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聖女は祈る

 アルカディア歴1824年7月8日

 ルゼス王国王都ルーベリア  



 磨き抜かれた白石が敷かれた大広間。そのつややかな床に幾人もの人間がひざまづいている。

 広間の奥の壁には巨大な黄金の二重正円。フレア神のシンボルマークである。

 ひざまづいて祈る人々には、一般人もいれば、白い神官着や白色の鎧を着た者たちも多い。朝の礼拝時間のためである。


 ルゼス王国王都ルーベリア。王城にほど近い場所にある大神殿の祈祷の間。

 やがて祈祷の終わりを告げる鐘が鳴った。


 ひざまづいていた人々がひとり、またひとりと立ち上がり、広間から出ていく。朝の祈りを終えて仕事に向かうのだろう。


 レディウス・オルセンも立ち上がった。

 オレンジ色の髪の青年で涼し気な目元と高い鼻の美男子だ。白色金属ミスリルの鎧に籠手、脚絆を身に着け、腰には剣を差している。白色金属ミスリルはかすかに発光する性質があるため、彼の武具はキラキラと輝いている。

 鎧の中央には二重正円が描かれている。フレア教会聖騎士団の印である。


 レディウスと並んで祈っていたほかの聖騎士たちも立ち上がった。誰もが、見目麗しい男子たち。聖騎士となるには剣術や魔法、家柄も重要だが、容姿も判定基準になっているのだ。


 レディウスは未だに最前で祈っている少女に目を止めた。神官着を着ているが神殿では見覚えがない。癖のない、黒絹のような腰まである髪が神官着の白さに映えている。


「ああ、あれは『聖女』殿ですね」

 同僚がレディウスの視線に気づいて言った。

「冒険者をやめて、現在は城に滞在中とのことですが」


「あれが『聖女』殿か」

 レディウスはつぶやいた。


 数年前にフレア教会が認定した『聖女』。

 まだ年若いながら強力な治癒魔術と非常に希少な加護技スキルを使うという話だ。ルゼス王国第1王子アルベルト・アルクの『ホライズン』という冒険者パーティに所属していたはず。

『勇者』アルベルト。『聖女』エルシュニーア。『ホライズン』の活躍は王都では噂の種。大人気だった。レディウスも彼らの活躍を聞くたびに心躍らせていたものである。


「興味があるなら話してみては? 『聖女』殿は王子と離れ離れになり、寂しげであるとの噂ですよ」


 アルベルトは『聖女』に同情した。王子アルベルトは旧グリンニル侯爵領の領主として赴任した。愛する若い男女が離れ離れ。ロマンチックなところのあるレディウスは、恋愛劇の一幕のように感じた。


「では私たちは先に行っていますね」

 同僚が言ってほかの聖騎士たちをともなって広間を去る。


 広間にいるのは『聖女』ニーアとレディウスだけになった。

 レディウスはわざと足音をたてて、いまだ祈り続ける『聖女』に近付いた。なにを祈っているのか、『聖女』は身動き一つしない。


 遠方へ行った恋人の無事でも祈っているのだろうか?


 レディウスは『聖女』の隣にひざまづいた。

 そっとその横顔を覗く。『聖女』ニーアは両手の指を胸の前で組み、目を閉じて祈り続ける。


 レディウスはその相貌の美しさに見惚れた。ただ美しいだけではない。なにか犯しがたい清廉さがあった。年齢は10代中頃だろうか。


「レディウス・オルセン様ですか?」

 ニーアが言った。目を閉じたままだ。


「は、はい。私のことをご存じなのですか?」


 レディウスは動揺した。まさか、自分のことを知っているとは思わなかったのだ。レディウスはエフィレイア王国のフレア教聖騎士団から派遣されてきたばかり。面識はないはずだ。


