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大森林

 アルカディア歴1824年9月3日

 ミッド大陸東部



 鬱蒼うっそうと茂る木々の中を白い人影と黒い人影が高速で動き回っている。

 クローディアスとエレノアだ。


 彼らが戦っているのは蜂の大軍だった。それも一匹が30センチ近くある巨大なスズメバチだ。

 グレイトビー。その毒は一刺しでクマをも倒す威力があるという。だが、恐ろしいのはその群れだ。

 一つの巣に数千匹という数が住んでおり、敵と見なした相手には、軍を編成して襲ってくる。


 たゆたう闇の鎧を身にまとったクローディアスは、飛んでくる巨大蜂の群れに片手をかざす。すると、巨大蜂の群れが闇の球体に包まれ、次の瞬間には消えてしまう。

『闇消化』の加護技スキルである。


 一方、エレノアは次から次へと『風の刃』の魔術を放ちグレイトビーを切り裂く。なにしろ敵の動きが速すぎる。強力な魔法を準備する時間がないため、無詠唱の『風の刃』を連発するしかない。

 それでも追いつかず、群れた巨大蜂がエレノアを襲う。


 だが、蜂がエレノアにたどり着くことはなかった。エレノアの影からクローディアスの分身体が現れて、闇のベールで蜂を撃退した。


「ありがとう存じます」


 クローディアスの分身体は無言でうなずくと、彼女を守るように前に出てかばった。


 一方、もう一体のクローディアス(どちらが本物ということはない)は先行して、グレイトビーの巣へと接近。

 やがて木々の間に巨大な黄土色のドームのようなものが現れた。そこにビッシリとグレイトビーがくっついている。


 クローディアスが手をかざす。直径が10メートル近くありそうな巨大なハチの巣が闇に沈む。と、その直前、巣から飛び出した影があった。


 そのグレイトビーはほかの個体よりもひと際大きい。女王蜂だ。威嚇するようにホバリングしていた女王蜂が、消える。


 速い。

 クローディアスがそう思った時には、女王蜂は彼の眼前にせまっていた。突き出した尻の先に凶悪なほど鋭い針がくっついている。


 クローディアスは寸前で針をかわした。

 だが、反撃の暇もなく、女王蜂の姿が消える。

 クローディアスは影の中に沈んだ。クローディアスが直前までいた場所に女王蜂が現れる。攻撃目標を見失った女王蜂がホバリングする。


 その瞬間、闇が下から、さながら間欠泉のように伸びあがり、女王蜂を包んだ。

 女王蜂の代わりにクローディアスが現れる。


「やれやれ、やっと片付いたか」

 クローディアスはつぶやいた。すでに周囲にグレイトビーの気配はない。


 クレイモス王国の王都エルデヘリアを二人が出発してから、1ヵ月が経った。

 クレイモス王国の東の国境までは順調の旅だった。街も村もあり、泊まる場所や食料にはことかかなかった。


 ただ、国境たるエルヴァ山脈からの道のりは厳しかった。急峻な山々。もちろん、馬車の走れる道などない。馬車はクローディアスが『影倉庫』に馬ごとしまい徒歩で進んだ。


 険しい山道。切り立った断崖を上り、遥か下方に谷底を望む小道を通り、雲のかかった尾根を渡り。


 それでもクローディアスの加護技スキルはその万能さを発揮し、なんとか無事にエルヴァ山脈を越えることができた。


 だが、エルヴァ山脈を越えてからが、また凄まじかった。大森林地帯。それも、山脈の向こう側とは、どうも植生の様子が違う。なにもかも大きいのだ。

 そして、そこに住まう凶悪な魔物たち。

 書物でしか聞いたことのないような魔物が次から次へと現れ、ふたりに襲い掛かってきた。


 類まれなる剣士のエレノアと、最強の探査師スカウトたるクローディアス。このふたりでなければ、一日ともたなかっただろう。


 しかも、木々があまりにも高く茂っているために、太陽が届かない。周囲は常に薄暗がり。

 磁場のせいか、方位磁石も効かないため、クローディアスの加護技スキルで方角を確認する必要があった。


 夜は夜で夜行性の魔物が襲い来る。

 クローディアスは毎晩毎晩、テントを張って、その周囲に闇の結界を張り巡らせることになった。


 そんな厳しい旅であるにも関わらず、エレノアもクローディアスも幸福だった。珍しい森の中を歩いたり、時には枝から枝へと渡って、追いかけっこをしたり。洞窟で一休みしたり。

