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元婚約者

 エレノアは料理屋を出たあと、そのまま目抜き通りを進んだ。宿屋『ジーク&アリー』にチェックインするつもりである。宿の場所は支払いの時に受付で確認済みだ。


 やはり歩いていると髪の毛が顔にかぶる。宿に着いたら髪を切ろう、と決意した。

 早めにやっておかないと、いざ戦いになった時に邪魔になりそうだ。


『ジーク&アリー』はすぐに見つかった。

 大きくて堂々とした建物。白石で造られた壁が美しい。確かに、エフィレイア貴族が好みそうな建築様式だ。


 玄関の両開きの扉に手をかけようとしたところで、それが勝手に開いた。

 中から飛び出してきた人間を、エレノアはさっとかわす。

 だが、相手はまさか扉の外に人がいるとは思わずに、驚き、そのまま勝手に転んだ。

 ふぎゃっ、と変な声を出し、盛大に道に倒れる。


「もし? 大丈夫ですか?」

 エレノアは女性に手を差し伸べた。


 腰まである真っ赤な髪が乱れに乱れている。焦げ茶色の瞳がエレノアを見て固まる。

 エレノアの輝かんばかりの美しさに見惚れているようだった。


 一方、エレノアは女性に既視感を覚えた。どこかで見たことがある。


 誰だったかしら?


 だが、女性の方はエレノアに気が付かないらしい。

「も、申しわけございません、お嬢様。お怪我はありませんか?」

 慌てて立ち上がる。


「いえ、わたくしの方はまったく問題ありませんわ。あなたの方こそ、お怪我はありませんの?」


「は、はい。私は大丈夫です」

 パンパンと服を払う。


 その態度にエレノアは自分の思い違いだろうか、と思った。女性は20台半ばといったところか。人目を引くほど綺麗な顔立ちをしている。一度見れば、忘れそうもないのだが。

 羽織っているベージュ色のコートは品質が良さそうだ。富裕層だろう。どこかのパーティで会ったのかもしれな。


「『ジーク&アリー』へ、ようこそ」

 女性が扉を開き、エレノアを店内へと導く。


「この宿の方ですの?」


「はい。そうです。私がこの店の店主のアリーですわ。お嬢様」

 女性が、エッヘン、と言わんばかりに胸を張る。だが、すぐにエレノアの美しさに打たれて、恥ずかしくなったらしい。

 どうぞ、とエレノアを店内へと招き入れる。


 広いロビーは内装も凝っていて、置かれている調度品も品がある。華やかながらゴテゴテしていたり、ケバケバしくなっていないところは好感が持てる。


 正面の受付に立つ青年がエレノアに向かって深々と頭を下げる。白いシャツに黒いベスト。ネクタイをきっちりと巻き、いかにも洗練されている。

 彼が顔を上げた時、エレノアは固まった。


 ジークフリート様……。


 エレノアの元婚約者ジークフリート・レイアーだった。10年の年月が経っていてもさすがにこれは分かる。


 そして、それは相手も同様だった。

 ジークフリートは妻のアライアが連れてきた女性に目を奪われた。王子として美女を見る機会はたくさんあったが、そんな彼をしても見惚れるほどの美しさ。絹糸のような黄金の髪に、サファイアのような澄んだ瞳。これ以上ないほど整った顔立ちだが、大きな目はきりりと目尻が上がっていて、攻撃的な印象を与える。

 そして、かすかに彼女は淡い光を帯びているように見える。それがまた神々しいまでに美しい。


 相手は驚いた様子で立ち止まっていた。

 青い瞳でジークフリートを凝視している。

 その心を覗き込むような視線は良く覚えていた。

 頭の中で、十年以上前の映像が次々と蘇る。髪型こそ違うが、彼女は間違いなく、ジークフリートの元婚約者。


 エレノア・ウィンデア……なぜ、こんな場所に……。


 いや、問題は場所ではない。彼女は死んだはずではなかったのか? 他人の空似? いやいや、こんな恐怖を感じるほど美しい女がふたりもいるとは思えない。


「ジーク? ひょっとして知り合い?」

 アライアが硬直するジークフリートに言った。

 彼女はまだエレノアに気づいていない。なにしろ長い年月が経っている。一時、狂おしいほどエレノアに憧れていたアライアだったが、すでに憑き物が落ちたかのように記憶は風化していた。


