一人の戦い
アルカディア歴1824年9月4日
ミッド大陸東部大森林
翌日。
クローディアスは朝から頭が痛かった。
いや、単純に痛いというレベルではない。割れるような痛み。激痛。
脂汗を流しながら、なんとか起き上がり、朝食の準備をする。
だが、意識が朦朧としてきた。
まずい。
よろよろとしてテントへと戻ると、まだ眠るエレノアの横に倒れ込む。
「……エレノア…………すまない……起きてくれ」
必死で声をかける。
エレノアがゆっくりと目を開ける。そして、脂汗を流すクローディアスを見て、はっ、一気に覚醒した。
「クローディアスさん、お加減が悪いのですのね」
クローディアスはうなずいた。
「すまない。なんとか……」
目を覚ますまでしのいでくれ、そんな言葉がでなかった。
クローディアスは最後に全力を振り絞り、周囲の気配を探った。何体かの危険な魔物を察知する。
くそっ、こんなところでエレノアをひとりに……できるか……。
クローディアスの意識が落ちれば彼の加護技も途切れる。気配を消してさえ、たびたび襲撃されたのに、それが無くなるのだ。どれだけ危険になることか。
しかし、ついに意識が落ちた。
「ご安心なさって。クローディアスさんはわたくしが守りますわ。必ず」
エレノアは気を失ったクローディアスの体を抱きしめると、ゆっくりと横たえた。
それからすぐに着替える。青いシャツに白いスカート。銀の胸当て。
腰に剣を差す。
こうしてエレノアの長い一日が始まった。
エレノアがテントから出ると、クローディアスが張っていた闇のベールが消えて、外が露わになっていた。
まだ朝露に濡れた草木。鳥の鳴き声に虫の羽音。その中に交じって、なにか大きな生き物が下草を揺らす音がした。
即座にそちらに向かって跳んだ。肉体を魔力で強化しているために高い飛翔。そこからさらに、宙に足場を造って蹴る。
眼下に、下草に紛れて体長5メートルはあろうトカゲのような生き物がいた。
真っ赤なトカゲ。しかも後ろ足で立っている。レッサードラゴンだ。
エレノアは空中からレッサードラゴンに向かって剣を振った。両者の距離は20メートル近くある。だが、エレノアの剣の軌跡から飛んだ緑色の光が、レッサードラゴンの首を切り落とす。剣技の一つ『飛び刃』だ。
レッサードラゴンは魔物のランクとしてはBランク。決して弱い魔物ではない。それだけエレノアの戦闘能力が高いということである。
ストンと綺麗に着地する。
だが、休む間もなく新手が来た。今度はわさわさと木が動いてくる。
イヴィルツリー。こちらは大陸のどこにでも現れるDランク魔物。周囲の木に比べてずいぶんと小さい。もっとも高い枝の先端まで合わせても、せいぜい4メートルほどか。
エレノアは左手をかざすと、『爆発球』の
魔術を放った。赤い閃光。赤い魔法陣が現れて、オレンジ色の球体を吐き出す。『爆発球』はイヴィルツリーの一体に直撃。爆発を起こし、動く樹木を破壊した。
エレノアは次々と『爆発球』を放った。瞬く間にイヴィルツリーは全滅。
と、今度は別方向から獣のような咆哮が幾重も聞こえてきた。どうやらゴールデンウルフの群れが接近しているらしい。
これは忙しくなりそうですわね。
エレノアは疾風のように木々の間を駆け抜けて、ゴールデンウルフの方へと向かった。
ゴールデンウルフは一体が体長2メートルほどの大型肉食獣。知能が高く、集団戦闘が得意。しかも、魔法まで使ってくる。山脈の西側ではもはや見かけなくなった魔物。だが、山脈を越え、大森林に入ってからはたびたび、戦っている。
エレノアはまたしても上空から奇襲をかけた。今度は空から『爆発球』を乱れ打ち。
敵が混乱したところで地上に降りて、魔物を一体一体斬り倒す。
飛びかかってくる金狼の顎をかわし、すれ違いざま縦に一刀両断。
敵の『風の刃』に似た魔法を『魔術壁』で弾き、代わりに『飛び刃』で倒す。
そうかと思うと、魔法で姿を消したゴールデンウルフがいきなり背中にのしかかってくる。
エレノアはそれを気配で察知し、寸前でかわした。見えない敵を気配だけで斬る。なにもない宙から血しぶきが吹き上がった。
今度は3体、同時に飛びかかってきた。
エレノアは垂直に高く跳んで敵をかわすと、そのまま体をひねって、上下反転。横なぎの一閃。大きな『飛び刃』が飛んで、ゴールデンウルフを3体を一度に割った。
