ジークフリートとアライア⑤
裁判が行われたのは3日後。アルカディア歴1824年7月25日のことである。
もちろん一般裁判ではなく、王宮裁判である。本来はウィンデア家の当主が王宮裁判長を務めるのだが、現在は空席。代わりに国王ガリウス・レイアーが裁判長を務めることになった。
ジークフリートにとっては有利な展開である。彼はこの3日間にありとあらゆる手をつくした。宰相ハリス・ローゼンを呼び戻すため早馬を遣わし。国王で自身の父ガリウスに必死で懇願した。
ほかの裁判官たちにも出来る限り根回しをした。
やがて裁判当日。結局、ハリス・ローゼンは間に合わなかった。
大丈夫だ。きっと大丈夫だ。
ジークフリートはこの3日間に十分手ごたえを感じていた。
さすがに無罪とはいかないだろうが、なんとか数年の禁固刑くらいですみそうだ。
エレノアの受けた追放処分よりもずっと軽い。
アライアと正式に結婚することはできないだろうが、愛妾としてそばにいさせることはできる。
あとは国王に即位しさえすれば、アライアの名誉を回復させることができるはずだ。
必ずそうしてみせる。
ジークフリートはひとり、心に誓っていた。
そして裁判が始まった。
裁判はジークフリートの思った通り、うまく運んでいった。
エレノア贔屓と思しき検事はアライアの罪を徹底的に糾弾。
それに対してアライアの弁護人は彼女にクローム伯爵家を加害する気はなく、少しだけ脅す程度のつもりだったと弁護。
アライアはすでに自身の罪を認め、悔いていることも話した。
「では、クローム伯爵家襲撃事件については、それで良いでしょう。アライア・フローリーは確かに盗賊団の首領に命令を下したが、それはあくまでも脅す程度にとどめるつもりだったと。だが、彼女にはもう一つ重大な罪があるのです」
アライアの座る被告人席の隣。励ますように彼女の手を握っていたジークフリートは、ギクリとした。
もう一つの罪だと? 聞いていないぞ。
ミッド大陸三ヵ国の裁判では、一つの罪を一つの裁判で裁くという形式ではない。いくつもの罪をその場で明らかにし、その全てを加味した判決が下る。
「アライア・フローリーは王太子ジークフリートの印章を持ち出し、それを使って公的な契約を行った。これは王家に対する大きな裏切り行為です。いや、反逆行為といっても良いでしょう」
なんだ、それは? 私の印章を持ち出した? どういうことだ?
ジークフリートは驚いてアライアを見る。アライアがバツが悪そうな顔で下を向いた。
「ほ、本当なのか、アライア」
「……冒険者と契約するために仕方なく」
「ば、馬鹿な」
ジークフリートはうめいた。
まずい。
王太子の印というのはまずいのだ。王家に対する不敬、裏切り。
下手をするとクローム伯爵家襲撃事件よりも罪状が重くなる可能性がある。
この罪だけでも追放刑相応。クローム伯爵襲撃事件を合わせると……。
裁判は進む。
冒険者ギルド長が証人として出廷して、経緯を説明。さらに証拠となる契約書を提出。
そこに書かれている文面を読み上げられ、ジークフリートは絶望した。
「ゆくゆくは騎士へと取り立てる」
この一文はまずい。まさか、口約束ではなく文章化されていたとは。
平民を騎士へ取り立てられるのは爵位を持つ者だけだ。アライアは男爵令嬢。爵位はない。
また例え、王妃となったとしても彼女個人が騎士に取り立てることはできない。
例外はアライアが男爵家を継ぐか、王妃となったあと、ジークフリートが死亡し、彼女が女王に即位した場合だろう。ただ、その場合手続きが非常に複雑になるだろうが。
つまり、アライアは極めて可能性の薄い契約をかわしたことになる。それも王太子の印を勝手に使用して。
当然、どのように騎士に取り立てるのか、アライアは説明させられる。だが、彼女は騎士叙勲のルールを知らなかった。しどろもどろで、最後は言葉に詰まる。
