邂逅
アルカディア歴1824年9月31日
ミッド大陸東部はハルベガ山
目を覚ましたエレノアはクローディアスがまだ隣に寝ていることに珍しさを感じた。クローディアスが本当に眠ることはない。彼はいつも寝たふりをしてエレノアに付き合ってくれる。
そのため、朝はいつもとっくにテントから抜け出していて朝食の準備をしていてくれる。
「クローディアスさん」
エレノアはクローディアスの頬を撫でた。そして、驚いて手を引っ込める。
冷たい。ひどく冷たかった。
慌てて、上体を起こし、クローディアスを診る。呼吸はしている。左胸に手を当てると鼓動もある。ただ、体が氷のように冷たいのだ。
大丈夫。クローディアスさんは死んではいませんわ。大丈夫。落ち着きなさい、エレノア・ウィンデア。
自分に言い聞かせる。
乱れる呼吸を必死に落ち着ける。
クローディアスの顔は安らかで、いつもの発作の時のように苦しげではない。
大丈夫ですわ。まだ4ヵ月以上あるはずですもの。
その時、エレノアの腕にぴとりとなにかがくっついてきた。見ると、それは影人形クロ。エレノアの手首に抱き着いている。
「クロ」
エレノアはクロを抱きしめた。
クロが動いているということは、クローディアスが無事だということだ。
エレノアはすぐに支度をした。もはや悠長なことをしている時間はない。急いでハルベルガ山の山頂を目指さなければ。
すると、クロがとことこと歩いて、テントを飛び出した。
「クロ、どうしましたの?」
追いかける。
クロがたき火をおこしていた。朝食の準備をするつもりらしい。エレノアを振り返る。
「焦ってはダメだよ、エレノア。まずは朝食を食べようか」
クローディアスの声が聞こえてきそうだった。
「そうですわね。焦ってことを仕損じるなどあってはならぬことですもの」
エレノアはクロとともに朝食を作った。クロはフライパンやら食材やらを次々と出して、パッパと作っていく。なりは小さいが有能だ。むしろ、エレノアの方が足手まといで、あまり役に立たなかった。
無事朝食を食べ終わり、テントなどを片付け、クローディアスを馬車に乗せた。御者台にひとりで座り、出発する。
エレノアの肩には影人形クロがちょこんと座っており、時折、励ますようにエレノアの頬に触れた。
途中、何度も背後の窓から車内のクローディアスを覗いた。そのたびに、彼がちゃんと生きているか確認したくなる。それほどクローディアスは動かなかった。
昼食はとらず、そのまま馬車を動かし続けた。坂道がだんだんときつくなり、道もでこぼこしてきた。そろそろ馬車で進むのも限界かもしれない。
日が沈むまで進み続け、さすがに辺りが暗くなったので馬車を止めた。
クロがちょんちょんとエレノアの頬をつつき、それから馬車を小さな手で指す。
馬車を『影倉庫』に入れよう、そう提案しているようだ。
「そうですわね。お願いできまして?」
エレノアが言うと、クロに小さな両手をかざす。すると馬車が影の中に沈んでいった。
ただ、車内に寝ていたクローディアスだけは残っており、地面に横たわっていた。
「クローディアスさん自身は『影倉庫』の中に入ることはできないのですわね」
クロがうなずく。
昼間、それを考えていたのだ。クローディアスを『影倉庫』に入れて、彼の時間を止めておいた方が良いのではないかと。ひょっとしたら寿命を伸ばせるかもしれない、と。
だが、そう簡単にはいかないようだ。
クロがたき火を起こし、テントを張り、夕食の準備を始める。小さいのに本当に有能。
エレノアはクローディアスをテントの中に寝かせた。相変わらずその体は冷たい。彼の頬を撫で、額に口づけをした。
それからテントを出ると、テキパキと働くクロに言った。
「わたくしも手伝いますわよ」
◇
翌日からはエレノアがクローディアスを背負って徒歩で進んだ。クロがロープを出してくれたので、それで体にくくりつけた。
クローディアスの体が冷たく、背中から体温がどんどん奪われていく。肉体を強化していなければとてももたなかっただろう。
エレノアの進む足は速い。焦ってはいけない、と何度も自分に言い聞かせるのだが、どうしても早足になってしまう。
