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エレノアの覚悟

 クローディアスはてっきりエレノアが落ち込んでいるのかと思った。

『聖賢』の家を出てからというもの黙ったままで、クローディアスが話しかけてもろくに返事をしなかった。

 馬車の御者台に隣り合って座って、城へ戻る際も、無言。

 クローディアスはエレノアに申しわけなさを感じた。あやふやで、かすかな可能性。『聖賢』ならばなんらかの道を知っているのではないか。そんな期待が消えたのだから。


「エレノア、その、あまり落ち込まないでくれ。もともと、雲をつかむような話だし。可能性が薄いことは分かっていたじゃないか」

 クローディアスは言った。


 やはりエレノアはなにも答えなかった。


 城の部屋に戻り、さて、そろそろ昼食かという頃合い。クローディアスは寝室のドアをノックした。

 帰ってきてからエレノアは寝室に閉じこもってしまった。着替えるのだろう、とクローディアスは思っていたのが、それにしては中々出てこない。やはり、ショックで落ち込んでいるのか。


 ドアが開いた。

 エレノアは旅装のままだった。


「行きますわよ」


「ああ、そうだね。そろそろお腹も空いてきた。そのかっこうのままということは、街に出てみようってことかい?」


 エレノアがキッとクローディアスを睨んだ。その迫力にクローディアスはひるんだ。


「なにをおとぼけしておりますの。行くと言ったらハルベルガ山に決まっていますわ」


「ハルベルガ山。『聖賢』の言っていた創造双神と契約した場所かい?」


「それ以外になにがありますの」


「だが、どうして? 東の果てというし、かなり遠いんじゃないか?」


 エレノアがずいっと近付いた。胸当てが触れるほどの近距離だ。そこからクローディアスを見上げる。相変わらず、怒っているらしく目つきがいつも以上に鋭い。


「アルカディアの初代王と王妃はハルベルガ山で創造双神とお会いになりました。またクレイモスの初代王ガリオンもハルベルガ山に上りました」


「うん。それは聞いたが」


「要するに、ハルベルガ山にはなにかがあるのですわ。あるいは神々とお会いすることのできる場所なのかもしれません。そうですわよ。方法が分からないのならば、本人に聞けばよいのですわ。闇の神シャドー本人に」


「教えてくれるかわからないよ」


「クローディアスさん」

 エレノアが怒鳴った。


「な、なんだい。こんなに近くで怒鳴られると、耳が痛いんだが」


「いつまで怖がっておりますの。いい加減、お覚悟なさい。勇気を出して、希望をお持ちなさい。わたくしを信じなさい」


「……残酷なことを言う」


「なにが残酷なものですか。あなたはわたくしにひとりで生きろとおっしゃるの? わたくしはあなたにすべてを捧げました。身も心も。その証拠に一緒に眠っておりますもの。そうではなくて?」