 先に精神を立て直したのはエレノアだった。


「まさか、このような場所でお会いするとは思いませんでしたわ。ジークフリート様」

 微笑みを浮かべて言った。


 最後に彼と会ったのはあのパーティ。婚約破棄された時だ。苦い苦い記憶。だが、今のエレノアには懐かしさのほかに、感じるものはなかった。

 怒りも、憎しみも、もちろん恋慕の感情なども、欠片もなかった。


「エ、エレノア、なぜ。生きていたのか?」

 ジークフリートの声が裏返る。


「ええ、おかげさまで」

 さすがに皮肉っぽい気分になった。

「ジークフリート様がこの宿の店主ですのね?」


「そ、そうだが。わ、私を殺すつもりか?」


 それにエレノアは口元を押さえた。つい笑いがこぼれたのだ。

「失礼いたしました。そのような怯えたお顔をなさらなくても良いですわよ。わたくしはもはやあなたに、なにひとつ思うところはございません。こうして、お会いしたのもただの偶然ですわよ」


「エ、エレノアですって」

 遅まきながら、アライアも気が付いた。

「エレノア・ウィンデア?」

 驚愕の表情。


「あら、そういうあなたはアライア・フローリー男爵令嬢ですのね。どこかで見覚えがあるとは思いましたけれど」

 すっとエレノアの目が細まった。

 友人シェリアの仇である。殺気があふれる。


「こ、殺さないで」

 アライアは青ざめた顔で震えた。それほどエレノアは迫力があったのだ。


「ま、待て、エレノア。彼女はしっかりと裁かれた。エフィレイア王国法によって、ちゃんと罰を受けている」

 ジークフリートがアライアをかばって抱きしめた。

「10年の禁固刑だ。フランツの即位により恩赦を得たが、それでも、きちんと償ったのだ」


 ふん、とエレノアは鼻を鳴らした。その顔は攻撃性を露わにしており、ただでさえ鋭いまなじりがいっそうつり上がっている。

「エフィレイアの王国法とわたくしの復讐心。なにか関係ありまして?」


「き、君は……ウィンデア家は王国法の番人だろうが」

 ジークフリートの声が裏返った。


「あら、偶然ですわね。つい先ほど、ウィンデアの名は捨てましたの。わたくしがシェリア様の無念を晴らすのに、なんら支障はありませんわね」

 エレノアは腰の剣に手をかけた。

「言っておきますけれど。首を一つはねるのも、二つはねるのも、どうという違いはありませんのよ。ジークフリート様、死にたくなければ、その女からお離れくださいな」


「ま、まて、まってくれ。頼む、頼むから許してやってくれ。心を入れ替えて、真面目にやってるんだ。私も、アライアも。頼む、エレノア」


「あ、あなたの友達のことは、ごめんなさい。あそこまでするつもりはなかったの。本当よ。本当にちょっと脅すだけのつもりだったの。も、もちろん、反省してる。悪いことをしたって思ってる。許して」

 アライアも必死で言った。顔は真っ青だ。


 エレノアが笑った。

 凄絶な笑みである。ジークフリートもアライアも恐怖に凍り付いた。


「ジークフリート様の懇願に。アライア・フローリーの謝罪に。いかほどの価値がありまして? ともに死にたいというのならば結構ですわ。ごきげんよう」


 閃光のような抜き打ち。

 エレノアは本気で二人を殺すつもりだった。エレノア・ウィンデアであったならば、すでに裁かれたことに配慮し、復讐心を押し込めただろう。

 だが、エレノアはすでに自身の願いのために、両手を血に染める覚悟はできている。

 死する友人に二つの命を捧げることに、なんらためらいはない。


 エレノアの手を止めさせたのは法による秩序でも、自身が尊重してきた公正さでもなかった。

 エレノアは感じ取ったのだ。アライアの中に、もうひとつの命があることを。


 エレノアの剣はジークフリートの腕に触れる寸前で止まっていた。エレノアが最後までその気ならば、このままジークフリードの腕を斬り、胸を斬り、アライアの首を見事にはねていたことだろう。


