第五章
「引き受けて貰えませんか?」
この日、私はランク維持のための魔物を納品するため、最寄りの組合へ立ち寄っていた。受付の職員である彼が、困った様子でイリスに頼みたいと相談を持ちかけてきた。
内容は配達依頼で、イリスの飛行速度をもってしても片道七日を要する、かなりの遠方である。ワイバーン便もなく、未だイリスに続く使役獣も存在しない状況だ。彼が私に頼みたくなる気持ちは理解できた。
一瞬、断ろうかと思ったが、脳裏に太ったイリスが「クィクィクィ」と鳴きながら、顎でねぐらの戦利品を並べる場所を私に指示している姿が浮かんだ。
「引き受けましょう」
「では、荷物はこれです!お願いしますね」
手渡されたのは、この街に住む住人のごく普通の荷物だった。家族宛の手紙も同封されているらしい。
「なので、イリス。海もあるので、今回はドベルも連れて行きます」
「クィ」
「ん」
なんとも締まらない掛け声を聞きながら、ドベルが落ちないようにイリスに装着している飛翔鞍と、ドベルの銅当てを繋いだ。
この飛翔鞍は、イリスの成長に合わせ二度作り直している。初期の飛翔鞍もまだ保管してあるが、それと比べればイリスがどれほど大きくなったかがよく分かる。
ドベルは、イリスが戯れに背へ乗せるうちにすっかり慣れたようで、尻尾を大きく振り、バッサバッサとイリスの鱗を叩いている。
「イリス、ドベルがいるので、他所の飛竜や竜に喧嘩は売らないように」
「クィ」
次の瞬間、頑丈に建てた筈の我が家が震えるほどの風圧を生み、一気に空高く跳躍した。旋回してさらに上昇――その挙動は、イリスが急降下で加速するときに見せる動きだった。ドベルに格好いいところを見せたかったのだろう。先ほどまで楽しげに弾んでいた尻尾は、今や萎れて股の間に挟まっている。私はドベルを慰め、イリスには無言の圧を念で送っておいた。
特に大きな問題もなく、夜営を挟みながら進み、やがて穏やかな白浜を抱く漁村へたどり着いた。この大陸では、魔物の領域が隣接している場合でも、すぐに深い森が迫っているわけではなく、まずは浅い森が広がり、その奥が深い森となる。浅い森は小型魔物の生息地であり、外壁を持たなくとも住人自身で自衛できる村落がいくつか存在している。
ここも浅い森に囲まれ、外壁はないものの、住人たちは逞しく暮らしているようだった。本来、中型以上の使役獣を街中で連れ歩くことはできないが、このような小さな人里では、住人の理解次第となる。
「ありがとうございます」
「いいよ、しかし、いいこだねぇ」
最初に声をかけたのは散歩中のお婆さんだった。快く了承してくれただけでなく、ドベルを気に入り、同じ背丈ほどのベルベを優しく撫でていた。ドベルは、自分だけが褒められ可愛がられているとご満悦である。
「イリスも可愛いですよ」
「クィ」
少し可哀想に思い、イリスは私が褒めてやった。
目的の民家へ歩いて向かう。イリスは巨体ゆえ狭い通りを通れず、入り口で待機。ドベルは横で潮の香りに鼻をひくひくさせていた。
「サマスからだわ。遠いのにありがとう」
「いいえ、ではこちらにサインを」
依頼受注証に受取人である娘さんのサインを貰う。魔道具は発達していても、交通や通信のインフラが未発達なこの国では、使役魔物の力に頼らざるを得ない。陸路で向かえば、この漁村は一ヶ月以上かかる距離にある。
最近は魔物素材の納品ばかりで、依頼主と顔を合わせることも少なかった。しかし、こうして直接喜ぶ姿を見るのも悪くはない。私は依頼を仲介した職員に、せっかくなので少し滞在したいと許可を得てある。海辺で初夏を過ごすのは初めてであり、年齢を重ねた私でさえ、高揚感を抑えられなかった。
白い砂浜は小さく静まり返り、人影もない。海には魔物が棲むため、人々が遊泳する光景は存在しない。私は探知のように魔力を広げ、海を調べる。巨大な海獣はいなかったが、人を傷つける力を持つ気配はいくつか感じ取れた。
「勿体無い……」
透き通るコバルトブルーの海と、遠浅に広がる白砂、波の寄せる音。自然が生み出すこの美景を前に、そう呟いた。
砂浜ではドベルがイリスとじゃれ合っている。初めて見る海に、ドベルは波を不思議そうに見つめていたが、背後からイリスが小突いて――あ、びしょ濡れに。
「イリス、あまりからかっては駄目です」
悪戯が成功したイリスは、人間のように口を開け、「クイクイクイ~♪」と笑うように鳴いた。海水が不快だったのか、ドベルは駆け寄ってきて、綺麗にしてほしいとせがむ。汚れを分解する魔道具を身に着けているが、待てなかったのだ。
「綺麗になりましたよ」
「んんん」
しかし隙を見てはイリスがまた小突き、同じことを繰り返す。やがてイリスの存在により、気配のあった海獣は遠ざかってしまった。
夕暮れが近づくと遊びは収まり、イリスは海辺で静かに休み、その傍らにドベルが寄り添った。疲れたのかドベルまで眠りについてしまった。
こうして魔物の生態を間近で観察できるのは、研究対象として大きな意味を持つ。マッドドッグは森でよく見かける魔物であり、群れを成す性質がある。イリスが徒党から外れた個体を咥えてきたのではないかと私は考察した。
ドベルの仕草には、イリスを群れのボスと認識している様子がある。そしてイリスを従える私へも、初めから従順であり、最低限の行動は自然とできていた。
また、初対面の人々に吠えることもなく、怯えさせぬよう静かに佇み、相手の表情を見極めてから動く。
これは魔物使いが行う調教の初歩であり、ドベルはそれを独力で身につけていた。最初は誰かの使役獣かと考え、組合へ問い合わせたが、マッドドッグの迷子に関する報告はなかった。
人里から漂う夕餉の匂いで考察は途切れ、私もイリスたちと並んで夜営の支度を始めた。ドベルだけは食欲に負けて起き出し、魔物肉を与える。イリスは目を閉じ、風と波の音に包まれながら静かに眠っていた。