第四話
地平線から太陽が顔を出し、今日も街を染め上げ始める。そんな光が顔に当たると、スーレィは眩しさで目覚めた。
「ん〜っ......はぁ」
大きく伸びをして上体をゆったり起こす。意識はぼんやりとするが、日光の眩しさが段々と覚ましてくれる。
布団の温もりが名残惜しくもベッドから立ち上がると、いつものようにまず用を足すと、洗面所へ向かい、着替えて身なりを整える。ルーティンをこなすと、段々と一日の始まりを実感する。
━━そういえば、何か忘れている気がする。今日の予定はたしか......━━
「あっ。休み、取ったんだった......」
眠い頭は、完全に出勤のことしか考えていなかった。はっとスーレィはそれに気がつくと、職場に持っていく荷物を準備しようとしたのをやめ、寝室へと戻る。また起こさないように部屋に入り、ベッドに近づく。赤子のように眠る少女もまた、陽に染まっていた。
「朝だよ〜......おはよ〜......」
流石にここまで起きないと不安なので、静かに近づき、ゆさゆさと肩を揺らし、声を掛ける。
「ん、んん......」
眠たそうな声を出し、小動物のようにもぞもぞと動くと、眩しいのもあるのか、意外とすぐに目覚め、少女は薄くぼんやりと眼を開く。
「起きたかな? おはよ〜......」
通じるのかは分からないが、そう言ってみる。一方の少女は小さくあくびをすると、頭はまだ目覚めていないのかぼーっとしていた。まだこちらは眼中にないようだ。しばらくすると起き上がろうとするが、やはり痛むのか、できなかった。苦しそうな顔をする。
「ま、まだゆっくりしてていいよ。無理しないでね」
「は、はい...... ......!?」
ここでようやく少女はスーレィに気がつく。目を見開きしばらくすると、少しでも離れ布団をその弱々しい手で必死に握り、その耳をぴんと立たせ、怯えた顔をする。
「あ、ああびっくりしちゃったかな!? 大丈夫、大丈夫......」
スーレィはしまったと思い少しだけ距離を取り、しゃがんで目線を合わせる。何もしないことを示すように、手のひらを前に広げる。少女はなお怯える。声にすらびくっと耳が反応する。スーレィは部屋を一旦去るかとまで考えた。
ぐう......
すると突然、間抜けな大きな音がする。スーレィが疑問に思う刹那、少女はみるみる下を向いて顔を赤らめる。スーレィはそれを見逃さない。
「そうだよね、おなか、すいてるよね......今、持ってくるね」
と、少女を肯定するように声をかけ、一旦去ってまた戻ってくる口実も得て、スーレィは部屋を出た。取り残された少女はなお、真っ赤な顔でうなだれていた。
さて部屋を出て、スーレィは台所に直行する。アレルギーを覚悟で何かを与えねばならない。しかし何を与えるかはもう決めていた。作り置きの野菜スープである。
元々は登山疲れの身体を癒やすために作っておいたが、昨日では食べきらず余っていたのだ。これをレンチンし、木のスプーンと一緒におぼんに乗せ持っていく。キャベツ、にんじん、玉ねぎ、じゃがいもなど比較的消化に良い具材をコンソメがうまみで支える典型的なスープ。これが外れることはないだろう。
部屋に戻ると、少女はまたびくっと反応して怯え始める。しかし匂いに興味があることを全く隠せておらず、また腹も鳴らす。
「ふふ、おいしそうでしょ?」
そういいながらベッド近くのテーブルに置き、自身はベッドに上がって座る。少女は怯えと空腹を交互するが、人は食欲には勝てないのである。スーレィは木のスプーンを取り一杯すくい、立ち上る湯気を消すように、カップの上でふー、ふー、と息をかけて冷ます。少女の目線はスプーンに釘付けだ。
「はい、あ〜ん......♪」
そして少女の目の前に差し出す。少女はスーレィの不敵な顔と、とろっとろのキャベツがのったスープを交互に見て、迷った顔をする。しかし、人は食欲に勝てないのである。やがて意を決したのか、少女は目をぎゅっと閉じ、口を小さく開け、スプーンをゆっくりと咥えた。
「......!! ん......! ぷはっ...... うう.......」
数秒ほど閉じていた目を一気に見開き、言葉にならない声を出す。その顔は「おいしい」とはっきり言っていた。そして息を漏らすと、もっとほしい、とまるで催促するように、カップに目を向ける。
「ふふ、そんなにおいしかったの? たぁんとお食べ? はい、あ〜ん♪」
スーレィも内心安堵し、笑顔を向けて次をすくい、また少女に差し出す。先程の怯えはどこへやら。ただただ無防備にスープを頬張り、旨味を噛みしめる少女の姿がそこにはあった。スーレィは心の踊るまま少女に与え続ける。陽の光は、2人を幸せで照らしていた。
◇ ◇ ◇
最後の一杯を食べ終わると、少し満たされた顔をし、少女は味わいの余韻に浸っていた。
「美味しかった?また作ってあげるね?」
そう声でもかけてあげると、少女の顔は晴々とする。スーレィはそれを見てニコッとすると、台所にまた向かって皿を戻し、自身も腹が空いたので適当に済ませる。
「はぁ、かわいかったなぁ......♪ あんな美味しく食べてくれるなんて、嬉しいな......」
スーレィは言葉が通じたり、ひとまずコンソメスープは食べられるということを知り安心したが、何より癒やしを得た。久しぶりに手料理を人に振る舞い、幸せにできた。食は世界中どこにいようと必要なものであり、そして毎日を彩るもの。こういう考えのもと、会社でも特に食に関しては一切手を抜かないほどこだわりの強いスーレィにとって、食で誰かを幸せにできることこそが自分にも幸せなのである。
皿を洗いながら、あの少女の様子を思い返すと、スーレィは鼻歌でもしたくなる気分になった。次は何を作ろうか。あの子はどんなものが好きなのだろう。どんどん興味が湧いてくる。
━━どんな子なんだろう......━━
あの獣耳少女の起源はなんなのだろう。少女はどこから来たのだろう。これからどんどん仲を深めて、踏み込んだ話をしたい。
限界のない好奇心が湧きながら、スーレィは昨晩の不安を克服し、その眼差しは希望に溢れていた。
◇ ◇ ◇
━━おいしかったのです......━━
少女はただそう思うばかり。とにかくおいしいとしか言えない。こんな味ははじめて。
━━でも、まだこわいのです......━━
8年前もそうだった。最初はいい扱いをされ、いいところだなと思った半年後には、身体には鞭を打たれ、酷使され、見世物になっていた。異国の地にただひとりぽつんとさらわれ、こころが失われていく毎日。
━━でも、あの人は......━━
何か歪んだ眼を感じた8年前とは違って、あの白い女の人の眼は澄んでいた。自分なんかの目の前で、すやすやと眠りもしていた。いいひとなのかな、でも、また、わるいひとなのかな......
━━わからない......こわい......━━
またひとりなのかな。また、ぶたれるのかな。
少女は傷の痛みを感じながらぼうっと、窓から見える雲に目を向けていた。




