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クルストンの夜

 その日の夕方。

 クルストンという町で一泊することにして、クローディアスは馬車を止めた。

 小さいが大型主要道路沿いの宿場町。宿に困ることはなかった。

 最上級ではないものの、そこそこ上等な宿にしたのは贅沢のためというわけではない。馬車馬たちの世話をちゃんとしてもらいたかったし、エレノアにくつろいでもらいたいがためだ。


 この部屋は、中に従者専用の小部屋が備わっているため、ほかの部屋をもう一つ取る必要はなかった。おかげでエレノアと恥ずかしい口論をすることなく済んだ。


「夕食はどうする? 下のラウンジも良さそうだけど」

 クローディアスはリビングルームの窓を開き、通りを見下ろした。目抜き通り。近くに高級レストランのような店がある。そこも良さそうだ。


 エレノアは答えなかった。ソファにちょこんと腰かけ、両手を膝の上に置いて、行儀よく座っている。


「エレノア?」

 クローディアスが振り返った。


「あ、はい。どういたしました?」

 聞いていなかった。


「夕食だよ。外に食べに行くかい?」

 クローディアスは特に気にすることもなく、微笑みかける。


 その優しい笑みにエレノアは見惚れてしまった。窓から差し込む夕日が、彼の体を淡く彩っている。


「わたくしはどちらでも良いのですが。その、たまには着替えてきちんといただきたいですわね」


「俺から見れば、君ほどきちんとした人はいないと思うけどね」


「そ、そんなことありませんわ。わたくし、もう少しきちんとできますもの。これでも元は公爵令嬢ですし」


「元はというか、今でもそうだろう? 追放されているだけで」


 エレノアは国外追放の処分を受けたが、ウィンデア家が取り潰しになったわけではない。身分としては公爵令嬢(現在のウィンデア公爵は空位。エレノアの祖父からエレノアの父に公爵位は受け継がれたが、父の死後、空位のままである)である。


「それは、そうですけれども。つまりわたくしが申し上げたいのは、淑女としてきちんとしたいということですわ。その、たまには好きな殿方に良いところを見せたいのです」

 顔を真っ赤にして、うつむいて言った。


 今度はクローディアスが見惚れる番である。なんて可愛い人なんだ、と頭がクラクラとしてしまう。


「……それなら、下のラウンジより、高級レストランの方が良さそうだね。先に席を取ってくるよ」

 言って逃げ出すようにクローディアスは廊下へと出た。


 目を閉じて頭をかく。なんというか、エレノアは凄まじく魅力的だ。美しいだけではなく、初心うぶで純真。こんな相手に好かれては、いくらクローディアスが強靭な精神力の持ち主とはいえ、揺らぐ。

 エレノアの全てをものにしたくなってしまう。


 もちろん、そんな真似ができるわけがない。自分はあと半年で死ぬのだ。エレノアを傷ものにするわけにはいかない。

 本当は口づけすらするべきではなかったのだが、こればかりはやたらとエレノアが積極的で仕方がなかった。


「わたくしとキッスをするのが嫌なんですの?」などと正面から問われては、降参せざるを得ないではないか。


 クローディアスは通りに出ると3軒隣の高級レストランに入った。高級レストランとはいっても利用客は大商人クラス。格で言えばエレノアの利用するような店ではない。

 それでも平民で冒険者のクローディアスは客として不適格に見えたのだろう。対応した店員は冷たく、「我が店では、相応の服装の者でなくてはお食事いただけない」と追い払おうとしてきた。


「ああ、それなら心配はない。きちんと着替えてくるさ。チップはこれくらいで足りるかい?」

 言ってクローディアスは腰の収納袋(実際はあまり使っていない)から、金貨を3枚取り出した。店員に握らせる。


 店員の態度が一気に慇懃なものに変わった。どの席に致しましょう、と店内を案内してくれた。


 半地下になったホール。真っ赤な絨毯が敷かれており、広い間隔を明けて白いクロスの張ったテーブルが置いてある。各テーブルと壁に取り付けられたランプがほの暗く、幻想的な雰囲気をかもしだしている。