 ニーアが顔を横に向ける。その目が開いた。吸い込まれるような漆黒の瞳。


「聖騎士様たちの気配は皆、覚えていますから。お会いしたことのない聖騎士様なら、レディウス様だろうと思ったんです。驚きました?」


「はい、とても」

 想像以上の『聖女』の美しさにぼうっと見惚れるレディウス。


『聖女』が笑顔になった。

「良かった」


 そのとたん静謐せいひつな美しさに、動的なものが加わり、生命力の放射のような熱が発された。

 それに当てられたレディウスは心臓がドキンと跳ね上がった。カアーと熱が体中に広がる。まるで心に火が付いたような。


「な、なにをお祈りされていたのですか?」

 カラカラになった口の中。かすれた声で言った。


「ある御方のことをお祈りしておりました」


 やはりアルベルト王子のことか、とレディウスは思った。なぜか、つい先ほどまでと違い心が重くなった。


「ああ、あの御方は今、どちらにいらっしゃるのかしら」

 ニーアが夢見るように言った。


「それは、西方でしょう」

 旧グリンニル侯爵領はルゼス王国西方にある。


 ニーアが小首を傾げた。それがまたあどけなく、レディウスの心を大きく揺さぶる。


「アルベルト殿下は西の旧グリンニル侯爵領へ旅立ったのでは?」

 動揺を隠すように言葉をつむぐ。


「……ああ、アルベルト様のことでしたか」


「違うのですか?」


 それに、ニーアは、ふふふっ、としとやかに笑った。まさに『聖女』の笑みといった様子。


「私、もう少し、祈ろうと思います」

 言ってニーアがまた正面に向き直った。彼女はレディウスと話していた時も、ずっと両の指を結んだまま。


「お邪魔をしてしまいました。お許しください」


「いえ、レディウス様とお話しできて嬉しかったです」


 レディウスは音をたてないように立ち上がると、その場から去った。途中、振り返る。胸が弾むような、同時に切ないような気持ちがあった。


 聖騎士に恋の病を発症させた『聖女』は、祈り続ける。

 その結んだ手に爪が食い込む。血がにじむ。


 どうか、神様。あの御方に罰を与えてください。

 私の兄さんを奪ったあの女に、天罰を。


 エレノア・ウィンデア。ニーアは彼女に会ったことはない。だが、彼女の兄クローディアスはエレノアとともに行ってしまった。

 今までのようにニーアの願いを聞いて助けてはくれず、それどころか彼女を捨てて。

 兄はエレノアを選んだのだ。妹の自分よりもエレノアを優先したのだ。


 それを思うとニーアの心を激しく強い感情が満たす。怒り。そして憎しみ。


 ああ、どうか、神様。

 エレノア・ウィンデアに苦しみを。




◇◇◇




 アルカディア歴1824年7月8日

 ルゼス王国ルドマン辺境伯領



 ルゼス王国東。

 王都ルーベリアから東の隣国クレイモス王国へ向かう主要道路。ルゼス東の大都市スライシオをさらに東に向かった草原地帯を横切る一本道。

 真夏の灼熱の太陽が降りそそぎ、石畳で舗装された道路を焼く。


 その上を馬を2頭つないだ大型馬車が走っていく。

 立派な馬車だ。背もたれのある長椅子の御者台にはいくつもの仕掛けがあり、2頭の馬を巧みに操ることができる。

 白い箱型の乗車部分は大きく、詰めれば8人ぐらいは乗れそうだ。もちろん、内装も凝っている。

 なにより、足回りには振動を最小限に押さえるための工夫がされている。


 別に目の肥えた者でなくとも、この馬車が上流階級の人間が所有するものだろうと分かる。

 実際、この馬車の所有者を知れば、ああ、なるほど、と納得するはずだ。だが、すぐに、首を傾げるかもしれない。それにしては少し質素過ぎないか、と。


 ミッド大陸にある3ヵ国が一つ東のエフィレイア王国の二大公爵家、ウインデア家の馬車にしては飾り気が無さすぎるのではないか、と。


 おまけに、馬車の主エレノア・ウィンデアは乗車部分にではなく、日よけのホロを張った御者台にいる。


 黄金の髪はいくつもの螺旋を描き、まるでそれ自体が芸術作品のようだ。白磁のような白い肌。深い湖を思わせる青い瞳。目尻がつんと上がった大きな目は長い睫毛に縁どられている。豪華な黄金の髪に彩られた相貌は、見事な髪に負けず劣らず美しい。


 青いシャツと紺色のスカート。その上から銀の胸当てや籠手、脚絆などを付けている。


 エレノアは首筋や額に汗をにじむませながらも、隣の男にピタリとくっついている。手綱を握る男の二の腕に遠慮がちにつかまり、時折、チラリ、チラリと愛情のこもった視線を彼の横顔に送っている。


 男は上下ともに革の服を着ている。スラリとした細身の体。だが、痩せているという印象はない。無駄な肉が一切ついていないという様子。

 硬そうな少し癖のある黒髪。その下の顔は整っており、衣装さえちゃんとすれば貴公子とすら言えそうだ。

 闇を固めたような漆黒の瞳には、今、愛情と困惑の両方の感情が見える。


 実際、クロウ……クローディアスは戸惑っていた。

 王都を立ってから7日目。その間、エレノアはクローディアスにベッタリである。

 片時も離れようとしない。


「わたくしたちには時間がありません。1分、1秒だとて、無駄になどできないのです」となにかにつけて言ってきて、離れようとしないのだ。


 クロウの命はあと半年程度。闇の神シャドーとの契約でそうなっている。王都で互いの想いを伝えあい、口づけもかわし、晴れて恋人関係になった2人には、確かに時間がない。


 だがエレノアは矛盾していた。

 時間がない。だから離れたくない。少しでも長く一緒にいたい。そう主張する割には、クローディアスが自分の命があと半年であると言うたびに、まなじりを吊り上げて怒るのだ。


