ガリオン・モス
アルカディア歴1824年9月21日
ミッド大陸東部大荒野
地平線に変化があったのは、このなにもない荒野についてから1週間が過ぎた頃だった。
わずかに山のような稜線が確認できたのだ。ぼんやりとかすんでいるが、確かに山のようだ。
「あれがハルベルガ山かな。まだまだ先だな」
それでもクローディアスの声には安堵の響きがあった。さすがにこのなにもない荒野を歩き続けるのは厳しかった。ひとりきりだったら、きっと耐えられず、絶望していただろう。
「けれど、ようやく目指すものが見つかりました。見つかりさえすれば、たどり着くことはできますわ」
エレノアは俄然、張り切りだした。自然と歩幅が大きくなる。
「エレノア、あまりペースを上げるのはよくないよ。大丈夫。このままいけば十分間に合うから」
クローディアスの寿命が尽きるまで、まだ4ヵ月以上ある。それまでには間違いなくたどり着くだろう。
ここで下手にペースを上げて無理をするのは良くない。
それでもエレノアははやる気持ちを抑えられなかった。クローディアスが手を握っていてくれなかったら、早足になり、そのうち走り出していただろう。
ふたりは歩き続けた。日を追うごとに山は大きく高くなっていく。
さらに1週間が過ぎる頃には視界一杯に広がった。
その頃になると、なにもなかった荒野は終わり、まばらだが草木が茂り始めていた。
大地も赤色から黒味がまして、岩なども転がっている。
ふたりは久しぶりに馬車を出し、それに乗った。『影倉庫』に入っている間は馬たちの時間は止まっている。馬たちはしばらく様子の変わった世界に戸惑っていたようだが、エレノアとクローディアスを信頼しているのだろう。すぐにいつも通り走り出した。
草木が生えているということは当然、虫や動物なども住んでおり、特に空からは危険な猛禽類が馬車を終始狙うようになった。
もちろん、ふたりにとって猛禽だろうが、小鳥だろうが大して変わらなかったが。
馬車に乗って2日目。アルカディア歴1824年9月30日。
クローディアスが倒れた。エレノアは彼を車内に寝かせるとひとり御者台に座って、馬車を動かした。
もうすっかり馬車の扱いには慣れている。
御者をしていたホークよりもずっと上手くなった(彼は扱いが荒かった)。
影人形クロが心配するエレノアを励ますようにちょこちょこと動き回って、彼女の気の引いてきた。
「頼りにしてますわよ。クロ」
エレノアはそんなクロを撫でた。
幸い、このあたりは魔物はいないようだ。牛のような動物や大きなネズミのような動物。鳥類。あとは蛇やサソリなどがときどき目に入る程度。
近付いてきた有害な生物はクロが勝手に排除してくれる。さすがはクローディアスの分身である。
夜は馬車の中で眠った。クローディアスはまだうなされており、脂汗を流していた。
彼の手を握り、何度も声をかけた。
クローディアスは翌日の昼まで目を覚まさなかった。
馬車の中からはときどき悲鳴のような大きな叫び声が聞こえてきて、御者台のエレノアを怯ませた。
そうして、ひと際大きな叫び声のあと、馬車の前面の窓から目覚めたクローディアスが声をかけてきた。
「ありがとう、エレノア。また世話をかけた」
「その、おかげんは大丈夫ですの? 今日はひどくうなされていましたけれど」
「そうなのかい? 覚えてはいないが。まあ、大丈夫だよ」
「しばらく、そちらでお休みくださいな。馬車のことはわたくしが引き受けましてよ。クロもおりますし」
「いや、大丈夫。十分休んだからね。それより君の隣にいたい」
エレノアもそれは同様だったので馬車を止めた。クローディアスが御者台に移る。少しやつれているように見えた。
「どこもお痛みになりませんの?」
「スッキリしたものだよ。ずいぶん、進んだね」
景色はすっかり変わっていた。
下草が茂り、木々も増えた。大地はゆるやかだが傾斜している。
「魔物などはまだおりませんわよ」
「少し上から様子を見てみよう」
言うとクローディアスは視覚を上空に飛ばした。思った通り、すでにハルベルガ山の裾野に入っているようだ。あまりにも大きすぎて、どこからが山なのかが把握しにくい。
しばらくはゆるい坂道が続いているようだ。馬車でも問題ないだろう。
うん? なんだ、あれは?
