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クロウの軌跡

 8歳から14歳まで世話になったロアーの孤児院を出たあと、クロウはあてどもなく、ぶらぶらと徒歩の旅をした。


 Aランク冒険者パーティ『ホライズン』を首になったクロウの頭にあったのは、あと1年間、なにをして過ごすかということだった。


 クロウの命はあと1年でつきる。これは8歳の時に決まったことだ。


 9年前。

 クロウの生まれ故郷、テアス村は、ドラゴンの襲撃を受けた。

 襲撃? いや、ドラゴンにとっては、うさばらしですらない、ただの気まぐれだったのだろう。眼下に見えた人間の村に、急接近して、ひと息の炎を吹き付けた、ただそれだけのことだった。


 晴れ渡った青空。それが突如、陰りをおびた。

 直後に降りそそぐ炎。


 一瞬で村は灼熱の業火に包まれ、人も家畜も家屋も、すべてが溶けてしまった。

 石造りの穀物倉庫の影で妹と遊んでいたクロウは、ドラゴンの炎を浴びずに済んだ。

 だが、それはほんの数分間、命を伸ばしただけに過ぎなかった。


 見渡す限り、赤い火が立ち昇り、熱風が体を打つ。炎は石すら燃やしていた。


 妹ニーアは熱波にやられ、ぐったりとしていた。

 クロウ自身も、周囲の高熱にやられ、意識は朦朧としていた。

 苦しそうな息を吐く妹を抱きしめながら、ただただ神に祈り続けた。


「クロウはお兄ちゃんなんだから、ニーアのことを守ってあげるのよ」

 母によくそう言われて育った。


 その母はすでに病で命を落としていた。

 弱々しい手で最後にクロウを撫でた時にも、やはり同じことを言った。


「クロウ、ニーアを守ってあげるのよ」


 ごめん、母さん。

 俺、ニーアを守れなかった。


 クロウの周囲は、すでに、炎にのまれている。熱で衰弱死する前に炎に燃やされて死んでしまうだろう。


 せめてニーアの体が焼かれないようにしたい、と彼女を小さな体で包む。

 ニーアの呼吸が、小さく、途切れがちになっていく。


 神様。どうか、ニーアだけでも助けてください。お願いします。お願いします。


 その願いを聞き入れたのは確かに神だった。だがクロウが知っている光の神フレアではなかった。


 クロウのすぐ下から黒いものが広がった。それは蛇の舌先のようにチロチロと伸びてきた火を飲み込み、炎の壁を飲み込み、熱風すらも飲み込んだ。


 音のない暗闇。

 気が付けばクロウはそこにいた。


「我を呼びしは、そなたか?」

 声が聞こえた。しわがれた低い声。


 クロウは周囲を見回した。だが闇のため、なにも見えない。


「退屈しのぎに応えてみたが。用が無ければ我は去る。さらばだ、死のふちに立つ男児よ」


「待って」

 クロウは声をあげた。


 なにが起こっているのか分からない。

 相手が誰なのかも分からない。

 ただ、ひとつだけ分かる。

 これを逃したら自分も妹も炎に呑まれて死ぬだけだ。


「ひょっとして、あなたは、神様なんですか?」


「なぜ、そう思う?」


「だって、俺が祈ったのは神様だから」


「『血』と『場』、二つが揃ったおかげか」

 声がつぶやく。

「いかにも我は神。闇の神シャドー。もっとも、近頃では、悪魔や邪神、魔王などと呼ばれることもあるようだが。おかげで、このように矮小化されたのだが」


 悪魔と聞いて、クロウはひるんだ。

 時々、村に来る司祭様の話に出てくる、神様の敵。人間を誘惑し、悪の道へと引き込み、最後には地獄に連れていく。


