はげしく揺れる(2)
一応、雇い主である。
星歌は焦った。
「いやその、義弟なんですよ」
「そんなん、話聞いてりゃ分かるよ。なんでお前の弟がレジのこっち側に入ってきてノンキにくっちゃべってんのかって話」
「そ、それは……」
ぐぅの音も出ない指摘にうろたえる星歌の肩を、行人の手が触れた。
伝わるぬくもりに、彼女の背中から力が抜ける。
「従業員だからってお前って呼び方はどうかと思いますけど? それより雇用契約はきちんと結んだんですか? 契約書を見せていただきたいんですが」
翔太を見下ろす視線の冷たいこと。
とりあえず、星歌はふたりの間に割り込んだ。
「まぁまぁ、おふたり。お客さんの前ですし、ここはひとつ穏便に」
客なんて一人もいないだろと、行人。
何だよそれ、逆に嫌味かよと、翔太。
ふたりが声を荒げたときのことだった、奥の扉が開いたのは。
途端、焼き立てパンの芳しい香りが鼻孔をくすぐる。
新たに焼きあがったパンのトレイを手に、オーナーが不思議そうに三人を見つめていたのだ。
まず翔太を見やり、次いで星歌。最後に行人をじっと見つめる。
同時に行人の表情が険しくなった。
「……これはヤバイな。星歌の王子像まんまじゃないか」
小さな呟きは、この場の誰の耳にも届かなかった。
何故ならその瞬間、扉についた鐘が派手に鳴ったから。
甲高い嬌声が、気まずく流れる店内の空気を破ったのだ。
学校指定の革靴の踵が床を踏む音が重なる。
「いいニオイ、でもちょっと狭いね」
「ごはんのあとの体育って最悪だよ」
「ヤバイヤバイ、期末マジで死ぬし」
軽やかな笑い声とともに、おしゃべりの洪水。
少女とも表現できる若い女性特有の細くて高い声は、小さなパン屋の天井に反響し、店内に華やかに降り注いだ。
「い、いらっしゃ……」
星歌と翔太が上ずった声をあげるが彼女たちの声量の前に、語尾は空しく消えてしまう。
店内を埋め尽くす女子高生は全部で八人ほどになろうか。
四時間目が終わったのだろう。
昼休みを利用して新しくできたパン屋を偵察といったところか。
もちろん放課後まで校外にでることは禁止されているのだが、校門の鍵は内側から簡単に開くし、見張りがいるわけでもない。
正門すぐ前にオープンした可愛い外観の店が気になって見に来る生徒がいるのは予想の範囲内だったのだろう。
だから、行人が先んじてやってきたわけだ。
──若っいなぁ。輝いてるなぁ。まさにリア充ってかんじだな。私はあのころ何してたっけな……ああ、乙女ゲーにハマりだしたころかぁ。毎日のように異世界転生を夢見てたっけ……えっ、今とあんまり変わらない?
星歌、いい年齢して若干ザンネンな自分の身の上を振り返り……途中でやめた。
気付けば、隣りに立っていたはずの義弟の姿がないではないか。
「何やってんの、行人」
「いや、その……」
見れば行人はレジカウンターに身を隠すようにして座り込んでいる。
「あ、ヤバイ。ユッキーだ」
気配を察したか、生徒のひとりがカウンターを覗き込んで嬌声をあげる。
途端、彼女たちは波のように押し寄せて行人の腕をとるや、その場に立たせて周囲を取り囲んだ。
「ユッキーもランチ?」
「なら一緒に食べよう」
店員の存在など、彼女たちの視界には入っていないようだ。
「お、義弟がオンナを侍らせている……! そしてユッキーと呼ばれている……!」
腰が引けたように星歌は行人と、彼を囲むJKからジリジリと後退した。
気付かなかったが、義弟は生徒から人気のある教師のようだった。
世界史オタクのおすまし野郎(星歌・談)だが、ともすれば物静かなその態度は落ち着いた大人の男性とも受け止められるだろうし、学校という閉鎖空間の中ではそこそこ整った彼の容貌は目を引くものであろう。
「お店に迷惑だから、パンのいる子は早く買って学校に戻りなさい」
困ったように生徒をたしなめているが、おそらく内心は満更でもないはずだと──星歌の目がいやらしく細められる。
「はぁ、参りましたねぇ。どんなタイプの女の子でも、よりどりみどりじゃないですか。おや、まさにギャルゲーですねぇ」
いつもならすかさず入る行人のツッコミを待つが、今の彼にその余裕はないようで。
展開に呑まれて壁に背をくっつけて呆然と立ち尽くしていた翔太が、新しいバイトが発した奇妙な独り言にギョッとしたように身を強張らせた。
だが、星歌はかまわず続ける。
目線はじっとり。JKらに注がれたまま。
「おやおや、良い子たちばかりじゃありませんかぁ。可愛い系、ツンデレ系、お嬢様系、しっかり者の優等生系、おや、メガネキャラもいますねぇ。さて、義姉の厳しい審査に合格するのはどこのどなたでしょうねぇ」
翔太の口がパクパク動いているのだが、無視。