 秋だからだろうか。そこらかしこに果実もなっており、それをもぎ取って食べ。川を見つければ釣りをして魚を食べた。


 夜は闇のベールにおおわれたテントの中で愛の営みを行う。エレノアはそれについては、ほとんど毎日、求めてきた。


「クローディアスさんはこんな素敵なことを内緒にしていらしたのですね」

 ことが終わって裸で抱き合っているときに、エレノアが言ったことがある。


「とはいってもな。俺も、体験したことはなかったからね」


「体験してみたいとはお思いになりませんでしたの?」


「うーん。そうだな。正直興味はあったよ。俺も男だからね。ただ、怖くもあったな。もし、知ってしまったら死ぬことが嫌になるんじゃないかって」


「今はどうですの? こんなに素敵なことを知ってしまって。戻れまして?」


「戻れそうにないね。君を知らなかった頃には」


「……もう、クローディアスさんはわたくしを言葉でも悶えさせますのね」


 実際にクローディアスはもう生を諦めることはなかった。最後の瞬間までエレノアと生きる希望を抱き続ける。

 だからだろうか。クローディアスの目に、世界は輝いているように見えた。いや、これはエレノアと一緒だからかもしれない。


 そんなこんなで、もう2週間以上は歩いている大森林。それが終わる気配は一向にない。

 フレベル王から貰った地図によれば、そろそろ大森林は大河で終わっているはずである。海と見まがうような大河らしい。


 巨大スズメバチを撃破したふたりは、その場で休憩を取った。クローディアスが『影倉庫』から椅子とテーブル、さらにはティーセットを出して茶をいれる。


「本当にクローディアスさんは用意が良いですわよね」

 エレノアはしみじみと言った。


 今に始まったことではないがクローディアスの用意の良さといったらない。『影倉庫』に入ってないものなどないのではないかと思うほどだ。


「まあ、あれだね。ニーア、妹に鍛えられたんだよ。あいつは本当に我がままでね。だが、どうも人を動かすのがうまいというか。甘え上手というか。要するにしたたかだよ」

 クローディアスは懐かしむように目を細めて言った。

「そう。君とは真逆だね」


 それを言うなら、エレノアも同じように思う。クローディアスとエレノアの元婚約者のジークフリートは真逆の性格。

 浅慮な割りに要領がよく人当たりの良いジークフリート。

 冷静沈着なくせに、どこか不器用な感じのするクローディアス。


 クスっとエレノアが笑ったので、クローディアスは首を傾げた。


「いえ、あなたもわたくしの元婚約者と真逆だと思いまして。それをおかしく思いましたの」


「ジークフリート王子か。君をこっぴどく振ったというけど。どんな人だったんだい?」


「明るく、ほがらかで、行動力があり、文武ともに優秀な方でしたわね。あと、眉目秀麗な方でしたわ。ただ、わたくしの好みではありませんでしたけれど。そうですわね。砂糖を煮詰めたような美男子でしたわ」


「こう聞くと、欠点なんて無さそうだけど」


「今のはあくまでも客観的な意見ですわよ。わたくしの主観的な意見を言わせていただければ、軽薄で大雑把、短慮で意志薄弱、様々なことをそつなくこなしているものの、なにかひとつに力をいれるということもなく。乱暴にひと言でまとめてしまえば、薄っぺらい人ですわね。重厚さというものがありませんわ」


 その言い草に、クローディアスは吹き出した。あまりにも辛辣。


「あら、言い過ぎたかしら。けれど、わたくしにはこれくらい言う権利はあると思うのです。冤罪を着せられた上に婚約破棄され、国外追放までされたんですもの」


「うん、あるね。十分、その資格は」

 クローディアスは笑いをこらえながら言った。

「ところで未練は?」


「引っ叩きますわよ」

 キッと睨む。


 クローディアスはまた笑った。

 エレノアもすぐに頬を緩め、一緒に笑う。


 その声に誘われたように空から2メートルはあろう巨大な猛禽が急降下してきた。だが、クローディアスが片手を空に上げると、急遽、宙に現れた黒い球体に包まれて消えてしまった。