さすがのゴールデンウルフが怯んだ。エレノアを半包囲しつつも、威嚇してうなる。
「このエレノア・ウィンデアを喰らいたいならば、お仲間があと千は必要ですわよ」
言って不敵に笑う。
ゴールデンウルフのリーダーなのだろう。白っぽい金毛の個体が一歩前に出た。
そのままゆっくりと距離を詰めてくる。
どうやら一騎打ちをするつもりのようだ。
10メートルほどの距離で対峙する。
エレノアは剣を鞘に戻した。
それを油断と見てとったのか、白金のゴールデンウルフが吠えた。
吠え声とともに、エレノアの足元から木の根のようなものが現れて、彼女に絡みつく。魔法だ。
そこに白金のゴールデンウルフが飛びかかってきた。
「お甘いですわよ」
言ったエレノア。その肉体から透過した彼女の姿がはみ出し、半歩前に出ると、剣を抜き、宙のゴールデンウルフを斬った。
エレノアの魂がすっと彼女の体に戻るのと、白金のゴールデンウルフが墜落したのほぼ同時。地に落ちたゴールデンうフルはピクリとも動かなかった。
「さあ、次はどなた? それとも一斉にお相手してくださるのかしら?」
ゴールデンウルフの一体が、くるりとエレノアに背を向けた。それを皮切りに金狼たちは次々と去っていった。
◇
エレノアの戦いは永延と続いた。
もはや、倒した魔物は数百体を越えるだろう。魔力回復ポーションと回復ポーションを何本か空にしている。
剣を杖のようにして、エレノアは立ち上がった。彼女の目の前には一つ目巨人のサイクロプスが倒れている。
怪我は都度、治しているが疲労の色は濃い。おまけにポーションを飲み過ぎて、気分は最悪だ。
エレノアは収納魔法道具の指輪から懐中時計を出した。午後4時。もうすぐ日が暮れる。
昼間でさえ茂りに茂った葉によって陽光は遮られている。薄暗い。
これがさらに暗くなったらと思うと、さすがにエレノアも気がくじけそうになる。
それでも振り返る。巨木が目に入った。その根の下に張ってあるテントも。
それを見るだけで、気力が湧く。
クローディアスさんを守るのです。わたくしが。
クローディアスの様子を確認するため、テントへと戻る。一歩、一歩。
彼の側で一休みしよう。
よろめきながら歩くエレノア。
その時、数時間前に聞いた吠え声が耳に入った。ゴールデンウルフだ。
ひょっとしたら、遠くからエレノアを観察していたのかもしれない。彼女が弱り、倒せるタイミングを狙っていたのかもしれない。
エレノアはテントに背を向けた。
戦うならクローディアスから離れた場所の方が良いだろう。
また吠え声。ずいぶん近付いてきている。
「これこそまさに、負け犬の遠吠えですわよ」
金色の巨狼が木々の影から現れた。
1体、また1体と増えていく。その数はかなり減っており、13体。ゆっくりと包囲網を狭めてくる。
「わたくしは負けられませんの。愛しい人と生きるために、わたくしは死ねませんのよ」
ゴールデンウルフが一斉に襲い掛かってきた。エレノアの体からほとんど透明に近い彼女自身がはみ出して、斬撃を放つ。ひとつ、ふたつ、みっつ。
そのエレノアの『魂斬り』は大半のゴールデンウルフを巻き込み、彼らを即死させた。
だが、全滅ではない。エレノアの魂が肉体に引っ込む、そのわずかな隙に、残った5体のゴールデンウルフが飛びかかってきた。
その時だ。
エレノアの影からすっと黒い人影が伸びあがり、彼女をかばって前に立った。
クローディアス。
たゆたう闇を身に纏ったクローディアスが、右手で宙を薙ぐ。
闇が大波のように盛り上がり、飛びかかってくる金狼たちを飲み込んだ。
闇はすぐに晴れた。その下にはなにも残っていなかった。
「すまない、エレノア」
クローディアスは倒れかかるエレノアを抱き留めた。
エレノアが弱々しく笑った。
「こういう時は、ありがとう、で良いのですわよ」
言って、クローディアスの肩に顔を埋めて目を閉じた。
◇
アルカディア歴1824年9月5日
ミッド大陸東部大森林
エレノアが目を覚ましたのは翌朝だった。
クローディアスはすでに起きており(彼が眠ることはないが、添い寝はしている)、隣には誰もいなかった。
しっかりと眠ったおかげだろう、気分は爽快だった。昨日、自分が満足のいく戦いができたことで自尊心も満たせた。
