ジークフリートとアライア④
アルカディア歴1824年7月22日
ジークフリートの執務室へ王都守備隊の責任者であるジェレミア・ロックフォードが訪れたのは、エレノア部隊が盗賊のアジトを襲撃した2日後のことである。
何用か、と訝し気に思いながら挨拶をする。
ジェレミアは切り出しづらい様子で、口を開くまで少し間が開いた。
「実は、ジークフリート様の御婚約者様のことなのですが」
やっと口から出た言葉にジークフリートはドキリとした。アライアがまたなにかやったのだろうか? いや、ひょっとしたら、クローム伯爵家の件が……。
「アライアがなにか?」
非常に嫌な予感がしつつも、続きをうながす。
「ことの起こりは、我が王都守備隊の本部に一通の手紙が投げ込まれたことから始まりまして」
ジェレミアが説明する。
手紙にはクローム伯爵家を襲撃したと疑わしき盗賊団たちをアライアの家臣と思われる者たちが退治した、というようなことが書かれていた。
さっそくジェレミアの部下が手紙に記されたアジトへ向かうと、そこには30人ほどの明らかにならず者の風体の死体が転がっていた。
しかも、である。
アジトにはクローム伯爵邸から盗み出されたらしき調度品や、夫人の宝石類、高価な食器や魔法道具などが見つかった。
賊に襲われた日にたまたま屋敷を留守にしていたクローム伯爵の家臣に確認してみたところ、確かにクローム邸から持ち出された品々だという。
これで賊がクローム伯爵邸を襲撃した犯人だと確定。
ジェレミアは次にアライアの元へと向かった。賊のアジトを先に調べた結果、手紙の信憑性が増したのだ。
ウィンデア公爵邸にアライアを訪ねたジェレミア。さすがにこれは部下にやらせるわけにはいかない。男爵令嬢は王太子の婚約者なのだから。
アライアに手紙の件を話すと、彼女はあっさりと自分が部下に盗賊団を討伐に向かわせたことを白状した。
「私の不名誉な噂が流れているのを知って。私が、シェリア様のお屋敷を襲わせたなんて。そんなひどいですよね。どうにかしたいと思っていたんです。それで、知人からクローム伯爵家を襲った人たちが隠れている場所のことを教えてもらったんです。私、どうしても噂をなんとかしたくて。私が自分の手で、シェリア様の仇をとったら、噂なんて消えるかなって。だから、冒険者を雇ったんです」
そして、ジェレミアはアライアが雇った冒険者を紹介された。いや、どうも彼らは正式にアライアの家臣になったらしい。ゆくゆくは騎士に取り立てるとか。
「ま、待ってくれ。き、騎士に取り立てる? 冒険者を?」
ジェレミアの話を聞いて青ざめていたジークフリートが、ついに口を挟んだ。
「やはりご存じではなかったのですね」
「初耳だ」
「我々といたしましても少しまずいことになりまして。なにしろ、クローム伯爵家襲撃事件は王都に住む誰もが注視していましたから。それをアライア様が実に見事なお手並みで解決されたわけですから」
「す、すまない」
王都守備隊の面子は丸つぶれである。
「いえ、それはまあ良いのです。なにしろジークフリート様の御婚約者様ですから。それくらいのことは」
暗に、いつか借りを返せと言っている。
問題は、とジェレミアが続けた。
「なぜ、アライア様が賊のアジトを知りえたか、ということです。アライア様にお尋ねしても言葉を濁すばかり。これほどの事件です。さすがにきちんとした報告書を上げなくてはなりませんので」
「わ、分かった。私の方からアライアに尋ねてみる。すまないが、しばらく時間をくれ」
ジェレミアがホッとした顔になった。
彼も今回の事件が単純なものでないことは分かっている。だからこそ、ほじくりたくはない。かといって、筋の通った報告書を上げなくてはジェレミアの立場がない。
「よろしくお願いいたします」
そこへ取次の者からジェレミアの部下が訪ねてきている旨を伝えられた。
ジークフリートとジェレミアは顔を見合わせた。
実に嫌な予感がする。
「ジークフリート様、部下を入れても構いませんか?」
「あ、ああ、大丈夫だ。なんだろうな?」
頼むから別件であってくれ、とジークフリートは祈った。
ジェレミアの部下が入ってきた。よほど急いで来たのだろう、息を切らせ、汗が顔から流れ落ちている。
