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フランツの苦労

 まさか兄にそんな風に思われているとはつゆ知らず、フランツ・レイアーは、難しい顔で書類に向かっていた。

 国王の執務室。広く豪奢な部屋。フランツの机も高価な代物なのだが、山と積まれた書類に埋まっている。


 ふぁあ、とフランツの腹の辺りで声がした。

 フランツの膝の上には幼児が座っており、つい先ほどまで眠っていたのだ。


 フランツの顔がほころぶ。

「起きたかい、エレノア。母様のところへ行くかい?」


「いいえ。今日は父上のお手伝いをします」

 むん、と気張るエレノア、4歳。


「そうかい? とにかく、ジュースでも飲もうか。喉が乾いたろう?」


「大丈夫です。わたくしはそんなにやわではありませんわ」


 どこで覚えてきたのか、そんな言葉を使ってくる。


 フランツは娘の頭を愛しい思いで撫でながらも別の書類に目を映した。


 宰相ハリス・ローゼンが病に倒れたのは2週間前のことだ。なにしろ歳も歳である。日々、膨大な政務を執り行っているために、体に無理がきたのだろう。

 宰相の不在の間は、フランツが彼の代わりとなるしかない。文官たちから上がってくる報告書に目を通し、判断を仰がれれば通例を考慮しつつ決済する。


 それにしても、たった2週間不在なだけで、これほど政務が滞るとは宰相の激務なこと。


 以前は敵意を抱いていたハリスに対して、フランツの気持ちも変わってきている。敬愛の念を抱いているといっていい。ただ、同時に越えるべき壁だという意識もある。

 今のフランツの野望はハリス・ローゼンの創り上げてきた政治形態を改革していくこと。エレノア・ウィンデアの意志を継ぎ、貴族たちの腐敗を一掃し、清廉な政治を敷くことだ。


 そこへ、取次の者がノックとともに入ってきた。側近のポーシー・ウォルトが至急面会を求めているという。

 フランツはすぐに中に入れるよう指示を出した。


 側近のダンディスやポーシーですら、取次が必要であることに、フランツは息苦しさを感じるが、仕方がないことと諦めてもいる。王という立場で軽率な行動をとると、下が迷惑をこうむるのである。


 入ってきたポーシーは顔が赤く、息切れしている。走ってきたのだろう。


「陛下、フレア教王国からの使者が王都へ入りました」


「……そうか。まったく、頭が痛いな」

 フランツはため息をついた。それから膝の上のエレノアを床に下ろす。エレノアが不満そうな顔になる。

「すまないが、これからポーシーと大切な話がある。フェリシアのところへ戻りなさい」


「はい、お父様」

 エレノアは聞き分けよく言うと、侍女とともに部屋を出ていった。


 ドアが閉まると、フランツの笑顔が消えた。

「さて、どうしたものか? ダンディスから、まだ連絡はないんだな?」


「ございません」


 もうひとりの側近、ダンディス・クレインには、フレア教王国へと行ってもらっている。アレキサンデル教王が『聖戦』を宣言したことをいち早く知ったのも、そのおかげだった。

 前回の定期連絡で近々、クレイモス侵攻への協力要請の使者が送られることを伝えてきた。

 その使者がとうとう王都へと到着したというわけである。


「よりによって、こんな時に」

 そう毒づきたくもなる。なにしろ、ハリス・ローゼンが不在なのだ。


「仮病でも使って時間を稼ぎましょうか?」


「あまり露骨なこともできまい。ともかく、会うだけ会わねばな。使者の名は?」


「聖騎士団長レディウス・オルセン殿です」


「聖騎士団長自らが来たのか? それならばなおさら無碍むげにはできんな」


「さらに、どうやら『聖女』殿もご一緒なようでして」


「『聖女』までもが?」

 驚くフランツだったが、すぐにこれがチャンスだとも気づいた。『聖女』と聖騎士団長が不在では、さすがに戦端も開けないだろう。彼らをエフィレイアに留められれば、時間稼ぎができる。


「ともかく謁見の準備を。私はハリス・ローゼンに会ってくる」



 部屋に入ったフランツは、ベッドで上体を起こしたハリス・ローゼンを見て、呆然となった。


「このような姿でのご無礼、お許しください」

 かすれた声で言って、すぐに咳き込んだ。


 フランツは風邪をこじらせた程度だと聞いていた。だが、ハリス・ローゼンの顔色は土気色で、目の下には深いクマがある。体を起こしているのも大変であるというのが見て取れた。


