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エレノアの矜持

 クロウが地に消えたのを見てエレノアはすぐに動いた。

 クロウと目が合った時、確かに、意志が伝わってきた。

 あとはお前の好きにしろ、そんな意志が。


 エレノアはまず執事長ベンジャミンの亡骸に駆け寄った。

 血だまりの中で彼は息を引き取っていた。無念の表情。それは最後までエレノアの身を案じていた証拠だ。


 エレノアはベンジャミンの両目を閉じた。 

 そっと横たえる。


 次に震えた足でよろよろと立ちあがる侍女長アンジェリカの元へ行く。


「お嬢様、ご無事で……。申し訳ございません。私のせいで……」

 嗚咽おえつを漏らす。


「卑劣な悪党どものせいです。気にする必要はありませんわ」

 エレノアは言って、そっと震える彼女を抱きしめる。


 背中に鋭い痛みが走った。

 異物が体にねじ込まれた。焼けるような痛み。


 エレノアは目を閉じた。

 すべてが分かった。

 エレノアを狙う刃は、もっとも身近に潜んでいたのだ。


「申しわけございません。お嬢様……」


 エレノアの腕の中で永延と謝り続ける侍女長アンジェリカ。

 息子夫婦、それに孫を人質に、宰相の手の者に脅されている。

 だから、本当は、あの時、自分が人質に取られたあの時に、エレノアが躊躇なく、戦うことを望んでいた。

 あの時叫んだ言葉は本心からのものだった。

 

