交差
さて、どうするか?
という途方に暮れた気分でクロウはひとり旅を続けた。
パーティを追い出された当初は、それなら孤児院で、あと1年過ごすか、と考えていた。
だがクロウが慕っていた院長マリアは亡くなっていた。代わりに院長となったジョージは、クロウの噂を聞いていて露骨に嫌悪を示した。
「君が悪魔と取り引きをしていないというのならば、フレア神に祈りを捧げなさい」
ジョージはクロウに礼拝堂での祈祷を強制した。
クロウはフレア神に祈ることができない。
フレア神の祝福の強い場所だと、ひどい眩暈に襲われる。祈ろうとすれば意識が朦朧としてきて、ついには気を失ってしまうのだ。
前院長マリアは、そのことについて理解を示していた。
「信仰とは強制されるものではありませんからね。いつか、あなたが神に祈りたくなった時。祈ればいいのです」
現院長ジョージが妥協するとは思えなかったし、自分のことで、ほかの者たちと院長が険悪になるのも良くない。
クロウは孤児院で余生を送ることを諦めた。
「みんな、元気でな」
顔なじみの者たちに別れを告げた。
もうこれで会うことはないだろう。
一番付き合いの長いアンナが、泣きそうな顔でクロウの袖をつかんでいた。
「また、来るよね、クロウ。1年後、私、ここを出るから。そうしたら、さ。一緒に……」
クロウは最後まで言わせずにアンナを抱きしめた。
その耳元にささやく。
「倉庫の床下。昔よく、俺が隠れてた場所だ。きつくなったら、それを使え」
もともと1年に1度は孤児院に戻っていた。稼いだ金を渡すために。
アンナに告げた場所には、クロウが溜めてきた財産の大半を置いてきた。それこそ、孤児院をもうひとつ建てられるほどの金額だ。
稼いだ金の半分はニーアのために、半分は孤児院のために。クロウはずっとそう決めてやってきた。
「クロウって、どうして、そうしみったれの? 孤児院上がりだから? 私たち、十分稼いでるじゃない」
いつかレイアに言われた。
クロウとしては未来のない自分が使うよりも、未来ある者に役立てて欲しいと考えていただけだったのだが。
そんなわけで孤児院を後にしたクロウには、やりたいことも行くあてもなかった。
孤児院にいた頃から常にニーアのことばかり考えていた。自分が死んだ後に彼女がきちんと生きて行けるように。そのための準備ばかりしてきた。
突然、その必要がなくなったので、本当に途方に暮れるのだ。
クロウは街道を外れ、人里から離れた場所を移動した。自分が今まで生きてきた世界を改めて見てみたくなったのだ。
それには、まず人の世界から離れたところにあるものを見たかった。
徒歩で旅をして、道草をくいながらもゆっくりと歩くこともあれば、疾風のように駆け抜けることもあった。
2、3日、同じ場所に逗留して、のんびりすることもあった。
いろんな景色を見て、魔物や動物を観察して、最終的にはドラゴンのところで、2週間ほど過ごした。
クロウにとって、ドラゴンとは邪悪の象徴のような存在だったが、そのドラゴンは穏やかで理知的だった。クロウに様々なことを教えてくれた。
やがて、また人の世界に戻ってきた。ドラゴンの住処がルゼス王国北西部。街道に出ると国境へ向かうルートに入っていた。
せっかくだからエフィレイアへ行こうと考えて、途中の街の宿屋や料理屋などで、情報を集めた。とはいっても、別に話を聞いて回ったというわけではない。
クロウの闇の加護技のひとつに、『遠隔知覚』というものがある。五感を遠距離に飛ばすというもので、視覚でも聴覚でも嗅覚でも触覚でも。離れた場所を見聞きできる。冒険者時代は、これで情報集めをしていたのだ。
これを使っておもしろそうな噂話に耳を傾けていただけだ。
ウィンデア公爵令嬢が第1王子との婚約を破棄され、それどころか、殺人未遂の有罪判決を受けて国外追放になった。
その噂を聞いたのも、『遠隔知覚』を使ってのことだった。宿で、寝転がり、ロビーで話す行商人らしい2人組の話を聞いていたのだ。
ひとりは、エフィレイアから来たらしく、かの国の事情に詳しかった。
婚約者である第1王子の関心が男爵令嬢に移ったのを感じて、数々の危害を加えたこと。そして、ついには暴漢を雇い殺害を企てたこと。
