第二十章
「じゃあ、師匠。私とはここでお別れです。私の行先は未だ決まってません。ハルがここへ来たら、私はここに来る手段が無い。お達者で、師匠あざした!」
「元気で…冒険を楽しみなさい」
頭を下げたところで、ハルが大きな翼を広げ、羽ばたきとともに舞い上がった。庭先の草花が風圧に揺れ、乾いた土が舞い上がる。旋回は最小限で、すぐさま行き先を定めるように、今のデベスが住む地へと飛び去っていった。
「最後の最後までデベスらしい別れですね」
我が家の庭先での光景。帰りはハルに送ってもらうとは聞いていたが、まさか庭が最後の別れの場になるとは。胸の奥に広がったのは悲しみよりも呆れに近い感情だった。そしてその目は、期待と挑戦心に満ちて、まっすぐに私を見据えていた――「生を師よりも楽しんでやる」と訴える挑戦的な顔で。
「弟子は師を超えた。完敗です」
強さとは腕力や魔力だけを指すものではない。人生を楽しむという才においては、デベスが圧倒的に勝っていると痛感させられた。
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数日後、ハルが戻って来た。背に人影はなく、ひとりで私の家を訪れる。飛翔鞍にはハルが私の使役獣となる為に必要な書類と、紙片が一枚。そこには「頼みました」と、デベスの簡潔な言葉が記されていた。
「先ず最寄りの街へ行きましょう、ハル」
街の傭兵組合での手続きを行うため、私はハルの背に跨った。二体の飛行獣を抱える以上、今後のことを考える必要がある。その思考を巡らせながら、空の冷たい風を頬に受けた。
「今後は笛では無く、トルクで。試すのでイリスもハルも離れて」
私は二体に指示を出した。これまで呼び寄せる合図には笛を用いていた。笛の音色はそれぞれ異なり、聞き間違えることはない。しかし今は通信機能を持つ核結晶を組み込んだ魔道具「トルク」を装備している。それを活かし、念話の構築を二体専用に改変したのだ。
交互に呼び、そして二体同時にも呼ぶ。その結果は笛の時と変わらず、意思は明確に届いた。笛はその役目を終え、今後はトルクに切り替わる。デベスが使った笛も、ヴァイスが吹いた笛も、私は鞄に大切にしまった。
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「イリスの進化方法を真似ても、ハルの気質では再現不能なので、ハルは暫く私と遠征。イリスはドベルと家で過ごしていて」
「ギュイ」
「ん」
「クヒ」
イリス、ドベル、ハルの順で短く応じる。ハルはデベスの言葉どおり、進化に対する期待を胸に熱を帯びていた。
私は準備を整え、ハルの背に乗り、冷たい高空の風を切って飛んだ。目指すはハルよりも強大な魔物たちが棲む深い森。
「ハルは先ず、私がデベスとは何が違うのか、普段の連携の中で掴みなさい」
「クヒ」
デベスとハルの連携は、飛行種の特性を活かした基本的な狩猟法。私が二人に教えた技術を忠実に守り続けていたのだ。
「あの獲物ですね、では何時も通りに」
眼下に広がる森の開けた地に、巨体の大魔亀がゆっくりと進んでいた。分厚い甲羅を持つが、土属性の魔法使い固い守りのみ。他には目立った力はない。正面から挑めば時間を取られる相手だ。ハルは甲羅から伸びた手足の付け根を狙わせるため、魔法を避け地上すれすれに旋回し、私の為に隙を作った。
「ハル、終わりました。これが私の狩り方」
私の魔法が正確に核を捉え、瞬時に収納される。動力源を失った大魔亀は、重力に逆らえず地へと伏した。
亡骸も魔法鞄へ収納し、ハルに一言伝える。
「デベスよりも私は強い。私を気にかける必要はない。好きに挑みなさい」
「クヒッ」
進化の条件は二つ――己より勝る相手との経験、そしてその結果から得る糧。ハルは忠実すぎるがゆえに、デベスを守るために挑戦を避けてきた。
「イリスは…目につくもの全て挑みました」
「クヒ」
あえて比較の言葉を使い、ハルを煽った。効果は思った以上に良い方向へ働いたようだ。(イリスは無謀過ぎて、勝った試しは少なく、肉を食いたいだけで挑んでいた、などとは言わない。)
