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アルベルト・アルク

 アルカディア歴1827年5月5日

 ルゼス王国王都ルーベリア



 アルベルト・アルクは城門で馬から降りると、走った。つい、1時間ほど前に王都についたばかり。旅用のマントをまとったままである。

 マントの下には冒険者時代に愛用していた半透明の黄色金属オリハルコンの甲冑を着込んでいる。


「アルベルト様、お待ちを」

 側近のロベルトと護衛の青年たちがあとから続く。だが、3年前まで冒険者をやっており、引退してからも自己鍛錬はかかしていないアルベルトの足にはかなわない。


 城へ飛び込んだアルベルトは、そのまま廊下を走る。何事か、とすれ違う文官が足を止める。

 そんな者なかには神官もいる。年明けにはルゼス王国あらため、フレア教王国となる。フレア神殿の神官たちも城務めをするものが増える。


 3年前。グリンニル公爵邸の地下での出来事のあと、アルベルトは王都を離れ、王家直轄地となった旧グリンニル公爵領の代官として同地に赴任した。

 王都の南西。広大な土地だが王都からは離れている。おまけにグリンニル公爵が暴虐の限りを尽くしたために、民も土地も痩せていた。

 アルベルトはそれを側近たちの力を借りて、徹底的に改善した。この3年間、まさに寝る間も惜しんで働いたのだ。

 クロウを『ホライズン』から追い出してからの鬱屈が嘘のように、充実した毎日だった。


 そのせいで中央での動きに鈍感になっていた。彼が王国政府の異変を知ったのは、国民たちと同じタイミング。国名改名とそれにともなう政治体制の変更を報せる御触おふれによってである。それこそ、ホークの相手をしていた店主が言ったように、晴天の霹靂であった。


 だがアルベルトを責めるのは酷だろう。

 彼はもともと武に秀でた青年である。おまけに今まで政務の勉強などもせず、冒険者をやっていたのだ。それがグリンニル公爵の後始末で忙殺された。

 ロベルトほか数名の側近は同行したが彼らも余裕はなかった。

 せいぜい、フレア神殿がなにやらきな臭いことを考えているな、といった程度の認識しかなかった。


 そのため、このように決まったので領民たちに布告願います、と王国政府の高級文官の指示がきたとき、アルベルトはなにかの冗談かと思った。

 それほどわけがわからなかった。


 だが、冗談でそんなことをするはずもない。アルベルトは血相を変えて、馬にまたがり、王都へ駆けつけてきた、というわけである。


 謁見の間で扉を守る騎士たちを強引に突破し、中へと入る。なにしろ、3年前までは冒険者をやっていたのだ。ろくに実戦経験のない騎士など相手にならない。

 謁見の間では地方領主のひとりが王に直訴をしているところだった。もう少し領主としての権限を残しておいてもらわなくては困る。神殿のいいようにされてしまう、とそんな訴え。


 大きな音をたてて謁見の間に飛び込んできたアルベルト。現国王で、ほどなくして教王を名乗るアレキサンデル・アルク王ほか居並ぶ家臣たちの視線が集まる。

 皆、驚いたような顔。

 だが、その中でひとりだけ、柔らかな笑みを浮かべてアルベルトを見る者がいた。金の刺繍の入った神官着。長い黒髪、漆黒の瞳。手にはフレア神のシンボルマークである二重正円のついた長い杖を持っている。


 アルベルトは彼女、『聖女』ニーアを見て、固まった。


「なぜ、お前がそこにいる」

 叫んだ。


 ニーアは玉座のかたわらに立っていた。その彼女を守るかのように聖騎士たちがおり、玉座を取り囲んでいる。


「アルベルト様。お久しぶりです。元気にしてました?」

 ニーアが言った。


「なぜ、そこにいると聞いた」

 アルベルトは中央の絨毯をまっすぐに歩き、玉座に近付いた。急速にアルベルトの中で疑念と不安がもたげる。


「なぜって? もちろん国王陛下のお手伝いのためですよ。あっ、ひょっとして、アルベルト様、私が大神官になったことご存じないんですかあ?」


「それは知っているが」


 クロウと約束を守り、一応、ニーアのことは気にしていた。どんな手を使って大神官になったのか知らないが、まあ、聖職者のこと、問題はないだろう、と気にしなかった。

 本心で言えば、あまりニーアには関わりたくないのだ。


「あとあと、もうすぐこの国は、フレア教王国になるんですよ。アレキサンデル陛下は教王様です。王国だけでなく神殿のトップでもあるんです。だから、私の上司なんですよ。ねっ、陛下」