第1王子はパーティで公爵令嬢を断罪し、婚約破棄を言い渡したこと。
「だけど、エフィレイアのウィンデア公爵家って言えばあれじゃないかね。『王国法の番人』『正義の天秤』。色恋絡みとはいえ、そんな非道をするかね?」
「そう、だから、こいつは陰謀じゃないかって……」
エフィレイアから来た商人が声をひそめる。
ウィンデア公爵家の令嬢エレノア・ウィンデアは、その加護技と家柄から平民たちの期待を背負っていた。彼女ならば貴族の不公正に苦しむ平民を助けてくれるのではないか。
そしてエレノアはその期待に応えるように大貴族を告発しようとしていた。彼女の後見人の宰相ハリス・ローゼン公爵に訴状を上げた。
だが宰相ハリス・ローゼンは考えた。自派の腐敗貴族を切り捨てることは、それに連なる貴族たちをも処分することになる。大いに力が削られることだろう。
反対に、その粛清の立役者となったエレノア・ウィンデアの力は大いに強まることだろう。彼女が公爵家を継げば現状に不満を抱いている貴族たちは、こぞって彼女の元へと集うことになるだろう。
なにしろ未来の王妃である。
切り捨てるなら今しかない。
宰相ハリス・ローゼンは、かねがね婚約に不満を抱いていた第1王子に、婚約破棄をさせることにした。彼と噂になっている男爵令嬢。その実家は宰相ハリスの手駒である。男爵令嬢を次期王たる第1王子の愛妾として送り込み、意のままに操るための。
宰相ハリスはエレノアの男爵令嬢迫害、さらには殺人未遂をでっち上げた。それを使って断罪し、国外追放へと追い込んだ。
「可愛そうなのは、公爵令嬢だよ。信頼していた、後見人と愛する婚約者に裏切られたんだからなあ」
「そりゃあ、ひでえな。だが、本当の話かね?」
「さてね。だが、エフィレイアのどこもかしこも、似たり寄ったりの噂が流れてる。国民は怒ってるよ。ウィンデア家は、なんというか、特別な家だったからなあ」
「それで、その公爵令嬢は、どうしたんだい? もう追放されたのかい?」
「私が国境を越える時には、もうすぐ公爵令嬢が来るってんで、なんだか浮ついていたよ。そろそろ、国境を越えたかもなあ」
「哀れにな。未来の王妃が一転して、流浪の身か」
「クレイモス王国に行くんじゃないかってさ。ウィンデア家は、モス王家の血を引いてるからな。確か、公爵令嬢の祖母も、モス王家直系の娘だったはずだよ」
その後、商人たちの話題が別のことに移ったので、クロウは『耳』を戻した。
追放された公爵令嬢。
なんだか他人事には思えなかった。
ちょうど国境へ向かうところだし、もしかしたら、どこかですれ違うかもしれない。
もっとも追放されたとはいえ公爵令嬢。自分が見ることなどかなわないだろうが。
◇
クロウは最初、その一行が追放された公爵令嬢一行だとは思わなかった。馬車は大型で高価なものとはいえ1台。護衛もたかだか10人程度。
どこかの成金商人かなにかかと思った。
大した注意を払わずに道の脇に避けて馬車をやり過ごす。その時、馬車の窓から女性の顔が見えた。
豪華絢爛たる黄金の巻き毛。いかにも気の強そうな目尻の上がった目。高い鼻。
彼女の濃い青色の瞳がクロウを見る。前髪を分けている銀の髪飾り。その天秤の印を見た時、追放された公爵令嬢だとはっきり分かった。
目が合った。
ああ、この子も俺と同じか。
そんな印象を抱く。
自分と同じように途方に暮れている。
残された命をどう使えば良いのかわからずにいる。
お互い頑張ろうな。
そんな思いを抱きながら馬車を見送る。
それにしても、あの護衛……。
どうやら冒険者パーティが2組ついているらしいのだが、そのうちひと組が、どうもカタギという感じではない。
人を日常的に喰いものにしている連中には特有の空気がある。ちょっとした所作や、話し方、目つき、そういうものに、独特のものが現れるのだ。
クロウは公爵令嬢の護衛のひと組にそれを感じ取った。
まあ、俺には関係ないか。
隣国の政治闘争に首を突っ込む気などさらさらない。
婚約破棄され、追放された公爵令嬢には同情するが、護衛がうさんくさいと忠告する気にはなれない。
しょせん相手は貴族。
平民の犠牲を当然として生きているような連中だ。自分たちが喰われる方に回ったからと、それがなんだというのか。
