあれが正常な反応なのだ。なのにこの親子はフィオの事を気遣うような素振りさえ見せる。
「フィオ、セシリアの事は聞いたか?」
「……?」
「そうか。あの子は話していなかったか」
「セシリアって誰のこと?」
「セシリアは私の妻、つまりニーナの母親の名前だ。セシリアは…君と同じ呪子だった」
知らなかった。ニーナの母がフィオと同じ呪子…?
「セシリアは呪いのせいで体が弱くてな。ニーナが君くらいの年齢の時には、ベッドから出ることもままらないほど酷い状態だった。さぞ不自由な人生だったろうね」
この言葉とマグヌスの表情で、フィオはセシリアがもうこの世にはいないことを悟った。
「君はセシリアによく似ているよ。彼女もいつも怯えるような顔をしていた。その分、時折見せる笑顔が何よりも尊いものだったと記憶しているよ。ニーナも君に同じことを思ったんだろう」
「それって…ニーナ先生が僕のことを好きっていうこと?」
「そういうことではない。馬鹿者」
「ご、ごめんなさい…」
どうやら違ったらしい。
「ニーナは君に自由になることを諦めて欲しくなかったのだろう。そしてこれは私からの願いだ。どうかニーナを…失望させないでやってくれ」
「うん!僕、頑張ります!」
フィオは力強くそう言った。
「うむ。最後にもう一つ確かめたいことがあった。フィオ、君はどうしたいんだ。君は何を望む」
「…僕は呪いを解いて、自由に絵が描けるようになりたい。ニーナ先生みたいな凄い画家になりたいです!」
「そうか、君の気持ちは良く伝わった。部屋へ戻って良いぞ。ヴァルテル、フィオを案内してくれるか?ついでに君をフィオの専属に任命しよう」
「お任せ下さい」
そう言って若い使用人の男がフィオの元へやってきた。
「フィオ様、お部屋へ案内いたします。どうぞこちらへ」
専属ってそんな簡単に決めていいものなんだろうか、とフィオは一瞬思ったが黙ってヴァルテルに着いて行った。
(あ、専属ってことは…僕のこと認めてくれたのかな…)
フィオはまた元気を取り戻したようだ。
「ヴァルテルさん。よろしくね!」
「どうかヴァルテルとお呼びください」
部屋に着くと、屋敷で生活に困らないようにとヴァルテルが色々教えてくれた。
ヴァルテルはとても親切な使用人だった。あまりフィオの呪いのことなど気にしていない様子で、フィオは安堵の気持ちでいっぱいになった。
ディナーを皆で食べた後、フィオはニーナに呼び出されてバルコニーにやってきた。
「父上から聞いたよ。母上のこと、まだフィオ君には言ってなかったよね。隠してたつもりはないんだけど…ごめんね」
「ううん。気にしてないよ!それより、ニーナ先生のお母さんはどんな人だったの?」
フィオはその事が気になって仕方がなかった。自分以外の呪子のことなど聞いたことがなかったからだ。
「母上は…魔法が大好きだったの。若い時は凄く優秀な魔術師だったって父上がよく言ってたなぁ。あ…私の風魔法、あれは母上がよく使っていた魔法なんだよ」
「そっか。だからニーナ先生は魔法を使えるんだね」
フィオは合点がいった。父ゴードンから聞いたことがある。魔法とはとてつもない研鑽の上で習得できるものであって、一つの魔法を覚えるだけでも大変な努力が必要なのだと。
「ふふ…鋭いねフィオ君。そう、私は絵を描くのが大好きだからね。魔法の練習にたくさんの時間をかけるなんて馬鹿馬鹿しいって思ってた。でも……どうしても母上の喜ぶ顔が見たくなったんだ」
ニーナは遠い夜空を見上げてそう言った。
「ほらフィオ君、戻るよ。明日からきっと忙しくなるはずだから、早く寝なきゃね」
「うん!」
無事フィオはファルネーゼ家の養子となった。
これは呪われた少年が自由を手にする為の大きな一歩となるのであった。