「なんだ。私の帰りを待てないような事案か? トーマス」
「その、アライア様の、いえ、クローム伯爵家襲撃事件の犯人のことなのですが。ゼットと名乗る男が自首をしてきまして。どうやら事件に深くかかわる人物らしいのです」
「なんだ」
ジークフリートは大きく息を吐いた。
アライアがまずいことをやったわけではないなら、どうでも良い。
「それで、そのゼットという男が言うには、パーティの夜にアライア様が自分を訪ねてきて、クローム伯爵家をこらしめるよう命令を受けたと」
「な、なんだと?」
ホッとしたのもつかの間。ジークフリートの声が裏返った。
「しかも、その時の会話が、音を記録する魔法道具にしっかりと残されていまして。実際に、聞いたところ、確かに男と、アライア様らしき女性の会話が……」
「そ、その男のところに案内してくれ」
よろめきそうになりながらジークフリートは言った。
◇
ジークフリートはジェレミアとともに王都守備隊の本部へと向かった。なんとしても、もみ消すしかない。せめて、その証拠の魔法道具だけでもなんとか手中にしなくては。
問題は王都守備隊である。ジェレミアひとりならなんとか口をつぐませることも可能だろうが(大きな借りを作ることになるだろうが)、どうもかなりの人数がその場に居合わせたらしい。
中には買収の効かなそうな清廉な人物もいるだろう。
まずい。
非常にまずい。
万一、これが明るみにされては、アライアの重刑は免れないだろう。よくて生涯幽閉処分。悪ければ死罪。公爵令嬢のエレノアと男爵令嬢のアライアでは家格はかなり違うが法律上は同格である。そのエレノアが馬車を襲わせた殺人未遂で追放。
今回のクローム伯爵家の事件は未遂ではなく殺人。一家皆殺しという凶悪なものである。
それでも、ジークフリートはまだ追い詰められてはいなかった。なにしろ、彼には切り札がある。
宰相ハリス・ローゼン。彼にすがれば、事件をもみ消してもらうことも可能なはず。
そう思っていた。
王都守備隊本部へ到着するまでは。
「なんで、近衛騎士団がいるんだ?」
ジークフリートはうめいた。
本部の前に近衛騎士団の白色金属の甲冑姿の男たちがたむろしている。
さすがに夏の日差しの下では、白色金属の発光は分からない。
「はい。事件の凶悪さから近衛騎士団とは共同捜査を行っておりまして。事件の重要な情報を握る人物が自首したという話が、あちらにも伝わったのでしょう」
ジェレミアが言った。申し訳なさそうだ。
近衛騎士団には派閥がある。なにしろ騎士の花形。貴族の子弟は誰もがエリートたる近衛騎士団を目指すもの。当然、中には良識派の貴族の子弟もいる。要するにエフィレイア王国の貴族の縮図のような状態になっているのだ。
現にたむろしている騎士たちの中にはジークフリートに対して敵意に似た視線を向ける者もあった。
ジークフリートはもはやなりふり構わず走った。
本部へと飛び込むように入る。中は近衛騎士団と王都守備隊の者たちでごった返していた。
そこで声をかけらた。
近衛騎士団の副団長ウィルヘルム・サンデル。
「お話をうかがいに出向く手間がはぶけましたよ。王太子様」
ジークフリートは足元の床がガラガラと崩れるような気分だった。
サンデル家は良識派でも有力な家。しかも、現当主のサンデル侯爵はエレノアの祖父、バイゼル・ウィンデアの部下であった人物。近衛騎士団の中でもハリス・ローゼンの威光が効かないだろう人物が、このウィルヘルム副団長なのである。
◇
王都守備隊本部からジークフリートが向かった先はウィンデア公爵邸ではなく、ハリス・ローゼンの執務室である。
王都守備隊本部でジークフリートは魔法道具に記録された会話を聞いたが、確かにアライアの声だった。
婚約者の声かと聞かれたジークフリートは、「よくわからぬ。そう言われればアライアの声のようにも聞こえるが」と誤魔化した。
早々に本部を後にして王宮に戻ってきた。
もはや一刻の猶予もなかった。だが部屋の前の取次は、無情にもハリスの留守を告げた。
なんでも自領の様子を見に行ったとのこと。前々から計画を立てていたらしく、1週間ほど留守にする準備はしてあったという。
「い、1週間、だと……」
なにもこのタイミングで自領に戻らなくても良いじゃないか、とジークフリートは罵りたくなった。