 奥はステージになっており、ピアノを中心に楽器が置かれている。楽団が生演奏するようだ。

 吹き抜けになっており、2階は回廊のようになっている様子。


 クローディアスはエレノアがロマンスを求めているように思えたので、2階席にしてもらった。眺めが良く、他のテーブルとも距離がある。


「それじゃあ、後ほど、うかがうよ。料理の方は任せる。……いや、そうだな、女の子が喜びそうなものにしてくれるとありがたいな」


 店員に言って店を出る。

 自分も着替えなくてはならない。ただ、部屋に戻るとエレノアがバツの悪い思いをするだろう。

 そういったわけでクローディアスは路地裏に入った。

 その気になれば、どこでも人の認識から自身の存在を消すことができる。だからといって往来の真ん中で着替えるのも気が引ける。


 加護技スキルの異空間収納『闇倉庫』から礼服を出し、手早く身に着ける。なにしろ、以前属していた冒険者パーティ『ホライズン』には王子がいた。かしこまった場所に出ることも何度かあったのだ。

 礼服のひとつふたつは持っている。


 シャツの襟にネクタイを結び、黒いフロックコートを着込む。最後に髪を油で後ろに撫でつける。

 路地から出たクローディアスは見違えていた。

 もともと秀麗な顔立ちの青年である。『ホライズン』時代のパーティでは王子アルベルトと並んでも見劣りしない逸材。足早に通りを歩いていた女性がクローディアスを見てポッと頬を染める。


 これなら問題なさそうだ。


 クローディアスは懐中時計を開いた。

 もう少し時間を空けた方が良いかもしれない。



 クローディアスがドアをノックすると、すぐに返事があった。


「俺だが。準備はできたかい?」

 ドア越しに声をかける。


「はい。わたくしは問題ありませんわ」


 クローディアスの能力ならば部屋の中の様子など簡単に把握できる。だが礼儀上そんな真似はできない。これまでもエレノアに対して、極力、感知能力は使わないようにしてきた。


 クローディアスがドアを開けると、赤いドレスに身を包んだエレノアが照明の下に立っていた。貴族の夜会用というよりは、少し簡素なタイプのドレスで、丈は脛の中ほどまで。スカートはふわりとしているが、広がりすぎているということもない。

 ただ上半身はかなり大胆で胸元まで露出している。肩も腕も剥き出しで、肘から先はレースの手袋をしている。

 首には大きなルビーをトップにした白色金属ミスリルのネックレス。いや、よく見ると黄色金属オリハルコンと組み合わされたネックレスだ。そのため、発光は控えめ目で、代わりに半透明でところどころ透けている。

 髪の方は変わらずだが、こちらはいつも豪華なのでまったく問題がない。そして顏。化粧は控えめに塗った口紅のみ。だが、それだけでエレノアに大人の色気が加わった。


 クローディアスは見惚れて立ち尽くした。

 だが、それはエレノアも同様であった。

 こちらはこちらで、まさかクローディアスが正装してくるとは思いもしなかった。

 ドアが開かれたとき、どうかしら? と恥ずかしさのあまりうつむいていたエレノアだったが、顔を上げたら、黒フロックコートのクローディアスである。


 もともと、エレノアはクローディアスの彫りが深く鋭く、どこか影のある顔立ちが好みである。婚約者のジークフリートの甘いマスクより好みだった。

 それが正装するとその破壊力たるや、社交界で飽きるほど貴公子を見てきたエレノアですら、呆然と目を奪われるほど。


 そういったわけで、ふたりは互いの姿に見惚れて、しばらく時が止まったかのように固まっていた。


「そ、その、すごく綺麗だ」

 ようやく自失から覚めたクローディアスがかすれた声で言った。


 そのひと言で、エレノアも、はっ、と自失から覚める。

「あ、ありがとう存じます。その、クローディアスさんも、とても、その、素敵ですわ」


 またしても互いに赤くなる。


 いかんいかん、とクローディアスは自分を叱咤した。エレノアに恥をかかせないようにしっかりとエスコートしなくては。


「じゃあ、行こうか」

 部屋に入り、エレノアに手を差し出した。


「はい。よろしくお願いいたします」

 そっとエレノアがクローディアスの手に手を重ねる。


 ふたりはそのままゆっくりと歩き、宿を出た。途中すれ違った他の宿泊客が、エレノアの美しさに呆然自失となった。


 レストランに入る。

 先ほどの店員がクローディアスとエレノアを見て、目を丸くする。


「これならば問題ないだろう?」

 クローディアスが言った。


 店員は深々と頭を下げて、ふたりを2階席へと案内した。

 すでにステージには楽団が配置についている。もうそろそろ演奏を始める頃だろう。


「どうも、女性をエスコートする機会はなかったものだから正解なのか分からないんだ」

 席に着いたあとクローディアスは言った。

 なにしろ、『ホライズン』時代はニーアのエスコートはアルベルトが行っていた。もうひとりの女性レイアからエスコートを催促されたこともあるが、そちらは断った。クロウまで、エスコート相手がいてはバッツに悪い。


