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エレノア再臨

 アルカディア歴1834年11月28日

 ミッド大陸東部ハルベルガ山



 時間をさかのぼり、同日朝。

 神々との邂逅を終えて、現世に戻ったエレノアは塔の屋上に立っていた。

 意識がはっきりとするまで数分、そのまま立ち尽くし、ついで、自分の体を確かめるように、様々な場所に手を伸ばす。


 戻って来られたようですわね。


 記憶がはっきりとしてきた。神々との会話も覚えている。闇の神ははっきりと約束をしてくださった。エレノアがアルカディア聖教を大陸中に広げれば、クローディアスの命を返してくれると。それまでクローディアスを預かると。


 塔に巻きつような螺旋階段を下りながら、自分の宣誓の難度を思った。大陸中にアルカディア聖教を広める。それはフレア教との戦い。

 ただの布教という手段では決して到達することはできないだろう。

 方法があるとしたら、それは大陸中の国をひとつにまとめ上げ、その頂点に立つ以外にない。

 アルカディア王国をよみがえらせ、その女王として君臨するしかない。


 ひょっとして、わたくしは邪悪な存在なのかしら。


 なにしろ、ひとりの男のために。

 愛する男の命のために、大陸中を巻き込んで戦おうとしているのだ。

 神々の力のバランスを取り戻し、大陸が不毛の地へと変わるのを防ぐという大義名分はある。それでもエレノアは自分のこれからの行動を、正義だとはとてもいえない。

 むしろ、悪だとすら言えるだろう。

 自分の欲望、欲求のために、多くの人々を巻き込むのだから。


 螺旋階段の最後の一段、それを下りる前に目を閉じる。


 本当に良いのだろうか?

 自分にその覚悟はあるか?

 邪悪とそしられても突き進む覚悟はあるか?


 閉じたまぶたの裏側にクローディアスの笑顔が浮かぶ。


 魂がちぎれるような切なさを感じた。

 会いたい。会いたい。クローディアスさんに。


 目を開けた。

 エレノアは最後の一段を下りた。

 ここから先は迷わない。クローディアスと再会するために戦い続ける。

 そのためならば大陸中を巻き込んだ戦乱を起こすことも厭わない。


「申しわけありません、お爺様。ウィンデアの名は捨てますわ。わたくしはこれより、ただのエレノアとして、ただひとりのために戦います」


 そう宣言し、髪型を固定している髪飾りを外した。すると、いくつもの螺旋を描いていた彼女の髪が癖一つない金糸ように変化する。

 エレノアは銀の髪飾りを捨てた。

 ウィンデア家の天秤の紋章が彫り込まれた髪飾り。これまでのエレノアの誇りそのもの。


 エレノアは振り返ることも足を止めることもなく、そのまま神殿の外に出た。


 神殿の前には夜そのもののような巨大な黒いドラゴンがうずくまっていた。アークドラゴンだ。

 心なしか、ここへ来た時よりも弱っているように見えた。


「ずいぶん、時間がかかったな。エレノア・ウィンデア」

 アークドラゴンがエレノアの方に首を伸ばして言った。


「わたくしが入った時からどれくらいの年月が立ちましたの?」


 神々と邂逅した世界とこの世界では大きな隔たりがある。高速で時間が流れていたことは戻る際に気づいている。恐らくは年単位で時間が経過したことだろう。


「ちょうど10年だな」


「ありがとう存じます」

 エレノアは短く礼を言った。

 10年。特に感慨は湧かなかった。クローディアスのいないこの世界では、それが百年でも変わらない気がした。


「無事、神々と新たな契約を結べたようだな」


「そうですわね。まだ、契約を結ぶという予約をしたに過ぎませんが。契約を果たした暁には、クローディアスさんを。わたくしの愛しい人をお返しくださることになっておりますの」


