第十九章
悲しい別れが、また一つ訪れた。森にある私の家から最も近い傭兵組合に在籍していた人族の元支部長が、老衰により亡くなったと、代替わりした現支部長から静かに告げられたのである。
生前、彼との関わりは他の者たちよりも深かった。組合を辞め、余生を過ごすようになってからも、私が土産として持参する酒を大切そうに味わう姿が、今でも脳裏に鮮明に残っている。彼は話術に長け、人を動かす力を備えていた。組合における私の特例的な立場も、彼が理解し、代替わりしてからも後任の支部長がその方針を尊重し続けているのは、彼の残した指針あってこそだ。
私が必要以上に関係を増やさないようにしてきた中で、その境界を越えて自然と心に入ってきた、唯一の存在だった。
「そうでしたか……もう葬儀も何もかも終わった後ですか」
「はい。遺骨も息子さんが引き取り、生前暮らしていた街には墓を建てないそうです」
墓があれば酒を供えようと思ったが、その必要もないようだった。伝言を受け取った私は礼を述べ、街を後にした。
「安定した暮らしを送れるのは理想ですが、その暮らしを共に見守る友人との別れには、いまだに慣れませんね、イリス」
森の家に戻る気にもなれず、私は相棒のイリスに身を預け、空を遊泳していた。大気を切る風が頬を撫で、地上には夕暮れの光が差し込み、長い影が静かに伸びていた。
「ギュ~」
「コリンに偉そうに言いましたが、私も軽くする術は解りませんね」
夕陽が赤く世界を染め、やがて闇が訪れる頃、夜目の利かないイリスの判断で、私は森の我が家へと送り届けられた。
イリスに礼を告げ、気を使わせた詫びとして獲物を渡すと、彼女は嬉しげに咥え巣へ飛び去った。ドベルもまた、沈んだ私の様子を気にして足元に寄り添い、静かに甘えるような仕草を見せる。
「心配かけてごめんね」
「んん」
その頭を撫で、詫びの気持ちを込めて獲物を渡すと、彼も庭の一角にある巣へと運んでいった。
「切り替えるには時間が必要ですね」
そう自分に言い聞かせながら家の扉を開け、私は静かに自らの住まいに入った。
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その後も日々は淡々と流れた。これまでと変わらず組合へ魔物を卸し、夏には海へ行き、コリンやデベスと語らいながら、時は緩やかに過ぎていった。
季節は巡り、秋が終わり、森に白い息が漂い始める冬のある日。私の家を懐かしい客が訪れた。
「師匠、お久しぶりです」
「その名を今でも呼ぶのですね」
目の前に立つデベスは五十九歳になったという。かつての若き傭兵は、仲間であるハルと共にプラチナの称号を得て各地で活躍し、その噂は幾度も耳にした。通信で、妻を迎え三人の子を授かったことも聞いていた。
「師匠は相変わらずですね」
「貴方は、ずいぶん変わりましたね」
青年の頃は軽い言葉遣いで目を輝かせていた彼も、今は貫禄を備え、知性を宿した眼差しをしていた。
「孫が生まれまして……私もいよいよ引退しようかと」
「それは、お疲れ様でした。そして、おめでとうございます」
「ええ。それで師匠に最後のお願いに参りました」
「聞くかどうかは分かりませんよ?」
軽く笑うと、デベスは肩をすくめ、厳しいことは言わないで下さいと冗談めかした。私は彼を食堂に案内し、席に着いて話を続けた。
「先ずはこれをお返しします」
彼が卓上に置いたのは、私が作り渡していた冒険道具一式、魔法鞄のパーチだった。
「良いのですか?」
「もう、この道具が必要な冒険はしませんから」
孫が生まれたことをきっかけに、住んでいた家を手放し、穏やかな田舎で妻と余生を過ごす決意をしたという。
「私の生まれは常に魔物の被害に晒された辺境でした。そしてプラチナを目指す鍛錬、さらにコリン殿と共に国王の護衛。刺激は十分でした。次の冒険は、自分の育てる野菜を食べ、子育てを終えた妻と静かに過ごすことです」
「知らないことはすべて冒険。貴方らしい」
彼は微笑み、次に真剣な表情で口を開いた。
「そこでハルです。残念ながら私はもう、ハルを進化させるだけでなく、彼に乗り空を駆けることが難しくなりました」
「まだ大丈夫ではありませんか?」
それはお世辞ではなく、私が正直に思ったことだった。
「直ぐではありませんが、今がその時だと感じたのです。だから、ハルに選ばせました」
「どういうことですか?」
「田舎で私と暮らすか、師匠のもとで進化を望むか。そしてハルは、師匠を選びました」
庭に待つハルへ目をやると、そこは相変わらず賑やかで、イリスが容赦なく彼を踏み台にしていた。部屋の真剣な空気との落差に、私は思わず視線を逸らした。
「ははは、流石イリスですな。ハルを足蹴にできるのは彼女だけです」
「……すいませんね。いつも」
「ハルは気にしていません。でなければ師匠を選びませんよ」
「分かりました。ハルの気持ち、そしてデベスの覚悟、そのすべてをこちらで預かります」
大切に扱われてきた魔法鞄や冒険道具一式を手に取り、私は自らの鞄へと収めた。
「宜しくお願いします」
彼は深く頭を下げ、顔を上げた時には、緊張が解け、青年の頃と変わらぬ柔らかな表情に戻っていた。
「それと、もう一つ」
目で続きを促すと、デベスは懐かしい口調で言葉を重ねた。
「師匠へ弟子からのお願いっす。師匠は重く考えすぎです。世話になった支部長のおっさんの時も落ち込み過ぎて、正直キモかったっす。俺の時は頑張った!と褒めて欲しいし、死んだからって悲しむ必要はないっす。俺は師匠を悲しませる弟子じゃない。だから笑って送って下さい。その方が俺は嬉しいっす!」
彼は一気に言い切った。気を遣わず、まるで若き日のように。
「そうでしたか……キモかったですか」
「まあ、言い過ぎましたな。しかし、師匠」
落ち込む私に視線を向け、彼は静かに言った。
「良く解らんのです。他人の師匠が残された家族以上に悲しむ理由が。私の子供でさえ、やり遂げたなと泣きはするでしょうが、同時に自慢すると思います。私に関しては、それが全てです」
その言葉に、私ははっとした。長い時を生き、多くを見送る自分の立場に浸り、他人の人生に過剰な感傷を押し付けていたのだ。
「確かに……私は他人でしたね。他人は他人の人生をやり遂げ、家族が泣き笑う。それを厚かましくも自分の感情で覆っていたとは。恥ずかしい」
「良く解りませんが、気付けたなら良かったですな。はははっ」




