聖賢フォトン・メアー
アルカディア歴1824年8月3日
エルデヘリア街王城ホワイトパレス
翌日。
エレノアとクローディアスは王族一家と朝食をともにした。大きな長テーブルに上座に王と王妃、その次に王の弟夫婦。マクシミリアンとその妹二人。エレノアとクローディアスはその隣に着座した。さらにその隣に王の妹夫婦とその息子夫婦が座る。
相変わらず、クレイモスの人々は服装が派手だ。マクシミリアンは赤いシャツに白いズボン。その妹たちは鮮やかなオレンジ色のドレスと青いドレス。
エレノアはさっぱりとした藍色のシャツに黒いスカートと控えめである。だが、それでも彼女は華やかで、一堂、エレノアについつい見惚れてしまう。
クローディアスの方はシャツにベストにズボンと無難そのもの。もともと存在感が薄いこともあり、ほとんど注目されなかった。
マクシミリアンは今朝も果敢にエレノアを口説いてきた。恋人クローディアスの前でもまったく気を遣わない。
クローディアスでなければ決闘騒ぎが起こっていたかもしれない。
見かねてマクシミリアンの妹フェリシアが注意する。
「しかしな、リア。意中の女性が目の前にいて口説かぬなど、それこそ男がすたるというものではないか」
「ですが、エレノア様にはクローディアス様がいらっしゃいますわ。そして、そのクローディアス様は目の前にいらっしゃいますのよ」
「分かっているとも。私の目はちゃんと見えているからな。だが、恋人がいようといまいと、口説くのが男というものだ」
「そういうことをしているからお兄様は方々(ほうぼう)で恨み買うのです」
「なっ、そんなことはない。私は人望の厚い男」
「ご自分の認識と周囲の認識がはなはだしく乖離しているのです」
「お前はいつも小難しい言い方をする」
マクシミリアンとフェリシアのやりとりをクローディアスは微笑ましく感じた。互いに言いたいことを言いあいながらも、そこに愛情が感じられる。
自分もニーアとこんな風な関係が築ければ良かったのだが。
「あの、クローディアス様は冒険者をされておいででしたのですよね」
フェリアシアがクローディアスに話を振った。
兄の無礼を詫びる意味でもあったのだろう。よく出来た妹である。
「はい。妹とともに『ホライズン』という名前で活動していました」
「『聖女』ニーアに『勇者』アルベルト王子。それから君。あとは誰だったかな」
マクシミリアンが言った。エレノアを狙っている癖に、その恋人たるクローディアスに一切の敵意を持っていない。なんというか、風通しの良い男だ。
「『鋼の男』バッツに、『妖艶なる賢者』レイアですかね。まあ、『聖女』と『勇者』以外は大して有名じゃありませんでしたよ」
「いや、『闇を纏う者』の噂は私も聞いたことがあったよ。闇の神の加護を受けた男。このクレイモスでは闇の神も崇拝の対象だ。だが、その加護を受けた男など聞いたことがないからな」
「まあ、あまり一般的ではないでしょうね。闇の神は加護の代わりに寿命を差し出させますからね」
それにエレノアが過剰に反応した。ビクリと震え、クローディアスを見る。
まさか、いきなり自身の秘密を話すとは思わなかったのだ。
「寿命? そうなのか? では君も闇の神に寿命を捧げて力を得たというのか?」
「はい。70年ほど」
それにマクシミリアンのみならず、話を聞いていた周囲の者たちも息をのんだ。
「で、では、君はもう……」
マクシミリアンですら言葉が詰まる。
「ええ。あと半年ほどですね」
クローディアスは穏やかに微笑んで言った。
「ああ、気にしないでください。私が闇の神に寿命を捧げたのは8歳の時ですから。もう、とっくに覚悟は決まっていますし。後悔もありません」
クローディアスはエレノアの強い視線を感じたが、彼女の顔は見れなかった。
クローディアスはまだ生を目指してはいない。それはエレノアを信じられないわけではなく、希望を抱いてしまうことを怖がっているためだった。
もし、希望を抱いてしまったら。
エレノアと生きられる。そんな甘美な夢を見てしまったら。
死を受け入れることができなくなる。
「なぜ、君はそんな無謀なことをしたのだ? 子供ゆえの過ちか?」
「いえ、他に選択肢が無かったんですよ」
