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エレノアの訃報

 アルカディア歴1824年10月18日

 エフィレイア王国王都ウィンストン



 エフィレイア王国宰相ハリス・ローゼンは報告を聞き終えたあと無言だった。そのまましばらく時が過ぎ、やがて重いため息をついた。


「分かった」

 短く言って部下を下がらせる。


 部下が退出したあと、再び彼はため息をついた。


 エレノア・ウィンデアについての報告。クレイモスの東。エルヴァ山脈を越え、未開の地へと旅立ったエレノア。その命が消えたという報告だったのだ。

 部下は実際に見たわけではない。指定した相手の状態を調べる加護技スキルがある。エレノアがエルヴァ山脈を越えて以降は、定期的にそれを用いて彼女の状態を調べていたのだ。


 そして、その結果、エレノア・ウィンデアの死が判明した。間違いのないように日を変えて何度か試したようだ。


 エレノアの暗殺を指示したハリスだが、エレノアが憎かったわけではない。公人としての、宰相としてのハリスはエレノアを殺す必要性を感じていたが、私人としてのハリス・ローゼンは彼女を親友バイゼルの孫として可愛く思っていた。


 エレノアが自分の子飼いの暗殺者たちを倒し、困難を乗り越えて名声を高める度に、心が躍った。彼女の存在を誇らしく思った。

 さすがは親友バイゼルが手塩にかけて育てただけはある、と。


 だから、実際に彼女が死亡したという報告を受ければ、恐らく、ひどい喪失感を感じるだろう予感はあった。


 だが、ここまでとは。


 ハリスは胸に大きな穴が空いたかのような空虚さを感じた。左胸に手を当てる。自分が生きていることを確認した。


「エレノア。君は幸せであったか?」


 報告ではエレノアは護衛の冒険者の男と男女の仲であったという。エルヴァ山脈を越えたのもその男と一緒だった。

 愛する者とふたりで未開の地へと旅立ったのだ。

 王城で気の合わぬ、尊敬のできぬ男の伴侶をしているよりは、幸福だったのかもしれない。

 ハリスはそんな風に自分を慰めた。


 なぜエレノアがエルヴァ山脈を越えて東へと向かったのか。正確な情報はないが、ハリスには見当がつく。王都で彼女は『聖賢』を訪ねている。恐らくは加護技スキルの消失について調査するためではなかったか。

 国民を率いたアルカディアの初代王が大陸の東に流れ着き、そこで神々と契約を結んだことはハリスも知っている。

 バイゼルから聞いたのだ。


 クレイモス王から依頼を受けたのかもしれない。

 確かに、クレイモス王フレベルにしてみれば、加護技スキルの消失は緊急に対処せねばならない問題だったろう。

 クレイモスでそれが多発しているわけではない。むしろ、クレイモスでは一切、それが発生していない。だからこそ危険なのだ。


 他の二ヵ国から疑われる。いや、それぞれの王国政府や為政者よりも、危険なのはフレア教。なにしろ、クレイモスは三ヵ国で唯一、闇の神もあがめるアルカディア聖教を国教としている。

 邪神の呪い。そんなイチャモンをつけられる可能性が高いのだ。


 実際に、ルゼスのフレア教はそう考えているようだ。


 エフィレイアも他人事ではない。クレイモスとは国境を接していないので、直接武力行使をすることはないだろうが。それでもクレイモスをルゼスが攻める際に、軍を出すということになりかねない。

 フレア教の大神官たちに詰め寄られれば、ハリスとて無碍むげにはできないのだ。



 アルカディア歴1824年10月22日

 ウィンストン街エフィレイア王宮


 ハリス・ローゼンの執務室の前にやってきたフランツ・レイアーはひどく緊張していた。

 エフィレイア王国第2王子。ジークフリートの異母弟である。夏にジークフリートがアライア・フローリーの裁判で王太子の廃嫡の意志を表明。正式に廃嫡がされたのが先月のこと。