「怖いか? ならば、フレアに祈ると良い。あやつならば、そなたの魂を優しく包んでくれよう。それも救済のひとつだ」


 闇の神シャドーが去ろうとする気配。

 クロウは再び、呼び止めた。


「悪魔たる我を、なぜ呼び止める? そなたらの信仰するフレア教では悪魔の言葉は聞くなと教えられるのではないか?」


 クロウは抱きしめている妹の命を感じた。

 このままでは、あと数十秒で彼女は死ぬだろう。

 そして自分も。


 悪魔でも構うもんか。

 ニーアを助けてくれるなら、守れるなら、構うもんか。


「あの、シャドー様。俺たちを助けてください」


 シャドーが笑い声をあげた。


「我は悪魔、あるいは邪神ゆえ、慈悲などとは無縁。必要なのは生贄。代償。そなたは、我の助けを借りるために、なにを支払う?」


「俺には払えるものがありません。だから、あなたのために働きます」


「不要だ」


「それなら、俺の魂をあげます。地獄に連れて行ってください」


「地獄など、フレア教の者たちが創り上げた虚構。むしろ我らこそが魂の始まりにして終わりの地」


 クロウは困った。もはや思いつくものがない。子供で、おまけに死を目前にした自分に、これ以上払えるものがあるとは思えなかった。


「分かりません。あなたに、なにを支払えば良いのか。俺には分かりません」


「寿命が相応しかろう。そなたの残りの寿命でどうか?」


「でも、俺はもう、死ぬんじゃないんですか?」


「そなたはここで死なぬ。運よく、この死地を生き残る。そして、88歳まで生きるだろう。ヒューマン族にしては長寿なものよ」


 闇の中に円形の光が浮かぶ。

 それは、ある光景。

 たくさんの泣き顔が、悲しげな顔が、自分を見ろしている。

 初老の男性、女性たち。青年、女性。少年、幼児。20人以上もの人がいる。


「そなたの血を受け継ぐ者たちだ。波乱はあるが、まず幸福な人生であるといえよう。これを差し出すならば、我の力をそなたにやろう。ただひとりの妹のために、そなたは自身の幸福を、未来を、子孫を差しだすことができるか?」


 クロウは迷った。

 光の円に浮かぶ顔は確かに自分の血筋の者と思えた。どことなく、父や、亡き母に似ている。


 ニーアの息が止まった。

 もう迷っている時間はなかった。


「分かりました。俺の命をあげます。だから、ニーアを助けてください」


 守るって約束したんだ。俺は、母さんに約束したんだ。


「良かろう。10年間だけ、寿命を残してやる。その間に、我の力を使い、妹を導いてやるのだな」


 周囲をおおっていた闇がクロウの元へと集まった。暗幕の裏から生き物のようにうごめく炎の壁が現れる。


 つい先刻と変わらない炎の地獄。

 だがクロウは、もう恐れなかった。

 彼の抱くニーアは、しっかりと呼吸を始めた。


 そして、自分にとって、この炎の中から逃れることが、難しいことではないという確信があった。



 燃える村から逃れたクロウはニーアを連れて旅をした。どこか妹と暮らせる場所を探していた。途上、闇の神シャドーがくれた力を一つ一つ試した。

 自分が持っているもの、使えるものをすべてきちんと知っておく必要があった。

 これからは、それらを使ってニーアと生きていかなくてはならない。


 闇の神と契約を交わしたことは誰にも言わない。クロウはそう決めていた。

 フレア教では悪魔や邪神と呼ばれるシャドーである。クロウまで邪悪な存在として、迫害されかねない。


 幼いニーアを連れての旅は大変だったが、クロウがシャドーから得た力は強力で汎用性が高かった。

 

