3年の時は流れ
アルカディア歴1827年5月5日
ルゼス王国中央アルデロ男爵領ロベル
中ランクほどの宿屋。豪華ではないが清潔な屋内。掃除がよく行き届いており、値段は安いが居心地は良い。
バッツは以前の宿よりもずっと気に入っている。
刈り上げた金髪、大柄な体に似合わぬ柔和な顔立ち。体つきはいかにも頑丈そうだが、鎧を身に着けていないと田舎の農夫のような印象がある。
バッツがそのドアの前で立ってから、もう十分間ほど過ぎた。意を決して、ドアをノックする。
「レイア、俺だ。バッツだ。入ってもいいかい?」
返事はなかった。
今までのバッツはここで引き返していた。
だが、さすがにレイアが引きこもり初めて3日は経つ。食事は部屋に運ばせているし、食べてはいるようなのだが、いつまでもこのままというのは良くない。
バッツは大きく息を吸って吐いた。
「レイア、入るぞ」
言って、ドアを開ける。
部屋の中は暗かった。テーブルセットにベッド。チェスト。家具はそんなものだが間取りは広めだし、嫌な臭いもしない。
バッツは一瞬、レイアがどこにいるのか分からなかった。真っ先に視線をやったベッドはもぬけの殻だったのだ。
レイアは窓際に立ち、外を見ていた。『ホライズン』にいたころは肩までだった濃い紫色の髪は肩甲骨の辺りまで伸びている。
白い寝間着姿だった。
「レイア、元気を出して。きっと、調子が悪いだけだ。すぐに戻るよ」
バッツはドアのそばに立ったまま言った。これ以上はどうも近付けなかった。
レイアがゆっくりと振り返った。その目はバッツを見ているようで見ていない。
「この3日間いろいろと試してみたわ。でも、なにも感じられない。魔力の欠片も感じられないのよ」
「だから、それはただ調子が悪いだけだ。ほら、その、あれだよ。そう、スタンプだ」
バッツは言った。
それにレイアが力なく笑う。
「スランプでしょ」
「そう、それだ」
「違うわよ。あなたも聞いているでしょう。ここ数年で加護技を失う人が増えているって。それよ、きっと」
それからレイアは自嘲気味に笑った。
「罰が当たったのね。きっと。自分勝手に我がままに生きてきた罰が。クロウを切り捨てて、あなたを切り捨てて、『ホライズン』まで切り捨てて。結局、またあなたを利用して。そんな私だから罰が当たったんだわ」
レイアが冒険者パーティ『ホライズン』を抜けて3年が経った。
ニーアの異常性に恐怖を感じたレイアは、アルベルトにも黙ってパーティを抜けた。
その後、別の街へ行き、ソロの冒険者をやりながらも細々と暮らしていた。その際に思い知ったのは自身の無力さだった。
攻撃魔術師のレイアひとりではどうしても受けられる依頼が限られる。かといって、下手なパーティに入るのは危険だった。パーティによっては新入りを好き勝手こき使う可能性があるし、美人のレイアは体を要求されるかもしれない。
となると、やはり信頼がおける近接戦闘職の者がなんとしても欲しかった。
そこでレイアはバッツを探した。かなり無残な捨て方をしたが、バッツならば泣き落としでどうとでもなるという自信があった。
実際に、無事バッツと再会したレイアは、すでに別のパーティを組んでいたバッツに泣きつき、強引にパーティを抜けさせた。
「私、やっぱりあなたが必要なの、バッツ。お願い、私とまたやり直して」
などと口説き落としたのだ。
バッツは単純で善良な男。レイアの言葉を信じた。彼の世界では人間の裏側などというものが存在しないのだ。
以後、バッツはレイアを守る騎士として、いついかなるときも彼女とともにあった。
どこにでもついてくるバッツにレイアは内心閉口していたが、さすがにレイアも負い目があったので強くはでなかった。
そんなこんなで3年の年月が経ち。
レイアはそろそろ冒険者を引退しようかと考えていた。