「ならば、ともかくは目的を達することができたということだな。おめでとうと、言っておこう」


「ありがとう存じます。ところで、ずいぶん、おやつれに見えますけれど。そんなご様子でわたくしのために働けますの?」


「異なことを言う。なぜ我がそなたのために働かなくてはならぬ。我の主はフレア様とシャドー様なるぞ」


「わたくしは神々にご猶予と御力添えを願いましてよ。そして、神々はご了承くださいましたわ。それはつまり、アークドラゴンさんの御力を借りる権利を有すると思いますの」

 エレノアには確信があった。

 なにしろ、神々の御許みもとにいたのだ。そこには言葉を越えた完全なる理解がある。


 これからの戦いに勝算があるとすれば、あの世界を人々に体験させることだろう。

一瞬でもあの世界を体験したならば、人々の考えは大きく変わるはずだ。


「馬鹿なことを。そんな理屈が通るものかよ。そもそも我はこの地より動けぬ身。それこそ、神々の了承なくしてはな」


「ならば、お試しなさったら」


 アークドラゴンが無言で首を空へと伸ばす。その翼が開き、巨体がさらに大きくなった。

 ぶわり、と強風を起こし、アークドラゴンが飛び立った。そのまま空へと駆け上っていく。

 青空を横切るようにアークドラゴンは飛んで行き、やがて地平の先へと消えていった。


 きちんと戻ってくるかしら、とエレノアは少し不安に思った。帰りの足はアークドラゴンを当てにしていたのだ。

 すると、ちょんちょんとなにかにが足に触れた。


 見ると、黒い球体を連ねて作った人形がエレノアにアピールしていた。

 クローディアスが造り出した影人形クロだ。


「まあ、クロさん。あなた、ご無事でしたの?」

 エレノアの顔に満面の笑顔が浮かぶ。

 クロを抱きしめる。


 クローディアスが闇の神シャドーの元に行ったので、当然、クロも存在できないと思っていたのだ。


 クロからはクローディアスの匂いがした。

 エレノアは愛おしさのあまり眩暈がした。

 しばらく、そうしてクロをギュっと抱きしめていると、再び嵐のような強風が起こり、アークドラゴンが戻ってきた。


「どうやら本当らしいな。エレノア・ウィンデア。これより我はそなたの手足となり、働こう」


「助かりますわ。悠長に歩いている時間はありませんもの。さあ、そのお背中に、乗せてくださいな」


「背よりも、頭が良かろう。角につかまると良いぞ」

 言ってアークドラゴンが顎が地につくほど頭を下げる。まるで平伏したかのようだ。

 それでもあまりの巨体のため、頭だけで高さが5メートル近くある。


 エレノアは、トンと軽やかに地を蹴って跳ぶと、アークドラゴンの頭の上に乗った。

 尖塔のようにそそりたつ黒い二本の角のひとつにつかまる。

 クロが両手を長く長く伸ばして、アークドラゴンの角を一周。エレノアの体を結びつける。


「まあ、ありがとう、クロさん。クローディアスさんと同じで、とても有能ですのね」

 エレノアはクロの体を撫でまわした。そうするとクローディアスへの愛情がとめどなくあふれてくる。愛おしい。ただ愛おしい。


「では行くぞ。まずはどこを目指す?」

 アークドラゴンが下から言った。


「そうですわね。ともかく情報を集める必要がありますし、ここからもっとも近い都市を目指していただけますか」


「承知した」


 アークドラゴンが飛び立つ。アークドラゴンの力だろうか、不思議と強風も揺れも感じない。

 スーとする浮遊感覚だけがあった。


「素晴らしい乗り心地ですわね」


「そうであろう。我は全てのドラゴンの頂点にあるアークドラゴンだからな」


 眼下に、赤茶けた大地が見えた。すぐに大河が見えて、大森林に変わる。あれほど苦労して進んできた道も、アークドラゴンにかかればあっという間に通り過ぎる。

 エルヴァ山脈を越え、やがて街が見えてきた。クレイモス東の大都市エルヴァンテ。


「あそこで良いか? エレノア・ウィンデア」


「ええ、あそこにお願いできまして?」

 ドラゴンが下降に入る。

「ああ、そうですわ。街中に降りては街の人たちを驚かせてしまいます。少し離れた平野にでも下ろしてもらえますか?」


「承知」


「あと、もう一つ。わたくしはウィンデアの名を捨てました。これからはエレノアとお呼びくださいな」