「構わぬ。横になっておれ。そなたには早く良くなってもらわねば、余が困る」

 フランツは言って、ベッドの側にある椅子に座った。急遽、持ってきたのだろう、ずいぶんと豪華な椅子だ。


 ハリスは横になることはせず、背筋を伸ばし、フランツに対する。病床にあってもその瞳には英知の光がある。


「フレア教王国の使者が参りましたか?」


「その通りだ。しかも聖騎士団長と『聖女』自らがな」


 これにはさすがのハリスも目を見開いた。普通に考えれば、戦争を始めようという、この時期にそのふたりを派遣してくる意図が見えない。


「お会いになってはなりません」

 ハリスが言った。

「とくに『聖女』とは絶対にお会いにならぬように」


「しかし、使者に会わぬわけにはいかぬだろう。ましてや、『聖女』だ。かの国では教王に継ぐ立場にあるというぞ」


「この10年の間に隣国はずいぶんと変わりました。特に顕著な変化がアレキサンデル王でございます。まるで憑き物がついたかのような変化。私の手の者の報告では『聖女』エルシュニーアがアレキサンデル王に接近してから、かようなことになったとのこと」


「操られている? そういうことか。魔術、あるいは加護技スキルか」


「いえ、もっと根深いようです。欲望を刺激され、人間性を歪められている。どうもそういう様子なのです。エルシュニーアを亡き者にしようと何度か刺客を送りましたが」


「そ、そうなのか?」

 フランツは驚いた。まさか隣国のVIPに刺客を送っていたとは思わなかった。下手をしたらエフィレイアが攻撃される立場になっていただろう。


「すべて返り討ちにあいました。信頼のおける者たちです。囚われる前に自ら命を断ち、我が国の差し金とは気取られぬようにしましたが。あるいは私の差し金であることは看破されているやもしれませんな。もし、それを追及されたのなら、私の独断によるものとして処刑していただくつもりでしたが」


「馬鹿なことを。そなたがいなくてはまつりごとが立ち行かん。現にこの2週間で私がどれだけ痩せたことか」

 冗談めかして言ったが、これは本心からだ。


 ハリスは無言で首を横に振った。

 フランツが王太子となってからハリスは折に触れて、彼に政務の指導をしてきた。フランツは極めて有能な男だが、ただ一点、ハリスに遠く及ばない部分がある。潔癖すぎるのだ。どうしても政治の汚い部分。必要悪というものから目を背ける。


 だが、ハリスはそれでも良いと思っていた。その潔癖さ。清廉さこそが悪の宰相の次の時代を作るのだから。


「良ろしいですか。絶対に『聖女』にお会いしてはなりません。仮病をお使いください」


「それで通るか?」


「相手はこちらが時間稼ぎをしているととるでしょうな。ただ、どうも、私の得た情報では、エルシュニーアという女性はひどく衝動的で、享楽的に思えます。フレア教もフレア教王国も、道具としか思っていない。クレイモスへの武力侵攻すら、遊びの範疇に思っているのではないでしょうか」


「馬鹿な。『聖女』だぞ」


「陛下は私を悪だとお思いですか?」


 突然の問いかけに、フランツは言葉に詰まった。だが、すぐに首を横に振った。

「そなたがやってきたこと。正しいとは思えぬことも多い。ただ、悪と断ずることもできまい」

 エレノア・ウィンデアへの仕打ちをフランツは受け入れることができない。それでも、ハリス・ローゼンが自身の考えと合理性に基づいて行った行動である。


 ハリスが顔をほころばせる。

「それはありがたいことですが。悪とは行動に付随する結果の他者からの評価であり、存在ではない、と私は考えております。ただ、そんな私でも、ときとして邪悪という以外に言葉にしようのない存在に出くわすことがあります。欲望の肥大した人間。良心の欠如した人間。そういった者たちは確かに存在しており、彼らを評するに邪悪という言葉は非常に適しているのです」


「矛盾しているじゃないか」


「そうですな。なかなか人の世というものは一つの哲学、ひとりの考えですっぱり割り切れるものではないようですので」

 言ってハリスは苦笑いした。

「さて、話がそれましたが、エルシュニーアは、そう、ひと言でいえば邪悪ですな。手の者からの情報を精査すればするほど、その言葉が当てはまってくる。彼女の行動原理は好奇心。それも人間が感情を露わにするところに強い興味を持っているようです。ゆえに、いさかいを好む。自身は傍観者として、それを楽しむ。彼女が寵愛している聖騎士団長のレディウス・オルセンを正義の執行者に見立て、王国政府内の粛清をしていたようですが、そのやりようがかなり眉をひそめるようなものでした。反抗勢力の内部に争いを起こし、互いに家族を襲撃させ、憎しみを煽り、殺し合わせ。どうもエルシュニーアは、絆を壊すことに楽しみを見出しているようですな」