先日、32歳になった。若いとはいえない年齢だ。まだ衰えは感じないが、年々そうもいっていられなくなるだろう。
加護技が突然、消えてしまったのはそんな折りである。オーク退治の依頼の最中だった。レイアの加護技は『魔力節約』。魔力の消費を元来の3割ほどに抑える加護技である。これのおかげでレイアは強力な魔術を連発することができたのだ。
いざ魔術を使おうした時。いつもに比べて、ごっそりと魔力が抜けていく感覚を味わった。あまりの疲労感に膝をついてしまったほどだ。
幸い、オークの数は少なく、バッツの奮闘のおかげで無事に依頼を果たすことができた。
その後、魔術を使い検証をしてみたところ、『加護技』が働いていないことに気が付いた。
さすがにレイアはショックだった。
以前から、突如、加護技を失った者の話は聞いていた。それが2年ほど前から急速に増えていることも。
レイアが加護技を得たのは遅めだ。17歳の時にようやく得ることができた。毎日毎日、フレア神殿に通い、祈った。魔術に関連した加護技が欲しいと祈り続けた。そしてようやく得られた加護技。
一瞬、世界が光に溶け、白色に変わった。
その光が自分の中に入ってきて、そして、理解したのだ。自分の加護技の使い方とその効果を。
念願の魔術系の加護技。それも地味だがかなり有能な加護技である。レイアは有頂天になった。
『魔力節約』のおかげで、レイアは魔力を気にせずに魔力消費の大きい魔術をバンバンと使っていけた。だからこそ、才能という点では突出したもののない彼女が、冒険者として第一線でやってこれたのだ。
これが潮時かしら。
レイアはさっさと冒険者に見切りをつけた。なにしろ、一度、失った加護技が戻ってきたという話は聞いたことがない。
レイアが部屋に引きこもって様々な方法を試していたのは嘘ではない。嘘ではないのだが、バッツが思うほど大きな喪失感に苛まれ、自暴自棄になっていたわけでもない。
どうせ、そろそろ引退しようと思っていたのだ。ちょうど良いといえばちょうど良い。
問題は今後の身の振り方。
レイアとしてはバッツと結婚するつもりである。面白みのない男だが、その分、善良で御しやすい。10年前の彼女ならば、もう少し自分を高く売ろうとしていただろうが、彼女も自分の計算高さが時として選択を誤ることに気づいていた。
落とし穴にはまらぬよう、上手く立ち回れば立ち回るほど、より深い穴が待ち受けているものなのだ。世の中にはそういった皮肉なところがある。
バッツと結婚するのは良い。今まで何度も彼から求婚されている。レイアの気持ち次第では明日にでも式を挙げようというだろう。
バッツは善良で単純だ。そして自分の考えというものをあまりもたない。流されやすいのだ。
結婚したあと、友人などから妻について、とか、女について、とか余計なことを吹き込まれ、男らしさをはき違えた態度に出るかもしれない。
そうならないようにきちんと釘を刺しておく必要があった。これはそのための演技である。
「私から加護技を取ったら、平凡以下の魔術師なのにね」
寂しそうに言って、視線を落とす。
「さよなら、バッツ。あなたは早く別の仲間を探して」
「なにを言っているんだ」
バッツが大きな声をあげた。一歩、近付く。
「魔術なんてどうでもいい。レイアはレイアだ。そして、君はとても魅力的だ」
レイアはようやくバッツに視線を合わせた。驚いたような顔。それから、すぐにまた視線を落とす。
「無理をしないで、バッツ。自分が我がままで、あなたを振り回してばかりだってことは分かっているの」
「俺は君が大切だ。ずっと俺の側にいて欲しい」
バッツがさらに、二歩、三歩と近付く。
「どうか、レイア。俺の妻になってくれ」
レイアは目を閉じた。ギュっと自分の体を抱く。
バッツが近付く。
「君が望むなら、指一本触れなくてもいい。ただ、そばにいさせて欲しい。頼む、レイア」