坂道はどんどん急になり、足場は悪くなる。エレノアは黙々と進み続けた。
1日、2日、と時は過ぎ、クローディアスが倒れてから4日目が経った頃には、山は急峻になり、歩く道などなくなってしまった。
エレノアは四つん這いのような姿勢で、急角度の崖を上る。ときどき、立ち塞がる壁はクロが『闇消化』で消してくれた。
空気も薄く、気温も低い。エレノアは毛布をクローディアスの体ごと巻き付け、マントのフードを降ろして、吹き付ける風を遮り、上り続けた。
さらに2日。
もはや、絶壁になっており、壁を上っていくしかなかった。魔術を駆使し、時に、クロの加護技に助けてもらいながら、よじ登っていく。
何度も足を滑らせ転落した。エレノアでなければ、もう20回は命を落としていただろう。
いつの間にか雲が周囲に立ち込めるようになり、小雨が何度も吹き付けてきた。
もうすぐですわよ、クローディアスさん。
もうすぐですわよ。
心の中で唱え続けた。
それからさらに2日。
アルカディア歴1824年10月8日。
ついにエレノアは山の頂きにたどり着いた。
そこには神殿が建っていた。大きくはないが、中央部から塔が突き出しており、天へと伸びている。
そして、神殿の前に黒いドラゴンが丸まっていた。以前見たレッドドラゴンよりも遥かに大きい。エレノアは一瞬、それが生き物だと分からなかった。
アークドラゴン?
エレノアは怯みそうになる自分を鼓舞し、ドラゴンに近付いた。
山頂は広く、平坦。城のひとつくらいなら余裕で収まりそうだ。
ドラゴンが首をもたげて、エレノアを見下ろす。
「懐かしき匂い。よもや再び人がここまで来るとはな」
アークドラゴンが言った。低くはっきりとした男性の声。
「あなたが、アークドラゴンですの?」
「左様」
「おうかがいしたいことがありますの」
「せっかくの客人だ。言ってみるが良い。我が知ることならば答えよう」
アークドラゴンは想像以上に理知的だった。いつぞやのレッドドラゴンとはわけが違う。
エレノアは自身の体に縛り付けているクローディアスをほどき、横たえた。アークドラゴンが興味深そうに頭を近付ける。
食べられてしまうのでは、と一瞬、エレノアは身構えた。
もちろん、アークドラゴンはクローディアスを食べるようなことはなく、しばらく匂いを嗅いだあと、顔を放した。
「シャドー様の匂いがするな」
「彼は闇の神と契約を結びました。70年の寿命を差し出す代わりに、加護を得ました。そして、もうまもなく、彼の残りの命が終わろうとしています。私がおうかがいしたいのは、彼を助ける方法ですわ」
ふん、とアークドラゴンが鼻を鳴らすような声を出す。
「それは筋が通るまい。シャドー様から御加護を得たのならば、対価を払うべきではないか?」
「分かっております。けれど、わたくしは闇の神の声を聞いたのです。闇の神は確かにこうおっしゃいました。道はある、と」
アークドラゴンが固まった。ギョロリとそこだけ金色の目玉を動かしてクローディアスを見る。それからエレノアに視線を移す。
それから唐突に大口を開いた。真っ赤な口腔と並ぶ乱杭歯が露わになる。
エレノアはとっさにクローディアスに覆いかぶさった。今度こそ食べられるかと思ったのだ。
笑い声が響いた。大地を震わせるような哄笑。
「よもや、この間際になって。これも神々のお導きか」
「ど、どういうことですの?」
「少し昔話をしようか」
言ってから、アークドラゴンは首をひねった。
「ああ、そういえば、そなたの名を聞いておらなかったな」
「エレノア・ウィンデアですわ。こちらはクローディアス。わたくしの愛しい人です」
「ふむ。ではエレノア・ウィンデアよ。そなたは、この世界の始まりをなんと教えられている?」
「世界の始まり? わたくしが知っていますのは、フレア教の教え。フレア様が世界をお造りになり、眷属の大天使たちにこの世界の運行を任せた。炎を司る赤色大天使フィラエル。生命を司る橙色大天使ライブリア。水を司る青色大天使ウォルティ。風を司る藍色大天使エアリール。土を司る黄色大天使アーシェ。力を司る緑色大天使ブラステア。心を司る紫色大天使ハーティア。そして闇を司る黒色大天使シャドー。しかし、大天使シャドーはフレア様に反旗を翻し。フレア様はシャドーを闇の底に封じ込めた。シャドーはやがて闇の底に死を生み出す。死は闇から漏れて、この世界に現れた。かくして世界に死がはびこるようになった」
