エレノアは訴える
エレノアにとって盗賊2百人との戦いなど、どうというものではなかった。なにしろ、誰よりも頼りになる男クローディアスがそばにいてくれるのだ。心強いことこの上ない。
森を通り過ぎ、近くの村で休憩をとり、そこからまた何事もなかったかのように国境へと向かう。
だが、そろそろ日が暮れてきたというところでクローディアスの身に異変が起こった。
手綱を握り、エレノアの話に穏やかな顔で耳を傾けていたクローディアスが、突如、頭を押さえてうめきだしたのだ。
「クローディアスさん。大丈夫ですか? どうされました?」
エレノアはまるで悲鳴のような声で言った。
馬たちが異変を察知したらしく、勝手に歩みを止める。
「クローディアスさん」
クローディアスが大丈夫だと手をかざす。だが、その顔に脂汗が滲んでいる。
「どうぞ、馬車の中でお休みになって」
エレノアはクローディアスの体を支えて、馬車の中へと移動する。その間も、クローディアスはうめき続け、痛みを追い払おうとするかのように頭を振る。
エレノアの心に冷たいものが広がった。恐怖だ。
クローディアスの寿命がひょっとしたら、もう終わりなのではないか?
どこかで数え間違えをしていて、実はその時が来てしまったのではないか?
クローディアスを車内に寝かせて馬車を動かす。馬たちはすっかりエレノアの言うことを聞いてくれる。彼女の焦りを汲み取ったかのように、走る。走る。
予定では、ロノアスという街で一泊するつもりだった。小さな宿場町。宿で泊まるのと野宿では段違いである。
「まあ、少し遠いから、ひょっとしたら野宿のなるかもしれないな。その時は、すまない」
クローディアスはそう言っていた。
つい1時間ほど前のことだ。
エレノアはその時の、ちょっとしたときめき。いっそう野宿になってくれても良いのに、という想いを懐かしく思った。
こうなったら、なんとしてでもロノアスにたどり着かなくては。
体が二つ欲しかった。こうしている今も、クローディアスの命の灯が消えかかっているのかもしれない。彼についててあげたい。いや、彼のそばについていたい。
だが同時に、一刻も早く苦しむクローディアスをベッドで寝かせてやりたかった。
クローディアスさん。お願いです。お願いですから。まだ、死なないでください。
神に祈りたいがフレア神に祈るわけにはいかない。
日が暮れてきた。
夜道をひたすら馬車を走らせる。
いつかのことを思いだした。クローディアスがまだローディと名乗っていて。
『虫使い』の毒を受けて、生死をさまよっていたあの時。
彼をなんとか助けようと、やはり馬車を走らせていた。
あの時よりもエレノアがクローディアスを想う気持ちはずっと深い。もはや、彼なしで生きていくことなど考えられないくらいに。
どうか、シャドー。もう少しだけ猶予をください。必ずや道を見つけ出してみせますから。
ついにシャドーに祈る。クローディアスを助けてくれるなら、もはや闇の神でも構わない。
遠くに灯りのようなものが見えた。
あれがきっとロノアスだ。ぜひ、そうあって欲しい。そうでなくては困る。
果たして、それは街の灯りだった。
エレノアは、ほっと息を吐いた。
背中の小窓を振り返り、クローディアスを見る。長椅子の上に横たわった彼は、相変わらず頭を押さえてうめいている。道中はそのうめき声がエレノアの心を焦らすとともに、支えてもいた。彼が生きている証だったから。
ロノアス。そのまま目抜き通りを走り、一番大きな宿に飛び込んだ。
運の良いことに部屋は空いていた。クローディアスをまず部屋に運び込み、それから馬車を指定の場所へ移動させる。
宿の者はエレノアが御者をしたことに驚いていた。どこからどう見てもエレノアは奉仕される側の人間である。
部屋に戻るとクローディアスが静かになっていた。エレノアは絶望感とともに駆け寄った。
近付くと寝息が聞こえてきて、エレノアは大きく息を吐いた。
そのまま1時間ほど。エレノアは眠るクローディアスの顔を見ていた。静かに寝ているということは痛みは収まったということだろうか。
そっと手を握る。
それがきっかけになったのか、クローディアスが目を明けた。
「俺は寝ていたのかい?」
ぼんやりとした目でエレノアを見て言った。