ハルは欲は持つものの、イリスほどの執念はない。だからこそ、どう挑むのかを見届けることに意味があるのだ。
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そして数ヶ月。
ハルを主軸に据え、大型魔物の領域で夜営を重ねる日々が続いた。夜の森は深い闇に包まれ、冷たい湿気を帯びている。飛行種は夜目が利かず、地に足をつければ空中のような起動力が無くなる。飛行種は空の強者であるが、目の見えない飛行種なら地上の魔物からすれば弱った獲物にしか見えない。夜行性の大型魔物が弱者を容赦なく襲う。弱肉強食の世界では、常に生命が試される。
ハルは迫りくる恐怖の中で、私を信じることを学ばなければならない。魔道具に守られているのではなく、私自身に守られていると信じ抜く必要がある。
私は大気中の魔力を練り上げ、純度の高い結界を展開する。見えぬ壁は数百年破られたことがなく、境界を越えたとしても魔物は即座に核を奪われ絶命する仕組みだ。だが、使役獣たちはトルクに組み込まれた核結晶の力によって影響を受けない。
「恐怖ですかね…」
「クヒィ」
挑む気はあっても踏み出せないハル。その声音には申し訳なさが滲んでいた。
「では、一度戻りイリスにも協力してもらいましょう」
「クヒッ」
進化の兆しは見えている。だがそれは結果であり、望んで掴んだものではない。長年の努力、デベスの願い、それらが積み重なり、ようやくハル自身も進化を望むようになったのだろう。
(イリスの協力は最後の手段ですが…威厳を保てるかが問題です。)
魔肉への執念、無謀に突っ込む癖。イリスの姿に幻滅しなければよいのだが。
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「という事でドベル。いつものように留守をお願いします」
「んんん」
ドベルを家に残し、私はイリスの背に乗った。ハルはイリスの守護を受け、飛行能力を一時的に強化されて並走する。飛竜が認めた同族のみが受けられる恩恵で、速度に合わせ負荷を障壁で軽減する。ハルはその守護を過去に経験しており、慣れた様子で追従した。
「ギャギャ~」
「…。いいですよ」
イリスは食べたい獲物に向かって許可を求めるが、それはすでに儀式のようなもの。許されると理解しているが、獲物に距離を詰める時点で期待を隠せない。私は魔法を使わず、安全圏にいるハルに一部始終を見せる。
「ギャ!ギャ~」
風が唸り、突風に乗った竜影が迫る。相手は風の属性を操る竜種――風竜の群れだった。突風に煽られ、イリスと私は容易に弾かれ、まるで玩具のように弄ばれる。
「ギャギャ!」
障壁があるとはいえ、次々と吹き飛ばされる。イリスは文句を言っているのか、食わせろと叫んでいるのか、口だけは元気だ。
離れた空で安全圏を取るハルの視線を感じると、私は少し情けなくなった。
「はい、終わりました」
「ギャ~♪」
風竜を収納すると、イリスはすでに肉のことしか頭にない。ハルは目を丸くし、口を開けたまま固まっていた。
「ハルも私が守りますから…挑んで下さい」
「クヒ~?」
小首を傾げる仕草。その純粋さは守りたい。無謀に突っ込む選択肢は、ハルにはない。助けを前提にすることへの疑念すら持つだろう。
「これでイリスは進化しました」
「クヒッ」
ハルは悟ったのだ。目的のためなら手段を選ばない、と。
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その後の鍛錬は単純だった――目につく魔物すべてに喧嘩を売る。イリスは役目を終え、家で風竜の骨を肴に満足げに過ごしているだろう。
ハルは火に炙られ、水に打たれ、岩に押し潰されても、結界に守られて命を落とすことはない。ただ挑み、経験を積む。
恐怖はやがて消え、守られていると確信した上で、魔法を回避し、相手の弱点を突く技術を学び始めた。まだ倒すには至らないが、攻撃の手数は確実に増え、結界の発動回数も減少していった。




