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二話 運命の変わり目

 夫婦は驚いて声も出なかった。目の前の若い女が帝国の宮廷画家?平民である彼らには聞き馴染みのない単語ではあるものの、さすがにその称号の重さは理解している。皇帝に認められている数少ない人間であるからだ。


「そ、そんな身分の高い方だったとは…!リーア!お茶を…」

「いえ結構です。今日はもう宿に帰りますから……それに絵を描くような天気ではなくなってきましたし」

 ニーナの言う通り空は薄暗い雲に覆われ始めていた。


「あ、最後にもう一つだけ。あなた方にお願いがあります」

「お願いですか…それはどのような…?」

 ゴードンは宮廷画家と聞いてから冷や汗が止まらない様子だ。

「簡単なことです。私がこの村を旅立つまでの三日間、フィオ君を借りたいのです。呪いを持っている子なんて滅多に見ませんし、呪いの症状も大変興味深いです。…そんな顔をしないでください…ただ観察するだけですよ」

「……そう…ですか。フィオに危険がないと言うなら。フィオもそれでいいかい?」

 ゴードンはやっと泣き止んだフィオにそう言った。

「…うん」

 フィオが頷いたのを確認し、ニーナは満足顔で宿へ帰っていった。



◇◆◇◆



「やっぱり消えちゃうね」

 翌朝、二人はまた近くの丘にやってきた。ニーナはフィオのキャンバスに興味津々だ。

「そんな悲しい顔しないでよ〜。ほら!次はあそこの木を描いてみようよ!」

「う、うん…やってみる!」

 フィオは緑色の絵の具を使い、幼いながらもペタペタと木の形を表現してみる。

「できた!あっ……」

「ありゃりゃ。またこれだね〜」

 何かを描き終わると途端にその絵がサーっと霧のように消えてしまう。

 そうするとまたフィオの瞳がうるうるしだしたので、慌ててニーナはフィオを抱き寄せ頭を撫でてやる。

「よーしよし。ほらいい子だね〜よしよし」

 口ではそんな慰めの言葉を発しながら、ちゃっかりと症状についてメモをとっていた。


 呪いの研究は世界中で行われているが、未だ解明されていない難題の一つである。呪い自体の希少性や多様性から、具体的な研究結果は研究者同士で高値で取引されるなどという噂もある。

 ニーナはもちろんそのことを知っている。ましてや自身の専門分野である絵に関係がある呪い…と聞けば放っておくわけがなかった。


 空が赤みを帯びてくるまでニーナとフィオは試行錯誤してみたが、どれも失敗に終わった。


「ちょっと小腹が空いちゃった。そういえばランチがまだだったね」

 ニーナはどこからともなく薪を持ってきて焚き火をしだした。彼女が持ってきた干し肉や旬の野菜達は焚き火の上で香ばしい匂いを漂わせている。

――ゴクリ…

「フィオ君の分もあるよ。ほら、おいで」

 モジモジしていたフィオにニーナは優しく微笑み、そう言った。

「ほんとに!?ありがとう先生!」



「ねぇフィオ君。ずっと気になってたんだけど、友達はいないの?」

「うん…皆僕のことが嫌いみたい」

 たしかにニーナが見た限りではフィオが他の村人と会話している様子は無かった。

「ふーん。そらそうか〜」

「ニーナ先生は僕のこと、怖くないの?」


「怖くないよ。君が呪子(カース)だって気づいた時にはどんな呪いか一目瞭然だったしね。ただ、事情を知らなかったら誰でも警戒するよ。この残酷な世界で身を守るためにはしょうがないことだからね」

 ニーナはどこか遠くを見つめながらそう言う。ただ五歳のフィオには彼女が何を言っているのか深くは理解できなかった。


――ガルル…!