「はい。ただその前に、とてもお苦しみになられていて。覚えておりませんの?」
「突然、頭が割れるように痛みだしたことは覚えてるんだ。頭の内側から釘でも打たれてるみたいな、ひどい痛みだった。ここはロノアス?」
「ロノアスですわ。もう痛いところはありませんの?」
「ああ、スッキリさわやかな気分だよ」
言いながら体を起こす。
「まだ寝ていた方が良いですわよ。わたくし、なにか食べられるものを用意してきます」
「いや、本当に大丈夫。夕食はまだだろう? 一緒に食べに行こう」
クローディアスはベッドから抜け出した。
その途端、エレノアに抱き着かれた。
「心配いたしましたわ。とても」
クローディアスの体をぎゅっと抱きしめながら言った。
「すまない。たぶん、シャドーの警鐘のようなものだと思うんだ。もう後、半年くらいだぞってね」
「わたくし、ひょっとしたらと思いましたわ。ひょっとしたらクローディアスさんが計算をお間違いになっていて。クローディアスさんの、お命が……」
あの恐怖を思いだし、エレノアの目に涙が浮かんだ。
「このまま消えてしまうのではないか、と」
クローディアスはエレノアが愛しくて仕方がなかった。彼女の背中を優しく撫でる。
「大丈夫。子供の頃から何度も何度も計算しているから。冬。2月だよ。それまでは大丈夫だから」
その後、ふたりは下のラウンジで遅めの夕食を取った。時間が遅いためか、そこはすでに酒場のような様相になっており、そこらかしこで酒盛りが行われていた。
宿としては中ランク。客層は庶民ばかりだ。
エレノアの姿を見ると客たちの視線が一斉に彼女に集まった。ヒソヒソと話し声のする中を、エレノアは気にも留めずに空いているテーブルへ向かう。もちろん、クローディアスとともに。
ちなみに、クローディアスの体を支えるという名目で、ベッタリと彼に張り付いている。
テーブルにつく。椅子が四つの丸テーブル。
ウェイトレスの少女が緊張した様子で注文を取りにきた。
「今日は飲まないのかい?」
いたずらっぽくクローディアスが言った。
エレノアは軽く睨む。軽く睨んでだけでも、目力が強いので迫力がある。
「お酒のことでしたら、飲みませんわよ」
肉料理とスープ、サラダを注文。
そこでウェイトレスの少女が緊張したように、「あのっ」と声を出した。
「ひょっとして、あの、エレノア・ウィンデア様ですか?」
周囲がシンと静まり返る。他の客たちの多くが思っていたことだ。
「ええ。エレノア・ウィンデアですわよ」
ウェイトレスの少女の顔が輝いた。感動のあまり目が潤んでいる。
「ご、ご活躍、お聞きしました。応援しています。頑張ってください」
真っ赤な顔で言うと、タタタッと厨房へ行ってしまった。
「気配を消しておいた方が良かったかな?」
クローディアスは言った。エレノアがなんとも困ったような照れたような顔をしている。
「いえ。これくらいのことで御力を使用するべきではありませんわ」
「別に、力を使ったから寿命が縮まるってもんではないんだけどな」
「それでも、ですわよ」
そこへ大テーブルで酒盛りをしていた客のひとりが寄ってきた。旅商人風の中年男性だ。
「エレノア・ウィンデア様で?」
「はい。そうですわよ。あなたは?」
「しがない旅商人のルック・ドランジスと申します。実は、あなた方が森で盗賊団を撃退したあと、あの森を通りまして。すっかり拝見させていただきました」
旅商人ルック。探査師ザイルの雇い主である。
「そうですか」
エレノアとしてはそれくらいしか言いようがなかった。
「良ければ、あちらでご一緒いただけませんか? エレノア様のお話しをうかがえれば、これほど嬉しいことはないのですが」
「ご遠慮下さいな」
エレノアはにべもなく言った。
「わたくしはこうして愛しい人とふたりきりの時間を過ごしているのです。それを壊すなど無粋ですわよ」
「こ、これはこれは失礼いたしました」
旅商人ルックが慇懃に頭を下げる。
「ご無礼をお許しください」
「いえ、無礼などとは思いませんわよ。また別の機会にお会いできますことを楽しみにしておりますわ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げると、旅商人ルックは元の大テーブルへ戻っていった。