 そのまましばらく休憩をとったあと、ふたりは再び歩き出した。

 まだ昼前。今日はまだまだ先に進まなくてはならない。


 ルートはクローディアスが決めている。

 視覚を飛ばして、下草の茂りが薄いところやぬかるみのないところを進むようにしている。

 それでも人の手の入っていな森林地帯である。本来ならば、旅慣れた者でもすぐにへばってしまうだろう。


 クローディアスはエレノアを気遣い、たびたび歩みを遅くするが、そうするとエレノアが急かしてくる。


「クローディアスさん。もう少し、お速く」

 実際に、焦っているのは寿命が残り少ないクローディアスではなく、エレノアの方だった。

 あと5ヵ月あまり。それまでになんとしてもクローディアスを救わなくてはならない。


 旅の間、何度かクローディアスが倒れたことがある。突如、意識を失い、苦しそうにうなされていた。

 そのたびに、エレノアは恐怖で泣きそうになった。クローディアスが死んでしまう。いなくなってしまう。絶望的な喪失感を先取りしてしまうのだ。


 絶対に間に合わせますわ。

 わたくしの愛しい人を。絶対に救ってみせます。


 エレノアは前を歩くクローディアスの背中を見つめ、誓うのだった。


 この日は特に魔物との遭遇が多かった。

 クローディアスは常に加護技スキルで自身とエレノアの気配を消している。それでも魔物は襲ってくる。


 鋼鉄のような獣毛におおわれた巨大なクマを倒し、いくつもの頭を持つ巨大な蛇を倒し、人ほどもある軍隊アリの群れから逃れ。

 日が沈む頃には、さすがのふたりも疲れ果てていた。


 ひと際大きな大樹の根の間にちょうど良さそうな場所があったので、そこにテントを張る。

 光石のランプをいくつかおき、火をたいて、夕食の調理を始める。

 これらのことはクローディアスがそそくさと行った。なにしろ、エレノアは生粋のお嬢様。生活力という点では非常に能力が劣る。

 最初こそ、なにかと手伝おうとしたのだが、妙に不器用なところがあり、いっそう時間がかかる。結局、クローディアス任せになってしまった。


「俺ができることは君ができる必要はないよ。君は俺にできないことがたくさんできるんだから」


 クローディアスはそう励ましてくれたが、エレノアとしては歯がゆいところである。

 なにしろ、もう自分はお嬢様ではないのだから。


「せめて、お料理くらいはできるようになりたいのです」

 この日も、クローディアスの作ったスープを飲み、それに舌鼓を打ったあとに言った。


「うーん。くらいというけど、料理というのは一番難しいんだよ。むしろ、すべての家事の集大成という感じでね」

 クローディアスが柔らかく微笑みながら言った。

 エレノアが旅の初めの頃、剣を持つのは慣れています、と言って包丁でまな板ごとぶった切った記憶がよみがえる。


「けれど、愛しい人にお料理のひとつくらいは作って差し上げたいのです」


「まあ、それは旅が終わってからにしようか。じっくり取り組むべきことだよ」


「そうかもしれませんけれども」

 はあ、とエレノアはため息をついた。


 なんというか、クローディアスにばかり仕事をさせているような気がするのだ。ここのところエレノアは自分が剣や魔術を使うくらいしか能がない人間なのではないかと、本気で思い始めていた。