 フランツはまさか『聖女』がそんな人間だとは想像だにしなかったので驚いた。『聖女』という言葉とはまるで正反対である。


「そして、どうもエルシュニーアは姿の良い男性が格別好きなようでもあります。まあ、大抵の女性はそうなのですがね。聖騎士団長レディウスほか、見目麗しい男性を聖騎士として取り立て楽しんでいるようです。中でも、素性の良い高貴な男性というのが好きなようで、かの国の王太子アルベルト殿も、その寵愛を受けるひとりのようです。もっとも、彼らは冒険者時代に恋人同士であったようですが」


「アルベルト殿まで……」

 

「それゆえ、彼女の今回の目的は、我が国に戦争支援をさせるというよりも、フランツ陛下、あなたなのではないかと思うのですよ。フレア教王国で十分楽しんだことだし、次は、エフィレイアを楽しもう。などと考えているのかもしれませんな」


「余、だと?」


「ついでに我が国を取り込むつもりかもしれません。良いですか、決して、お会いになってはなりません。例え、魔術の通らぬ王宮であっても、です。見え透いていようと、病で押し通すことです。その間、彼女を歓待する。レディウス殿の故郷へ行っていただくのも良いかもしれません。出来うるかぎりの贅を尽くし、遊ばせておく。それが最良かと思われます」


「分かった。そなたの助言に従おう」


「やがて、『聖女』はなんらかの問題を起こすでしょう。それを理由に追い返す」


「しかし、フレア教王国との関係が悪化するのではないか?」


「陛下。国と国の関係に良いも悪いもありませんよ。当然です。それぞれが自国の利益のために動いているのですから。またそれが政治というものです。もちろん、国民感情というものはありますが。それすらも外交カードにするのが政治家というものです。そう、友情も信頼も使い勝手の良いカードのひとつに過ぎません。重要なのは、共存可能な未来を提示し合うこと。あとは相手が無能でないことを祈ることですよ」


「とはいってもフレア教王国の矛先が我が国に向かっては、目も当てられんぞ」


「かの国もクレイモスとの二正面作戦は避けたいでしょう。また、もし万一そうなったら、覚悟をお決めください。クレイモスと組み、フレア教王国を攻め、戦線が膠着したところで、新ルゼス王国でも打ち立てて、内戦に持ち込ませる」


 病床にあってもハリス・ローゼンはハリス・ローゼンであった。

 フランツはつくづくと感じ入る。この男を越えることなどできるのだろうか、と。


「ところで、エレノア様はお元気ですかな?」

 ハリス・ローゼンが顔を緩ませ言った。


 フランツは唐突に話題が変わったことに戸惑った。

「ああ、元気なものだよ。最近は私の膝の上がお気に入りでね。忙しい時ほど、なぜか構ってくれと寄ってくる」

 娘の話題になると自然と笑みが浮かぶフランツであった。


「お名前をエレノアとお決めになった時は、なんとも複雑な気持ちになったものですよ」


「言っておくがフェリアシアの案だぞ。私としては別の名前を考えていたのだが。その、妙に反対しづらくて」


 フェリシアが娘の名をエレノアにしたいと言った時は、フランツは自分の過去を暴かれたような心地になった。

 だが、実際、そんなこともなく、単にフェリシアがエレノアに憧れていたためであった。


「あの方のように。強く、正しく、美しく、生きて欲しいのです」


 エレノアの死でフランツの恋は終わった。それでも時々、ふいに胸がうずくことがある。そのたびに、フランツは自分を鼓舞すのだ。

 彼女に恥じぬような王になろうと。


「昨夜、エレノア・ウィンデアの夢を見ました」

 ハリスが言った。


「エレノア殿の?」


「はい。夜そのもののような漆黒のドラゴンにまたがり、大空を駆けておりました……」

 そこでハリスは激しく咳き込んだ。


「すまぬ。無理をさせた。休むが良い」

 フランツは慌てて言って、自らハリスの介添えをして、彼を横たえた。


「陛下、くれぐれも『聖女』には……」

 咳の合間になんとかそれだけを言う。


「分かった。任せておけ、絶対に会わぬようにする。あとは、たっぷり歓迎してやるさ。本当に養生するのだぞ。そなたの復帰、心待ちにしている」


 フランツが部屋を出ていったあと、ハリスは目を閉じた。

 夢で見たもう一つの光景が思い浮かぶ。


 黄金に輝く城のバルコニーに立ち、集まる民衆に向かって話すエレノア・ウィンデア。彼女が語りかける民衆には大陸にいるというエルフやドワーフが交じっていた。


 ふふっ、とハリス・ローゼンの口に笑みが浮かんだ。

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