「あちらで冒険譚のひとつでも披露してあげたらいいのに」
クローディアスが言った。頬が少し赤いのは、エレノアに愛しい人とまっすぐな言葉で言われたからだ。
「嫌ですわ。クローディアスさんと幸せな時間を過ごしていますのに」
上目遣いに睨む。
「クローディアスさんはそうではありませんの?」
「宝石を山積みされたって譲りたくないね。君とのふたりきりの夕食は」
今度はエレノアが赤くなった。
「しかし、いいのかい? その、愛しい人、なんて、公言してしまって」
やや声がうわずった。
「本当のことですもの」
「エレノア・ウィンデアに恋人が、なんて噂になるよ」
「本当のことですもの」
熱のこもった瞳でクローディアスを見つめる。
それに応えるようにクローディアスも漆黒の瞳で彼女の目を見つめる。
ふたりのやりとりに聞き耳をたてていた周囲の客たちは、恋人たちのやりとりに当てられ、居心地の悪さを感じていた。
やがて先ほどのウェイトレスがガチガチに緊張しながら料理を運んできた。ほかほかと湯気をたてているスープを、それそれふたりの前に置く。
エレノアはそのスープに『暴く目』を使った。道中クローディアスの忠告をいれて、料理屋などで食事を取る際は必ず行うようにしている。いつ毒を盛られるかわからないのだ。
すると、スープがじんわりと光った。毒が入っている証拠だ。クローディアスの皿も同様。
「エフィレイア風ですわね」
エレノアは言った。クローディアスと取り決めていた合言葉。毒が入っているという意味である。
「へえ、そうなのかい?」
クローディアスがウィンク。そっとエレノアのスープ皿の上に手をかざした。一瞬、皿を黒い影が覆う。自身の皿にも同じことをした。
毒抜きである。
エレノアの『暴く目』には、もう光は見えなかった。しっかりと毒抜きはされている。
「うまそうだね」
クローディアスがスプーンで一口すくい飲んだ。
「うん。うまい。君の口にも合うと思うよ」
エレノアもスプーンを口に運ぶ。
「あら、本当ですわね。とても美味しいですわ」
ふたりともいたって普通の様子だ。
クローディアスはそうしながらも、自身の感知能力を最大限に発揮して、この宿全体の情報を収集する。
すると、厨房へ続く廊下の影に、こちらを窺う者いることが分かった。先ほどのウェイトレスの少女だ。口元がニヤリと歪んでいる。
それに隠れ潜むやり方も素人のそれではない。クローディアスでなくてはとてもこちらを見ているとは思えなかっただろう。なにしろ、顔も出していないし、聞き耳を立てている様子でもない。ただ立ち尽くしているだけだ。
「さっきの子。君のファンだね。ひょっとしたらエフィレイア時代からのファンかもね」
エレノアの目が一瞬、わずかに細まった。すぐに笑顔になる。
「こんなわたくしを応援して下さる方がいらっしゃるなんて。嬉しいことですわね」
このやり取りで情報が共有された。あの少女が暗殺者だろうこと。ただ、彼女がただの野良の裏稼業の専門家で依頼されただけだということも考えられる。
「無作法だけど、少し、席を外すよ」
クローディアスは言うと、席を立った。
「お気をつけて」
背中にエレノアの声がかかる。
廊下で様子を窺っていた少女が走り出した。廊下の先にある裏口から外へと飛び出す。
だが、クローディアスに追跡されて逃れられるわけがない。
クローディアスは気配を消すと、駿馬もかくやというほどの俊足で裏口に飛び出す。当然、少女の気配は把握している。
いや、それはすでに少女ではない。成人男性の姿に代わり、屋根から屋根へと飛び移っている。
変身能力。魔法か、あるいは加護技か。
クローディアスも『闇武装』して屋根へと飛び乗る。こうなると、クローディアスの能力は一気に人を超越する。2百メートルほど先で屋根から飛び降りた男に向かって手を伸ばす。それで、男は動けなくなった。加護技『影縛り』である。
クローディアスが近付くいても男は彫像のように固まったまま。首一つ曲げられず、眼球すら動かせない。
思ったよりも呆気ないな。
クローディアスはそう思いながらも、男を『影倉庫』へと放り込もうとした。だが、次の瞬間。男が弾けた。それはまさに破裂という様子で、まるで内側から爆発したかのようだった。
自爆? それとも逃げたのか?
