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約束の予約

 ボートはついに対岸へとたどり着いた。

 向こう岸に比べ砂浜が広い。途中でボートが進まなくなったので、クローディアスが『影倉庫』に放り込んだ。

 帰りにまた世話になるだろう。


 それにしても対岸は見渡す限りなにもなかった。どちらを向いても地平の先までなにもない。

 赤茶けた大地が続いている。


「これはまた、だだっ広いな」

 クローディアスが呆れて言った。

 一体どこまで続くのか。


「けれどこれならば馬車を走らせられますわ」

 エレノアが赤い土を踏みしめる。地面はしっかりとしている。


「いや、どうかな。飼料になるようなものが無さそうだし。少し、様子を見た方がいい。水も無さそうだしね」


 馬車を使うとなると、馬たちの餌や水も確保しなくてはならない。その目算がたたない限り、馬車は使わない方が良いだろう。


「それはそうですけれど」


 エレノアは地平の先を見た。東の方角。だがなにも見えない。もうすぐクレイモス王都を出発してから1ヵ月半になる。あまり時間が無いのだ。


「焦っても仕方がないよ。大丈夫、確実に近付いているはずだから」

 クローディアスは言った。もっとも地図に記されているのはここまで。ここから先は手探りだ。


 赤茶けた大地を東へとまっすぐに進む。

 本当になにもない。木どころか草すら生えていない。日差しを遮るものもなく、これが夏ならば、瞬く間に干からびてしまうだろう。


「面白みのない景色ですわね。なんだか途方に暮れてしまいますわ」


「確かに」


 とはいえ、ふたりともそれを苦にすることはなかった。ふたりは手をつないで歩いている。なにもなくとも、互いの手のぬくもりだけで十分すぎた。


 やがて日が沈む。森の中では太陽の存在などあまり感じなかったが、ここでは違う。夕焼けがとても美しい。空はもとより、真っ赤な大地をさらに赤く染めていた。


「今夜はこのあたりで休もうか」

 クローディアスは言った。

 相変わらず何もない。見渡す限りだだっ広い大地。


 テキパキとテントを張り、火を起こし、料理をする。せっかくなので、拾い集めた貝を食べることにした。


「おや、これは」

 クローディアスは割った貝の中に白い球体を見つけた。真珠のようだ。ランプの灯りを受けて虹色に輝いている。


「なんですの?」

 なにか手伝えることはないだろうか、とクローディアスのそばをウロウロしていたエレノアが食いついた。


「真珠だよ。海にしかないと思っていたんだが」

 クローディアスは手の平にとれたての真珠を載せて言った。小さな粒だが確かに真珠だ。


 まあ、とエレノアが声をあげて、クローディアスの手の平の真珠をしげしげと見る。

「貝から生まれるとは知っていましたけれど」

 ちょんと、指でつつく。目が輝いている。


「どうぞ。たくさんあればネックレスにでもなるのだろうけどなあ」


 エレノアが嬉しそうに真珠を指でつまんだ。

「いつか指輪につけますわ。ふたりの想い出の真珠ですもの」


 それでクローディアスは思いついた。

 確か指輪なら持っている。『ホライズン』時代に迷宮で手に入れたもので、大して高価なものではなかったため、売らずに『影倉庫』に放り込んだのだ。孤児院の土産にするつもりだったが、新院長がそういったものを子供たちに持たせることを許さないため、渡すことができなかったのだ。


 その指輪を出した。銀のリングに緑色の小さな宝石がついている。

 クローディアスは指輪を一度『闇消化』で溶かした。それから指輪を新しく造り出す。ちょうど真珠が台座に収まるような形に作り変えて。


「ちょっと貸してごらん」

 真珠をニコニコ顔で眺めるエレノアに言う。


 エレノアが、なんでしょう? という顔で真珠を渡す。クローディアスは真珠を指輪にとりつけた。真珠の指輪の完成だ。


「まあ、クローディアスさん」

 エレノアが目を見開いた。


「昔、迷宮で手に入れたものでね。それを今、作り変えたんだ。高価な物じゃないけどね」


「あ、あの、はめてくださいます」

 エレノアがおずおずと左手を差し出した。


「いいですよ。お嬢様」

 クローディアスはエレノアの左手をそっと取ると、中指にはめようとした。だが、どうもサイズが若干小さい。人差し指か薬指が良さそうだが人差し指にはすでに収納魔法のかかった指輪がはまっている。


