アルベルトとレミーの決断
アルカディア歴1834年11月27日
クレイモス王国国境ラバスト砦近郊
「怪物? 魔物なのか?」
呆然としたレミーがつぶやく。
だが、すぐに呆けている場合ではないことに気づいた。肉の球体から飛び出した触手がアルベルトを絡めとったのだ。
アルベルトは光の剣で触手を切り裂くが、次から次へと伸びてくる肉の紐の勢いに対処しきれない。
レミーが炎を伸ばして触手を焼きつくす。
と、今度は別の死体が膨れ始めた。
あれは確かアルベルトが最初にダルシアンを攻撃した際、彼の身代わりとなった聖騎士の死体だ。
一体、なにが起こっている?
レミーは目の前で繰り広げられる異変に、得も言われぬおぞ気を感じた。
なにか、ひどく邪悪な、そう、人間の尊厳を踏みにじるような光景なのだ。
とにかく、この場は脱出だ。
幸い、天井の『絶対防御』は解け始めている。時間経過のためか、あるいはダルシアンが肉の化け物に変化したためか。
レミーは炎でアルベルトを襲う触手を焼き尽くし、ダルシアン肉球体を炎の檻で覆った。だが、ダルシアン肉球体は炎で焼けても、溶けても、すぐに再生してしまう。
「アルベルト殿下。ここは退きましょう。なにが起こっているかは分からないが、危険です」
「しかし、どこへ? 我らは裏切り者だぞ」
すでに死を覚悟しているアルベルトにとって、逃げて生き延びるという選択肢はなかった。
「クレイモスへ投降しましょう。まずはここを生き延びることです」
そう言っている間にも、『身代わり』の加護技を使ったリックフォードが新たなる肉の怪物へと変貌した。こちらはまるでゴブリンを巨大化したようなシルエット。やはり肉が膨れ上がったような容姿である。
「あんなものを生み出した存在は人類の敵です。もはや王国がどうのというものではありません」
レミーが肉ゴブリンを睨んで言った。
あれを生み出した存在。
それは『聖女』エルシュニーア以外に考えられなかった。
肉ゴブリンはまだ無事な聖騎士たちに襲い掛かる。聖騎士たちは必死で反撃する。
アルベルトはさらに別の死体。レミーによって黒焦げになった聖騎士の死体が膨れていくのも目にした。
ニーア、貴様は一体、なにをした?
「分かりました。レミー殿の言う通りだ。あれを見て、安楽に死ぬことなどできない」
アルベルトは襲い掛かってくるダルシアン肉球体の触手を切り払いながら言った。
ふたりはうなずき合うと、ところどころ穴の空いたガラス板のような天井の『絶対防壁』から、飛び出した。
穴の外では弓兵や魔術師たちが、呆然として暴れる肉の怪物を見ている。
「指揮官殿。我らは貴軍に投降する」
レミーが大声で呼びかける。
ひとりの騎士が寄ってきた。彼がこの場の指揮官だろう。
「あれは一体なんだ? なにが起こっている?」
「我々にも分からない。だが、この場は退いた方がいい。あれは死なないんだ」
レミーは言った。
戦場全体としては、クレイモス軍は優勢である。渓谷には再び堅固な防御陣が敷かれているし、ダルシアンの『絶対防壁』もとっくに切れている。
聖騎士たちのあとに続いた義勇兵たちは上から雨あられと降りそそぐ矢や魔術で次々と倒れていく。なんとか、それを突破して渓谷の終わりに来ても、そこを塞ぐ重厚な壁に手も足もでない。
さらには渓谷を突破した聖騎士は大穴に落ちており、レミーとアルベルトの奮闘で、半数近くが倒れている。
肉怪物のことさえなければ、クレイモスにとっては圧勝といえる状況。
だが、クレイモス王国軍の指揮官は、すでに3体となって同胞のはずの聖騎士たちを屠っている肉怪物を見て、危機感を覚える。
すでに穴の中での異変は後方に伝えているが、それでは遅いか。
怪物の1体が穴から這い出してきた。
肉の球体から触手が無数に生えているもっともいびつな怪物。
「ともかくあれをどうにかしなくてはならん」
指揮官は言うと、ダルシアン肉球体に向けて攻撃を指示する。
弓兵の矢が一斉に肉球体に飛び、次々と命中する。だが、柔らかそうな肉は矢を弾く。