 冬枯れした草の茂る大地がどんどん迫ってくる。エレノアはひらりと、アークドラゴンから飛び降りた。

 とん、とん、とん、と宙に足場を作ってお降りる。


「では、我は散歩でもしておるか。我に用がある時は呼ぶがよい。すぐに参ろうぞ」


「よろしくお願いいたします」


 アークドラゴンは風とともに大空へと飛び立っていった。

 あとに残ったエレノアはクロを肩に乗せると、遠くに見える街に向かって走った。

 まるで風になったかのように体が軽い。


 事実、エレノアは風になっていた。

 肉体は透明になって空間に溶け、枯草を揺らしながら突き進む。

 神々の邂逅により、エレノアには大きな変化が起こっていた。だが彼女は自分の変化にまだ気づかなかった。

 なにしろ、エレノアはこれから大陸中の全ての人々を相手に戦わなくてはならないのだ。細かいことにまで気が回らない。


 思った以上に早く街へと到着。

 わたくしもずいぶん足が速くなったものですわね、と満足する。


 街の門番は突然、目の前に現れた美女に驚いた。大きく目見開く。


 エレノアは気にすることなく、街に入った。昔から、人目を引く容姿なので、他人の反応はあまり気にならないのだ。

 この街、エルヴァンテは行きに通っている。クレイモスの街はどこもそうだが、朝7時から夜7時までは出入りは自由。通行証などを求められることもない。


 ともかく、情報収集をしませんと。


 エレノアは手始めに料理屋に入ることにした。ちょうど昼食時である。きっと、たくさんの人で賑わっていて、様々な話が聞けるに違いない。


 目抜き通りのさかってそうな料理屋に入る。

 そういえば、料理屋で食べるのは本当に久しぶりだ。

 そこは庶民には高級な料理屋という様子の店。カウンター席はなく、広いホールに丸テーブルが配置されている。

 幸い、窓際の席が空いていた。


 やはりといおうか、店中の人間の視線がエレノアに集まる。あるものは口に運びかけたスプーンを途中で止め、あるものジョッキを持ち上げたまま静止する。


 エレノアは視線など気にもとめずにテーブルの間を、颯爽と歩いて、窓際の席についた。


 前髪を切った方が良いかしら?

 ガラス窓を鏡に、前髪を持ち上げる。

 歩くときに顔にかかって邪魔なのだ。


 ウェイトレスが水を運んできた。

 エプロンドレスの10代半ばと思しきウェイトレスは緊張した様子。水を置くときに手が震えて、コップの中身がこぼれそうだった。


「ありがとう存じます」


 エレノアの言葉にウェイトレスの顔が真っ赤になった。泣きそうな顔でメニューを差し出す。


 エレノアはそれを受け取ると、スープとポテトサラダを注文した。


「少々おうかがいしたいことがございますの。よろしくて?」


「は、はい、なんでしょう?」

 ウェイトレスがビクリと大きく震えて言った。


「わたくし、人里離れた場所におりましたので、世情にうといのです。ここ10.年ほど、なにか大きな出来事はありまして?」


「え、ええと、あの」

 ウェイトレスが焦ったような顔になる。

 そうこうするうちに別のテーブルで声が上がり、呼ばれてしまう。

「あ、あのすいません。行かないと」


「あら、お気になさらずに。また、お暇があったら教えてくださいな」


「は、はい、失礼します」

 深々と頭を下げて行ってしまった。


 情報収集というのは中々難しい者ですわね。

 エレノアは眉根を寄せた。

 思えば、旅の間中、クローディアスが情報を集めてくれていたのだ。

 人の多いところに行けば、自然に情報が耳に入ってくるものだとばかり思っていたが、実際にはそんなことはない。

 確かにいろんな話し声は聞こえてくるが、交ざり合って、とてもではないが話を聞き分けられない。


 興味深そうな話題が耳に入り、そちらに注意してみるも、別の声が邪魔をして話が入ってこない。


 ままなりませんわね。

 はあ、とため息をつく。


 すると、エレノアの肩に座っていた影人形クロがポンポンとエレノアの頬を叩いた。


「なんですの? クロさん」


 クロが手をにゅーんと伸ばす。その手がエレノアの耳に入ってきた。

 とたんに、鮮明な声が聞こえてきた。


「ついに戦争だよ。クソ。フレア教王国はなんだってんだ」

 そんな声が聞こえてきた。


 戦争? フレア教王国?