「なるほどな。大天使か。フレア教ではフレア様以外の八神を眷属として扱っているのか」
「クレイモスのアルカディア聖教では、光の神と闇の神は同格ということですわ。その創造双神が、他の四神を生み出したということですが」
「あの男、ガリウスと言ったか。アルカディアの教えをよく残したものだ」
「ガリウス王? 彼はどうなったのです?」
「ふむ。その話はまたあとでしよう。まずは、この世界の成り立ちだ」
そしてアークドラゴンは話し出した。
この世界を造り出した創造神。世界を創り終えた時、創造神は二つに別れた。それが創造双神、光の神フレアと闇の神シャドー。
二神はまぐわい、子を成した。それが七神、フィラエル、ライブリア、ウォルティ、アーシェ、エアリール。ブラステア、ハーティア。
七神は協力して大地と海を創り、植物を創り、動物を創り、最後に、四つの人族を造り出した。
それがドワーフ族。トロル族。レプラコーン族。エルフ。
人族にはそれぞれ、魂の欠片である魔力を使った魔法を与えた。
長い年月を経て、それぞれの人族は繁栄していった。
やがて、人族たちは自らの大陸を飛び出して、別大陸へと渡っていった。四人族の交流が始まる。だが、四人族は争いを始めた。交わる術を持たぬ四人族たちは、互いを受け入れず、それは大陸同士、種族間での争いとなった。
これに困った四神はそれぞれの特徴を備えた、中間種を生み出す。彼らが四人族の鎹となるように、どの種族とも交配可能な種族。それが最後の人族ヒューマン。神々はヒューマンをそれぞれの大陸に生み出した。
ヒューマンの存在は確かに有効で、彼らを交えた人族は互いを受け入れるようになった。
そしてまた長い年月が経った。
五人族は四大陸で交ざり合い多くの国を造り、繁栄した。だが、国々は互いに争うようになった。幾多の争いが繰り広げられ、常に世界のどこかで戦争が起こるようになっていた。
やがて、戦争を厭う者たちが平和を求め、
創造双神が眠る地。無人のミッドン大陸に渡った。当時のミッドン大陸は荒廃しており、すでに人の住める土地ではなくなっていた。
人々を率いていた王は王妃とともに神に祈った。それに光の神と闇の神が眠りから覚め、応えた。
王と王妃は、光の神と闇の神と契約をかわした。
この地では自分たち光の神と闇の神のみを祭ること。代わりに、他の神々よりも強い加護を与えること。
「知っておるか? 他大陸では加護技などというものはない。魔法はあるが、このミッド大陸のものと比べれは脆弱そのもの」
アークドラゴンが言った。
ミッド大陸は大いに繁栄した。統一王国アルカディアの噂を聞いた他大陸の者たちが次々と渡ってきた。
それを快く思わぬ他大陸の者たち。
やがて他大陸の大国が攻めてきた。
アークドラゴンは神の命を受け、アルカディアの敵を滅ぼして回った。
「以後、アルカディア王国は千年もの間、平和であった。我はここで眠り、ときどきは目覚め、攻めてきた他大陸の馬鹿者どもを返り討ちにしたものよ」
アークドラゴンが懐かしそうに言った。
「だが、千年の平和は人を愚かにするには十分だったようだな。フレア教などというものを生み出し、シャドー様をないがしろにした」
アークドラゴンは腹立たしげだった。
「なぜ、そのようなことになったのでしょう?」
エレノアの問いに、ふむ、とアークドラゴンが長い首を傾げる。
「死を恐れるあまりだろうな。ヒューマン族の寿命は他の人族に比べて短い。死に対する恐れが強いのだろう。闇と死、それを結びつけ、シャドー様を忌むようになったというところか」
「そこからの歴史はわたくしもある程度は知っておりますわ。アルカディアで内乱が起こり、神聖フレア教国が生まれたのですわね」
「あの男はそう言っておった。真の教えを守りたいから、我に手を貸せとな。だが、我は神の使者ゆえ。神の定めに沿わぬことはできぬ」