それでも馬車が見えなくなった後、踵を返して、ゆっくりと来た道を戻った。
なぜ、と聞かれたら、クロウは首をかしげただろう。
彼自身にも理由は分からなかった。
しいていうなら、暇だったから、か。
◇
クロウは両手を頭の後ろで組みながら、ゆっくりと歩いた。
あまり馬車に近づくと警戒されてしまう。
『目』は公爵令嬢一行の上空から見下ろしているので、異変があったらすぐにわかる。
自分の視界と重なるような天空からの映像。眩暈がするような視覚情報だが、クロウには慣れたものである。
それに加えて、『周辺感知』のスキルも常時発動している。
周囲の動植物の様子など、つぶさに伝わってくる。
幼い頃から自分のスキルを使いこなそうと訓練を積んできたクロウでければ、押し寄せる情報量に数秒ともたずに倒れてしまうことだろう。
俺も暇だなあ。
あくびをしながら、そんなことを思った。
ふと、パーティ追放と引き換えに、命を助けた少年のことを思いだした。盗賊団の少年。
『ホライズン』の面々と別れた後、クロウは街で少年を解放した。
「せっかく助かった命だ。くだらないことで使うなよ」
呆然としている少年にそれだけ言って、クロウはさっさと歩き出した。
少年がこれからどうするのか分からない。
街で悪さをするかもしれないし、『ホライズン』に復讐をしようとするかもしれない。
自分よりもずっと若い少年が、アルベルトの試し切りの練習台にさせられたり、ニーアに魔力を吸収されて干からびるのを見るのがしのびなかった。
だから助けた。
「待ってくれ」
少年の声に足を止める。
「あの、ありがとう」
少年は言って、頭を下げた。
少年は見ていた。
クロウのスキル『影縫い』で身動きを封じられた状態で、自分の助命を訴えるクロウを見ていたのだ。
クロウの手の上に小さな闇が広がる。そこから黄金のコインが1枚落ちた。クロウは少年に背を向けたまま、金貨を親指で弾いた。
金貨が宙を舞い、少年の足元に落ちた。
「やるよ。長生きしろよ」
◇
公爵令嬢一行に異変があったのは、クロウが彼らを尾行してから3時間近く経ってからのことである。
片側は河原。片側は木々に覆われた斜面。
冒険者の護衛に前後を守られて進む大型馬車。
そこに斜面から矢が降ってきた。
同時にクロウがうさんくさいと感じた冒険者パーティが、もう一方の冒険者パーティに襲い掛かる。その裏切りにより正統派冒険者パーティのリーダーらしき女性が倒れた。
えげつないな。
圧倒的な数による襲撃。
さらに護衛の半分を裏切らせる。ここまでやるということは公爵令嬢を確実に始末するつもりなのだろう。
さて、どうするか?
クロウはまだ公爵令嬢に助太刀するか迷っていた。隣国の政治闘争に進んで関わるつもりなどない。
だが公爵令嬢に対する同情の気持ちもある。
クロウは公爵令嬢の出方で決めることにした。救うか、見捨てるか、そのどちらにするのかを。
襲撃と仲間の裏切りで公爵令嬢側の冒険者は次々と倒れていく。そして公爵令嬢家臣の老戦士までもがついに倒れた。
その時、馬車のドアが開いた。
戦場に花が咲いたかのようだった。
ダンスのような軽やかさで敵の間をすり抜けていく少女。
公爵令嬢エレノア・ウィンデアの剣技は、クロウの目から見ても素晴らしかった。
『気高き勇者』アルベルトなど、比べるべくもないほどの高みにある。
近接戦闘ならばクロウですら苦戦するかもしれない。
さらにエレノアは剣だけではなかった。
呪文の詠唱による魔法陣すら作らずに次々と魔術を放っている。高度な技術である無詠唱魔術だ。
これには知識や経験よりもセンスが必要だと言われている。
大したもんだな。
敵をバッタバッタとなぎ倒すその圧倒的な強さに、クロウは思わず口笛を吹いていた。
感心すると同時に手を貸す意欲は失せていた。
あれだけの力があれば数十人の盗賊など取るに足らない相手だろう。
むしろ、もう少し早く参戦していれば、護衛の冒険者たちや、家臣の命を失わずに済んだだろうに。
クロウも万能ではない。
襲撃を受けた直後、外へと飛びだそうとするエレノアを、侍女長アンジェリカが抱き着いて止めていたことまでは知らなかった。