それどころか、魔術すらもほとんど弾いている。効いていると思われる攻撃は加護技によるものか、あるいはレミーの炎なみに強力な魔術だけである。
次々とクレイモスの兵士たちが触手に絡めとられ、引き裂かれていく。
レミーとアルベルトも加勢する。だが、やはり、ダメージを与えても、即座に再生していく。まるで倒せる気がしない。
そうこうするうちに、穴の中からさらに一体、また一体と肉怪物が増えていく。まともな聖騎士はすでにおらず、動く者は肉怪物だけとなってしまった。
その怪物たちが、ダルシアン肉球体に習って、穴から這い出して来る。
そこでクレイモス軍が動いた。撤退命令。
後方で遠見の魔術により戦況を見ていたクレオモス国王フレベルが撤退命令を出したのだ。
ちょうど、攻め手の義勇軍が怯み、攻撃が途切れたタイミング。
ここ何年間、戦争を想定して訓練をしきたクレイモス軍は、引き方も上手い。
上部から渓谷に向けて大量の爆発魔法を打ち込み、渓谷を封鎖。同時に渓谷入り口からは火炎魔術で大火を起こし、なおかつ土魔法で壁を作る。そうして初めて壁となっていた大盾の兵士たちが撤退する。
問題は肉怪物を相手取る弓兵や魔術師たち。肉怪物は次々と穴から発生している。
すでにその数は20体を越えた。どれもいびつで巨体。そして生半可な攻撃を弾き、なおかつ再生する。まさに悪夢の存在だ。
そんな中でも奮闘しているのは、レミーとアルベルトのふたり。
アルベルトは長大な光の剣を振り回して、再生する端から敵を倒す。ダルシアン肉球体以外は、再生速度は遅い。動きも規則性がなく、鈍い。
そのダルシアン肉球体はレミーが相手取っている。全身に炎を纏い、ダルシアン肉球体に体当たりを繰り返す。これにはダルシアン肉球体も身動きできない。
アルベルトがクレイモスの遠距離攻撃部隊に向かって叫ぶ。
「退け、ここは私とレミー殿が引き受ける。君たちはこんなとろで死ぬべきではない」
その声には、王太子としての威厳があった。アルベルトの威に打たれ、兵士たちが後退していく。
アルベルトは追いすがろうとする肉怪物、クモのようにいくつも足のある化け物に向かって、光の剣を投げつけて、足止めした。
新たな光の剣を、両手に一本ずつ生み出し、次なる敵と戦う。
もしクローディアスがこの場にいれば、アルベルトの苛烈な戦いぶりに舌を巻き、彼の戦闘力の評価を改めたことだろう。
レミーとアルベルトの奮戦のおかげで、クレイモス軍の撤退は成功。後方の砦内へと入ることができた。
レミーとアルベルトも砦へと後退する。不死身ともいえる肉怪物だが欠点がある。足が致命的なまでに遅い。そのためにふたりが逃げることは難しくなかった。
ふたりは砦が砦に飛び込むと、門は固く閉ざされた。さらに防御結界が張り巡らされる。
はあ、とひと息つくふたり。その前に老齢の男が立った。クレイモス国王フレベルだ。
アルベルトはかなり昔だが、フレベルに会ったことがある。すぐにひざまづいた。
レミーもアルベルトに習う。
「お立ち下さい。アルベルト殿。それに、レミー・ベラルル殿」
フレベルは言うと、アルベルトを自ら起こす。
「我らは陛下の軍に投降した身です」
アルベルトは言った。
「いや、私も戦況は見ていました。アルベルト殿下とレミー殿が自国の聖騎士たちに攻撃をする様子も。あの怪物どもから我が兵士たちを逃がすため、殿を務めてくださったことも。ゆえに、あなたがたおふたりを同志としてお迎えしたい」
「同志ですか?」
「そう。この無益な戦を集結し、両国の平和を目指すための同志です。違いますかな?」
フレベルも隣国の状況には目を光らせてきた。これまでアルベルトがどれほどクレイモスを庇ってきたかも知っている。
「同志……。そうです。確かにその通りです」
アルベルトは言った。
そうだ。私はひとりではなかった。こんなところにも同志がいたのだ。
フレア教王国内で戦争を回避するため、孤軍奮闘、戦ってきた。だが、クレイモスにも、無益な戦争を回避しようと全力を尽くしていた男がいた。