 やがて二人はロアーの街の孤児院に保護された。ニーアのために早くどこかに腰を落ち着けたかったクロウには、ありがたかった。

 シャドーの力があるとはいえ、子供の自分ではできないことが多すぎるのだ。


 孤児院は居心地が良かった。

 院長マリアは優しく、穏やかで、なによりも懐が深かった。彼女は、早々に、クロウが異質な能力を持っていることを見抜いたようだった。

 だが、それを問いただすことはなかった。


「皆、人に言えない秘密の一つや二つ、持っているものですよ。無理にそれを話す必要はありません」


 だからクロウが院長マリアに闇の神との契約の話をしたのは、孤児院を出ていく前日のことだった。


 すべてを聞き終えた院長マリアは無言でクロウを抱きしめた。その両目を涙で濡らして。


 それはクロウが常日頃抱いていた罪悪感を消してくれた。彼は罪悪感とともに自分の存在にひどい疑念を抱いていた。

 闇の神シャドーが邪悪な存在だとは思えない。

 けれど、フレア教の運営する孤児院で暮らせば、その教義に接せざるをえない。

 神の敵。それと契約をかわした自分。


 だが、院長マリアは、彼の懺悔を聞いて、彼を認めてくれた。


「クロウ。あなたはまるで聖人のようですね」

 そう言ってくれた。


 その言葉が、どれだけクロウを救ってくれたか。彼を支えてくれたか。



 クロウが孤児院を出たのはクロウが14歳になった年だった。三つ下の妹ニーアとともにロアーの街から離れた。


 理由は二つあった。一つは、クロウの残りの命があと四年にせまっていたこと。

 教会の孤児院にいられるのは十六歳まで。

 以後は自立していかなくてはならない。

 いずれニーアも孤児院を離れなくてはならないのだ。その時のために、きちんと生きていく術を身に着けさせなくてはならなかった。


 もう一つはニーアの性格に、なにか孤児院とは相容れぬものが現れ始めたからだった。

 ニーアには他者に対する思いやりというものが欠如している。人の気持ちというものを察することができないのだ。自分以外を尊いと思えない。

 ニーアはいずれ孤児院で大きな事件を起こすように思えた。このことは院長マリアがクロウに指摘したことだ。


「外の世界で1日も早く処世術を身に着けるべきですね。礼儀とルールさえ守れば、大抵の者なら問題なく生きていけますから。その二つは、本来、感性の鈍い者にこそ、必要なものなのです。道徳性を身に着けなくとも、それらを守ってさえいれば、道徳性のある者とみなしてもらえますからね」


 クロウは冒険者になる道を選んだ。

 シャドーから得た加護技スキルは戦闘に極めて有用。さらにニーアに発現した加護技スキルも貴重なものだった(加護技はフレア神殿にて祈りを捧げると稀に発現することがある。その存在はミッド大陸でのみ確認されている)。


 なにより冒険者のように個人で稼ぐ職業は集団に属さぬ気楽さがある。きちんとした力をつければ、ニーアのような者には生きやすいだろう。


 クロウは14歳。ニーアは11歳。二人を加えてくれる冒険者パーティはなかった。

 クロウは二人で『ホライズン』というパーティを作った。

 稼ぐというよりも冒険者としてのやり方を一つ一つ、ニーアに身に着けていってもらうための日々。


 依頼をこなし金を溜めてはニーアを訓練所に行かせて治癒魔術を覚えさせた。

 冒険者ギルド運営の訓練所は金さえ払えば戦闘技術や魔術を教えてくれる。ニーアの加護技スキルは二つ、『魔力吸収』と『魔力結晶化』。これは攻撃魔術師ウィザードいや、治癒魔術師ヒーラーにしてみれば最高の加護技スキルである。


 希少な二つの加護技スキルに加えて、クロウのサポートもあり、ニーアは次々と高度な治癒魔術を覚えていった。

 さらにクロウはニーアに治癒の経験を積ませるために、積極的にフレア神殿に奉仕に行かせた。


 瞬く間に冒険者ランクを上げていったクロウとニーアの兄妹。

 そこに攻撃魔術師ウィザードレイアが一緒にやろうと加わった。

 クロウは世長けたレイアから、ニーアが処世術を学んでいってくれればと思っていた。


 戦士のバッツが加わったのはクロウが冒険者を始めて2年後。16歳の年だった。この頃になるとレイアが何かにつけてクロウを誘惑してくるようになった。

 恋慕の情からではなく単にクロウの突出した能力を買ってのこと。クロウなら、いつかSランク冒険者も夢ではない、と考えたのだ。


 Sランク冒険者ともなれば稼ぐ金額は大商人クラス。早々に引退して豪遊生活を送る者もいる。レイアがクロウに唾をつけておこうと思ったのも無理はない。


 クロウはレイアのそういったしたたかさをニーアに見せることは悪いことではないと思っていたが、かといってレイアの誘いに乗る気にはならなかった。

 自分に残された命はあと2年。ニーアの他に情を移す相手を作るのはつらい。


 バッツは善良だが少し頭の働きが鈍く、主体性がない青年だった。ニーアを託すには頼りない気がしたが、自分亡き後に、その善良さがニーアを守ってくれるのではないか、と期待した。

 バッツのような男は守るべきもの、生きる道が明確になった時にこそ、その真価を発揮する。

 