レイアは目を開けた。涙がその目にたまっている。
「本当に、こんな私でいいの? バッツ」
バッツはついにレイアの前に立つと、彼女の前にひざまづいた。
「頼む、レイア、俺の妻になってくれ」
真摯な目でレイアを見上げる。
それには計算づくのレイアもドキリとした。顔が赤らむのも自分でもわかった。これは演技ではない。
レイアはそっとバッツの頭を抱きしめた。
「分かったわ、バッツ。あなたがそこまで私を望んでくれるのなら。私はあなたの妻になります。私に後悔させないでね」
おお、とバッツがレイアの胸の中で歓喜の声をあげた。
◇
アルカディア歴1827年5月5日
ルゼス王国パーパル伯爵領アンビアン
バッツとレイアが婚約したちょうどその頃。
ルゼス王国北東の街アンビアン。大都市というほどではないが、小さな宿場町というわけでもない。それなりに大きな街。
その一軒の酒場で男がくだを巻いていた。
まだ昼間だというのに、カウンターに陣取り、ジョッキでビールを飲んでいる。
茶色い癖っ毛はぼさぼさとまとまりながく、顔はソバカスだらけで無精ひげに覆われている。まだ若いのだが目はどんよりと濁っている。
今日もカウンターの内側にいる店主に向かって、いつもの話をしていたが、そこに旅商人らしき者が店に入ってきた。
カウンターに座り軽食を頼む旅商人。店主と雑談をかわす。
「いやはや、ついにフランツ王の誕生ですよ。これは期待ができる。なにしろ、彼は王太子となってから、貴族たちの腐敗を糾弾し、平民のために戦って下さっている。ウィンデア家の意志を継ぐ、と言って正義の御旗を掲げている。これからのエフィレイアは変わりますよ」
旅商人の男は興奮して、そんなことを言った。
ウィンデア家という言葉に、酔っ払いの男の肩がピクリと震えた。
店主はその様子に気づき、すぐに話題を変えなければと考えた。
「それならば、このルゼスだって変わりますよ。なにしろ、国名がもうすぐ変わるって話だ。『フレア教王国』だそうですよ。なんでもこれからは王様ではなく教王様だそうで。どうなっちまうんだかねえ」
すでにその旨は国中に発表されている。
国名が変わる以外になにが変わるのか国民は知らされておらず、戦々恐々としている。
「それこそ晴天の霹靂というものですな。ここ数年、エフィレイアでも神殿が強く出ているそうで。領主様方も手こずっているとか。だからこそ、王は退位し、フランツ様が即位するのを急いだのでしょうな」
「なんでも、加護技を失う者が増えてきていて、それはクレイモス王国の仕業だという話なんですよ。だからこそ、諸悪の権化たるクレイモスを打ち倒そう。それにはフレア神殿が主体となるしかない。『フレア教王国』となるのはそういう理由だそうですよ」
そこに酔っ払いの男が席を立って、旅商人の近くに寄ってきた。
「よう。あんた、エフィレイアから来たんだって? 聞いてたぜ」
旅商人の男は酔っ払いの男の纏う酒気に顔をしかめた。
「だったら、知ってるだろう。エレノア・ウィンデアを。俺は、彼女の御者をやってたんだ」
警戒していた旅商人の男が興味深そうな顔になった。好奇心がまさったのだ。
エフィレイアに住んでいる者でエレノア・ウィンデアの名を知らぬものはいない。
いや、ここルゼス王国でもその名は今や広く知れ渡っている。
『正義の天秤』『王国法の番人』、そのウィンデア家の令嬢。エフィレイア王国の第1王子ジークフリートの婚約者で未来の王妃の座を約束されていたが、突如、婚約破棄を言い渡され、さらには冤罪を着せられて国外追放の憂き目にあう。
だが、ここルゼス王国で数々の武功を上げた。
盗賊団や領主代行の非道に苦しむセクプトの街を解放し。
シルヴィオ伯爵領ではドラゴンを倒し。
さらには圧政を敷くネイヴル侯爵を一刀のもとで切り捨て。