「えっ」

 焚き火の明かりと干し肉の匂いにつられたのだろうか。一匹の魔獣がフィオ達を睨みながらジリジリと近づいてくる。


「フィオ君!私の後ろに!」

「う、うん!」

 魔獣は今にもフィオ達に飛びかかりそうだ。焚き火に照らされた魔獣の牙がギラッと輝く。フィオは恐怖のあまり、ニーナの服の袖をぎゅっと掴んで目を細める。


 ニーナはサッと懐から杖を取り出し、魔獣に向けた。彼女の右手に魔力が集まり、魔法陣が構築されていく。


風よ吹け(ヴェントス)!」


 スパッと果物を切るような音がするのをフィオは聞いた。刃が空を裂き、魔獣の身体は真っ二つになった。

「ま、魔法使いだったの…?」

 フィオは初めて見る魔法に驚愕していた。

「まぁね。でも本職の魔術師に比べたらお遊戯みたいなもんかな。こんな弱い魔獣倒しただけじゃ自慢するほどでもないよ」

 満更でもなさそうである。


「そうなんだ!でも、とっても綺麗だった…!」

「綺麗…か。あんまり聞かない感想だね」

「そうかな?でも本当に綺麗だったんだ!たしかこんな風な感じで…」

 フィオはキャンバスを持ってきて楽しそうにペタペタと色を塗り始めた。

「あ〜もう!あんまし火に近づけないようにしてね〜。燃えちゃうから」


(珍しい子…大概の子は魔法なんて見ようもんなら、教えてくれ〜って泣きつくんだけど…それくらい私の絵に魅了されちゃったんだね…はぁ、私って罪な女…)

 ニーナは勝手に納得して勝手に罪の意識を持った。そんなニーナの心情は露知らず、フィオは夕空の下で無邪気に絵を描く。


「できた!」


――スパッ……


「え?」


 辺りに果物を切るような鋭い音が響く。直後、鮮血が飛び散り何か軽いものが草むらに落ちた。

 

「…ぁ」


 ニーナの右手が無かった。


「ニーナ様!!下がってください!!」

「ちょっと待ってローラン!…いっ…」

 ニーナの影から一人の女が現れフィオに向かって細剣を突きつけた。今にもフィオを殺さんとするようよな鬼気迫る顔だ。

「え……そんなっ…僕は…ごっ、ごめんなさい…!ごめんなさいぃ…!」

「ニーナ様…!こいつを殺す許可をください!だから呪子には関わるべきでは無いと言ったでしょう!いえもういいです殺します…!」


「馬鹿!そのっ…前に…治療でしょうが…!血が…」

 ニーナの手首から滝のように血が流れるのを見て護衛の女は考えを改めたようだ。

「は、はい!とりあえず村の教会に…!」


 フィオは殺処分が決まった犬のように震えることしかできなかった。



◇◆◇◆



「どうか私の命で勘弁していただけないでしょうか…!妻と子供達だけはどうか…!」

 村の教会で応急処置を受けたニーナ。その前で地に這いつくばって懇願する男がいた。ゴードンである。死を悟ったような顔をした一家を一瞥し、護衛の女は細剣を抜く。


「その程度で済むと思っているのか貴様ら!宮廷画家であるニーナ様の右手だぞ…!?平民の命などいくつあっても足りぬわ!」


 村の聖職者程度では治癒魔法は使えない。よって手を繋ぎ合わせることは困難である。また、この村から帝都にいる高位聖職者の元までは最低でも一週間はかかる。その間に傷口は大気の魔力で少しずつ侵食されていく。

 ニーナの右手は治らない、というのがこの場にいる者たちの結論であった。


「ローラン。黙って」

「しかしニーナ様…!」

「私を舐めないで。右手がダメなら左手で描けばいい。左手がダメなら口でも足でも筆は持てる。どんなに遠い道のりを歩こうとたどり着くところは全部同じだよ。私達画家がやるべき事は絵を完成させることなの。手段や過程なんかどうでもいい。それよりも…」

 ニーナは怯えるフィオの前にしゃがんで、じっと見つめる。

「…?ニーナ…先生?」


(私の風魔法を真似した…?いや、見た感じフィオ君は魔力を使ってない。現にさっきも魔法が発動するまで私とローランは気づかなかった。魔力操作、魔法陣の構築、詠唱、全部無視して魔法を使うなんて聞いたことない……)

 既にニーナの関心はフィオの方へ向けられていた。


「フィオ君のご両親に一つ聞きたいです。私に申し訳ないと思う気持ちはありますか?」

「はっ、はい!もちろんでございます!どんな罰でも…」


「そうですか。ではフィオ君をうちの養子として頂いていきます。戸籍上は私の…弟ってことになるかな」

 ニーナの言葉に場は静まり返った。


「ニーナ様!?正気ですか……!?呪子ですよ!?」

「そうだね。でもそれは私の方でなんとかするよ。それで?ゴードンさん、返事はいただけますか?」


「……私どもからしてみれば断る理由も資格もございません。ただ、せめてフィオの意思だけ聞かせて貰えないでしょうか…?」

 ゴードンは冷や汗をかきっぱなしだ。夫婦からすれば願ってもない話である。平民が貴族の養子になることなんて滅多にないからだ。もう呪子のフィオにこんなチャンスは二度と訪れないかもしれない。ただそれでも息子の意思だけは尊重したかった。


「僕は、僕はニーナ先生と一緒に行きたい…!」


 この瞬間、フィオの運命は大きく変わった。薄暗い部屋で空っぽのキャンバスを見つめるだけの運命から、新たな未知の運命へと。


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