「……そうだね」


 エレノアがクローディアスの両頬をつかんだ。

「今、嘘をつきましたわね。わたくしに」


 クローディアスは、しまった、と思ったが、エレノアの不審を拭う方法はとっさに思いつかない。


 エレノアが泣いた。クローディアスを睨みつけてたまま泣いている。


「クローディアスさんはわたくしの心をお疑いですの? わたくしはあなたのことをなによりも大切に思っておりますのに」


 ズキリとクローディアスの胸が痛んだ。

 同時にこれはチャンスなのではないか、という考えが湧く。

 エレノアを自分から離す良い機会。このままエレノアを誤解させて……。


「違うんだ。エレノア」

 クローディアスはエレノアの手を頬から剥がすと、その手をぎゅっと握ったまま言った。

「君の心を疑ったことなんてないよ。俺なんかを君がどうしてそこまで想ってくれるのか不思議だけれどね。だけど、本当に君の気持ちを、愛を、疑ったことなんかないんだ」


 クローディアスにはできなかった。

 エレノアを傷つけてまで自分から引き離すことが。それが正しいと分かっていても。


「それでは、どうして嘘をつきましたの? わたくしが身も心も捧げたという、どこに虚実が入り込む余地がありますの?」


「そ、それは、つまり、ええと」

 クローディアスは言葉に詰まる。

 涙に濡れた青い瞳で真剣に見つめるエレノアの問いをかわすことなどできるはずもなく。

「つまり、身を捧げたというところが、ね。それを貞操という意味合いに捕らえると、やや不適切というかなんというか」

 なんとか煙にまこうと悪あがきする。


「一緒に眠るだけでは足りないということですのね」


「ま、まあ、その、そうかな」


「わたくしをたばかりましたのね。身も心も捧げたとはしゃぐわたくしを」

 またエレノアが怒鳴った。


「いや、まあ、その……すまない」


 エレノアがクローディアスの胸をぐいっと押した。そして、くるっと背を向ける。


「調べてきますわ」


「なにを?」


「一緒に眠る、の先に決まっています。わたくしを子供扱いして」


「ま、待ちなさい。どうやって調べるつもりだ」

 クローディアスはエレノアの手をつかんだ。

 エレノアが振り向く。その形相にクローディアスは一歩下がった。


「なんですの?」


「いや、どうやって調べるつもりなのかと、ね。その、聞いて回るのはいささか難しいことだし」


「そのようなこと、クローディアスさんには関係がありませんわ。わたくしは怒っています。腹を立てています。クローディアスさんがわたくしを子供扱いして、本当のことをおっしゃらなかったことが腹が立ちます」


「ともかく、待ちなさい。書物で調べるのは大変だし、人に聞くのは恥ずかしいだろう? 今度はちゃんと教えるから」


 エレノアがジッとクローディアスを睨みつける。たっぷり、30秒ほどそうしていただろうか。

 はあ、とため息をついた。


「今度は本当のことを教えてくださるのでしょうね?」


「教えるよ。君が誰かにそんなことを聞きに行くよりはましだからね」


「そもそも、なぜ教えて下さらなかったのですか? 一緒に眠る、その先のことを」


「それはまあ、その……はははっ、なんで、だろうね」


「ひょっとして、まだわたくしを汚したくないなどと思っておりますの?」


「いや、そんなことはない」


「嘘ですわね」


「その、俺は死ぬ身だし。その、君には……」


 パチンとクローディアスの頬が鳴った。

 エレノアが引っ叩いたのだ。

 呆然とするクローディアス。

 エレノアはまたしても怒りの形相で泣いていた。


「死にます」


「えっ」


「もしもクローディアスさんの寿命を戻すことがかなわず、死んでしまったのなら。わたくしもすぐにあとを追います」


「いや、それはダメだ。君のような人は生きていかなくてはならない。君のような人は、世の中のために。それにウィンデア家はどうする? 汚名を注ぐんじゃないのか?」


「知ったことでありませんわよ。わたくしは要らないと王国から追放された身ですもの」


「君を必要とする人はたくさんいるよ」


「けれど、わたくしにはあなたが必要ですのよ。クローディアスさん」

 言ってエレノアはクローディアスに抱き着いた。

「必要なのです。絶対に必要なのです」

 そのまま子供のように泣き出した。


 エレノアはあまりにも愛おしく。クローディアスはもはや白旗を上げるしかなかった。


 ふと、侍女たちがなにか感極まったような顔で見ていることに気が付いた。



 結局、クローディアスとエレノアは昼食を取らなかった。あれからふたりとも寝室にこもりきりで、侍女たちも声をかけるのを遠慮したのである。


 ふたりが寝室から出てきたのは夕方近く。

 ふたりは寄り添って、実に仲睦まじく寝室から出てきて、シャワーを浴びたい旨を侍女に伝えた。

 すぐにシャワーの準備をした。ふたりは一緒にシャワーを浴び、その間に侍女は寝室のシーツを変えた。


 それには確かに好奇心もあり。シーツを換えた侍女はしっかりと印を見つけ、胸をなでおろした。

 侍女たちはすっかりエレノアとクローディアスのふたりに魅せられており。ふたりが寝室にこもっている間、きちんと、うまくことが進行しているだろうか、と心配していたのである。