 予定では年明けにフランツの王太子任命が行われる。


 宰相に呼ばれたのはそれについての話だろうが、フランツはハリス・ローゼンが嫌いだ。

 エレノアを追放へと追い込んだ黒幕という印象がある(憶測の域は出ないが)。フランツとしてはせいぜい、彼の傀儡とならぬようにしようと誓っている。

 そして、なんとか自身の影響力を強め、いつの日にかエレノアの追放を解く。それがフランツの野望だった。


 宰相の執務室に入室するとハリス・ローゼンは立ち上がって彼を出迎えた。

 互いに礼儀の域を出ない挨拶をかわし、ソファセットに向かい合うようにかける。


 空虚で軽い雑談のあとハリスが切り出した。

「エレノア・ウィンデアについての情報を新たに得ましたので、その報告をしようと思いましてね」

 

 フランツは表情が顔に出ないようにするのに苦労した。だが、完全に成功はせず、やや引きつった顔になる。


「ご無理をなさる必要はありませんよ。フランツ様。あなたがエレノア・ウィンデアに、兄上が彼女に抱く以上の気持ちを抱いていたことは知っておりますので」

 親愛のこもった微笑みを浮かべてハリスが言った。


「なんのことだか分かりませんね」

 フランツは精一杯虚勢を張った。


 兄ジークフリートに比べ識見も視野も広いフランツ。だが若い。老獪なハリスを相手にするにはあまりにも未熟だった。


 ハリスはそのまま黙る。

 フランツはたまらずに聞いた。

「その、エレノア・ウィンデアがどうかしたのですか? ルゼス王国で幾多の武功をたてていると聞いておりますが」


「私としては、彼女は再起をはかるため、クレイモス王国にて数年は雌伏の時を過ごすだろうと考えておりました」


「そうですね。クレイモス王国には彼女の親戚筋も多いと聞きますし」


「あるいはフレベル王の甥であるマクシミリアン殿と婚約をするやもしれぬ、とも考えておりました。次期クレイモス王だろうと目される青年です。なかなかに見どころのある方だそうですよ」


「そ、そうなのですか」

 フランツの感情がひどく揺れる。動揺を隠せない。


「ですので後顧の憂いのないよう、彼女を暗殺するつもりでした」


「あ、暗殺。そのような、卑劣なことを画策していたのですか」

 フランツがつい声を荒げる。


 頭は良いが、どうも気質が素直すぎる。

 ハリスとしても、このあたりがフランツへの懸念である。彼には次代の王として、悪の宰相を打破してもらわなくてはならないのだが。


 ハリスはフランツの強い感情を流すように穏やかに笑った。

「なにもエレノア殿が憎くてそのようなことを画策したわけではありませんよ。エレノア殿がクレイモスの王妃となり、エフィレイアの敵となる。それは我が国にとって脅威ですのでね。彼女はあまりにも有能だ。そして強い。敵とするには危険すぎるのですよ」


「だからといって……」


「とはいえ、さすがはエレノア殿と申しましょうか。彼女は私の放った刺客を打ち倒し、クレイモスへと逃れました。どうやら、冒険者の護衛の男とねんごろになったようですが」

 またたしても、さらりとフランツの心を乱す内容を組み込む。


「冒険者の男。それは……」

 フランツはエレノアの好みは自分より強い男だろうと勝手に考えていた。屈強な男とエレノアが抱き合う姿を想像し、絶望的な気分になる。


「まあ、私としてはエレノア殿が愛人をつったことは良い兆候だと考えておりました。なにしろ、ジークフリート様に婚約を破棄されましたからな。失意の彼女が新たなる恋を見つけたとて、誰が責められましょう」