王都では邪教を祭るグリンニル公爵の手に落ちるも、彼を倒し。
さらには東の国境そばでは、2百人の盗賊たちを打ち倒した。
だが、彼女はクレイモス王国に入ったあと、すぐに東の未開の地へ向かった。そこから消息が途絶えたという。
噂では彼女は加護技消失の謎を解くために、かつて初代アルカディア王が神々と契約した地へと向かい、途上で命を落としたという。
美しく強い正義の公爵令嬢。まさに英雄だった。ちまたでは彼女の身に着けていた天秤の彫り込まれた髪飾りや、指輪の模造品、絵姿などが飛ぶように売れているという。
かくいう旅商人の男もいくつか彼女に由来する商品を持っている。それらは主に若い女性に人気がある。
「それは本当の話ですか? あの『正義令嬢』エレノア・ウィンデアの御者をしていたと?」
「本当だとも。俺の親父からウィンデア家の御者だったんだ。親父はとっくに死んじまったけど。俺はずっと、あの人の御者だったんだ。追放された時だって、一緒にルゼスに来たんだからなあ」
ぷはぁ、と酒臭い息を吐く。
「だがエレノア・ウィンデアの御者はあの『ホライズン』の『闇を纏う者』だって話じゃなかったですか? 『聖女』ニーアの実の兄。彼は護衛を兼ねていたんだ。そしてふたりは旅の中で惹かれあい、ついには結ばれた。女たちにはエレノア・ウィンデアのそんなロマンスが大人気ですよ」
エレノアの英雄譚が語られる中で、『闇を纏う者』クロウの存在はかかせない。ただの若者、御者としてエレノアのそばにありながら、彼女がピンチの際にはさっそうと駆けつけて助ける。
本来、闇の神と契約をしたという噂のあるクロウはフレア教では目の敵にされるところである。だが、そこは『聖女』で今や大神官の一人たるニーアの兄。彼の技はあくまでもフレアの加護技ということになっている。
「俺はそれが許せねえんだ」
酔っ払いの男ホークが突然、大声をあげた。
「一緒にルゼスまで来てやった俺はあっさり追い払った癖に。そいつだって平民だろう。俺となにが違うってんだ」
「つまり、あなたはエレノア・ウィンデアに解雇されたということですかな」
旅商人が言った。
「そうだよ。悪いかよ。あいつは俺を振りやがったんだ。家臣がみんな死んじまって。ひとりっきりなったから。俺しか頼る奴はいなかったんだ。だから、俺は思い切って……」
「エレノア・ウィンデアに迫ったと。なるほどなるほど。それでエレノア・ウィンデアはあなたを解雇したわけですな」
「あんた、あんまりこの酔っ払いの言うことを真に受けちゃいけませんよ。この男、本当にどうしようもないんですから。働きもせず飲んだくれて」
店主が旅商人に耳打ちする。
「どこで手に入れたか、金回りはいいようですがね」
「くそっ、なんでだ。エレノア。俺とそいつじゃ、なにが違うってんだよ」
ホークはそのまま毒づき続けた。
エレノアから解雇されたあと、ホークは逃げるようにルゼス北方の大都市フィアランに行き、そこで酒を飲み、女を買い、自堕落な生活を送った。
金は十分持っていた。
あの日、エレノアと別れたホークは、すぐさま来た道を取って返して、護衛として雇った冒険者たちの死体を運ぶために捨てた衣類や調度品などを回収した。
エレノアはホークに退職金を払えなかったこと気にしていたが、そんな必要はまるでなかったのだ。
ホークに志があれば、それを元手にしてなにか事業をはじめたことだろう。だが、ホークにその意志はなかった。
ルゼス北方の大都市フィアランで遊び回り、ついには事件まで起こして、街を追われた。
そうして流れ着いたのがこの街である。
以後、酒を飲み、夜になったら娼婦を買う。そんな生活である。
「ああ、クソ、俺がついてりゃあ、エレノアは死なずに済んだんだ。俺と一緒になってりゃあ、幸せになれたんだ」
ホークがそんなことをわめく。
店主も旅商人も呆れていた。