 エレノアが剣を引いた。音もなく腰の鞘に戻す。同時にエレノアの発する殺気がすっと引いた。


 へなへなとジークフリートとアライアが崩れる。アライアなどは歯をガチガチと鳴らして震えている。

 ジークフリートも震えが止まらない。


 エレノアはアライアから視線を外し、ジークフリードを見る。まったくの無表情。


「わたくし、情報を求めておりますの。ちょうど良いですわ。ジークフリート様、わたくしに世情を教えてくださいませんこと?」


「と、ともかく、ここではなんだ。場所を移そう。ア、アライアは……」


「その女を二度とわたくしの視界に入らぬようにしてください。次はたぶん殺してしまいますもの。わたくしも無関係な命を断つような真似、したくはありませんわ」


「む、無関係?」

 つぶやいたジークフリートが、はっ、としてアライアを見る。


 アライアも気が付いて、腹に手をやった。

「そ、そういえば……」

 思い当たるところがあったのだ。


 ジークフリートは、まずアライアを下がらせた。逃げるようにアライアはその場から姿を消す。

 その後、従業員を呼んできて受付を交代。そのままエレノアを別室へと導いた。


 応接間。

 広い部屋ではないが置かれている調度品はかなり高価そうだ。


 毛足の長い白いソファにエレノアとジークフリートが向かい合って座る。すぐに従業員の女性がティーセットを持ってきた。


「まさか、このような場所で再会することになるとは思いませんでしたわ」

 エレノアは言った。相変わらず表情がない。


「そ、それはこちらのセリフだ。その、色々とあったのだ。私にも」

 怯えるジークフリート。だが、自分が対峙しないわけにはいかない。いまの彼には王太子時代にはなかった責任感が芽生えている。


「王太子をご退位なさったそうですわね」

 エレノアがクローディアスともどもクレイモスに到着した際、王からジークフリートの現状を聞いている。


「あ、ああ、そうなのだ」


「わたくしにはやらねばならぬことがありますの。わたくしに対する負い目が僅かにでもあるのでしたら、ご協力いただけませんこと?」

 許してやるから少しは役に立て、と言わんばかりである。


「その、私はなにをすればいいんだ?」

 ジークフリートが恐る恐るといった様子で聞く。


「世情を教えて欲しいのですわ。わたくしはここ10年ほど、人里から離れた場所におりましたの。エフィレイア、ルゼス、そしてクレイモス。それぞれどのような変化があったかのか、順を追ってご説明くださいな」


「わ、分かった」


 それからジークフリートはこの10年の事件を時系列に説明していった。

 フランツの即位。ルゼスがフレア教王国に変わったこと。クレイモスはフレア教王国の矛先をかわそうと試行錯誤していたこと。

 エレノアは不明な点があると、鋭く突っ込んだ。

 ジークフリートは何度も冷や汗をかいた。

 やはり10年経ってもエレノアが苦手なジークフリートであった。


 一通り説明を受けたエレノアは立ち上がった。


「ありがとう存じます。もうお会いすることはないかと思いますが、どうぞ、奥様をいたわってあげてください」

 言って部屋を出ていこうとする。

 最後までアライアを許すことはできなかった。せめてものはなむけの言葉だ。


「エレノア・ウィンデア」

 ジークフリートは思わず呼び止めてしまった。自分でもなぜ、呼び止めたのか分からなかった。


 エレノアが振り返る。

 寂しそうな微笑み。だが、その青い瞳には強い意志の光があった。


「先ほど言いましたけれど。わたくしはウィンデアの名を捨てました。今のわたくしはただのエレノアですわ」


 エレノアの瞳に射すくめられ、ジークフリートは固まった。

 エレノアが部屋から出ていく。


 なにをするつもりだ、エレノア。


 ジークフリートには分かった。エレノアはなにか大きなことを成そうとしている。それは今まで彼女が。エレノア・ウィンデアが築いた武功、名声の数々をかすませるほどの大事業ではないだろうか。


 ジークフリートはふらふらと応接室を出て、ロビーを横切り、宿を出た。エレノアの背中を求めて。彼女の姿をもう一度見て、彼女の追いかける夢を確認しようとするかのように。


 玄関扉を抜けて、通りに出たところで、異変に気づいた。

 まだ昼間だというのに妙に暗い。それに凄まじい強風。

 ジークフリードは風から目を守るため手で顔を押さえた。指の間からの光景。通行人たちが呆然と上を見ていることに気づいた。


 ジークフリートも空を見上げた。


 巨大な黒い影が空をおおっていた。

 それが黒いドラゴンだと気づいた時には、ドラゴンはすぐそばにまで降りてきており、真向かいの3階建ての建物の屋上に、鋭いかぎづめのついた足が触れようとしていた。


「エレノア」

 ジークフリートは思わず声をあげていた。


 エレノアが真向かいの建物の屋上に立っていたのだ。彼女はその声が聞こえたかのように、一度、振り返り、ジークフリートを見た。

 すぐに、つい、と顎を上げると、黒いドラゴンの巨大な足の爪に飛び乗った。


 凄まじい突風を起こして、ドラゴンは再び高く高く舞い上がる。

 ジークフリートは、黒いドラゴンが小さくなり、空の彼方に消えていくまで、そのまま立ち尽くしていた。

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