 だが、その期待はどうもうまくいきそうになかった。

 レイアがクロウの気を引くためにバッツを利用し始めたのだ。

 バッツは単純だったので、すぐにレイアに懸想するようになった。


 人の気持ちはどうしようもない、とクロウは諦めた。それよりも複雑になってきたパーティの人間関係をどうしたものかと考えていた。


 ちょうど、その頃、ニーアは『聖女』と呼ばれ始めていた。

 彼女の治癒魔術は、すでに神殿の高位の神官にも匹敵していた。度重なる神殿での奉仕と、その若さから、『聖女』の異名に相応しいと思われたのだ。


 目立てばそれを利用しようとする者が現れる。小さな『聖女』を利用しようと考えたのがルゼス王国王家だった。

 ルゼス王国は隣国エフィレイアに比べ王家の力が弱い。封建領主たる貴族たちを従えるため確固たる名声が必要である。

 それが次期国王たる第1王子ともなれば、なおのこと。

『聖女』を守る『勇者』。

 さらに冒険者として実績を積めば、平民たちの人気はいやがおうにも高まるだろう。


 こうして当時Bランク冒険者になっていた『ホライズン』にルゼス王国第1王子アルベルト・アルクが加入した。


「私のパーティがBランクなどと、かっこうがつかない。目指すはSランクだ」


 アルベルトは生き生きとしていた。

 王宮で政治を学びがてら父の補佐をするよりも、恵まれた加護技スキルと幼少時から鍛えてきた剣術を生かして、魔物を打ち倒す方がよほど楽しかった。


 良くも悪くも周囲からチヤホヤとされて育ったアルベルトは、性質が明るい代わりに自身に対して甘かった。何事にも芝居がかかっており、困難に直面するとすぐに他者を頼る。そして大げさに傷ついた振りをしたり、喜んだりするのだ。


 クロウはそんなアルベルトが嫌いではなかった。自分が陰気で陰湿な性格をしているという自覚はあったし、興味のない者に対して冷淡だということも知っていた。

 アルベルトの明るさはクロウの目には、これぞ人間、これぞ若者、というように映った。


 ニーアはアルベルトこそ自分が探し求めていた王子様だ、という様子で、彼に夢中になった。


「兄さん、私、アルベルト様が好き。アルベルト様の役に立ちたいわ。だから兄さんも協力して」


 相手は次期国王。

『聖女』とはいえ平民のニーアに妃の目があるとは、どうもクロウには思えなかった。だが『聖女』を無碍むげにはしないだろう。

 王宮にフレア教対策として『聖女』の役割を設けて飼い殺しにする、最終的にそんなところに落ち着くかもしれない。


 実権の伴わない権力。脅威とならない程度の威光。それらはニーアの生活を十分保証してくれるだろう。

 クロウとしては心置きなく死ねるというものである。


 クロウはアルベルトのパーティとなった『ホライズン』をランクアップするために、大いに力を振るった。

 今まで、出来る限り、自身の加護技スキルを他者に見せないようにしてきたが、もはや、あと2年でいなくなる身。遠慮なく、力を使っていった。


 ドラゴンを始めとするAランク魔物の討伐。千を越す魔物の襲来で陸の孤島なった街の救出。最高峰の迷宮のひとつ、『賢者の塔』の探索。

『ホライズン』は瞬く間にAランクへと昇格した。

 当然、パーティメンバーの武名も高まる。

『気高き勇者』アルベルト。『自由なる聖女』ニーア。『鋼の男』バッツ。『妖艶なる賢者』レイア。そして、『闇をまとう者』クロウ。


 クロウの使う見たことも聞いたこともない技。圧倒的な力。

 クロウが悪魔と契約を結んでいるのではないか、そんな噂が立ち始めた。

 事実なので否定はしなかった。ただ沈黙で応えた。


 パーティ追放劇は起こるべくして起こったといえるだろう。

 クロウとしては、あと1年で自分は死ぬのだから、それまでにパーティに揺るぎようない功績を与えたかった。

 それこそ他の追随を許さぬ圧倒的な功績を。


 いくたの船を沈めてきた海竜レヴィアンタ。

『不死の女王』アリス・バルトリ。

 あるいは伝説のアークドラゴン。

 それらのいずれかを討伐できれば……。


 だが、結局、クロウのそんな心遣いも無駄になった。

 自分無き『ホライズン』は甘く見てもBランクがせいぜいだろう


 アルベルトの加護技スキルは単純だが強力。だが自慢の剣技は王子としてみれば優れているが冒険者としてみれば平凡。


 バッツは体力、腕力はあるが、技術がつたなすぎる。素早い敵や魔術など遠距離攻撃を持っている相手には何もできず、打たれ続けるしかない。


 レイアは優秀だが攻撃魔術の火力が弱い。相性が悪い相手だと、すぐに打つ手がなくなる。


 唯一、Aランクとしても恥ずかしくない能力を持っているのはニーアだが、いかんせんワガママで気まぐれすぎる。

『ホライズン』の行く末は、アルベルトがいかに、ニーアを御していけるかにかかっているだろう。

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