そして、クローディアスは幼い日の悲劇。ドラゴンによって村が焼かれ、妹を助けるために闇の神と契約したことを話した。
いつの間にかテーブルについている一堂が静かにして、クローディアスの話を聞いていた。
「まあ、そういったわけですので。私としては満足ですよ。妹は『聖女』などと呼ばれ、なんとか暮らしていけそうですし。最後にエレノア・ウィンデアという素晴らしい女性の役に立てた。彼女に愛を捧げてもらえるなんて、男として、これほど光栄な、幸せなことはないですからね」
エレノアは隣でうつむき唇を噛んでいた。
悔しかった。悔しくてたまらない。
クローディアスの言葉に嘘はなく、彼は満足している。死ぬことを受け入れているのだ。
自分では彼を生にとどめるための錨にはなれなかったのだ。
「君の生まれ故郷の村はどのあたりにあったのかね」
沈黙を破ったのはフレベルだった。
「王都ルーベリアから南西ですね。ロアーという街の近くですよ」
「やはり、そうか」
フレベルがうなずいた。
「そのあたりは、アルカディア時代に闇の神の大神殿があったはず。神聖フレア王国時代に取り壊されてしまったがね」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
クローディアスは今更納得した。契約時、闇の神が言っていた言葉を思いだしたのだ。
「『血』と『場』、二つが揃ったおかげか」
闇の神シャドーはそう言っていたのだ。
クローディアスがそのことを話すと、フレベルは、またうなずいた。
「恐らく、そなたは闇の神の神官の血を引いているのではないかな。闇の神に仕えていた神官が密かに神殿の土地に戻っていた。そなたの性は?」
「それが、うちの村は誰も性を持っていなかったんですよ。まあ、小さな村にはよくあることですが」
「いや、性を隠す必要を君の先祖は感じたのだろう」
可能性は高いが今となっては確認のしようもない。なにしろ村人で生き残っているのはクローディアスとニーアだけなのだから。
「安心するんだ。クローディアス君。エレノア殿のことは私が引き受ける。君に誓おう。幸せにすると」
マクシミリアンが言った。やや瞳が濡れているのはクローディアスの話に感じ入ったためである。
「はは、よろしくお願いしますよ」とクローディアスが言ったとたん、ガタンとエレノアが立ち上がった。
「よろしくお願いします、ではありませんわよ、クローディアスさん。わたくしは諦めていないのに。一度も、諦めていませんのに。あなたがそんなことをおっしゃっては悲しくなります。わたくしのために、あなたは生にしがみつくべきですのよ。エレノア・ウィンデアのために、絶対に死ぬわけにはいかないと、なぜおっしゃいませんの」
クローディアスを睨みつける青い瞳。その目からは今にも涙があふれそうだった。
「怖いんだよ、エレノア。希望を持つことが怖いんだ」
クローディアスは寂しく微笑み、言った。
◇
その後、朝食はひどく気まずい空気のまま進んだ。退席する際、エレノアは自分の非礼を一堂に詫び、マクシミリアンもクローディアスに頭を下げた。
「すまなかった。少しばかり軽率な発言だった。詫びというわけではないが、私にできることがあればいくらでも頼ってくれ」
クローディアスも自分が余計なことを話したために、場の雰囲気を悪くしてしまったことを詫びた。
それから、マクシミリアンに言った。
「あれは私の本心ですよ。マクシミリアン様。エレノアは強い女性ですが、優しすぎる。そして繊細すぎる。あなたのような嘘の付けない人なら彼女を支えらるかもしれません」
言うクローディアスの胸にはやはり嫉妬の炎があった。だが、同時に本心でもある。
だからこそ、エレノアはあれほど怒ったのだろう。
そのエレノアだが、よほどクローディアスの態度が頭にきたらしく、プイッと顔を背け、口をきいてくれない。
その癖、隣を歩くクローディアスの手を握って離さないのだ。
「エレノア。少しばかり歩くのが速いんじゃないか?」
エレノアの反応はない。クローディアスを引っ張って、ずんずん歩いていく。
部屋に戻ると、エレノアはバタンと寝室にこもってしまった。拗ねてしまったようだ。