 ニーアがアレキサンデル王のひじ掛けに乗せていた手に手を重ねた。


 アルベルトはそれに激しい不快感を感じた。思わず手が腰の剣に伸びかける。


「下がれ、アルベルトよ。場違いは己の方であるぞ。ここは謁見の間。そして、そなたとの謁見の予定はない」

 父アレキサンデル王が言った。強く厳かな口調。


 アルベルトの知っている父は、このような声を出せる男ではなかった。終始どこか疲れたような雰囲気で、声もボソボソとして張りがなかった。


「父上。私は王太子として、次期王として、しっかりと説明を受けるべきだと考えます。なぜ、突然、このような大きな変革をなさるのですか?」

 言いながら、アルベルトはさらに玉座に近付く。いや、詰め寄るように見せて、彼が近づいているのはニーアだ。


「詳細を記した文章は送ったはずだが。それでは足りぬか?」


 布告を指示する命令とともに高級文官から渡された文章。要するにどのような経緯と意図でもって、この大変革が行われるのかということを記された文章である。

 それによると、邪神を祭るクレイモスのせいで加護技スキルを失う者が増えている。これはフレア神の加護が失われつつある証拠。至急、異教を滅ぼさねば我が国に未来はない。

 よって、ここは神殿と王国政府一丸となり、聖戦を起こすべし。


 要するにそういったことが書かれていた。

 実際に、フレア教徒の王国民(全員加護技)をクレイモス王国に移住させ、逆にアルカディア聖教のクレイモス王国民をルゼスに移住させたところ、移住したルゼス王国民の中で加護技スキルが何人か現れた。

