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もはや異世界しかない!(4)

「中一のときも、中三のときも、高一も高二も。何で私は義弟にオトコを取られ続けなきゃなんないんだ!」


「……姉ちゃん、数多すぎ」


「私は恋多き乙女なんだよっ!」


「乙女はそんなふうに絡んでこないから。もういいから、今日は泊めてあげるから寝なよ。事故物件のことと仕事のことは、明日いっしょに考えよう」


 笑いをどうにか呑みこんで、星歌の背をさすってやる。

 服の布越しに行人の手のぬくもりを感じて、彼女は今度はスンスンと鼻をすすりはじめた。


「ごめんね。恋も仕事も家もなくして、こんな夜中に義弟の家でクダ巻いてる女がお姉ちゃんで……」


 背中をなでる手が、一瞬ビクリと震える。


「俺は星歌を姉なんて思ったことないけど」


「えっ、なに?」


 囁き声を聞き逃した星歌。義弟の方を振り返るが、彼はゆっくりと首を振ってみせた。

 星歌の背から手をはなし、そっと身を寄せる。


「なに?」


 腕と腕がぴたりとくっつくくらいの距離に、星歌の声が上ずった。


「座布団、半分かして。床つめたいんだもん」


「そ、そっか。悪いな、ひとり占めして」


 少しだけゆずるつもりで身を引くと、その分行人がグイと寄ってくる。

 ひとつの座布団にくっつき合って座るふたり。

 義弟の硬い腕を感じ、星歌の視線が部屋のあちこちをさまよう。


「は、離れ……聞こえ……からっ!」


「なに?」


 ──離れて、心臓の音が聞こえるからっ!


 本当に寒いだけだという義弟の様子に、星歌は心の叫びを喉の奥でぐっとこらえる。

 代わりに、こう告げた。


「わ、私にはメンエキがナイ、から? その……キョリが? 距離が!」


「ん?」


 小首をかしげる行人。

 前髪がサラリと落ちて、黒目がちな瞳に影を落とす。

 その様に一瞬、ドキリと心音が高鳴る。


「わ、私は、キッスだってまだなんだ!」


「な、何、その宣言は……」


 明らかに引いた口調の行人の前で、星歌の頬が赤く染まる。


「び、美人な義弟のせいで失恋つづきで、おつきあいをしたこともないんだ……コラ、そこ!お気の毒って顔をするんじゃない」


「俺は別に……」


 うるっさい! 星歌は叫ぶ。


「姉ちゃん、ここ集合住宅だから声を……」


「私の……私の、はじめてのキッスは大事にとってあるんだ! 異世界へ行って、中世ヨーロッパでベルサイユ宮殿に住んでて、サラッサラの金髪で青い目をして白い馬に乗ってる貴族とイタすんだぁ。そして、城に住むんだぁ!」


「城に住むんだって……イタすんだって……姉ちゃん……」


 イタい義姉を前に、行人が眉をひそめる。


「そもそも中世にベルサイユ宮殿はないよ? 今の宮殿の建築が始まったのが1661年だっけ。時代区分でいうと、中世じゃなくて近世だね。ルイ十四世の時代だよ。もちろん、異世界でもないしね」


「うぐぅ……」


 そういえば、この義弟は社会科の担当で、大学のときは西洋史を専攻していたんだっけ。


「あと、ベルサイユ宮殿にはトイレないけど。星歌、住める? バケツやおまるに用を足して、庭に捨てるんだよ」


「うぬぅ……史実で反論するんじゃない。この世界史オタクめ。私の清らかな夢を、おまるでぶちこわすなんて……」


 うんちくを一つ披露して、行人は満足そうだ。


「そ、そういうお前こそどうなんだ? お前だってキッスもまただと、姉は知っているぞ?」


「キッスって……」


 行人の視線が一瞬、泳ぐ。


「キスって言うのが恥ずかしくて、わざわざキッスって促音入れてるんだろ」


「そくおん?」


「キッスのツみたいな、詰まる音のこと」


「うっ……」


 この男、ほんとうに私と同じ年月を生きてきたのかと言いかけた星歌の前で、義弟はしれっとした表情をつくってこう告げた。


「俺は、したことあるよ」


「えっ……ええっ!」


 星歌のあげた悲鳴に、行人は大袈裟に手の平で両耳を塞いでみせた。


「さ、先をこされたなんて……悔しい。一体、どこのどいつと?」


 そして、おもむろに「ハッ」と息を呑む。


「まさか、びーえる?」


「違うよ」


「じゃあ、オンナか?」


 生々しい言い方に、行人は横目で彼女をにらむ。


「星歌、もういいよ……」


 さっさと寝なよと立ち上がってクローゼットから予備の毛布を取り出す義弟の背に、星歌は尚も質問を浴びせ続ける。

 完全に無視されていると悟ると、大仰に顔をしかめてみせた。


「じゃあ……じゃあ、これだけ!」


「何?」


「ドウテイ? せめて童貞だよね? 私だってまだなのに、行人がDTじゃないなんて、もうやりきれないよ!」


「………………」


「ええ? どうなんだ、義弟よ!」


「……それ以上セクハラ発言すると、今すぐお母さんに電話して星歌が学校クビになった経緯を説明するからね」


「ちょっ、クビじゃないってば。自分から辞めて……」


 ええい、と叫ぶ星歌。


「今の私に現実を持ち出すんじゃない!」


 おもむろに、窓に向かって両手をかかげた。

 窓ガラスには室内の照明が反射して、外のくらがりが際立つだけ。月も星も見えやしない。


 しかし、キラキラと──。


 星歌が腕を動かすたびにブレスレットの星の飾りが揺れて、部屋に小さな夜空を作り出す。


「止めてくれるな、義弟よ。私は異世界へ行く!」


「はぁ?」


「はぁ?って言うな。義弟にオトコを取られ、職を失った私は、もはや異世界に行くしかないんだよ」


「………………」

 行人、沈黙する。


「異世界にさえ行けば、チート確実なんだよ!」


「………………」

 行人、沈黙する。


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