後書き 後世の視点
後書き 後世の視点
後の時代から振り返ると、
あの頃のテレビは、特別に悪意があったわけではない。
むしろ善意で語っていた者が多かった。
「正しいことを言っている」
「時代を前に進めている」
そう信じて疑わなかった。
問題は、その確信の強さだった。
当時のテレビは、
「分からない」という状態を許さなかった。
分からないことは遅れであり、
理解できないものは間違いであり、
認めないことは強さだと教えてしまった。
その結果、
複雑なものは排除され、
時間のかかるものは切り捨てられ、
静かな知恵ほど見えなくなっていった。
後世の研究者たちは指摘している。
この時代、情報は減っていなかった。
むしろ増え続けていた。
失われたのは、
「考え続ける態度」だった。
テレビは答えを出し続けた。
だが問いを残さなかった。
興味深いことに、
人々がテレビから離れたあと、
文化は消えなかった。
地方の言語は細く残り、
祭りは形を変え、
伝統芸能は小さな場で息を吹き返した。
大きな声が消えたことで、
小さな声が聞こえるようになったのだ。
後世の人々は、
あの時代を「騒音の時代」と呼ぶ。
だが同時に、
静けさを取り戻すための
必要な通過点だったとも評価している。
テレビは壊れなかった。
ただ、役割を終えたのだ。
そして最後に、
当時必死で我慢し、
テレビを壊さなかった人々について。
彼らは何もしなかったのではない。
怒りを記録に変え、
拒絶を沈黙に変え、
静かに選択を行った。
後世は、その選択を
「最も穏やかで、最も効果的な抵抗」
だったと結論づけている。
この記録は、
誰かを嘲るためのものではない。
同じ過ちを、
声の大きさで正しさを決める時代を、
二度と繰り返さないための
小さな標識である。