「そうです。この戦争はすぐにでも終わらせる必要がある」
そこからフレベル王とアルベルト、レミーの3人で別室に移った。
もちろん、その間も砦の防備はかかさない。
この砦も7年間の間にしっかりと改築してある。3千の兵士を収容しても問題ない。
渓谷を抜けた敵軍のさすがにすぐにこの砦を攻めることはしないだろ。
別室に移ったフレベルとアルベルト、レミーの3人はそれぞれの情報を交換しあった。
フレベル王としてはフレア教王国軍の正確な陣容はぜひとも知っておきたかった。
それに同国の王宮内での政治。力関係。
フレベルも自身の手の者を送り込んではいるが、そこから得られる情報には限界があったのだ。
だが、なんといっても、一番知りたいのは、あの肉怪物たちのことである。
「あれは一体、なんなのですか?」
しかし、フレベルの問いにアルベルトもレミーも答える言葉を持たない。なにしろ、彼らにもあれがなんなのかさっぱりわからないのだ。
「私たちにも分かりません。あんなものを見るのは初めてです」
それからアルベルトはあの肉怪物たちが発生した状況を説明した。
聖騎士の死体が膨れていったこと。すべての聖騎士があれになったわけではないこと。
「どうもニーア……『聖女』エルシュニーアの寵愛が深い者たちがあのような怪物になったようなのです」
「『聖女』が彼らになんらかの処置をほどこした、ということですか?」
「恐らくは」
「そもそも貴国が変容し始めたのは『聖女』エルシュニーアが大神官になってからのようですが。それは確かなことなのですか?」
「はい。当時、私は王都から離れた領地に赴任していたために、なにが起こったのか正確なことはわかりませんが。ただ、エルシュニーアが新たに聖騎士副団長として赴任してきたレディウス・オルセンと接触したところから、聖騎士団が過激化したと思われます」
「『聖女』エルシュニーアには人の心を支配するような力がある。そうでしょうか?」
「はい。ただ、魔術や加護技よりももっと根深いもののように思えます。支配というよりも、相手の心を都合の良いように変えてしまうというような」
それにフレベルもレミーも嫌悪感を感じた。なんという質の悪さか。
「アレキサンデル王を始め、フレア教王国の重鎮たちもその力の犠牲になったということですね」
フレベルが確認する。
だが、アルベルトは複雑な顔になった。
「相手の心をどの程度、変えるか。それには段階があるように思えます。性格のほとんど変わらない者もいれば、父のようにガラリと変わった者もいます」
「例えば、『聖女』を倒せば、そういった方々が元に戻るということはないのでしょうか?」
これはレミーである。
「私もそれは考えたのだが」
アルベルトが言葉を詰まらせる。『聖女』殺せなかったということが恥ずべきことに思えたのだ。だがすぐに首を振ってその感情を振り切る。何度となくニーアを殺そうとしたが、果たせなかったとを包み隠さずに話した。
「『聖女』を倒せばすべてが解決する可能性はあるか。だが、彼女は遠くエフィレイアに行っている」
「私が参ります。エルシュニーアを殺すことで、戦争が終わるのならばこれほど簡単なことはない」
レミーが言った。
「いや、ダメだ。彼女に取り込まれる危険がある。貴殿まであの女に取り込まれれば、ますます勝ち目が無くなる」
アルベルトはレミーの凄まじい戦闘力を目の当たりにしたばかりである。彼女が敵になればさらに状況が悪くなる。
「そもそも、『聖女』エルシュニーアはどこでそのような力を手に入れたのです? 冒険者時代にも彼女のその力を見たことは?」
フレベルの問いにアルベルトは首を横に振る。
「ありません。私が知る彼女の加護技は二つ。『魔力吸収』と『魔力結晶化』。魔術についても治癒魔術や結界魔術などありふれた魔術以外は使えなかった」
「彼女は『闇を纏う者』の妹でしたね。彼女も闇の神と契約したという可能性はありませんか? 寿命を引き換えにして」