「そ、それはそうだが。しかし、平民などと……」


「下手な野望など持たず、クレイモスで冒険者でもして暮らしてくれれば良いのだが、と考えていたのですが……」


「それで、エレノア殿は一体、どうなったのですか? あなたが先ほどからさんざんに私を焦らしてくれたせいで、私はもはや平静を保っていられない。そうですよ。あなたのおっしゃる通りだ。私はエレノア殿に好意を抱いています。いつか、彼女の追放を解き、この国に呼び戻せたら良いと、そう考えていました」

 フランツは開き直って言った。顔が赤い。


 このあたりが気質の素直さだろう。

 動揺を勢いに変えて突破をはかってくる。

 ハリスはそれを好ましく思った。


「どうやらその願いは叶わぬようです。エレノア・ウィンデアは死亡しました」

 なんでもないことのようにハリスは告げた。こういった冷酷さの仮面は宰相として必要なものだ。


「……」

 フランツはとっさに声が出なかった。

 死んだ? エレノア殿が……死んだ。


 フランツの思考が誤解を経てハリスへの敵意とたどり着く前に、ハリスは説明を始めた。

 エフィレイア・ルゼス両国で起こっている加護技スキルの消失のこと。

 クレイモス王国ではそれは発生しておらず、それがためにかの国は危険であろうこと。恐らくエレノアはクレイモス王から加護技スキルの消失について調べるよう依頼を受けただろうこと。

 エレノアは初代アルカディア王が神々と契約しただろうと言われるクレイモスの東へと向かったこと。


「さすがに我が手の者もそこまでは彼女を追跡できません。加護技スキルを使い定期的に生存を確認しておりました。だが、それが先日、ついに……」


 フランツの耳にはハリスの声が遠くに聞こえた。目の前が真っ暗になったような心地だった。

 エレノアが。あのエレノア・ウィンデアが死んだ。あの、強く美しい女性が、もうこの世界にいない。

 世界が一気に冷えたように思えた。



 宰相ハリス・ローゼンに呼ばれ緊張した様子で城へ行ったフランツが戻ってきたので、側近のふたり、ダンディス・クレインとポーシー・ウォルトは出迎えた。

 王都にあるウォルト侯爵家の屋敷である。


 馬車から降りたフランツはひどくぐったりとしており、なによりも顔に生気がなかった。


 ダンディスとポーシーが顔を見合わせる。

 ダンディスは黒髪、ポーシーは赤毛の青年で、どちらも背が高く整った顔立ちをしている。


「宰相になにを言われたのです? ひどく顔色が悪いですよ」

 ダンディスが言った。


 いつもは明るくほがらかなフランツ・レイアーが、すっかり沈み込んでいる。

肩を落として歩いている。


 これは重症だぞ、どうする?


 とりあえず、酒でもお召いただくか。


 稽古で汗を流していただくのも良いかもしれないぞ?


 ふたりはそんなアイコンタクトをしつつ、フランツのあとについて屋敷に入った。

 フランツはまっすぐに自室に入ると、くったりとソファに背中を預けた。


「ともかく一杯飲みませんか? フランツ様」

 ダンディスがワインの瓶を片手に言った。

 侍女がすぐにグラスを持ってくる。


「……貰おう」


 ダンディスがグラスにワインを注いだ。ついでに自身の分とポーシーの分も注ぐ。


「それで、宰相からなにを言われたんです?」


「エレノア殿が死んだ」

 フランツは言うと、ワインを一気に飲み干した。

「死んでしまったのだ。彼女は」


 それにダンディススとポーシーは絶句。

 フランツは淡々と言葉を続けた。

 ハリスから説明を受けたことをそのまま話す。

 話しているうちにたまらなくなって、フランツは指で目頭を押さえた。


 ダンディスとポーシーはまた目配せをしあった。


 今夜はとことん付き合おうぜ。


 そうだな。フランツ様には早く元気になってもらわないとな。


 年明けたらフランツは王太子になる。そうなれば、本格的に忙しくなるだろう。

 エレノアの死に浸り続ける時間はフランツにはないのだ。


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