1週間後では事態は取り返しのつかないことになっているだろう。
ともかく、アライアだ。
アライアの身を確保しなくては。王宮ならば近衛騎士団も王都守備隊もおいそれと手が出せないはず。
ハリス・ローゼンによる強引な事態の収集ができない以上、王家の威光でアライアの身を守るしかない。
泣いてすがれば、父母も手を貸してくれるはず。
ジークフリートはまたしても王宮から街へ出た。向かった先はウィンデア公爵邸である。
馬車を全速力で走らせ、到着したところ、その門前で近衛騎士団員数人とと門番が言いあっているのが目に入った。
間に合ったか。
ジークフリートは安堵のため息をついた。
際どいタイミグで間に合った。
ジークフリートは馬車から飛び降りると、門に駆け寄った。
「なにを騒いでいる」
怯みそうになる内心を隠し、堂々と威厳たっぷりに言った。
近衛騎士団員たちはジークフリートを見て表情を固くした。
「我々は近衛騎士団です。ウィルヘルム副団長の命により、こちらにおられますアライア・フローリー男爵令嬢を近衛騎士団本部へと召喚いたしたい所存」
「そのような命には従えぬな。近衛騎士団長の命ならばともかく」
近衛騎士団長は上級貴族を本部へと召喚する権限を持っている。逆に言えば、唯一近衛騎士団長のみが伯爵家以上の貴族を呼びだせるのだ。
「しかしアライア・フローリー男爵令嬢ならば問題はないかと」
別の騎士団員が言った。
確かにその通りである。アライアの身分としては男爵令嬢。男爵の家族であるという立場である。
「では、王太子として命じよう。その近衛騎士団副団長の召喚は無効だ」
王太子ならば公的な立場は上級貴族よりも上のくくりになる。副団長の命令よりも優先されるはず。
「ですが、現在、ハルベルト団長は自宅療養中です。ウィルヘルム副団長に全権が委任されています」
「……なんだと」
またか、という気分である。
なんだって、誰も彼もこうタイミングが悪いのか。
もちろん、これは裏で糸を引くハリス・ローゼンの意図するもの。ジークフリートがアライアを守るためになりふりかまわなくなる、と読んでのことだ。
「ですので、ウィルヘルム副団長の命は、近衛騎士師団長の命令と同等のものとなります。もちろん、王太子が否が応でもとおっしゃられるなら……」
「分かった。アライアを連れてくる。ただ、少し時間をくれぬか?」
「どれだけでもお待ちしましょう」
自身の身に対することならば王太子として断固として拒否することも可能だろう。
それは法によるものではなく、王家の威光。次期国王の威光によるものである。
だが、アライアを守るとなるとそれだけでは厳しい。
ここで無理をするより、別の場面で譲歩させる方が良いだろう。
ジークフリートは再び馬車に乗り込むと、近衛騎士団と門番を横目に邸内に進んだ。
もはや頭の中が混乱していて、まともに思考できない。
アライアはエレノアの居室にいた。
しかも、エレノアの服らしき、白いサマードレスを身に着けていた。エレノアとアライアでは身長差があるので、丈が長くなっていた。
「ジーク様、どうかしたんですか? お勤めは大丈夫ですか?」
アライアが突然のジークフリートの訪問に驚いた様子で言った。
ジークフリートは愛しさと同時に怒りが湧いた。自分になんの相談もせずに勝手な行動を取り、窮地に陥っているというのにこののんきさはどうだ。
「クローム伯爵家の襲撃犯を討伐したそうだな。君の部下が」
「あっ、もう、その話、お耳に入ったんですね。私がシェリア様を襲わせたなんて噂があったでしょう? それなら私が犯人をやっつければ、噂も消えると思いまして」
「ゼットという男が王都守備隊に自首したらしい。君の命令でクローム伯爵家の襲撃を指示したと話しているそうだ」
それにアライアが、えっ、と戸惑ったような顔になる。
「でも、ゼットはきちんと殺したはず。きっとそれは偽物ですよ」
「だが、そのゼットは魔法道具を持っていたのだ。君とのその男との会話が入った魔法道具だ。君がクローム伯爵家をこらしめろと命じるところがちゃんと記憶されていた」
アライアの顔から血の気が引いた。
ゼットにはかられたことを悟ったのだ。
同じ魔法道具を用意して、別の男を自身に見立てて殺させたのだろう。