クローディアスの飛ばしている視覚に太陽にキラキラときらめく皿のようなものが見えた。
近付いていくと、それは湖だった。それも黄金の湖。水底になにか金色のものがあり、それが湖そのものを色づかせているようだ。
クローディアスは視覚を戻すと、それをエレノアに説明した。
「黄金の湖。ロマンティックですわ」
エレノアが目を輝かせた。
「ひょっとしたら、神々との契約に関係があるのかもしれないな。どうせ、進路上だし、寄って行こうか」
「もちろんですわ。わたくしも見てみたいですもの」
そういったわけでふたりはまず黄金の湖を目指すことにした。クローディアスの観測したところでは直径8百メートルほどの円形。周囲は比較的平らだが、水辺ということもあり、草木は生い茂っていた。
特に危険生物のようなものはいない様子だったが。
半日ほど馬車に揺られると、やがて二人の前に黄金の湖が顔を出した。
まあ、とエレノアが感嘆の声をあげる。
クローディアスはさっと周囲の気配をさぐり、危険がないかを確認。湖には魚が多数住んでいるようだし、周囲には鹿や小動物もいるようだが、それくらいだ。
馬車を止め、ふたりで黄金の湖を覗き込む。
湖はそれほど深くはない。中央部の水深が3メートルあるかないか、というところ。
気になるのは湖底だが、どうもこれは本物の黄金のようだ。何者かが塗布したのだろう。
「持ち帰ったら大金持ちになれそうだね」
「そんな罰当たりなことはできませんわよ。ここは神聖なる山なのですからね」
「冗談だよ。それより、誰が、どうしてこんなものを使ったかが気になる」
「それはもちろん、アルカディアの王ではありませんの?」
「とすると神殿のような意味があるのかな」
「かつてはなにか祭事を行っていた可能性もありますわね」
馬たちの世話をしたあとふたりはのんびりと湖の周りを歩いた。手をつないで特になにも話さず。影人形クロはすっかり定位置とかしたエレノアの右肩に座り、揺られている。
やがて日が暮れてきた。
すると湖が夕日を反射し、光があふれた。
それは圧倒的な光景でエレノアもクローディアスもしばらく無言で見惚れていた。
「このような」
エレノアがポツリとつぶやく。
「なんだい?」
「このような美しい風景が、世界にはまだたくさんあるのでしょうね」
「そうだね。この大陸だけも、それこそ何百とあると思うよ」
「そんな景色をたくさん見たいですわ。クローディアスさんとご一緒に」
「ああ、本当に。いつか、旅をしよう。世界中を巡る旅を。君とふたりで御者をして」
「約束ですわよ」
「必ず」
◇
その夜、エレノアが眠ったあと、クローディアスは妙な胸騒ぎを感じて、テントを出た。
湖が月明りを反射して輝いている。とくに変わったところはなさそうだが。
なんだ、この気配は?