 その後、エレノアとクローディアスはリビングのソファに座り、穏やかに時を過ごした。エレノアはクローディアスに身を預け、クローディアスはエレノアの肩を抱いて。

 時々、クローディアスがエレノアの身を気遣うような言葉をかけていた。


 夕食はまた王族一家に招待されていた。

 侍女のひとりがそれを告げると、エレノアは残念そうな顔になった。

 それぞれ正装になる。


 エレノアは少し歩きにくそうで、クローディアスは、そんな彼女を支えるようにして部屋から出ていった。


 さて夕食の席についたエレノアとクローディアスを見て、マクシミリアンは朝とは様子が違うことを見て取った。


 これはなにかあったな。


 そう勘ぐる。

 なにを話すということもなく、ときどき視線を交わし合い、そっと微笑む。それがあまりにも幸せそうで、マクシミリアンはエレノアを口説く気が一気に失せた。


 もちろん、なにがあったかなどと野暮なことは聞かない。


「明日、ここを立とうかとかと思います」

 エレノアがフレベルに言った。


「そうか。『聖賢』からなにか有益な話が聞けたのだね」


「はい。東の果てにあるというハルベルガ山。そこへ向かうつもりです」


「では、明日の朝までに道筋を調べさよう。必要なものがあれば、なんなりと言ってくれ」


「ありがとう存じます」


「しかし、ハルベルガ山とはな。かなり困難な道になるぞ」


「構いません。どのような道であろうと、その先に求めるのものがあるのでしたら」


 ハルベルガ山の正確な位置はフレベル王も知らない。というよりも、クレイモス王国のさらに東は未開の地になっており、地図すらないのだ。


「新婚旅行のつもりで楽しんでくればいいさ」

 などとマクシミリアンはついつい言ってしまった。


 それにエレノアとクローディアスが顔を赤らめ、見つめ合い、また微笑み合う。


 まったく、目の毒だな。


 いくらパートナーのいる女性でも口説くマクシミリアンとて、目の前のふたりに割って入る気にはなれない。それほどふたりは幸福そうで、満たされているように見えた。



 アルカディア歴1824年8月4日

 エルデヘリア街ホワイトパレス 


 

 翌朝。

 フレベルの心遣いでクレイモス王国の東の簡易的な地図のようなものが渡された。

どうやら、何代か前のクレイモス王が国土を東へと広げようとした際に調べさせたものらしい。

 だが、結局、国土拡張を断念。クレイモス王国の東の国境たるエルヴァ山脈があまりにも険しく、それを隔てた場所に街を造ることが無意味であると知ったためだ。


 さらには未開の東へ向かった者の日記や資料なども一緒に渡された。

 フレベルは、そのほかにも防寒着や食料、毛布、それらを入れていく収納袋など、実に細やかな準備をしてくれた。


「昨日の今日だというのに、ありがたいな」

 クローディアスが言った。


「ええ、本当に」

 エレノアもうなずく。


 ふたりは旅装である。エレノアはシャツにスカートの上から銀の胸当て。クローディアスはシャツにベスト。ふたりともその上から旅用のフード付きのマントを羽織った。

 このマントもフレベルから贈られたものだ。『自動洗浄』の魔法がかかっている。


 ふたりがフレベルに出立の挨拶をすると、王はクローディアスに言った。


「また会えることを願っているぞ。クローディアス」


「必ずや、再びこの地へ戻ってまいります」

 強い決意を込めてクローディアスは言った。


 クローディアスはもはや死ぬことは考えていない。エレノアと体を重ね、ついに希望を胸に抱いた。そして、それを最後の瞬間まで手放すことはない、そう決意していた。

 8歳のあの日から、ずっと抱いていた終わりを、ついに捨て、人生が続くことを信じたのだ。


「行こうか。エレノア」

 クローディアスは手綱を握ると、幸せそうに隣に寄り添うエレノアに言った。


「はい。お願いいたします」

 エレノアが言った。


 クローディアスが優しくハンドベルを鳴らすと、馬たちがゆっくりと歩み出す。

 2頭仕立ての馬車はクレイモスの王城を後ろに坂道を下り始めた。

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