「で、ですが、私、殺せなんて言っていません。こらしめろって言っただけです。それなら、別に大した罪になりませんよね」
ジークフリートは疲労を覚え、ソファにどかりと腰を下ろした。
「エレノア・ウィンデアは未遂で終わったにも関わらず追放処分を受けた。君の罪がそれより軽くなるとはとても思えない。良くて幽閉処分。悪ければ死罪」
「ハ、ハリス・ローゼン様に相談しましょう。あの方なら、うまい具合に運んでくださいます」
「宰相は留守だ。1週間は帰ってこない」
「では、それまで私はどこかに身を隠します」
「遅いんだ。もう。近衛騎士団が来ている。いくら私でもどうにもできない」
「で、では、戦います。そうだわ。ちょうど私、冒険者を雇ったんです。いずれは私の騎士にしようと思って。彼らに近衛騎士団の相手をしてもらって。その間に……」
「無理を言うな」
さすがのジークフリートも声を荒げた。
「その冒険者たちが承知するわけがないだろう。反逆罪になるんだぞ」
それにアライアがキッとジークフリートを睨んだ。
「それならどうしたらいいのよ。黙って捕まれっていうの? 幽閉なんて嫌よ」
「すぐに処分が決まるわけじゃない。裁判を行う。エレノア・ウィンデアのようにな。宰相がその前に帰ってくれば良いのだが。そうだ。至急、宰相の元へ使いを出そう。すぐにでも戻ってきてくれと」
「そうか。裁判。あのエレノア・ウィンデアが身に覚えのない罪で有罪になったように。私は黒を白に塗り替えればいいんだわ」
アライアが言った。それはほとんど独り言だった。
だが、ジークフリートに大きな衝撃を与えた。
あれから、ひょっとしたら、と思わなくはなかった。エレノア・ウィンデアの性格からして、あんなことを本当にするのだろうか? なにか裏で糸を引いた者がいて、彼女ははめられたのでは……。
「エレノア・ウィンデアは無実なのか?」
それにアライアがおかしそうな顔をした。滑稽な者を見るような目でジークフリートを見る。
「当たり前じゃないですか。あの、エレノア・ウィンデアがそんなつまらないことをするわけがないでしょう。ぜーんぶ、嘘。私の狂言ですよ」
それから狂ったように笑った。
「私まで騙したのか? アライア」
そんな噂があることはジークフリートの耳にも入っていた。だが、信じなかった。アライアの言葉を、彼女自身を信じ切っていたからだ。その信頼が今、あっさりと崩れた。
「でも、良かったでしょう? ジーク様、エレノア・ウィンデアがお嫌いだったじゃないですか。目ざわりだって。苦手だって。言ってたじゃないですか」
ジークフリートはなにも言い返せなかった。ただ、頭を抱え、吐きそうな気分に耐えるしかなかった。
「ごめんなさい。ジーク様。アライアは悪い子です。でも、そんな手でも使わないと、あんな人に勝てるわけないじゃないですか」
◇
アライアを伴ってジークフリートは門へ戻ってきた。近衛騎士団員が礼儀正しく迎える。
そのままアライアはジークフリートが近衛騎士団本部へと連れていくことになった。
道中の馬車で、アライアはなにも話さなかった。ジークフリートもまるで言葉が出てこず、ただ、彼女の手を握ることしかできなかった。
副団長のウィルヘルムは近衛騎士団本部に戻っており、アライアと並んでやってきたジークフリートに感謝の言葉を述べた。
「くれぐれも丁重に扱ってくれ。彼女は私の婚約者だ。大切な人なんだ」
それは半ば自身に言い聞かせるかのようだった。
「もちろんですとも。不自由な目には一切合わせません。ご安心ください」
ウィルヘルムが請け負った。
「私も立ち合っても良いか?」
それにウィルヘルムが困った顔をする。
代わりにアライアがジークフリートに言った。
「ジーク様。私のためを思うのでしたら、ジーク様にできることをして。こんなところにいてもなんにも私のためになりませんよ」
その言葉にジークフリートは雷に撃たれたように、ビクリと震えた。
そうだ。その通りだ。こんなところで油を売っている暇があったら、裁判で彼女が有利になるようにしなくては。
「必ず、君を救ってみせる。安心して待っていてくれ」
ジークフリートは言うと、アライアを抱きしめた。
「アライアは、ジーク様を頼りにしています。いつでも」