「私も、ともに逝きます。お許しを」


 涙を流しながらエレノアの背に突き刺した刃を引き抜き、それで自分の首を突いた。

 鮮血をまき散らしながら侍女長アンジェリカは倒れた。


 エレノアは膝をつくと侍女長アンジェリカの亡骸に手を伸ばす。背中の痛みは深く体の芯まで通じている。早く治癒魔術をかけなくては死に至るだろう。

 だが……。


 もう、ここで良いのではないかしら。


 エレノアの心は折れていた。

 家族のような執事長ベンジャミンと侍女長アンジェリカ。この二人を失ったのだ。


 ここで命を終わらせても構わない気がした。

 どうせ自分の行く末など知れている。


「ここでくじけるのか」

 上から声がした。幾重にも重なり合ったような不思議な声だ。


 いつの間にか、目の前に、『闇をまとうう者』が立っていた。


「思ったよりも弱いな。エレノア・ウィンデア。つまらない悪党に屈するとは」


 クロウは腰の辺りから、どくどくと血を流しているエレノアを、歯がゆい思いで見下ろしていた。

 彼も、まさか人質に取られていた侍女が、あの場面で裏切るとは思ってもみなかった。


 クロウはエレノアが賊たちをどうするか、影の中から観察するつもりだった。

 クロウは命を奪うことが苦手だ。限られた命を生きてきた彼にしてみれば、それは宝石を破壊するような行為に思えるのだ。もったいない、そんな気にさせられる。

 だがエレノアには復讐する権利があるように思える。だから彼女に始末を任せたのだが。


「生きろ、エレノア・ウィンデア。不当におとしめられたまま死ぬな。生きられるのなら、生き続けろ」


 らしくないな、とクロウは自分の言葉に

羞恥を感じた。他人に発破はっぱをかけるなど。

 ただ、ここでついえてしまうには、エレノア・ウィンデアの命はあまりにも美しく、まぶしすぎる。


「同じ死ぬのなら、最後まで戦い続け、誇りを抱いて死んでいけ」


 エレノアの深い青い瞳に光が宿った。

 強い意志の光だ。

 地についていた右手を背に回し、治癒魔術の呪文を唱える。

 白色の魔法陣がその手の平を中心に現れて、オレンジ色の閃光を放つ。オレンジ色に変色した魔法陣から白い光が伸びてエレノアを包み込む。


 血の気の失せていたエレノアの顔色が徐々に赤みを取り戻していく。


 エレノアの意志を呼び起こしたのは、『誇り』という言葉だった。


 そうですわ。

 わたくしはこんなところで死ぬわけにはいきません。お爺様の、ウインデアの名に泥を塗ったまま、死ぬわけにはいきません。

 汚名を注がないまま、どうして死ぬことができましょう。


 この先、どのような痛みが、屈辱が待っていても、耐えて、耐えて、いつか必ず汚名を注ぐ。

 エレノアの折れた心は、弱り切った精神は復活をとげた。

 燃えるような熱が身内にあふれ、体の痛みなどかき消してしまう。


 やがて、中級治癒魔術は傷跡ひとつ残さずにエレノアの傷を治した。時間はかかるが、いかなる傷も治すことができるのだ。

たいていの治癒魔術師ヒーラーは、中級治癒魔術を到達点としている。


 エレノアは立ち上がった。

 血にまみれた侍女長アンジェリカの亡骸を見下ろし、唇を噛む。

 彼女が、なぜあんなことをしたのか、聞かなくても分かる。脅されたのだ。

 侍女長アンジェリカの生家は子爵家。さらに彼女の息子は男爵家に婿養子に入り、継いでいる。

 弱小貴族では宰相に睨まれれば、ひとたまりもないだろう。


 男の悲鳴で我に返る。

 見ると、裏切った『レッドシールド』のリーダーウッズを御者ホークが馬乗りになって殴っていた。リーダーウッズは四肢を半ばから失っている。


「ホーク、おやめなさい」

 エレノアはふたりに近づくと言った。


「止めんでください、エレノア様。裏切り者には罰を与えるべきです」

 そうして、また拳を振り上げる。


 エレノアは、それがホークのパフォーマンスであることに気づいている。先ほどの命乞いを帳消しにしようという気だろう。

 彼が昔から自分に対して好意を抱いていることを知っている。


「わたくしは、おやめなさいと申しましたよ」


 ホークがようやく手を止めた。

 リーダーウッズの顔は無残なほど腫れあがっている。もちろん同情する気はない。


「おどきなさい。わたくしは、その男に問いたいことがございますの」


 ホークがリーダーウッズを解放した。リーダーウッズがなんとか身を起こそうとするが四肢が無いので、うまくいかない。


「た、助けてくれ、エレノア様」

 顔が腫れているので声も不明瞭だ。


「わたくしがあなたに聞きたいことは、ただひとつ」

 エレノアの両目が白く強く輝いた。

 加護技スキル『真実の問い』だ。

「わたくしを殺せと命じた者の名は?」


 エレノアの目の発光がリーダーウッズに移った。

「話を持ってきたのはグラッツ・フォホース伯爵」


 グラッツ・フォホース伯爵。エフィレイアではなく、ここルゼス王国の貴族だ。宰相とつながりがあるということか。


「承知しました。ごきげんよう」

 エレノアは、すっと音もなく剣を振った。


 リーダーウッズの首がポロリと胴から離れて転がった。


「エレノア様、無事で良かった。本当に良かった」

 ホークがしみじみと言った。

「ベンジャミン様とアンジェリカ様は?」


「お亡くなりになりましたわ。ホーク、お二人と『ファイア』の方々のご遺体を運びたいのだけれど。どうすれば良いでしょうか?」


「ベンジャミン様とアンジェリカ様が……」

 ホークは言葉を失ったまま。


 その目に、なにか計算高いものが浮かんだようにエレノアには見えた。

 そんな風に考えてしまう自分に不快感を覚える。


 疑心暗鬼ですわね。


 エレノアが、もう一度、同じことを問うと、ホークは馬にくくりつけていくしかない、と返した。


「ただ、馬を引いていく者がいません。俺は馬車を動かさないとだし。冒険者の死体は、ここに置いていきましょう。連中、大した役に立たなかったじゃないですか」


「わたくしのために戦い、命を落した方々の亡骸を打ち捨てていくなど。そのような情けない、恥ずかしい真似が、どうしてできましょうか。分かりました。収納袋をいくつか空けましょう。ホーク、お手伝いくださいな」


 ですが、と抗議するホークを無視して、エレノアは馬車の中に置いてある『収納魔術』のかかった収納袋を2枚出すと、無造作にそれを裏返した。印に手を当てて鍵言葉を唱える。


 ざー、という音とともに宝石や金貨、装飾品が地面にこぼれた。


「エ、エレノア様、なにをなさっているんですか」

 ホークが慌てて言った。


「仕方がないでしょう? 彼らの亡骸を入れるには、空けなくてはなりませんもの」


「だ、だったら、もっと安い物が入った袋にしてくださいよ」

 ホークが収納袋に戻す。そうしながらも、いくつか宝石をこっりポケットに入れていた。


「安い物といっても」

 言いながらもエレノアはもう一つの袋をひっくり返して、中の物を出した。ドレスが何着も出てきた。それらも決して安価ではないが、エレノアは気にせずに、その収納袋に死体を入れていく。


 結局、収納袋は三つ空にする必要があった。ドレスの他に、服や下着、靴の袋。それに食器やカトラリーの袋。どれも捨てていくには高価な代物だった。

 

 宝石や金貨を戻したホークが、今度はそれらを木々の中に隠そうとする。


「ホーク、行きますわよ。そんなもの捨てておきなさい」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 そうは言うが、ホークはエレノアが無造作に捨てたものを全部隠している。どうもちょっとでは済みそうもない。


「わたくしは、あちらの様子を見てきます」

 言って、エレノアは盗賊が攻撃をしかけてきたあたりに目を向けた。


 木々の間に、いくつもの人影が見える。20人いるかどうかというところか。

『闇をまとう者』がなにをしたのか分からないが身動き一つしていない。

 

 エレノアとしては、今までの間に術が解ければ向かってくるなり逃げるなりするだろうと思っていた。向かってくれば斬り捨てるまでだし、逃げたら放っておくつもりだった。

 だが、『闇をまとう者』がかけた術はよほど強力なのか、今だに解けるきざしがない。


 エレノアは剣を手に斜面を上った。気は進まないが、決断が自身の手にゆだねられたのならば仕方がない。

 公正で正しいと思える判断をするだけである。

 

 弓に矢をつがえようとして彫像のように固まる男の前に立つと、閃光のような一刀を走らせ、首を落す。


 賊は斬首が相応だ。

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