 そういったわけで薬指にはめた。

 クローディアスは博識だが結婚に関しては驚くほど無知であった。もともと結婚するつもりなど無かったし、下手に興味を持って生に執着が湧くのも良くないと考えていた。

 さすがに既婚者が指輪をはめることくらいは知っていたが、この時は、そこまで気が回らなかった。


 そのため、薬指に指輪をはめようとした時に、エレノアの手が激しく震えたことに疑問を持った。


「どうかしたのかい?」


「……いえ」


 クローディアスはそのままエレノアの指に指輪をはめた。真珠の指輪。薬指にはピッタリだった。


「あの、その……」

 エレノアが下を向いてなにかを言おうとしている。その顔が赤い。


「うん? きつかったかい?」


「い、いえ。その、これは、そういう意味でとって良いのか、どうかと……」

 チラリとクローディアスを見る。


「えっ、意味? 意味かい?」


 エレノアが、はあ、と重いため息ついた。心底ガッカリしたというような。さすがに今のクローディアスの態度で、求婚しているわけではないと理解したのだ。


「そうですわよね。そういう流れではありませんでしたし。けれど、紛らわしいですわよ」


「ええと、エレノア?」


 キッとエレノアが顔を上げた。怖い顔でクローディアスを睨む。

「なんですの?」


「い、いや、なにか君がショックを受けているようだったから。その、大丈夫かい?」


「落胆しました。ものすごく。ひどいですわよ」


「そ、そうのか。なにかしたのかな。指輪が安っぽかったとか? まあ、確かに君にはそぐわないかもしれないが」


「違いますわよ。この指輪はわたくしの宝物ですわ。クローディアスさんと一緒に川底で見つけた真珠ですもの。クローディアスさんが造ってくださった指輪ですもの」

 ぐいぐいと怒った顔を寄せてくる。

「それに加えて、クローディアスさんがさらに特別な意味を付加したのですわ。誤解でしたけれども。それが残念でたまらないのです」


「特別な意味?」


「左手の薬指は婚約指輪や結婚指輪をはめる指ですわよ」


「……ああっ」


 クローディアスは思わず頭を抱えた。

 言われてみれば、既婚女性は全員薬指にはめていた気がする。ただ、そこが一番邪魔にならないからなのかと思っていたが。ちゃんと意味があったのか。


「クローディアスさんが薬指にはめようとした時、わたくしがどれだけ驚いたか。そして、どれだけ嬉しかったか。ぬか喜びでしたけれど」


「いや、しかし、中指には入らなそうだったし、人差し指にはすでに指輪がはまっていたし。すまない。はめ直すよ」


 エレノアの左手を取ろうとクローディアスが手を伸ばす。エレノアがさっと左手を引っ込めて胸に抱いた。


「嫌ですわ。今更、外しませんわよ。例え、クローディアスさんにそのお気持ちがなくても、わたくしはこれをこの指にはめ続けます。嬉しかったのですもの」


 いつの間にか月が上っていて、エレノアの顔を横から照らす。月光を受けたエレノアは本当に美しく、そこにキラリと涙が光った時、クローディアスは彼女を抱きしめていた。


 心臓がひどく高鳴り、喉が渇く。

 こんなに緊張したのは生まれて初めてかもしれない。

 だが、それでも彼女に。エレノアに、伝えたかった。


「君が許してくれるなら。その場所を。その指輪で予約しておいてくれるかい。いろいろ片付いて、俺が君と生き続けることができるようになったら。ちゃんと、もっと君に似合う、相応しいものを代わりにそこにはめさせてくれ」


「……はい。お待ちしています。その日を楽しみに、お待ちしていますわ」


 ふたりは抱き合ったまま口づけをかわした。

 長い長い口づけ。遥か地平線までなにもない大地。月がふたりの影を長く伸ばしていた。



 アルカディア歴1824年9月14日

 ミッド大陸東部大荒野 



 翌日、ふたりとも上機嫌だった。そして、いつも以上に寄り添っていた。互いに惚れ抜いていた。

 昨夜はあれから甘く熱い時間を過ごした。このなにもない荒野。だがだからこそ、愛し合うふたりには適していた。まるでこの世界にふたりだけしかいないかのようだった。


 その余韻を翌日も引きずっていたので、頻繁に休憩を取り、そのまま口づけをして、それが抱擁となり、最終的に愛し合った。

 そういったことを何回かしてしまったので、遅い歩みとなってしまった。


 それにしても本当になにもない。草木も生えていなければ生き物もいない。鳥どころか羽虫すら見当たらない。


「食料も水もたっぷり持ってきておいて良かったよ」

 クローディアスが言った。


 遮るものがないせいでやたらと風が強い。

 常に風にあおられている状態だ。


「馬車は使えそうもありませんわね」

 エレノアが言った。

 クローディアスの手をギュっと握っている。ちなみにつないでいるのは右手。左手は真珠の指輪をことあるごとに眺めるために空けてある。


 幸い季節は9月。日差しは柔らかくなってきており、ポカポカと温かい。


 やがてこの日も日が暮れた。

 相変わらずハルベルガ山の影すら見えなかった。


「一体、なぜ、これほどなにもない土地になったのでしょうか?」

 夕食時、エレノアが言った。


「地面だろうね。植物が生えるのに適さない土なんだろうと思う。植物が生えなければ動物も生きていけないからね」


「土、ですか。これほど広い土地。なにかもったいありませんわね」


「こればかりはね。土をそっくり入れ替えるわけにもいかないし」

 だがエレノアの言うこともわかる。これほど広大な平地なら、一つの国が収まりそうだ。


「豊かな大地は神様のお恵みですわね」


「水もね」


「そしてクローディアスさんも。神様がわたくしにお与えくださいましたの」


 クローディアスが面白そうな顔になる。

「闇の神シャドーがかい?」


「二つの神様がですわ」


「いつの間にかアルカディア聖教信者になってしまったか」


「そうですわね」

 エレノアは微笑んだ。


 エフィレイア王国の公爵令嬢である。幼い頃からフレア教に深く接してきた。

 それでもエレノアは闇の神シャドーを受け入れられた。クローディアスに接してきたから。彼を邪悪などという人間がいたら、エレノアは激怒するだろう。


 その夜もふたりは存分に愛し合った。


「クローディアスさん」


「なんだい」


「わたくしの前に現れてくださって、ありがとう」


「それは俺のセリフだよ。今でも信じられないくらいだ。君のような人が俺を愛してくれるなんて」


「あら、クローディアスさんはわたくしが知る中で、もっとも気高く、優しい人間ですわよ。自信をお持ちになって」


「別に気高くはないだろう」


「気高いですわよ。あなたはとても」


「それなら君の方こそ。俺は君に会って、初めて貴族というものを尊敬できた」


「わたくしのはただの意地ですわよ」


「そんなことはないだろうけど」


「クローディアスさん」


「うん?」


「このままここで愛し合い続けるのも良いですわよね。ふたりきりで。永延に」


「そうだね。本当にそうだ」

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