「イヤな私」(2)
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この学校は土曜授業をしていないとはいえ、学校には大勢の人がいる。
部活動にいそしむ生徒や、補習を受ける子。
教師も何名かは出勤している筈だ。
星歌が、気もそぞろといった風に校舎を凝視していたのは、義弟の姿が見えやしないか気になったからに他ならない。
翔太との会話をおざなりにしたことは自覚していた。
申し訳ないという思いはあるが、夕べ帰らなかった行人が気がかりという気持ちが上回ってしまったのだ。
しかし彼女は校門の向こうに、予想外の人物を見ることになる。
吹く風に揺らぐ儚げなその姿。優雅に宙を踊るのは、薄茶色の長い髪だ。ダサイと評判の制服をさりげなく着こなした背の高いその姿は、星歌にとってできれば今は見たくない少女であった。
義弟のスマートフォンの画面が脳裏に焼き付いている。
そこに白く光っていた名は──。
「ケイ!」
一瞬、固まる星歌。
違う、そんな名ではなかった筈。
見たくはないくせに、どうにも気になっているのは確かで、校門のあたりへジリジリと近付きつつ様子を伺う。
モデルのように背の高い女子高生は、昨日パン屋の横の道で転んでいた彼女であり、行人がとくに目をかけているように見えた人物で間違いない。
「名前で呼ばないでくださいっ!」
彼女は、どうやらひとりではないらしい。
「ケイ……石野谷、待ってくれ!」
そう叫んで細い腕をつかむ手。
腕しか見えないが、大きく節が目立つその手は男のものだ。
ところどころ、赤や青の汚れが付いているのがみえる。
「石野谷、オレの話を聞いてくれ、な!」
そう、その名前。
液晶に浮かんでいた「石野谷」の文字。
石野谷ケイという名のその生徒は、どうやら男性に話しかけられ──いや、絡まれて困惑しているように見受けられた。
一瞬、その場で身を縮ませた星歌。
だが、振り払われても尚も彼女に伸びる手が、行人のものと違っていることに少なからず安堵していたのは事実。
部活動の生徒の登校時間にあたるのだろう。校門は開いている。
門柱の死角になるように徐々に近づいていったのは、単純な好奇心であった。
ふつふつと……よからぬ感情が込みあげる。
「なんだ、あの子。モテまくりか。モテ自慢か」
たしかに美少女だけど。ちょっとだけだけどね──そう呟いたところで、嫌な自分にハタと我に返る。
同時に彼女に手を伸ばす相手の姿も露わになった。
「あっ!」
思わず叫んだのは、そこにいたのが一昨日までの憧れの存在だったから。
繊細な風貌。絵の具がこびりついた指先。
一昨日見た時と掛けている眼鏡が異なっているのは、星歌にも身に覚えがあった。
「呉田先生っ!」
名を呼ばれ、明らかにビクリと背を震わせたその人物は、恐る恐るといったふうにこちらを振り返る。
「うっ、白川先生の変人の姉!」
眼鏡を強奪して放り捨てられたという白昼夢のような出来事が脳裏に焼き付いているのだろう。
やむを得ない反応だ。
だが、仮にも告白──らしいモノ──をしてきた女性に対して、その美術教師は実に露骨に顔を顰めてみせた。
その隙に、石野谷ケイは星歌の元へと走ってくる。
背に庇う──まではしなかったが、おいでおいでと手招きしてから星歌はストーカー呉田に向かって一歩、足を踏み出す。
──び、美少女が私に助けを求めている! 何このシチュは!?
意識するわけではないが、何とも微妙な高揚感に包まれる。
「し、白川先生のお姉さん……ですよね? すみません。少しだけ一緒にいてくれませんか?」
「う、うん……」
──しかも頼られている!
さすがに誤作動と分かっちゃいるが、近くにいる美少女の存在に心音も大きく響くのが分かる。
ああ、こんな感じで頼られちゃ変人の行人だってコロッといくよな──納得してしまう自分が嫌になる。
「ま、まかせて! 女の敵・ストーカー呉田は私が成敗してあげるから!」
むしろなんだか張り切ってしまう。
「何なんだ! あんた、学校辞めさせられたんじゃなかったのか。部外者が構内に入り込むのは問題だぞ」
凄む呉田だが、左右の弦を両手の指でつまんで今度こそ眼鏡を死守する構えが間の抜けた態度にみえた。
プッと吹きだすと、落ち着かなさげに隣りにいた石野谷ケイも、つられたように口元を押さえ俯いてみせる。
そのときだ。
「おはようございます」という爽やかな挨拶がすぐ背後から聞こえ、呉田は自ら眼鏡を取り落としてしまった。
「お、おはよう……」
部活に登校してきた生徒だ。
星歌は隣りの女子高生に目で合図を送る。
彼があたふたと眼鏡を拾うあいだに、ふたりは校門を飛び出した。
「こっちこっち!」
もはや勝手知ったるとばかりに、向かいのパン屋に駆け込む。
開店準備をしていた翔太が驚いたようにこちらを見るのを「ゴメン」という仕草で謝ってみせてから、星歌はスタッフルームへと彼女を招き入れた。
「ご、ごめんなさい。ご迷惑をおかけして……」
自由に使って良いと言われたティファールで湯を沸かし、ケースに詰められているティーバッグで紅茶をいれる。
昨日雇われたばかりの星歌だが、遠慮する様子はない。
「で。石野谷……さん? 呉田はどうする?」
なみなみと注がれたカップを手渡された彼女は、胸の奥にためていた重い空気を吐き出すように長い溜め息をついた。
それから、星歌の問いに首をかしげてみせる。
「どうするって?」
「警察に突き出そうよ! だって、どう見たってストーカーだよ。困ってたんでしょ!」