さて、どうするか、とクローディアスが考えていると、再びドアが開いた。
青いシャツに白いスカート、銀の胸当て。腰には剣。エレノアは旅装になっていた。
じっ、と鋭い目でクローディアスを睨む。
「どこかへ出かけるのかい?」
「決まっています。『聖賢』フォトン・メアーに会いに行くのです。クローディアスさんは着替えませんの?」
「あ、ああ。そうだね。少し待ってくれ」
言うとクローディアスは自身の周囲に闇を張り巡らせた。すぐにそれははれ、普段着の白いシャツに茶色いズボンとベストという姿になった。
「では行きますわよ」
「もう、機嫌は直ったのかい?」
「そう見えまして?」
「ええと……見えないね」
「当たり前ですわ。わたくしはとても悲しかったのです。寂しかったのですわ。けれど、感傷に浸っている間にクローディアスさんの時間はどんどん少なくなっていくのです」
「エレノア……」
「さあ、行きますわよ。『聖賢』フォトン・メアーに会って、闇の神のことを聞くのです。何度も言いますけれど、わたくしはクローディアスさんを諦めませんわよ。最後の1秒まで、足掻いて足掻いて、足掻き続けます」
◇
『聖賢』フォトン・メアーは王都の一角に住んでいた。エフィレイアまでその名を轟かす賢者であるにも関わらず、その住まいはこじんまりとしており、古びていた。
表を掃いている若い女性に名乗り、フォトン・メアーを訪ねてきた旨を告げる。
女性は家へと入り、すぐに戻ってきてふたりを中へと導いた。
外観と同じく室内も質素だった。ただ、賢者の住まいらしく、本がいたるところに山積みになっている。
「先生はこちらです」
言って、女性は奥の部屋のドアを開ける。
「お入りください」
エレノア、その後ろにクローディアスが続く。
そこは寝室だった。
ベッド。窓際にテーブルがあり、椅子が一脚。あとはやはり本で埋まっている。
『聖賢』はベッドに寝ていた。痩せ細った老人。かなり高齢だと見て取れた。
老人がふたりに目を向ける。その視線はエレノアよりもクローディアスに長くとどまっていた。
「『聖賢』フォトン・メアー様。わたくしはエフィレイア王国のウィンデア公爵家の娘エレノア・ウィンデアでございます。こちらはわたくしの恋人クローディアス。教えを乞いたいことがございまして、お訪ねいたしました」
「バイゼル・ウィンデア様の孫ですかな」
『聖賢』フォトンが言った。意外にも声音は明瞭だった。
「はい。祖父をご存じですか?」
「親しくさせていただきました。バイゼル様は私が知る中でも、もっとも聡明な方でした」
「わたくしもお爺様にあやかりたいと思っておりますわ。まだまだ、非才で無知ですけれど」
『聖賢』フォトンがクローディアスに目を向ける。
「君にはなにか懐かしい匂いを感じる。闇の神と関わりがあるのだね」
「はい。闇の神と契約を交わしています」
「何年寿命を捧げたのだい?」
さすがは『聖賢』である。闇の神との契約のことまで知っていた。
「70年。おかげであと半年の命となりました」
『聖賢』フォトンが目を閉じた。
そのまま眠ってしまいそうなほど、動かない。
「お訪ねしたのは、このクローディアスの寿命を戻す方法を知りたいがためです。なにか道はあるのでしょうか?」
『聖賢』フォトンは黙したまま。本当に眠ってしまったかのようだった。
「残念ながら私には分かりません。なにしろ、闇の神と契約した者も数少ない。文献も残っておりませんでな」
「……そう、ですか」
エレノアの声に大きな落胆がこもっていた。だが、すぐに表情に強さが戻る。
「なにかお心当たりはありませんか? 少しでも良いのです。なにか、手がかりがあれば」
『聖賢』フォトンは目を閉じたまま。
沈黙をもって答えとしているのか。クローディアスはそう思った。
普通に考えれば、神との契約を反故にすることなどできないだろう。
希望といえばエレノアが聞いたというシャドーの声。
道はある、そう言ったという。
だが、それが確かにシャドーの声だったという保証はない。
それでもエレノアは道があることを疑っていないかのようだった。
「ハルベルガ山」
「それはなんですの?」
「世界には五つの人族がおります」