「立派な貴公子ですわ。むしろ、どこで身に着けたのか知りたいくらいです」


「見よう見まねだよ」

 クローディアスは『ホライズン』時代に華やかなパーティに出るような機会があったことを話した。その時のアルベルトを真似しているだけだと。


 そこで楽団が演奏を始めた。ピアノの調べから始まり、そこに弦楽器の音が乗る。


「『真紅の女王』だね。今夜の君にピッタリの曲だな」


「よくご存じですわね。音楽に詳しいのですか?」

 エレノアが驚いて言った。冒険者をやっていたクローディアスが、音楽に詳しいとは思わなかったのだ。


「別に詳しいわけじゃないよ。ただ、孤児院にオルガンがあってね。まあ、聖歌を歌うためのものなんだけど。それ以外にも院長がときどき弾いてくれたんだよ。それでときどき、街で聞いた音楽を弾いてくれって頼んだりしてね」


 クローディアスは孤児院時代を思いだした。オルガンがあるのは礼拝堂。だが、彼は闇の神シャドーとの契約をしており、立ち入ることはできなかった。だから、礼拝堂のオルガンの側の外壁に背をつけて、聞いていたものだ。


「良い方でしたのね」


「ああ。とてもね。てっきり俺の方が先に旅立つと思ったんだけどな」

 目を細める。


 そこへ料理が運ばれてきた。前菜。それに果実ジュース。

 エレノアが不満そうな顔になった。


「ワインではありませんの?」


「えっ? だけどいつも酒は飲まないだろう?」


 エレノアは食前酒を飲まない。代わりに果実ジュースである。まだ御者のロディだった頃に、勧めたことがあるが、あっさりと断った。


「私は追放された身。それに命を狙われる身でもありますもの。飲酒し、わずかにでも判断を鈍らせるわけにはいきませんわ」


 以後、クローディアスはエレノアに飲酒を勧めることはなかった。食事を手配する際にも、紅茶か果実ジュースである。


「ですが、今宵はお酒をいただきたい気分なのです」


「そうか。じゃあ、頼もう」

 クロウが2階の回廊のところどころに控えるウエイターに向かい、軽く手を挙げる。


「で、でしたら。クローディアスさんも、ぜひに」


「そうだね。せっかくだ。いただくよ」

 クローディアスは言ったが、ワインを飲んでも酔う気はなかった。クローディアスは通常、毒を無効にしてしまう。意識しないと酔うことはできないのだ。


 ウェイターに上物のワインとグラスを二つ頼む。すぐに持ってきた。


 グラスに注がれた赤ワイン。エレノアは赤い液体越しにクローディアスを見た。

 そういえば、以前、ホークと別れる直前に、彼に飲酒を勧められた。あの時は無碍むげに断った。

 今でも、あの時の判断は間違っていないと思う。理屈ではなく感覚で、そう思うのだ。


 ホークに邪気を感じたから? それとも振る舞いの問題かしら? 

 どちらも少し違う気がする。はっきりと感じたのは、あの場でホーク相手に酒を飲むのは下劣で卑屈な気がしたのだ。


「飲まないのかい?」

 クローディアスが言った。


「ふと、思いだしました。クローディアスさんが御者となってくださる前の日。そう、あなたがわたくしに壁越しに話しかけてくださった夜のことですわ。あの直前、わたくしは御者の雇いを解きました」

 エレノアはその時のことを話した。ホークが自分に恋慕していたらしいこと。彼とともに夕食を取った時のエピソード。そして雇いを解くまでのこと。


「そうだな。俺の感覚からいっても君の態度は正しいと思うよ。まず、雇い人の方から君に対してそんなことを言うべきではなかった。例えば、君の方から提案したのならば別だけどね。貴族、平民という以前に、はっきりとした上下関係があったわけだからね。それを曖昧にするような真似は慎むべきだろう。特に、君のその時の状況を考えたら余計にね。今なら強気に出ても大丈夫だ、なんて思ったのかもしれないが。君の立場からすれば舐められた、あなどられた、と感じるだろう。そう、ぞんざいに扱われたとね。もし、君がそこで毅然とした態度をとらなければ、彼は図に乗って、さらなる要求をしただろうし。ただ、そうだね。ひとりの男として、彼に同情したい気持ちもあるかな」


