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また月日は流れに流れて

 アルカディア歴1834年8月4日

 クレイモス王国東部

 ジーム辺境伯領エルヴァンテ

 


 大きな街の目抜き通り。通行人や馬車が行きかう賑やかな通りを女性が軽快に走っていく。

 腰までもある真っ赤な髪の美しい女性だ。

 身なりも中々に裕福そうだが、どうも貴婦人という様子ではない。


 赤毛の女性は目抜き通りに立つ大きな宿屋の前で足を止めると、両開きの扉を勢いよく開けた。

 広いロビー。さすがは一等地に立つ宿屋である。天井からぶら下がるシャンデリアは豪華絢爛。置かれている調度品も高価なものばかり。なにより、それらは金に明かせたて買い集めたというような印象がなく、とにかく品が良い。


 それがためだろう。この宿屋『ジーク&アリー』は富裕層に人気がある。

 この時も、扉からまっすぐに進んだ先にある受付では、ひと目で富裕層と分かる中年男女がチェックインの手続きをとっていた。

 女性が受付の男性に熱っぽい目を向けている。それほどこの青い髪の青年は麗しい顔立ちをしていた。

 背も高く、立ち振る舞いも品がある。

 まさに貴公子という雰囲気で、彼がどこかの貴族の御令息だと言われても、納得することだろう。


 実際、この男ジークは貴族どころか王族である。ジークフリート・レイアー。かつてエレノア・ウィンデアの婚約者で、エフィレイア王国の王太子だった男だ。


 女性の媚びた視線に甘やかなスマイルで答え、彼女の自尊心を満たすほど丁重な態度で男女を案内の者に任せて送り出すと、ジークは飛び込んできた女性、アリーこと、アライア・フローリーに苦い顔を向けた。


「アリー。そんな風に慌ただしく入ってきてはいけないよ。お客様が驚くじゃないか」

 ジークは言った。


「お小言なら夜にでも言って。それより、ジーク、大変なのよ。戦争が始まるみたいなのよ。ルゼス、じゃなかったフレア教王国が攻めてくるみたいなのよ」

 アリーは受付机にバンと手を置くと言った。

「私たちもこの街から離れた方がいいんじゃない?」


「ともかく落ち着きなさい。君にはどうも淑女としての落ち着きがない」

 ジークは眼鏡を外してレンズを拭きながら妻に言った。

「例え、クレイモスが攻められても、この街まで戦火は来ないさ。この街まで敵が攻めてくるときには、クレイモス王国は滅んでいる。私たちはフレア教徒だし、兵士たちを歓迎してあげればいいさ」


「けれど、どさくさに紛れて、略奪とかされるかもしれないわ。あなたはお坊ちゃんだから知らないかもしれないけれど。平民はお金が手に入る機会を逃さないものよ」


「まあ、とにかく戦火がせまってきたら、その時に考えればいい。万一のことを考えて、いつでも逃げ出せるよう準備はしてあるからね」


「まあ、ジークったら。王太子時代にそれくらいできる人だったら良かったのに」


「アリー」

 言って、ジークが周囲を見回す。ロビーには従業員がいるだけだ。彼らも離れていて、アリーの今の声は聞こえなかっただろう。

「そういうことは……」


「ごめんなさい。口が滑ったわ」

 アリーが申し訳なさそうな顔になった。


「いや、分かってくれたならいいさ」

 言いながらも、ジークは傷ついた表情をしていた。


「本当にごめんなさい、ジーク。私ったら本当にダメな女ね」


「そんなことはない。君のおかげでこの宿は大繁盛じゃないか。まさか、君にこんな商才があったなんてね」

 ジークが微笑む。女性たちをとろけさせる微笑である。


「もう、あなたったら、優しすぎるわよ。大好きよ」

 言って、アリーがジークに抱き着いた。


「君がいてくれるからだよ。アリー」

 ジークは愛しい気持ちでアリーの背中を撫でた。


 ジークフリート・レイアーが王太子を廃嫡されてから10年の月日が経った。

 例のクローム伯爵家惨殺事件の裁判により、10年の禁固刑となったアライアだが、3年後にジークフリートの弟フランツ・レイアーが国王として即位すると、その際の恩赦で釈放された。


 ジークフリートは心変わりすることなくアライアを待ち続け、彼女を出迎えた。3年間の間に、せっせとアライアに手紙を送り続けており、獄中の彼女を励まし続けた。

 これにはアライアもすっかりまいってしまい、以後、ふたりの仲は以前にもまして良好だ。


 とはいえ、さすがにそのままエフィレイアに居続けるのも体面が悪かったため、ハリス・ローゼンの図らいにより、クレイモス王国との使節団に加わり、そのまま同国に腰を落ち着けてしまった。