「五つの人族? 他の大陸にいるというエルフやドワーフのことでしょうか?」
「左様。我らヒューマン。森の人族エルフ。山に住まうドワーフ。小人族レプラコーン。巨人族トロル。かつて、全ての大陸、全ての種族を巻き込んだ大戦争がありました。戦争は5百年もの長きに渡り続きました。やがて、戦争に飽いた者たちがこのミッド大陸へと渡りました。もともと、このミッド大陸は不毛の地であったそうです。二柱の創造神、すなわち光の神フレアと闇の神シャドー。このミッド大陸は創造双神の眠る地だったという。ミッド大陸へと渡ったアルカディアの初代王と王妃は大陸の東の果て、ハルベルガ山にて創造双神と邂逅し、契約をしました。アルカディア王国で光の神と闇の神を祭ること。創造双神はその見返りにアルカディアに永久の加護を約束したのです」
神々の加護により、不毛の大地は瞬く間に肥沃な地へと変わった。
こうして戦乱とは無縁な平和の地が生まれたのである。平和の地の噂は他の大陸にも広まり、戦乱の世に嫌気がさした者たちが次々とミッド大陸へと渡った。おかげで、統一王国アルカディアは瞬く間に繁栄していった。
豊かになれば今度はそれを狙う者たちが現れる。他大陸の国々が次々と侵略するための船団を送ってきたのだ。
だが、結局、それらの悪意を持つ船団は、大陸に渡ることができなかった。例外なく海上で創造双神が使い、アークドラゴンによって海の藻屑と化したのだ。
アークドラゴンは敵艦を炎で焼き払い。あるいは幾百もの雷で破壊した。
こうして統一アルカディアは千年に渡り栄え続けた。平和な世と神々の加護。そのおかげで、アルカディアの文明は他の大陸の追随を許さぬほどに発展した。不思議なことに、それらの文明はミッド大陸の外に持ち出すことができなかったという。
『聖賢』フォトン・メアーはさらに続ける。
「だが、長い平和により、人々はいつしか創造双神の加護を忘れてしまっていました。統一王国アルカディアの中で闇の神を厭い、光の神こそが唯一の神だと奉ずるフレア教が台頭したのです。それは、我らヒューマン族の罪。他の人族に比べ、繁殖力の高い我らは、その頃には王国の人口の大半を占めていたのです。ヒューマンは本能的に闇に恐怖を抱く性質を持っているようです。いつの間にか、人々の間で闇の神に対する畏怖が広がっていた。そのせいでしょう。フレア教は瞬く間に国中に広がりました」
やがて、フレア教徒たちは内乱を起こし、王家を滅ぼし、神聖フレア教国を興した。
神聖フレア教国のあり方をよしとしない人々は東の果てに逃れ、ハルベルガ山のふもとに戻ったアークドラゴンにすがった。
だが、アークドラゴンは動かなかった。
王家の血を滅ぼしたことが契約の終了ととったのだ。
迫りくる神聖フレア教国の軍勢。彼らにとって闇の神シャドーを祭る者はすべて邪悪。滅ぼすは必須。
「正しく創造双神を祭る者たち、すなわちアルカディア聖教徒たちを率いていたヒューマンの男、要するにそれはクレイモス王家の先祖であり、初代王ガリオン・モスなのですが。彼はハルベルガ山に上りました。創造双神ともう一度契約をしようとしたのです」
そこで『聖賢』フォトンは話をやめた。
エレノアとクローディアスは待ったが、いつまでたっても、『聖賢』フォトンは話は終わり、とばかりにその先を話さない。
「ガリオン王は創造双神と契約を交わせましたの?」
「分かりません。そこから先のことはどの書物にも記されておりません。ガリオン王は神々に会えたのか? クレイモス王国はどのようにして危機をしのいだのか? そして、なぜ、この大陸にはヒューマン以外の人族が存在しなくなったのか? 全ては謎に包まれています」
これで本当に話は終わったらしい。
クローディアスはエレノアを見た。
目を閉じて、なにかを考えている様子だった。
「ありがとう存じます、『聖賢』様。またおうかがいするやもしれませんが、どうぞよしなに」
言ってエレノアは訪問を打ち切った。
「オーク、ゴブリン、コボルト、オーガー」
『賢者』フォトンが、かすれて今にも消えそうな声で言った。
「我が国では、他国のようにそれらを魔物とはみなしません。また他大陸にはそのような魔物は存在しません」
謎かけのような言葉だった。