「同情ですか? クローディアスさんが、ホークに?」


「彼にとって君は高嶺の花。ずっと憧れていた相手だからね。それに手が届きそうになったんだ。焦る気持ちもあるさ」


「もう少し寛容であるべきだったのでしょうか?」


「いや、そうしたら、君は彼をどこかで斬っていたかもしれない。きっと彼は君をものにしようとしただろうね。少し強引な手を使ってでも。それは君には我慢できないだろうし、遠からず関係は破綻していたよ。男っていうのは、なんていうかな。基本的に女には弱いんだよ。魅力的な相手には、特にね」


「クローディアスさんも女性に弱いんですの?」

 エレノアが強い眼差しでクローディアスを見つめる。誘うというより挑むような眼差し。


「レイア……俺の冒険者時代の仲間なんだけど。彼女に言わせると、俺は枯れてるらしいよ。男として」


「枯れてる? なんですの? 草木でもあるまいし」


 クローディアスが苦笑いした。エレノアのそういった知識は本当に子供並みだ。

「そうだな。簡単に言うと女性と仲良くやろうって意欲が無くなるってことかな。つまり、男は本能的に女と仲良くやりたい生き物なんだが。その欲求がね」


「それで。実際のところどうなんですの? 枯れてますの?」

 ずいっと身を乗り出した。


「答えなきゃあ、ダメかい?」


「ダメですわね」


 なにしろエレノアに嘘は通じない。

 適当なことは言えないのだ。


「枯れてないよ。だから、こうして君と向かい合って座っているだけで、その、なんだ……」


「なんですの?」


「情熱的な気分になる」

 言って、クローディアスはワインを飲んだ。


 エレノアがそっと笑った。それは彼女が生まれて初めて見せる艶然とした笑み。

 クローディアスの言葉を聞いて、自然とそんな笑みが浮かんでしまったのだ。



 楽団の奏でる音楽。それに店の良い雰囲気。さらに目の前には正装した意中の男性。

 エレノアはワインを次から次へと飲んでしまった。


「エレノア、もうそれくらいにした方がいい」とクローディアスが止めたのだが、すでにムードに酔ったエレノアは聞かなかった。


「大丈夫ですわ。わたくし、お酒には強い方ですもの。お爺様も将来は酒豪になるとおっしゃっておりましたもの」と言いつつ、すでに顔は赤かかった。


「そもそも、なんだって、急に酒を飲みたくなったんだい?」


「クローディアスさんのせいですわ」

 わった目で睨みつける。ただでさえ大きくて目尻のつり上がった鋭い目つき。迫力がある。


「俺の?」


「そうですわ。クローディアスさんがわたくしと一緒にお眠り下さらないからですわよ。恋人同士は一緒に眠るものですわ。あなたはわたくしを子供扱いいたしますけれど。それくらいわたくしでも存じておりますのよ」

 とはいえ、その寝るというのも、ルゼス王国に入ってすぐに護衛についた冒険者パーティ『ファイア』の女リーダーが言っていたことである。男と寝る、とか、そんなことを言っていた。