「そんな風に卑下する必要はないよ。君は君のできることで助けてくれてるんだから」


「例えば、どのようなところでわたくしは役に立っているのですか?」


「えっ、ああ、と。そうだな。戦闘の時なんか、とても助かっているよ」


「……他には?」


「ええっ? 他にかい?」

 クローディアスは妙に突っ込んでくるな、と思いながら急ぎ頭を巡らせた。

 クローディアスにしてみれば、エレノアがそばにいてくれるだけで幸福感がみなぎり、生きる希望を抱き続けられるのだが。それを言っても納得しそうにない。

「ほら、俺が視覚を遠くに飛ばしている時なんか、周囲を警戒していてくれるから助かってるんだ。君がいないと今頃魔物に食い殺されているよ」


「嘘です。クローディアスさんは嘘をつきましたわ」


「うっ。いや、嘘というか、ちょっと誇張しただけなんだが」

 実際、クローディアスひとりでも周囲への警戒はおこたらない。だが、念のためということがあるのだ。


「それにできれば、戦闘以外のところで役に立ちたいのです」


「そ、そうだなあ」

 ええと、とクローディアスは頭をかいた。

 エレノアが期待した目でクローディアスを見つめている。

「そ、そうだ。鍋。鍋が吹きこぼれないように見ていてくれるじゃないか。ついさっきもそうしてくれた」


「あら、そうでしたわ」


「それに、ほら、テントを張る時だって、支柱を支えてくれただろう? あれだってちゃんと役に立っているよ」


「まあ、本当ですの?」


「あとは、一昨日だったかな。出発するときにランプを置き忘れそうになったけど、君が気づいてくれた。うん、あれは助かったよ」


「そうでしたわ」

 パッとエレノアの顔が輝いた。よほど嬉しかったらしい。


 やれやれ、とクローディアスは胸を撫でおろした。なにしろ、エレノアには『虚言看破』の加護技スキルがある。下手なことは言えないのだ。


 ちなみにテントの周囲は黒いベールにおおわれている。クローディアスの加護技スキル。これならば例え敵が現れてもなにもできない。


 クローディアスとエレノア。ふたりだけの小さな世界。テントのかたわらにテーブルセットを出して、食事を取り、夕食後もそのままのんびりと過ごす。


「今日は少し、遠くを見てこようと思うんだ。時間がかかるかもしれない」

 クローディアスは言った。


 毎晩、視覚を飛ばして、翌日のルートを探しておく。クローディアスにしてみれば、夜の闇だろうが関係がない。


「承知いたしましたわ。周囲への警戒はお任せくださいな」

 闇のベールに包まれているとはいえ、敵が接近すれば気配は感じられるのだ。


「うん。頼りにしているよ」


 クローディアスは目を閉じると視覚を上空に飛ばした。今夜は良く晴れおり、半月がこうこうと輝いている。

 樹木が茂った緑の絨毯を見下ろしながら、高速で移動する。すると、永延と続くかと思われた木々の緑が不意に無くなった。代わりに地平線までつづく水。大河だ。ゆったりとした流れだが、向こう岸が見えないほどに広い。


 これはこれで大変そうだな。

 クローディアスはため息をつきたい気分だった。

 地図によれば大河の先は平野になっているはず。


 クローディアスは視覚を戻した。

 今のスピードならば、大河に出るまであと1週間というところか。


 目を開けたクローディアスはエレノアと目が合った。

 エレノアはテーブルに両肘をついて、手の上に顎を載せてクローディアスを見ていた。うっとりとした目で。


「どうでした?」

 エレノアが真面目な顔を取り繕って言った。


「あと1週間程度かな。そこで森が終わる」


「1週間。まだまだ先は長いのですわね」


「そこから川なんだが、これがまた広くてね。対岸が見えない」


「舟が必要ですわね」


「あるいは飛んでいくという手もあるが」

 クローディアスが『闇武装』して、エレノアを抱えて飛ぶ。3日間くらいなら飛び続けても問題はない。

 ただ、万一、例の発作が起こった場合。エレノアともども水の中に落ちてしまう。

「そうだね。舟を造ろうか」


「舟など、造れるものですの?」


「まあ、簡単なものならできると思うよ。幸い材料には不自由しないしね」


「クローディアスさんは本当になんでもできますのね」


「そんなことはないけどね」


「舟を造る際には、わたくしも必ずお手伝いいたしますからね」


「うん、その時は頼むよ」


 やがてふたりはテントへと入った。

 毛布を何枚も敷き詰めた上に、ふたりで身を横たえ、互いを求めあう。


 クローディアスはエレノアの前髪をそっとかきわけると額に口づけする。

 エレノアはお返しにクローディアスの首筋に吸い付いた。


 クローディアスはエレノアの体を触るたびに、その繊細さ、滑らかさ、柔らかさに、感動する。

 エレノアはクローディアスの体を触るたびに、その力強さ、しなやかさ、たくましさに感動する。


 何度も口づけをかわし、時には指を結んで、互いを呼び合う。

 時には獣のように激しく、荒々しく、互いを貪った。

 そして絶頂を迎え。ふたりは重なり合ったまま、余韻に浸る。


「クローディアスさん」


「なんだい?」


「わたくし、幸せです。とっても」


「俺もだよ。ありがとう、エレノア」


 こうして、夜は更けていく。

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