 

 ふたりが住み着いたのはクレイモス王国の東の大都市エルヴァンテ。ジークフリートは王族の地位をあっさりと捨てて、アライアとふたり名を変えて(ジークフリートはジークムント、アライアはアリアナと名乗っている)平民として生きている。

 エフィレイアを離れる際に、ハリス・ローゼンから巨額の心付けを貰っており、それを使って目抜き通りに宿を建てた。それがこの『ジーク&アリー』である。


 王太子の婚約者時代にあれほど浪費癖のあったアライアは、逆に倹約家になり、宿を取り仕切っている。もともと社交能力の高いジークフリートは宿の支配人として、従業員の指導や接客に務めている。


「ついにフレア教王国が動くか」

 ジークがつぶやいた。


 夜。愛しの妻アリーとたっぷり愛し合ったあとである。ふたりの住まいはロビーの奥。1階フロアの一部が住居になっているのだ。


「なんでも教王が『聖戦』を宣言したそうよ」

 アリーが言った。ジークの腕の中、気持ち良さそうに目を閉じている。


「数年前からきな臭くはあったが」


 富裕層向けの宿屋を営業しているので、ふたりにも自然に情報が入ってくる。

 もともと、7年前にルゼス王国が突如、フレア教王国を名乗り、フレア神殿の影響力が強くなり始めたところから、戦争は時間の問題だという雰囲気はあった。

 王国内で加護技スキルを失う者が大量に出てきているというのがその理由で、同国のフレア神殿は闇の神をあがめるクレイモス王国にその原因があると決めつけた。


 だが、そこでクレイモス国王フレベルが思い切った行動を取る。突如、フレア教への改宗を宣言したのだ。さらに、クレイモスにこれからフレア教を浸透させていく旨を国の内外に告げる。

 これにはフレア教王国も驚き、一旦、矛を収めざるをえなかった。

 さらに、クレイモス王の姪フェリシアが、即位したばかりのエフィレイア国王フランツと婚約。同年に結婚した。


 この祝賀ムードには、フレア教王国も無理な難癖はつけられず、そのまま数年が経過。


 それが2年前から再び、フレア教王国はクレイモス王国に難癖をつけ出した。いつまで経っても同国の国民がフレア教に改宗する様子がない。フレベル王の改宗は形だけのものではないか?


 それでもクレイモス王国はよく粘った。

 様々な方法で時間を稼ぎ、時にはエフィレイアに圧力をかけてもらい、フレア教王国が爆発するのを押さえ続けた。

 だが、ついにそれも限界に達した。

 使者として訪れたフレア教王国の聖騎士がクレイモス王国内で賊に襲われ、殺されたのである。


 クレイモスは即座にこの盗賊たちを捕らえ、フレア教王国に引き渡したが、これがまずかった。

 賊たちは自分たちをクレイモス革命軍と名乗り、アルカディア聖教の教えを守り続ける使命を神々から受けた、とのたまわった。


 当然、フレア教王国は激高。やはり、アルカディア聖教は滅ぼすべし、となり、教王アレキサンデルは『聖戦』の始まりを宣言したのである。


「フレア教でもアルカディア聖教でも大した違いはないと思うんだけどな」


 アリーの言葉にジークは苦笑いした。


「まあ、そうかも知れないが。しかし、フランツはどうするんだろうな」


 エフィレイアとしては難しい立場だろう。

 クレイモスとは新たに絆を深くしたばかり。ここで見捨ててはフランツ王の権威が傷つく。かといって、下手に手を出せば、国内のフレア神殿が黙っていないだろう。


「弟さんが心配?」


「まあ、そうだ。思えば、私は兄としてあまりにも不甲斐なかったよ」


 王宮にあった頃は、フランツがどうも苦手だった。だが、こうして別の世界で暮らしてみれば、フランツがいかに自分に気を遣っていたか分かる。

 結局、和解することなく王国を出てしまった。今となっては、ただただ壮健であることを祈るくらいしかできない。


「大丈夫よ、ジーク。人生まだまだ長いんだから。いつか、弟さんと再会する日がきっと来るわよ」


「ああ、そうだな。ありがとう、アリー。君はいつも私を元気する」


「ふふっ、違うところも元気になってるけど」


 そのままふたりはまた愛し合った。

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