リリサンドラ・ヴァレンティーナ、目覚める
「お嬢様、お水を……っ、急いで!」
あたふたと動くメイドたちに囲まれながら、私はふかふかの枕にそっと上半身を起こされた。
身体は重くてだるいけれど、水を一口飲むと少しだけ落ち着いた気がする。
「……ありがとう。助かったわ」
無意識にこぼれた言葉に、目の前の若いメイドがぽかんと目を見開く。
「……お嬢様……?」
あ。しまった、素が出た。
「……わたくし、のどが渇いていただけよ。感謝するわ」
慌てて言い直すと、メイドは「は、はっ」と何かに気づいたように背筋を伸ばした。
部屋の空気が、さっきまでと少し変わった気がした。
ほどなくして、大きな足音とともに扉が勢いよく開かれる。
「リリー! 目を覚ましたと聞いて──!」
金茶色の髪をまとめた美しい女性が、息を切らしながら部屋に飛び込んできた。
その後ろには、端正な顔立ちの男性──おそらくお父様──が落ち着いた足取りで続いてくる。
「よかった……! 本当に、よかった……!」
お母様は泣きそうな笑顔で私に駆け寄り、そのまま私の頬をそっと包み込む。
驚いた。
こんなに、あたたかい愛情をまっすぐに向けられるなんて……。
「リリー、つらくなかった? ちゃんと眠れた? ごめんなさいね、わたくし、ずっと心配で……」
「わたし──いえ、わたくし、大丈夫……でした。ご心配をおかけしました」
咄嗟に丁寧に言い直すと、お母様の表情がふと固まる。
その横で、お父様も一瞬まばたきをした。
……また“らしくない”ことを言ったんだろうな。
でも、これくらいなら、違和感レベルで済む……はず。
「今日はもう、ゆっくり休むといい。まだ身体が本調子じゃないだろう?」
お父様は落ち着いた声でそう告げると、私の髪をやさしく撫でてくれた。
「お前がこうして無事でいてくれるだけで、私たちは十分だよ。ねえ、あなた?」
「ええ……本当に……。リリー、今日は何も考えず、ゆっくりお眠りなさい」
そう言って、お母様は私の額に、そっと口づけを落とした。
ふかふかの布団にもう一度身を沈めると、疲れがじんわりと広がる。
こんなに穏やかな時間、いつぶりだろう。
ブラック企業で毎日睡眠3時間の世界から来た身には、優しさがまぶしすぎる。
「……ありがとう。わたくし、少し眠ります……」
まぶたを閉じれば、遠くで聞こえる鳥のさえずり。
藍色のカーテンを通した光が、部屋に静かに差し込んでいた。
リリサンドラ・ヴァレンティーナとして、私はまた眠りにつく。
運命を変えるその第一歩を踏み出すことも知らずに──。