もし、ジークフリートが先にこの件を知っていたら、細いながらも抜け道を示せただろう。ジークフリートと結婚する前に一度、男爵家を継ぐ予定のなので、その際に彼らを騎士に取り立てるつもりだった、と。
しかし、その暇がなかった。
このままでは王太子の印章を使って詐欺を働いたことになってしまう。
クローム伯爵家の件と合わせれば、間違いなく死罪。
ジークフリートは焦るが打開する手が浮かばない。その時、弁護人のアンドレイ・フォレスが声をかけてきた。
アライアが再び検事から質問を浴びせられているところだ。
「ジークフリート様。このままではアライア様は間違いなく死罪かと」
「やはり。だが、どうすればいいのだ? なにか方法は」
「一つだけ。ただ、これを行えば、王太子という立場をお失いになります」
「王太子ではなくなる?」
それはジークフリートを躊躇わせるには十分すぎる言葉だった。それでも、ジークフリートは続きをうながす。
「冒険者たちとの契約はジークフリート様の指示によるものであると主張するのです」
確かに王太子なら騎士に取り立てることもできるが。
「無理だ。父上の許可もなく」
なにしろ、王太子の財布は王家のもの。勝手に騎士に取り立てるなどできるわけがない。
「ですから、ゆくゆくはそのつもりであったと、ご主張なさるのです。それならば、一応の筋は通ります。ただ」
「今度は騎士の席がないということか」
王太子の騎士となれば国王に即位したあとは国王親衛隊となるだろう。その席はすでに上級貴族の子弟で埋まっている。
「そこで、王太子を退位する意志を表明なさってください。ただの王子であるならば」
その場合、側近の数はまだまだ増やせるだろう。将来的には独立することになり、独自の騎士団も設立できる。その前準備として。
かなり無理があるが、それでもこれならばアライアを救うことが可能だろう。そのために、王太子の座を退くことを表明しなくてはならないが。
ただ公的な場でのそれは、あとで反故することはできない。
ハリス・ローゼンですら、無理筋だと思われる。
アライアが戻ってきた。
いよいよ審議だ。
ジークフリートが発言するには、今しかない。
どうする? どうする?
「ジーク様。私、大丈夫ですよね」
アライアの顔はすっかり血の気が引いていた。今にも泣き出しそうだ。
ジークフリートの覚悟は決まった。
公人、王太子としてははなはだ無能な男ではあるが、彼がもし平民であったのならば、その単純さ、素直さが人を引き付けたかもしれない。
「ではこれより審議に……」
「待って欲しい。最後に私に発言させてもらえまいか」
ジークフリートの心臓ははちきれそうであった。立ち上がった足が震えた。
◇
アルカディア歴1824年7月29日
ウィンストン街エフィレイア王宮
1週間ぶりに王宮の執務室に戻ったハリス・ローゼンは、部下からの報告を聞き、満足げにうなずいた。
王宮裁判でのジークフリートの王太子を退位したいという意志の表明。これであとはフランツだ。
ジークフリートの弟フランツは今、平民の反乱が広がっているアノー侯爵領にいる。彼ならば平民をなだめることができるだろう。
そして国王による、ジークフリート王太子の廃嫡とフランツの王太子即位を宣言。これで王太子の交代がかなう。
すでにアライアの刑は執行されている。
とはいえ、貴族の禁固刑の先は牢獄とはいえ広く、上等なものである。部屋から出ることはできないものの、侍女は2人まで置くことができるし、衣食住も十分。必要なものは侍女に命じて持ってこさせれば良い。平民出のアライアにすれば、楽なものだろう。
禁固刑は10年。だが、フランツが即位したらその際に恩赦で自由にしても良いだろう。あとは、ジークフリートの気持ち次第というところだが、ハリスにもそればかりは不明である。若者の心変わりは早いものなのだ。
時計を見る。部下のゼットの処刑がそろそろ行われた頃だろう。
目を閉じて黙祷する。