クローディアスは湖の中に妙な気配を感じた。昼間はなかったものだ。なにか、そう、巨大な粘体のような。魔物でいえばスライムのような。
クローディアスは『闇武装』した。その瞬間、湖の中央に水柱が立った。それは螺旋を描いて、クローディアスに向かってきた。
クローディアスはそれをかわした。
次に備えるが、それっきり湖面は静まり返る。
水柱が落ちたところに謎の気配が移った。
草原に落ちた水は黄金に輝き、それが人の形をとる。黄金のシルエット。
見たところ、男性のようだ。髪は長いが体つきがガッシリとしている。
それがクローディアスに向けて手を伸ばした。なにかを訴えかけているようだ。
「いし……つぐ…………きおく……」
「意志を継ぐ? 記憶?」
クローディアスにはそれが彼を誘っているように思えた。黄金のシルエットの手に手を触れる。
その瞬間、人形が弾けて、黄金の閃光となった。その光はクローディアスが体に纏う闇を通過し、彼の中に入り込んできた。
まどろみから意識が覚醒するときにように、すっと頭が冴えていく。同時に体の感覚が薄れ、消えていく。
いつの間にか昼になっていた。太陽がさんさんと照り付け、湖面を照らしている。
クローディアスの目の前に男が立っている。
40台半ばというところだろうか。波打つ茶色い頭髪を背中まで伸ばし、同色の豊かな髭を生やしている。
頭には黄金の額環。薄汚れたマント。だがその下には高価そうな服を着ている。
「私はガリオン・モス。アルカディアの意志を継ぐもの」
男が言った。
「ガリオン・モス? クレイモス王国の初代国王?」
クローディアスは言った。『闇武装』はすでに解けている。
「いかにも」
なんらかの方法で彼の意識が記録されているということだろうか。
「そのガリオン・モスがなぜここにいらっしゃる?」
「見届けるため」
「見届ける? なにを?」
「我らの願い。契約の履行」
「契約? それは光の神と闇の神との契約のことですか?」
「そうだ。私には叶わなかった」
「あなたはなにをなさったのです。神々にお会いになったのでしょう?」
「神々と契約し直し、崩れたバランスを戻すつもりだった。だが、私には無理だった。私にできたのは時間稼ぎ。ほかの四人族を犠牲にした、時間稼ぎのみ。光はすでに強すぎ、その中で私の意識はかき消えた。ここにあるのは私の残滓」
「意識がかき消える。なにがあったんです?」
「光の神との邂逅。しかし、闇の神の力が弱まり過ぎていた。あのままでは闇の神は消滅し、この地は人の住めぬ場所に変わるだろうと思われた」
クローディアスの脳裏に、通ってきたなにも無い荒野が思い浮かんだ。この大陸全土があんなことになるのか?
「私は闇の神を我らヒューマン以外の四人族に宿し、闇の神をお守りした。いつか、私の遺志を継ぎ、この地に正しい信仰を取り戻す者が現れることを願い」
『聖賢』フォトン・メアーの言っていた言葉が頭に蘇った。ゴブリン、オーク、コボルト、オーガー。クレイモスではその4種を魔物だと見なしていない。また別大陸には存在しない。
「闇の神の力を宿した四人族は異形に姿を変え、我が国を守った。いつか、我が国が他の二国を制圧し、フレア教を駆逐し、大陸中の人々が再び光と闇の神の双神を祭るその時を夢見て、私、ガリオン・モスは消えた」
「私たちならそれができると?」
ガリオンが首を横に振った。
「彼女ならば光の神に吞み込まれぬ可能性はある」
「エレノアなら?」
「お主は彼女の邪魔をする。それゆえ、私が現れた」
まずい、とクローディアスが思った時には遅かった。体が凍り付いたように動かない。
「その時まで、ここで待て。彼女の意識が消滅するその刹那を見きわめよ。その一瞬、お主は彼女を守る盾となり、身を映す鏡となるのだ。可能性はそれしかない」
「待て、エレノアに……」
クローディアスはそれ以上言葉が発せられなかった。
ガリオンはクローディアスにうなずくと、湖へと入っていった。
「私の行った時間稼ぎももはや限界を迎えている。エレノア・ウィンデア。彼女が最後の希望だ。その刹那を見きわめろ、クローディアスよ」
やがて、ガリオンは湖に消えてしまった。残されたクローディアスはただ、わずかに動く首を最大限にひねって、光り輝く湖を見ることしかできなかった。
この場では加護技のひとつも発動しない。
湖の水面に外の様子が映し出された。
朝になっている。クローディアスはテントで眠ったままで、エレノアがどれだけ呼びかけても目を覚まさない。
そういうことか、とクローディアスはガリオンの意図を察した。
確かにクローディアスはエレノアが消滅する危険を犯すことを看過できない。力づくでも彼女を止めるだろう。
例え、この大陸が人の住めぬ地に変わったとしても。
だからこそ、ガリオンは自分を止めに現れたのだ。
エレノアの意識が消滅する刹那。
クローディアスは祈った。エレノアが危険な賭けに出ることなく引き返してくれることを。もちろん、彼女がそんな真似をするはずはないのだが。