「ガリオン王の築いた国は未だに光の神と闇の神を祭っておりますわよ」
アークドラゴンが目を閉じた。そうすると黒い体もあいまって闇そのものに見える。
「あの男、ガリオンがこの地に訪れた時、すでに崩壊は始まっていた。光の神の力が強くなりすぎ、闇の神はその力をほとんど失っていた。ガリオンの国は確かに闇の神を祭っていたが、その規模はあまりにも小さかったのだ。このままでは大陸は再び不毛なる大地へと変わるだろう、そう思われた。ここへ来る際に、赤い大地を見ただろう? あれが加護を失った大地だ。当時は境となる山々のふもとまで赤い大地になっていた」
「あの赤い大地がエルヴァ山脈のところまで?」
エレノアはぞっとした。あのなにも無い赤い大地がさらに大陸中に広がれば、確かになに者もこの地に住むことはできないだろう。
「ゆえに、ガリオンの願いは杞憂というものだったのだ。どちらにしても、この大陸は終わるのだから。ガリオンは神々と交渉するために、神々の御許へと行った。そして、帰ってこなかった。だが、確かに、彼は大した男であった。ガリオンが塔に上って、数日後、彼の供をしていた者たち。ヒューマン以外の四人族の姿が変貌したのだ。闇の神の力が降りた。我はそう感じた。そして、それは大陸全土で起こったのだ。人族の国ではさぞや混乱したことだろうな」
エレノアは想像した。突然、変貌した隣人たち。国中が大混乱となっただろう。
その変貌した姿こそが、オークであり、オーガーであり、ゴブリンであり、コボルトなのだろう。
「ガリオンの供をしていた者たちは知性は残していたようだが、恐らくそれは闇の神を尊く思うがゆえだったろう。闇の神を忌む者たちはそれこそ怪物と化し、かつての同胞を襲っただろうな。恐らく、その混乱がガリオンの王国を守ったのだろう」
「ガリオン王は他の四人族を犠牲にして、大陸が不毛の地になることを防いだということですの?」
「そうだ。これは推測だが、ガリオンは光の神には会えたが、人の姿のまま闇の神には会えなかったのではないかな。光の神の力は強く、その御姿はあまりにもまぶしく、我ですらも正気を保つことはできぬだろう。ましてや人間がな。光の中に魂ごと溶けてしまったのだろうよ。人として契約をすることは叶わず。だが自身の意識が残るうちに、闇の神に四人族を捧げることができたのは、まさに奴の執念というべきものだ。実際に、そのおかげで、この大陸は崩壊を免れている。かろうじてだがな」
「間際と最初におっしゃいましたわね。ひょっとして」
「左様。その兆候はすでに現れているだろう? かつてのように」
「加護技を失う者たちが現れています」
「アルカディアの末期もそうであった。ガリオンがこの地に現れた時、彼の国以外の者はほとんど加護技を失っていたはずだ」
「わたくしにガリオン様と同じことをせよとおっしゃるのですわね」
「そうではない。ガリオンができなかったことを、そなたがするのだ。シャドー様がそなたに告げられた、道、とはまさにそれだろうよ。人として二神にお会いし、新たな契約を求めるのだ。二神の前で宣誓するがよい。必ずや大陸中に真の信仰を取り戻して見せると」
「わたくしにできまして?」
「さてな。我の見たところ、そなたはガリオンに比べて弱い。だが、シャドー様のお言葉を受けたのならば、可能性はあるのだろうな」
「失敗すれば、わたくしはガリオン王のように消えてしまいますのね?」
「消える。数日は意識が残るかもしれんが」
エレノアは目を落とした。クローディアスを見る。安らかな寝顔だ。エレノアがここへ来た目的。エレノアをここへ連れてきてくれた人。
「もし、新たな契約が叶いましたら、クローディアスさんの寿命は戻していただけるのでしょうか?」
「真に契約が成されたならな。その時には闇の神と光の神の力は吊り合う。もともと、シャドー様が加護と引き換えに寿命を奪うなど、そんなことはなかったのだ。力の弱まったシャドー様ゆえの処置だろうな。一方的に加護を与えることはできず、命を変換するこで吊り合いをとったのだろう。まあ、きちんとその旨を告げておいた方が良かろうな。神々にとってみれば、ひとりの人間の寿命など大した関心ごとではないゆえ」