「フレベル陛下がなんとかかんとか戦争を回避してきたが。それも限界だったんだ。もうこうなりゃあ、連中に目のもの見せるしかねえ」


「しかし、アレキサンデル王はなにがしたいんだかな。本気で、この国をフレア教の国にしたいのか?」


「エフィレイアとあの国じゃあ、加護技スキルがいきなり無くなっちまう連中が増えてるんだとさ。それが俺たちが闇の神様を祭っているせいだっていうんだ」


「別に闇の神だけ祭ってるわけじゃないだろ。そもそも、光あっての闇。闇あっての光。そういうもんじゃねえのか?」


「俺たちにとっての常識はそうでも、フレア教は違うのさ。そんで、フレア教の神殿から突き上げを喰らって、ルゼスあらため、フレア教王国になっちまったわけだ」


 なるほど、そういうわけですのね、とエレノアは密かに相槌を打っていた。

 加護技スキル消失の原因は、神々の力のバランスが崩れていること。むしろ、クレイモス王国こそが、最後の支えであるのだが。


 どうやら、ルゼスあらためフレア教王国が攻めてきたのは本当に最近のことらしい。フレベル王率いるクレイモス王国軍が国境で迎え撃っているとのこと。


 さて、どうしたのものかしら? とエレノアは頬に片手をそえて考える。

 エレノアが味方するべきは当然、クレイモス王国である。この国が大陸を統一して、アルカディア聖教を広めてくれればそれで良い。

 ただ、フレベル王にそんな野心はないだろう。


 やはり自分で自分の国を作るしかないか。まだクローディアスをロディと呼んでいた頃、ルゼス王国を旅していた時の記憶がよみがえる。

 圧政を敷くアドモア・ネイブル侯爵に対抗していたルゼス革命軍に誘われた。彼らのリーダー、クロスはエレノアに王になって欲しいと願っていた。


 彼にコンタクトをとってみるのも良いかもしれない。

 だが、その前に、やはりフレア教王国を放っておくわけにはいかない。アルカディア聖教徒がこれ以上減ってしまっては、神々のバランスの崩壊が一気に早まってしまうかもしれない。


 まずは両軍の戦争を終結させる。

 その後、エフィレイアに行ってクロスと接触。

 そんな風に基本方針を定める。


 と、そんなところに別のテーブルの話が聞こえてきた。クロが今度はこの話がいいかもよ、と勝手に切り替えてくれたのだ。


「ああ、それにしても、本当に綺麗だわ。美しすぎて光っているように見えるもの。『ジーク&アリー』のお客さんかしら」

 女性の声。


「きっとそうだよ。見るからに高貴なお方という様子じゃないか。『ジーク&アリー』には、お貴族様も良く泊まるからね」


「私も一度は泊まってみたいわ」


「噂じゃあ、あそこの店主はエフィレイア王国の元お貴族様だって話だよ」


「青い髪の貴公子なのよ。一度だけ、見たことがあるわ」


 ジーク、青い髪、と聞き、エレノアは元婚約者のジークフリートを思い浮かべた。

 さすがにそんなことはないだろうが。


「奥さんのアリーさんも綺麗な人なんだよな。それに情報通なんだ」


『ジーク&アリー』。どうせならその宿に泊まるのも良いかもしれない。富裕層を相手にしている宿ならば、集まる情報もまた違ったものに違いない。

 しかも、エフィレイア出身者ならば、そちらの情報も手に入りそうだ。


 エレノアがチラリと遠く離れたテーブルの男女に目を向けると、ちょうど相手もこちらを見ていた。女性と目が合う。


「あ、こっちを見たわ。ああ、本当にお美しい。どこのご令嬢かしら」

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