機嫌よくテントを出ると、闇を身に纏ったクローディアスが立っていた。直立したまま微動だにしない。
「おはようございます」
エレノアが声をかけても、彼は動かなかった。
「クローディアスさん」
近付いて、そっと二の腕に触れる。
ビクリ、とクローディアスが震えて、まるで金縛りが解けたかのように、エレノアを振り返った。
「ああ、おはよう、エレノア。すまない、ちょっと集中していたんだ」
クローディアスが言った。
彼の体を覆っていた闇が影の中に吸い込まれた。
クローディアスがさわやかに微笑み、エレノアの頬に手を当てた。
「昨日はありがとう。苦労をかけたね」
エレノアは頬を撫でるクローディアスの手に手を重ねた。
「こうしてクローディアスさんがお目覚めくださったんですもの。報われましたわ」
うっとりとして、クローディアスを見つめる。
「それにしてもずいぶんな魔物の数だった。まさかここまで寄ってくるなんて」
クローディアスはエレノアが寝ている間に魔物の死骸を掃除してきた。食材になりそうなものは血抜きをして解体し、『影倉庫』へ。そうでないものは溶かして消滅させた。
魔物の死骸はクローディアスが想像していたよりもずっと多く、エレノアの激戦ぶりがうかがえた。
「クローディアスさんの加護技がどれほどの恩恵となっていたか、痛感いたしましたわ」
「本当によくしのいでくれた。強いね、君は。俺の見立てだと冒険者をやればSランクは間違いないよ」
「あら、本当ですの?」
エレノアが目を丸くする。
「Sランクというのは最上位ですのよね」
「うん。最強の者たちの称号だよ。君はそれくらい強い。君の『魂斬り』は俺も防げないしね」
そう。エレノアの必殺技の『魂斬り』はクローディアスの『闇武装』ですら無効化し、魂を切り裂く。それほど強力な技なのだ。また『魂斬り』をものにしてからというもの、エレノアの剣技はいっそう鋭くなり、彼女をさらなる高みへと押し上げていた。
「ですが、わたくしの師はさらにお強い方でしたわ」
エレノアは自分の剣の師、ファーガット男爵夫人の剣を思い出す。当時はただただ圧倒されていたが、自身が研鑽してきた今はその凄みがよくわかる。あれこそが、剣の道の頂きのようにエレノアには思えた。
同時にファーガット男爵夫人がなぜ布を巻いて目を隠していたのかも、なんとなく理解できる。心の目を使っていたのだ。
「良いですか。エレノア様。目に惑わされてはいけません。目に映るものは虚実を多く含みます。心の目をお開きなさい」
そういえば師はエレノアの加護技についてこんなことも言っていた。
「エレノア様の三つの加護技の中で、もっとも強力なものは、恐らく『暴く目』でしょうね。エレノア様がこの加護技を真に使いこなした時、この世界であなたに勝てる者は誰も存在しなくなるでしょう」
エレノアの中で、ようやく薄っすらとだが、師の言っていた言葉の意味が分かり始めていた。まだ、ひょっとしたら、という段階だが。
「急がないとな」
クローディアスがつぶやいた。
「そうですわね。まだまだ先は長いのですもの」
エレノアはそれを当然、旅を急ぐという意味にとっていた。
「いや、そうじゃないんだ。つまり、昨日のようなことが無いようにってことでね。実は、以前から、俺が気を失った時の対策を練っていたんだ。もう少しで完成するんだけど、まさかその前にこんなことになるとは」
それにエレノアがムッとした。
エレノアとしては昨日は十分な働きを示したと思っている。これからも存分に頼ってくださって構いませんわよ、という気分だったのだ。
それなのにクローディアスさんときたら、である。
「クローディアスさん。つい今しがたわたくしを強いとおっしゃったではありませんか。それなのに、わたくしをご信用くださいませんの?」
「い、いや、信用はしているんだよ。つまり、それでも、心配なんだ。君に身を削るような苦労をかけたくないんだよ」
「それこそ無用なお心遣いというものです。愛する人のためですもの。なにほどのことがありましょう」
言った直後、エレノアのお腹が、くぅぅと可愛らしい音をたてた。
それにエレノアが真っ赤になった。
「ともかく朝食にしようか」
「……はい」