アルベルトはフレベル王がクロウの事情をそこまで知っていることに驚いた。だが、エレノアとクロウはフレベルから加護技の消失についての謎の解明の依頼を受けたと聞いている。その際に打ち明けたのかもしれない。
「分かりません。ただ……」
アルベルトはニーアとクロウを重ね合わせた。なにかニーアにはクロウになかった邪悪さを感じるのだ。
「私の感じでは、なんというか、クロウに邪悪なものは感じなかったのだが。ニーアははっきりと邪悪な感じがする」
「魔力の吸収と結晶化。ひょっとしたらその二つを使い、自身で新たな技を身に着けたのかもしれませんね」
レミーが言った。
彼女もクロウと会ったことがある。彼に邪悪な印象は受けなかった。例え、闇の神と契約していたとしても。
ともかく、ニーアとあの肉怪物が結びついていることははっきりした。だが、それではどうする? となると答えがでない。
ほとんどの攻撃を弾き、なおかつ、ダメージを与えてもすぐに再生してしまう。
「付け入る隙があるとすれば、知性という点でしょうか。聖騎士副団長ダルシアンが変貌した個体以外は、非常に行動が稚拙といいますか、分別がなかったように思えます」
レミーが言った。
「それはつまり、単純な罠でもかかる可能性がある」
「それに、そもそもあの姿から戻れるもなのでしょうか。もし、あの姿のままだとすると、さすがにフレア教王国軍も受け入れられないだろうと思うのですが」
アルベルトが言った。なにしろ、アルベルトやレミーでさえ知らなかったのだ。ほかの者たちも知るはずがないだろう。あんな怪物を同胞だとはさすがに分かるはずがない。
「一度、相手方の陣を確認しましょうか」
フレベル王の提案で、3人は砦の屋上に場所を移した。そこには魔法道具の望遠鏡がいくつも備わっており、遠方まで見ることができる。
敵陣を確認して作戦を練っていた上級騎士たちがフレベル王の登場にひざまづく。
フレベルが手を上げて、それをやめさせ、状況を報告させる。
どうやら、例の肉怪物は元の人間に戻ったらしい。今敵軍は渓谷を抜けたところに陣を張っている。すぐに、こちらに攻撃をしかける様子はなさそうだ。
「仮にも総大将たる私が裏切り、投降しましたからね。フレア教王国軍も困惑しているところでしょう。良い時間稼ぎになったかもしれません」
アルベルトが言った。
「あの肉怪物になっていた者たちがどこまで状況を覚えているかにもよりますな。アルベルト殿下がこちらに投降したところまで覚えているかどうか」
フレベルは言って、据え置きの望遠鏡のひとつを覗いた。
フレア教王国軍の陣容を確認していく。雑多な様子のする者たちは義勇兵だろう。
彼らがなにか騎士たちに抗議をしているようだ。
ふむ、とフレベルは状況を推測した。
恐らくは、軍の幹部たちはこれ以上の攻勢をかけることに及び腰なのではないだろうか。王太子のアルベルトのこともあり、一度、王都のアレキサンデル教王へ指示を仰ぎたいところだろう。
だが、それに対して義勇兵たちが猛抗議している。なにしろ、聖騎士と彼ら義勇兵が大きな犠牲を払い、渓谷を突破できたのだ。ここから一気に攻めるべしとなるのは当然である。
フレベルにとっては悪い状況ではない。
危険だったのは敵軍が砦を無視して、クレイモス王国深くへ前進していくこと。
これだけはなんとしても避けたかった。
仮にそうなった場合、砦から打って出て、敵の背後を攻撃することになるが、平野部での両軍の激突は数の少ないクレイモス王国軍にとって不利。被害も甚大なものとなる。
ただ、敵もその際は被害が大きくなるはずなので、戦争に消極的であるならばその方法は取らないだろう。
逆に今のこの状況を長引かせられれば、敵もいずれは退かざるを得ない。一万の軍勢ともなれば、それだけ糧食も必要なのだから。
「義勇兵たちが独断で攻撃をしかけてくる、あるいは我が国に侵攻する可能性があるか」
フレベルはつぶやいた。
フレア教王国軍にしてみれば、良い厄介払いとなるかもしれない。国境砦からもっとも近い都市リベルに、千の兵を駐屯させている。彼らにその警戒をさせておくべきだろう。