 一方、クレイモス王国民にそういった者は現れなかったという。


「早計にすぎます。なにも戦争など起こさずとも。かの国と協力して、異変の解明に当たればよいではありませんか」

 やはり、少しずつ玉座へと近付きながら言った。もう、あと数歩は近付きたい。


「アルベルトよ。邪神の手先と協議などはできぬ。手を取り合うことなど不可能なのだ。それがわからぬか」

 アレキサンデル王が怒鳴った。

「もはや、決定したこと。下がれ」


「下がりません。王太子として。いや、あなたの子として。無用な争いによって、その手を血で染めさせるわけにはいきません」

 さらに数歩、近付いた。

 ニーアを睨む。

「エルシュニーア。お前は知っているはずだ。闇の神が邪悪な存在などではないことを。お前の兄が証明したはずだ」


「それってなにか関係ありますか?」

 ニーアが愛らしく小首をひねる。


 その瞬間、アルベルトは動いた。その場から大きく跳躍し、宙で腰の剣を抜く。短剣のような短い剣。だが、その刀身を補うように光が伸びる。

 アルベルトの加護技スキル『光の剣』だ。


 アルベルトは諸悪の権化がニーアであることを直感していた。ニーアと深く付き合い、堕ちていったアルベルトだからこそ分かる。彼女は人を惑わす天才だ。


 アルベルトの剣がニーアの頭上に振り下ろされる。だが、それを受ける者があった。

 聖騎士団長レディウス・オルセン。

 ニーアをかばって立ったレディウスが、アルベルト同様、白い光の剣を握り、それでアルベルトの剣を止める。

 レディウスがニーアと愛し合うようになり新たに覚醒した加護技スキル『光の剣』。


 ニーアの体から白い光が炎のようにたちのぼり、そこから幾本も蛇のように光線がのたうちながら、アルベルトの四肢に巻き付く。

 アルベルトはそれで動きを封じられた。


「『聖女』を手にかけようとは。さては邪神に乗っ取られましたか。アルベルト殿下」

 レディウスが光の剣をアルベルトの喉に突き付ける。


 そこへロベルトほかアルベルトの側近たちが謁見の間へ飛び込んできた。さすがに中へ入ることは遠慮していたのだが、異変を感じて乱入したのだ。


「アルベルト様」


「なにをしているか」


 玉座へと駆け上る。

 それを阻止するように聖騎士たちが動いた。


 わあ、とニーアが歓声をあげながら、手を叩く。

「聖騎士様とアルベルト様の家臣たちの殺し合いですよ。素敵」


 アルベルトは自由になる首を全力でひねり、聖騎士たちと斬り合う家臣たちを見た。まずい。王の御前での斬り合いは。しかもこともあろうに相手は聖騎士。


「やめろ。下がれ、ロベルト、エイム、サークス」


 それで引く男たちではなかった。なんとしても聖騎士たちを突破して主人を救おうとする。

 だが、聖騎士の方が数が多い。おまけに、彼らは全員、強力な加護技スキルを持っている。


 瞬く間に、彼らは手傷を負い、取り押さえられた。


「さすが私の聖騎士様」

 パチパチパチと手を叩く。


「父上、お願いです、彼らは私を救おうと自身の職務をまっとうしたに過ぎません。寛大なご処置をお願いします」

 アルベルトが叫ぶ。未だ、レディウスの光に絡めとられて、身動きできないながらも必死で訴えた。


「そなたは自分の立場をわきまえておるのか? 我が息子よ。『聖女』であり大神官のエルシュニーア殿に刃を向けたのだぞ。それもこの玉座のそばでな」

 アレキサンデルが冷たい声で言った。そこに怒りがこもっている。

「そなたは大罪人よ」


「お待ちください。父上。どうか」


「ならん。『聖女』がどれほど国民たちに慕われていることか。彼女の存在は、これからさらに重要となるというのに。それをこともあろうと、殺そうなどと。その罪、万死に値するぞ」


 アルベルトの顔から血の気が引いた。

 やはり父はおかしい。

 アレキサンデルは王としては凡庸。いや暗愚とすらいえるが、父親としては情に厚く、甘いとさえいえる男であったのだ。


「まあまあ、陛下。アルベルト様が考えなしに行動するのは昔からじゃないですか。それに馬鹿の一つ覚えみたいなあんな攻撃じゃあ、私のレディウス様にはかないませんよ。レディウス様のカッコいいところも見れたし。大満足ですよ。ねっ、ねっ」


「しかし、ニーア殿」

 アレキサンデルのニーアを見る目が熱っぽい。まるで愛しい者を見る目だ。


「それに、アルベルト様はアレキサンデル様の大切な後継者ですもの。まだまだ役に立ってもらわなくちゃ」

 でも、とニーアが笑顔をアルベルトに向ける。

「アルベルト様の家臣さんたちは、処刑でいいですよね。だって、聖騎士様に剣を向けたんですもの」


「ま、待て、待ってくれ、ニーア。頼む、彼らに罪はないのだ。彼らはただ私を救おうと……」


「まあ。アルベルト様が私に頼みごとをするなんて。ビックリです。ええ、と、困っちゃいますね。だって、アルベルト様のことは本当にお慕いしていたんですもの。でも、でも、でも。今は、レディウス様のことを愛してますし。陛下のお相手もしないとですし」

 うーん、と首を傾げる。

 それから、おもむろに、えいっ、と手にしていた杖を取り押さえられているロベルトに向けた。


 絶叫が響き渡った。ロベルトが白目を向いてのたうち回る。


「や、やめろ。やめてくれ、ニーア」

 アルベルトが少しでもニーアに近付こうとするが彼の四肢は相変わらず、光によってつながれている。


「わあ、アルベルト様のそんな顔初めて見ました。やっぱりアルベルト様のお顔好きだなあ」


「頼む、ニーア。許してくれ」


 見えない力を受け苦しんでいたロベルトが、くたりとなった。

 

「ふふっ、いいですよ。許します。ねっ、陛下。ついさっきこの場所で起こったことはなしってことでいいですよね。ねっ」


「ニーア殿がそう言われるのならば、この場で起こったことは不問としよう。アルベルトよ、ニーア殿の寛大なお心に感謝するのだぞ」

 アレキサンデルが重々しく言った。


「皆さんもこのことは内緒ですよ。ねっ」

 ニーアが居並ぶ家臣団に言う。


 それに文武両官も警護の騎士たちも、もちろんです、と頷いた。


 アルベルトは今更ながらに王だけでなく、家臣たちもニーアによって狂わされていることに気がつき、寒気がした。


 こいつはとんでもない化け物だ。


 そのニーアがアルベルトの頬に手を当てる。

「アルベルト様の家臣たちは、しばらく預かりますね。ふふっ。だから、ちゃんと言うこと聞くんですよ」

 ニーアが言った。その黒い瞳に、アルベルトは恐怖を感じた。

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