エレノアは膝をつくとクローディアスの髪を撫でた。やはり氷のように冷たい。温めるように手を頬に当てる。
きっと、クローディアスが起きていたら、彼は挑戦を止めただろう。
「別の大陸に行くんだ。そこで幸せに暮らしてくれ」
そして、エレノアは言うだろう。
「わたくしひとりでどう生きろとおっしゃるの? あなたと生きられないのならば、一緒に死ぬ方が遥かにましですわ」
エレノアはクローディアスに口づけをした。冷たい唇。だが、確かに彼は呼吸している。
エレノアは立ち上がった。
「あの塔に上れば良いのですわね」
「左様。そなたの健闘を祈っておるぞ」
「あら、それはどちらの神々にです?」
「むろん、フレア様とシャドー様、両方にだ」
アークドラゴンが面白そうに言った。
◇
エレノアはクローディアスを背負って神殿へと入った。神殿の中は取り立ててなにもなく、中央にただ螺旋階段があるだけだった。円柱を取り巻くようにグルグルと上へ続いている。
あとは、強いて言うなら壁に彫り込まれた壁画の数々。どうやら初代アルカディア王と王妃がこの地で創造双神と契約をしたという物語りのようだ。
エレノアはよそ見することなく中央の螺旋階段へと行った。階段は天井を突き破り、さらに上へと続いている。外から見た塔がそれなのだろう。
クローディアスを連れていくべきかどうか迷った。万一、エレノアが光の神に取り込まれたとき、クローディアスまで巻き込んでしまうかもしれない。
そんなエレノアの迷いを察したように、肩に座った影人形クロが、ちょんちょんと頬をつつく。
エレノアがクロを見ると上を指した。
早く行こう、そう言っているようだった。
そうですわね。どこまでも一緒ですわよ。
エレノアは背中のクローディアスをぎゅっと背負い直した。彼の体は冷たいのに、なぜか熱く感じた。
「行きますわよ」
エレノアは螺旋階段を上った。
一段、一段、慎重に上っていく。
クレイモスの初代王ガリオンは光の神フレアの光に飲まれてしまったという。
恐怖は確かにあった。自分も同じ轍を踏む可能性が高いのだから。
それでもエレノアは臆さない。そこには希望がある。それもアークドラゴンが保証してくれた確かな希望が。
雲をつかむような話だったものが。エレノアの聞いたシャドーの声だけが一縷の望みだったものが。
はっきりとした道として見えているのだ。
やがて神殿の外に出た。外に出たとたん強い風が吹き付けてくる。エレノアの黄金の髪が踊る。
空にはまだ太陽が輝いている。
エレノアは太陽を目指して、上り続ける。
長い階段だ。おまけに露で湿っていて滑る。
それでも、これまでの道程に比べればなにほどのこともなかった。踏み外さないように気を付けながら上り続ける。
そして、ついに最後の一段を上り切った。
そこは展望台のようになっていた。
とはいっても手すりもなにもない。直径5メートルほどの円形の床があるだけ。
エレノアは床の中央に立つと、空を見上げた。
「光の神フレア様。闇の神シャドー様。わたくしはエレノア・ウィンデア。どうぞわたくしと新たなる契約をお結びください」
声を張り上げて言った。
だが、なにも起こらない。
ただただ、風の音が聞こえるのみ。
エレノアはさらに呼びかけた。
「わたくしは必ずやこの大陸に真の信仰を取り戻して見せます。ですから、どうぞ、わたくしの前に姿をお見せください」
やはり応えるものはない。
エレノアは続けた。自分が何者であるのか。なぜ、ここに来たのか。
語ることが無くなると、また呼びかけから始めた。
そうして、どれくらい時が過ぎただろうか。エレノアの喉はかれ、声はかすれていた。
太陽は沈み始め、赤みを帯びている。もう間もなく雲海の下へと消えていこうとしていた。
「どうか。フレア様、シャドー様。どうか。わたくしの前へ、御姿をお見せください。わたくしと新たなる契約を」
その時だった。
太陽がまぶしく強く輝いた。赤かった太陽は白くなり、グングンと大きくなっていく。
それはすぐにエレノアの視界を白く焼きつくした。