残骸はきちんと残っている。あまりにも粉々でそれが人であったとはとても思えないが。
クローディアスは踵を返した。そのまま宿へと戻る。
それは彼らしくもないミスだった。
クローディアスが去って、しばらくしてから、肉片が大きな塊へと変わる。
「やれやれ。恐ろしい奴だな」
男が言ってため息をついた。
ハリス・ローゼンの部下の暗殺者のひとり。『入れ替わる者』クレスト・ロットン。彼の加護技は『変化』。人間の身ならず、あらゆるものに変身することができる。
クレストは最後の手段として爆死を偽装して見せたのである。本当に最後の手段。もし、クローディアスが念のため、死体を消去していたらそこでクレストの命は潰えていたことだろう。
だが、クローディアスも完璧ではない。エレノアの前では、明るく気にしたそぶりも見せなかったが、突如起こった激痛と意識の喪失は彼の心に暗い影を落としていた。
寿命が残り少ないことを思ってのことではない。終わりを思いを寂しさを感じるが、それは覚悟の上。
暗殺者に狙われている状況下で、無防備にもエレノアをひとりにしてしまったこと。
それがなんとも不甲斐なかった。自分に対する怒りと、さらにこういったことがこれから先も頻発するかもしないという不安。
おかげで気配を探ることもやめてしまっていた。これも大きなミスだ。
ラウンジに戻ったクローディアスにエレノアが目を丸くする。
「もう終わりましたの?」
「ああ。捕まえようと思ったら自爆された。しくじったよ」
「いえ、きちんと倒していただけたのなら十分ですわよ」
そんな会話をして、また食事に戻る。
しかし、しばらくするとエレノアはクローディアスが本調子ではないことに気が付いた。
「その、やはりお加減が悪いのですか?」
「いや、そんなことはないんだ。本当に体調は問題ない」
「ではお心の問題ですの?」
「うん、ああ、そうだね。その、不甲斐ないと思ってね。倒れて、君をみすみす危険にさらしてしまった」
「そのようなこと。わたくしは子供ではありませんわよ。もちろん、クローディアスさんのことはとても頼りにしております。けれど、これでもそれなりには腕に覚えがありますし」
もちろん、エレノアの強さはそれなりどころではない。間違いなく最強クラスの戦闘能力を持っている。あのルゼスで1、2を争う強者レミー・ベラルルを下したくらいなのだから。
「本当に子供ではありませのよ。クローディアスさん」
今度は睨みつけるようにして言った。
「それは分かっているんだが」
「分かっておりませんわ。わたくしはきちんとした大人の淑女ですわよ。ですから、今夜は、その、同じ、その……部屋はひとつしかとっておりませんし……」
怖い顔で睨みながらも、その頬が赤らむ。
さすがのクローディアスもこれには白旗をあげそうになった。可愛すぎる。
「ああ、ええと、俺は眠らなくても平気なんだ」
「ダメですわ。そなことは許しません。あれほど苦しそうになさっおいででしたのに。クローディアスさんはきちんとベッドでお休みになるべきです」
「まあ、ともかく、この話はやめようか。淑女がこんなところで話す内容じゃないからね」
それにエレノアが真っ赤になった。今更、ここが人の大勢いるラウンジだと思いだしたのである。