「クローディアスさん。わたくしが信じられませんの? わたくしは確かに闇の神の声を聞いたのです。道はある、そうおっしゃいましたわ」

 だから諦めるな。絶対に助ける道を見つけて見せるから。


 エレノアとしてはその矛盾した態度に気づいていないようである。なにしろ、彼女は今、初めての恋人(婚約者の王子は彼女にしてみればノーカウント)に夢中になっている。やや浮かれていた。

 クローディアスの側にいたい。絶対離れたくない。


 だが、エレノアの男女関係の知識は乏しい。上流階級で、しかも第1王子との婚約関係を結んでおり、次期王妃が約束されていた身。おまけに、『王国法の番人』『正義の天秤』とも呼ばれるウィンデア公爵家の次期当主でもある。

 本来なら耳年増な同年代の女性から仕入れられる知識など入ってくるわけがない。

 口づけの存在くらいはかろうじて知っていたが(もちろん軽く唇をくっつけるくらいの)、その先ともなると曖昧模糊あいまいもことしたものである。


 なので、宿で一緒の部屋で寝たいとクローディアスに主張するのも、なんら性的な理由ではなく、少しでも長く恋人の側にいたいがためであった。


「クローディアスさんはわたしくと離れて平気なのですの?」


「いや、離れるったって、寝てる間だけだしなあ」


「それが長いのです。8時間も離れているだなんて。わたくしは片時もあなたのそばから離れたくはありません。一緒にいたいのです。それに恋人同士はベッドをともにするものだと聞いたことがあります」

 それはやはり性的な知識にもとづいたものではなく、単に母親が幼子と添い寝するようなイメージのものである。


「いや、そういうのはもう少し深い仲になった恋人たちのことでね」


「わたくしのクローディアスさんへの想いは海よりも深いですわ。クローディアスさんは違いますの?」

 うかがうような上目遣いで言う。


「いや、想いの深さなら俺も十分深いと思うんだが」


 エレノアの顔がパアと輝く。

 彼女の三つの加護技スキルの一つ『虚言看破』は反応しなかった。嘘だったら、ピーと笛のような音が聞こえるはずなのだ。


「で、では、では、ど、どれくらい好きですの? わたくしのことをどれくらい想ってくださっておりますの?」


 クローディアスは黒髪をかきまわし、考え込む。もともと多弁な方ではない。

「そうだなあ。君のためにできることがあったら、なんでもしようとは思っているよ。

それで寿命が残りひと晩になってもね」


「不吉なことをおっしゃらないでください」


「いや、君が聞くから」


「わたくしは、もう少し、こう、ロマンティックなお言葉を頂きたかったのです」


「ええと、そうだな。君が望むのなら、海竜レヴィアンタの胃袋の中に財宝を探しにいってもいい」


「それですわ。そういうのが頂きたかったのです」

 言ったあと、頬を両手で挟んで、身をくねらせる。

「素敵ですわ」


「しかし、これから、レヴィアンタか。少し時間的に厳しいかもしれないな」


 クローディアスは北のノーシアン大陸との交易船を沈めている海竜レヴィアンタ討伐を考え、難しい顔になった。ここから海に出るまで2週間はかかるだろう。そこから海竜探しともなると……。

 だが、エレノアの今後を思えば、海竜レヴィアンタ退治の誉れは悪くない。それに海竜の胃袋には何十もの飲み込まれた船が沈んでいるという話だ。それは小国のひしめくノーシアン大陸の国、ひとつふたつなら買い取れるくらいの金額はあるだろう。

 その財産を元手に、ノーシアンで覇を唱えるのも良いかもしれない。しかし、時間的にどうも無理がある。


「もう、クローディアスさんたら。なにも本当に実行していただく必要などありませんわよ。わたくしは海竜討伐などに興味はございません。わたくしが興味があるのは、あなたのことだけすのよ」


 それからエレノアは頬を赤く染めて、目を閉じ、口づけをせがむ(これがまた凶悪なほど可愛い)。


「エレノア。こんな場所でそういうことは、ね。ほら、受付の人も困ってるし」


 などと宿の受付でそんな一幕があったりもするふたりの旅路であった。


 さて話を戻し、大草原。エレノアの馬車が東に向かって走っていく様子を、そこから数キロ離れた丘の上で見る影があった。三脚付きの大型の筒。望遠鏡である。統一王国アルカディア時代の遺物で、今はこの大陸には存在しないドワーフが作ったとされる逸品だ。

 フード付きのマントを身にまとうその男は、立ち上がると、望遠鏡を収納袋にしまった。離れた場所につないである黒馬にまたがると走る。


 彼はエフィレイア王国の二大公爵家ローゼン家の当主であり、同国宰相ハリス・ローゼンの手の者だ。彼の命を受け、ルゼス王国で影の仕事を行ってきた。


 エレノアがエフィレイアを追放され、ルゼス王国に入国してからは、彼女の暗殺の指令を受けている。


 彼らの仲間の中で最強のふたり。『死体魔術師ネクロマンサー』と『虫使い』はすでにエレノアに敗北し、命を落としている。

 残るは3人。ここから先、彼らの決死の攻撃が始まる。

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