世界が白色に溶ける。
「フレア様」
エレノアはつぶやいた。
視覚は元より、他の感覚もあやふやになっていた。そう、溶けている。エレノア・ウィンデアが溶けている。そう感じた。
そんな中で、背中のクローディアスの冷たさだけが残り続けた。それがエレノアの意識をとどめ続ける。
クローディアスさん、もうすぐですわよ。もうすぐ、あなたのお命を戻して見せますわ。
とうとう自分が立っていることすらわからなくなった。残っている感覚は背中の冷たさ。
クローディアスさん……。
そのクローディアスのくれる冷感も、次第に薄れていく。
そして、ついに、完全に感覚が消えた。
エレノアがすがれるものは、もう記憶だけしかなかった。
クローディアスとの想い出の数々。1年にも満たない短い時間。だが、なんと豊かで濃密な時間だったことか。
あなたがわたくしを救ってくださいました。だから、今度はわたくしがあなたを……。
その記憶すら曖昧になっていく。
少しずつ、削り取られるように消えていく。
ああ、お願い。消えないで。わたくしの、わたくしたちの想い出を、軌跡を、どうか消さないでください……。
やがて、想い出どころか、自分が何者かも分からなくなった。
それでもまだ意識だけは残り続けている。
なにかを願っていた。思いだせないが、なにかを……。
その意識も薄れていき、光そのものへと溶けていく…………。
人影が現れた。
光の中に立つ人影。黒いシルエット。その影が手を伸ばす。
それによって、消えかけたエレノアは自分を取り戻した。
影の伸ばした手と手を結ぶようにエレノアは立っていた。
「クローディアスさん」
エレノアは叫んだ。
エレノアをかばうように立つ黒い影。それがボロボロと崩れていく。
「エレノア、必ずまた会おう」
クローディアスが言った。その体はすでに片手と両足を失い、胴も中ほどから消えかけている。
「あとは任せたよ」
クローディアスの頭が、胴が崩れる。
「クローディアスさん」
最後に残っていたエレノアとつないでいた手も、ついに消える。
エレノアはクローディアスの影の残滓を探すが、もはや世界は光だけになり、なにも見つからなかった。
光の中でエレノアひとりが立っている。
ひとり? いや、エレノアは感じとった。
自分がフレア神の中にいることを。
自身の体を取り戻したことで、それを認識できたのだ。
「フレア様。どうか、わたくしと新たなる契約をお結びください。このエレノア・ウィンデアと。どうか」
すると、確かに光が応えた。
続けなさい、と。
「わたくしは必ずやこのミッド大陸に真の信仰を。フレア様とシャドー様を供にあがめるアルカディア聖教を広めてみせます。ですから、どうか、今しばらくのご猶予とお力添えを。どうか」
光はなにかを考え込んでいるようだった。
やがて、応える。
了承した、と。
すると、世界が暗転した。
今度は暗闇。それはエレノアには懐かしい気配だった。包み込むような安らぎがある。
「よくぞ、たどり着いたものだ」
声がした。いつか、闇の中で聞いた声。シャドーの声だ。
「シャドー様。どうか、わたくしと新たなる契約を。必ずやわたくしが吊り合いをとってみせます。どうか、それまで、クローディアスを連れて行かないで。どうか」
「了承した。我らが大地に住まう者たち全てが、我とフレアを等しくあがめるようになった時。クローディアスをそなたの元へと返そう。70年の寿命とともにな」
ふいに、闇の中に道が現れた。光の道。
ここを通って戻れ、ということだろう。
エレノアは光の道を歩き出した。
両側の闇が色づき、景色を映す。それはミッド大陸の様子だった。エフィレイア、ルゼス、クレイモス。大陸で起こっているすべての事象が映っている。
ただ、あまりにも移り変わりが速い。時間が高速で進んでいるかのように、季節が冬から春、夏へ、秋、と次から次へと切り替わる。
エレノアは走った。悠長なことをしていたら、時間が一気に過ぎてしまう。ここでは1年などあっという間に経過してしまうだろう。
待っていてください。クローディアスさん。必ず、お迎えにあがりますわ。