恐怖に震えるアンジェリカを、振りほどくことに躊躇し、出遅れたことまでは気づかなかったのである。
その侍女長アンジェリカがエレノアの致命的な隙となった。
馬車から引きずりだされ、その首に刃をつきつけられたのだ。
エレノアが動きを止める。
さらには馬車の下に隠れていた御者まで引きずり出されて人質にされる。
クロウからしてみれば選択の余地などない状況。
エレノアが犠牲になっても盗賊たちは人質を殺すだろう。生かしておく必要もないし、害にしかならない。
そもそも自分の命と他者の命を引き換えにするようなことを誰がするか。
それこそ、クロウのように終わりが残りわずで、果たすべきことも大切なものもない者でもなければ。
だがエレノアは剣を捨てた。
自分の死を伝える伝令役として二人を使えとすら言ってのける。
その気高さに、矜持のあり方に、クロウは痺れた。
『目』と『耳』を一瞬で戻す。
クロウの足元から闇が伸びあがる。それは彼の体にまとわりつき、黒い甲冑のように変化する。たゆたい続ける炎のような闇の甲冑。
つま先から髪の毛まで、クロウは闇の鎧に包まれた。
クロウの最強の加護技、『闇武装』である。
クロウが動いた。
黒い風となり山道を疾駆する。
その速度は速く音すらも追い抜く。
ほんの数秒の間にクロウはエレノアの元へとたどり着いていた。
エレノアが振り上げた短剣が彼女の胸に突き刺さる。
まさにその瞬間に割り込んで短剣を闇の中に沈める。
ほかから見れば短剣が深々と突き刺さったかのように見えただろう。
クロウの纏う闇の鎧は漆黒。まるで影が伸びあがったように見える。即座には、その存在を認識できない。
ふっと太陽が陰った、そんな風に周囲の者は思えただろう。
クロウに命を助けられたエレノアでさえ。
◇
エレノアは自分の手と胸の隙間に黒いものが割り込んでいる、と気づいた。
その黒いものは黒い影。いや、人。
その瞬間、それは消えた。
いったい、なんですの?
ひっ、と背後で声。
振り返ると髪の毛をつかまれ、刃を首につきつけられていた侍女長アンジェリカが解放され、地にうずくまっていた。
アンジェリカを捕らえていた盗賊の姿はない。死体すら見えない。
また声。今度は男のものだ。
御者ホークの方。
見れば思った通り、地に押さえつけられていた御者ホークが解放されていた。
ひぃひぃ、と言いながら地を這っている。
やはり彼を取り押さえていた者の姿がない。
「なんだ、なにしやがった」
盗賊首領ウッズが叫んだ。
エレノアがそちらを見ると、彼の周囲の者たちが地面の下へと沈んでいくところだった。まるで底なし沼があるかのように。
彼らの前に黒いシルエットがあった。
今度は、エレノアの目にも彼の姿がはっきりと認識できた。
炎のようにたゆたい、ゆらめく闇を身に纏った者。ともすれば、それは魔物のように見える。だが、エレノアはそれが人だと確信した。それも、味方である、と。
盗賊首領ウッズが怒声をあげて、『闇を纏う者』に襲い掛かる。
だが剣を握る手が得物ごと消えた。血も流さず、スッパリと肘から先が消えてなくなったのだ。
「お前ら、なにしてる、やれ、やっちまえ」
盗賊首領ウッズが斜面の弓兵たちに向かって怒鳴る。
「この化け物をぶっ殺せ」
木々の影から矢を浴びせかけていた賊たちは、わけがわからなかった。
首領の声で矢をつがえる。狙いはエレノアだ。
なにしろクロウの姿は彼らからは影のようにしか見えない。
ふいに彼らの足元が黒くなった。腐葉土を飲み込み、木の根を飲み込み、まるで黒いインクを水面に垂らしたかのように、黒が広がっていく。
動けない。
黒い地面に立つ者は誰も身動きができなくなった。弓を構えた姿勢のまま固まってしまう。
『影縫い』。クロウの加護技である。
クロウは、わめく首領ウッズの残った左手と両の足を闇の中に放り込んだ。両足の膝から下を無くした首領ウッズが転がった。
クロウはエレノアを振り返った。
エレノアはクロウを見ている。
その手には、一度、地に捨てた剣があった。
クロウは、顔を覆う闇のマスクの下、微笑んだ。
あとは彼女の好きにさせよう。
すっ、と地の影が広がり、クロウを飲み込む。
『闇武装』の状態でならば自在に影の中を移動できるのだ。
しばらくは身を潜め見ていることにしよう。