彼はよく働いてくれた。エレノアとジークフリートの婚約破棄。エレノアの追放。アライアの失墜。ジークフリートの退位の意志の表明。それらを実現できたのはひとえに彼とその部下の働きによるものだ。
ゼットの後任には彼の腹心であったロインか、リオッテがつくことになるだろう。
目を開けたハリスは執務に戻る。エフィレイア王国宰相の仕事は膨大で、彼に休みはないのだから。
◇
アルカディア歴1824年7月29日
ウィンストン街中央広場
ジークフリートは広場を見下ろす宿の3階の窓辺にて処刑の様子を眺めていた。
ちょうど処刑台に座る男の首を、処刑人が大斧で切り落としたところだ。
ゼットという名のその男は、アライアの指示を受け、クローム伯爵家を手下の賊に襲撃させた張本人。
ジークフリートは、アライアが牢獄へと行く前にゼットと面会した時のことを思いだした。
どうしても、とアライアが熱望したために、なんとか骨を折ったのだ。
ジークフリートと王都守備隊、近衛騎士が同行し、短時間ながら面会させることができた。
牢のゼットはアライアを見て親愛の笑みを浮かべた。
「まさか、もう一度あなたにお会いすることになるとは思いませんでしたよ。アライア様」
「無理を言ったのよ。私には王子様がついているんですもの」
「それで。私の裏切りをそしりにきたのですか?」
「違うわよ。あなたが最初から私をはめる気だったことくらい分かってる。私もジーク様も誰かに踊らされたってことくらいはね」
「その誰かのことを聞こうというのでしたら……」
「私が知りたいのは、あなたのことよ。あなたはどうして命を捨ててまで、私をはめたのかってこと。こういう結末になることを知っていたんでしょう?」
「どうしてと言われても役目をきちんと終えましたのでね」
アライアとゼットはしばらく見つめ合った。
やがてゼットが再び口を開く。
「まだ、私が10かそこらの頃だったでしょうか。私の家はずいぶんと貧しく、まともな食事にありつけない日も多いくらいだった。だが、その癖、兄弟は多くてね。なんとか、弟妹に飯を食わそうと子供ながらも、四苦八苦していましたよ。雪が降る日だった。もう3日も食事にありつけなくて、このままでは幼い弟は死ぬ、なにか少しでも食べ物を持って帰らないといけなかった。料理屋を回ったり、馬車から降りる旦那方に施しを願ったり。それでもダメだった。そんな時に、立派な馬車が通りかかりましてね。私は、身を投げ出すように馬車の前に飛び出しました。馬車は止まり、ひとりのそれはそれは立派な方がお降りになられた。私は泣いて訴えました。彼は同乗する部下に指示を出し、すぐに食べ物を我が家に運ばせました。そして彼は言いました。もし、君にその気があるのならば私の元で働くと良い、と。仕事を与えようと」
ゼットは言うと笑った。
「別にその時の恩を返そうってんじゃありませんよ。ただ、あの方は無意味なことはなさらない。私はただあの方から与えられた仕事をしっかりと果たしたい。それだけのことです」
「そう。さすがね」
アライアは言うと、ゼットに背中を向けた。
そこにゼットの声がかかる。
「今のあなたの方がよほど魅力的ですよ。アライア様。エレノア・ウィンデアに憧れ続けていた頃よりも、ずっとね」
ジークフリートは切り落としたばかりの首をかかげる処刑人を見て、ため息をついた。
これは当然の結末だったのだろう。
所詮、自分には政治はできない。その覚悟もない。
あれほどまでに、エレノア・ウィンデアを忌避していた理由が今ならばよくわかる。
彼女ならば、誰よりも正しく、まっすぐに、国を動かしていくことができたかもしれない。老獪なハリス・ローゼンに唯一対抗できるとしたら、彼女の正しさと情熱だろう。
結果、ジークフリートはエレノアの傀儡として生きることになる。
その窮屈すぎる未来を予感したせいなのだ。
「すまなかった。エレノア」
今はこの国にいない元婚約者に謝った。




