残念、星歌はホレっぽい(2)
女子高生、色素の薄い長い髪をさわる様子をみせる。
横の髪を耳にかけるふりをして、顔を隠しているのだということは分かった。
その反応に、星歌は早速「シマッタ」と心の中で叫ぶ。
ついつい、首を突っ込んでしまったけれど、自分も彼女にいたたまれない思いをさせていると察したからだ。
「ま、まぁまぁ。私もね、よくやるんだ。踏んづけてズルッって転んじゃったりするんだよ。犬のウン…………エヘンッ!」
慰めようとしたところを、別方向から注がれるジトッとした視線に気づいて、慌てて咳払いで誤魔化す。
パンのケースを持った人物が、闖入者の失言に顔を真っ赤に染めているのが視野に捉えられたからだ。
「まぁ、その……パンだよね。もったいないね」
クリームパンであろうか。
半分は地面に張り付いているものの、残り半分はきれいな形で残っている。
星歌はそれを手にとった。
小さくちぎって躊躇なく口に入れる。
「うん、おいしいよ」
裏口際の台にケースを置いて、職人が急いでこちらに走ってきた。
「そ、そんな……落ちてるものを食べなくても……」
「大丈夫だって! 3秒ルール適用だよ」
落とした食べ物でも三秒以内に拾ったら、衛生面に影響がないというのが星歌の自論だ。
そのパンは明らかに三秒より前に落としたものだと分かるが、気にしたら負けである。
「そ、そのルールは飲食業界では最大のタブー……!」
職人が絶句している。
彼に背を向けて、星歌はようやく身を起こした女子高生に手を差し出した。
「す、すみません……」
俯いてしまっているが、髪の隙間からのぞく耳たぶは真っ赤に染まっている。
オロオロとした様子でゆっくりとこちらを見上げて、彼女は「あっ」と声をあげる。
「白川先生のお姉さん……?」
「えっ、あっ……そうだよ」
そうか、行人の教え子か──星歌が急に目をパチパチ瞬かせたのは、顔をあげた女子高生の放つ透明感にであった。
黒目に影を落とすほど長い睫毛。頬の際の血管が透けて見えるほどの肌。
まるでお人形のようだ。
同性ながら星歌が息を呑んだのも致し方のないことであろう。
同時に背中を冷たい汗が流れる。
直接、生徒と関わることのない事務職であった星歌は彼女を知らないものの、向こうは白川先生の姉としてこちらを認識しているのだ。
そうなると当然、昨日の呉田・眼鏡事件のことも耳にしていよう。
星歌が彼女から顔をそむけたのは、その美貌に気後れしたせいばかりではない。
「パ、パンは惜しかったね~。美味しかったのにね~。どれ、わ、私が買ってやろうかねぇ」
妙な緊張と、大人の見栄が混じり合ったか。星歌は職人に向かって指を一本立ててみせた。
そのパンをこちらのお嬢さんにと言ったつもりが、職人はポカンと口を開けている。
「あ、あはは……そのパンをこちらのお嬢さんに」
口にしてみても、その表情は変わらない。
失業した身で財布を出す手はみっともなく震えているし、この場に漂う何とも妙な空気に心臓は早鐘を打っていた。
女子高生はフルフルと首を振るとその場に立ち上がった。
見上げるような長身を折りたたむようにペコリと頭を下げると、そのまま踵を返して走って行ってしまった。
すぐそこの校門へと駆け込む後ろ姿を見送って、星歌は職人と顔を見合わせた。
「い、いやぁ、悪い子じゃないんですよ~」
何故だか保護者ぶってヘラッと笑う星歌。
そそくさと財布をしまった。
実は激しく狼狽えていた。
揉めごとに首を突っ込んでしまうのは性分かもしれない。
だが思わぬ形で素性がばれており、しかもこんなところに取り残される形となってしまいどうしたら良いか分からなくなったのだ。
女子高生とは逆に、こちらは星歌が見下ろすほど小柄な職人は肩で大きく息をつくと壁に身を凭せかけている。
「あ、ありがとう……」
「えっ、何が?」
きれいに染められた金色の髪をかきあげて、職人は大きな瞳で星歌を見上げた。
「だって……開店初日でJKに怪我なんてさせたら、学校から苦情を言われて、保護者から訴えられて慰謝料で一生首が回んなくなるかもってグルグル考えちゃったからさ」
「あははっ、すごい想像力だね」
本当に怖かったのだろう。
もう一度、礼を述べようとする声も震えて掠れてしまっている。
星歌が、何だか頼りない印象を彼から受けたのも頷けよう。
さっきの女子高生が美人というなら、こちらは間違いなく……。
「美少女……」
思わず呟いた星歌を美少女は見上げ、キッと睨みすえる。
「だ、だれが美少女だ!僕は男だ!」
丸い輪郭、薄い紅色に染まった頬、大きな瞳に愛らしい唇。
だが声は低く、小柄ながらも体つきは女のそれではない。
どうやら女の子に間違えられるのはよくあることのようで、反射的に声を荒げてしまったことを彼は詫びた。
「助けてくれたのに、ごめん……」
ううん、いいよと星歌は大人の威厳を取り繕うが、頭の中ではまったく別のことを考えていた。
──金髪王子っちゃあ、まさしくソレなんだけどなぁ。思ってたやつじゃあ、ないんだよなぁ。金髪ったって根元1センチくらい黒いし、こりゃブリーチだよ。ニセ王子だよ。やっぱり現実はこんなもんかなぁ。
「今日のお昼に開店するんだけど。えっと、あなたはあの学校の……先生?」
微妙な沈黙は星歌の年齢を見定める時間だったのだろう。
童顔の星歌だが、残念ながら女子高生に見られることはなかったようだ。
特に今は、少々おかしな格好をしている。
「いやぁ……昨日まで事務員だったんだけど、失業しちゃってねぇ。ハハッ……」
なるべく軽い調子を心がけたものの笑い声は乾いており、結果的にニセ王子の頬を引きつらせるに至る。
シマッタ、そこまでぶっちゃけて話すことはなかったなと、星歌は「アハハ」という白々しい笑い声とともに後ずさる。
そのままジリジリと距離をとり、ゆっくりと遠ざかろうとの魂胆だ。
しかし、企みはあえなく潰えた。