「わたくしたちは恋人同士でしょう?」

 否定したら斬りかかってきそうな雰囲気である。


「まあ、そうだろうね」


「なんですの。その煮え切らないようなおっしゃりようは」

 強烈な叱責が飛ぶ。


「すまない。確かに俺たちは恋人同士だ。うん、間違いない」

 若干顔を引きつらせながらクローディアスは答えた。


「ですわよね。ですわよね」

 ニコニコとしてエレノア。

「クローディアスさんはわたくしの恋人ですわ。誰にもお譲りしませんから」


「誰も好んでこんな男を欲しがりゃあしませんよ。お嬢みたいなもの好きでなけりゃあね」

 ポロっとロディの口調が出てしまった。


「そんなことはありませわよ。クローディアスさんはわたくしが今までお会いしたどの殿方よりも、素晴らしい男性ですわ。ジークフリート様よりも、アルベルト様よりも」


「王子ふたりと比べられてもなあ」


 そんなやりとりをしている間にもエレノアはまたワインを空けてしまった。止める間もなくそばに待機していたウェイターが注ぐ。


「ですから、クローディアスさん。今夜はぜひともわたくしとご一緒にお眠りください」


「はははっ、考えとくよ」


「今、鳴りましたわよ。わたくしの加護技スキルが」


 困ったなあ、とクローディアスは頭を抱えたい気分だった。



 やはり、といおうか。当然の帰結であるというべきか。エレノアは見事に酔いつぶれた。クローディアスは淑女はどこにいった、と言いたい気分である。


「馬車をご用意いたしましょうか?」

 支払いを終えたあとウェイターがそう気を利かせるが、クローディアスはそれを断った。


「大丈夫。宿はすぐそばなんだ」

 言って宿名を告げる。3件隣である。馬車でいくほどの距離ではない。


「少し見苦しい真似をしてしまうが、許して欲しい」

 クローディアスは言うと、エレノアを両手で抱え上げた。そのまま運ぶ。


 赤いドレスの美女が貴公子風の黒髪の美青年に抱きかかえられ階段を降りる。それはまるで一枚の絵画のような様子であった。楽団の調べが見事にはまり、1階の客の多くは、その様子に見惚れた。

 なによりも青年が美女に向ける表情は慈愛に満ちており、その場にいた女性客たちの心に羨望の念を与えた。

 私もあんな風に……。そんな気持ちにさせられたのだ。


 おかけで、その夜。クルストンの街で腰を痛めた男性が何人かいた。


 ちなみに宿に戻ったクローディアスは、きちんとエレノアをベッドに寝かせ、自身は予定通り、従者用の部屋で眠った。

 そこに至るまでにクローディアスの中で葛藤があったことは言うまでもないだろう。



 翌日。

 エレノアはしっかり二日酔いになった。

 ただ、そこはエレノア・ウィンデア。中級治癒魔術でさっさと治療してしまう。

 それは良いのだが、昨夜のことが途中から記憶にない。気が付いたら、朝で、ドレスのままベッドで眠っていたのだ。


 わたくし、一体、あのあと、どうしたのでしょうか?


 クローディアスとの会話の途中までは覚えているのだ。だが、そこから先、プツリと記憶がない。


 なにか醜態を晒してはいませんわよね?


 非常に心配になった。

 身支度を整えて寝室からリビングへと出る。すでにクローディアスは起きており、旅装を整えていた。


「おはよう。二日酔いは大丈夫かい?」

 心配そうな顔で聞く。


「……二日酔い。そういう名前ですのね。あれは」

 わけもわからず気分が悪かったので、とにかく魔術で治したのだ。


「ああ、治したのか。それなら朝食はとれるかな?」


「ええ、いただきますけれど。その……」

 上目づかいで言いよどむ。


「なんだい?」

 クローディアスは昨日のことなどなかったかのように平然としている。憎たらしいほどさわやかだ。


「その、わたくし、その、記憶がありませんの。食事の途中から。その、淑女としてなにかはしたない真似はしておりませでしょうか?」


「……ま、まあ、その、大したことはないよ。うん」

 クローディアスは曖昧に濁した。なにしろエレノアに嘘は通じないのである。


「なにか、クローディアスさんに要求したりなどは……」

 エレノアの恐れているのがそれである。


「ああ、まあ、ほら、一緒の部屋で寝たい、なんてことを言っていたかな。だけど、それは素面でも聞いてることだしね。うん、主張してたのはそれくらいで。あと、そうだなちょっと、甘えてきたくらいかな」


「甘えてきた、とは?」


 クローディアスは、ははは、と笑って誤魔化した。


「クローディアスさん、わたくしの頭を撫でてください。わたくしを褒めてください。ねえ、クローディアスさん」と甘えてきた。

 何度となく。


 しかし、それを口に出すとエレノアが羞恥心で悶えそうだ。


「まあ、恋人に甘えるのは当たり前だよ。大丈夫。可愛いものさ」

 さすがは我がままな妹に鍛えられてきただけのことはある。

「とにかく、変なことはなかったよ。君はとても魅力的だった」


 エレノアもさすがにそれ以上は聞かなかった。なんとなく、ものすごく恥ずかしい真似をしたことは分かる。


「キッスをください」


「えっ。いきなりだな」


「恥ずかしいのです。ものすごく。けれど起こってしまったことは致し方ありません。それなら、良い思いをして、良い朝にしたいのです」

 言って、とことことこ、と遠慮がちにクローディアスに身を寄せる。

 目を閉じて、上を向く。


 クローディアスはそっとエレノアの頭を撫でると、軽くその唇に唇をつけた。

 わずかな罪悪感とそれを完全に塗りつぶすような幸福感が身内に広がった。

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