表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/109

クロウとグリンニル公爵

 グリンニル公爵邸。上級貴族、それも最上位にある者の屋敷だけあって、その敷地は広い。高い壁に囲われた敷地内には美しく整備された庭園が広がり、その奥に小さな城のような館が建っている。

 いたるところに衛兵が立ち、夜中といえど、交代で守りを務めている。王都の中にあって、そこはひとつの隔絶された領土のようである。


 そんなグリンニル公爵邸に、今まさに黒い人影が壁を乗り越えて侵入を果たした。

 炎のようにたゆたう闇の鎧で全身をおおった者。『闇をまとう者』クロウだ。


 音もなく、気配もなく、クロウは庭園を囲う木立の中を走った。

 月光が照らす影絵のような世界で、クロウは影そのもの。景色に溶け込むようにしてグリンニル公爵邸へと近づく


 冒険者時代、何度かグリンニル公爵邸に感じた違和感。奇妙な心地よさのようなもの。屋敷に近づけば近づくほどに、それは強くなっていく。


 闇の神に関するものがある。グリンニル公爵がそれを使ってエレノアを拉致したのは間違いない。


 見張りの目に何度かさらされるも、誰もクロウには気づかない。気配を殺したクロウを見つけることができるものは、そう多くはない。


 窓に取りつくと、そっと手を当てる。クロウの手から伸びた闇が窓をすり抜けて入り込み、内側から鍵を開ける。

 やはり物音ひとつたてずにクロウは邸内に入った。


 シャドーの気配のせいで感知能力がうまく働かない。どうやら気配の元は地下からのようではあるが。


 廊下を走り出そうと一歩を踏み出し駆けたところでピタリと止まる。

 指でそっと眼前の宙をなぞる。細い糸がひっかかった。目に見えないほど細く、強靭な糸。


 次の瞬間、クロウは横に跳んだ。クロウの立っていた床に深い裂け目ができる。

 それが刃のように鋭い糸によるものだと、すぐに察した。

 糸を操る加護技スキル『糸繰り』。クロウは一度だけ、その加護技スキルの持ち主と戦ったことがある。


「あんたか、ファルク」


 暗い廊下。その天井に逆さに釣り下がる人影が現れた。闇をまとうクロウのように、闇に溶けている。全身、黒い鎧でかためているためだ。


「久しいのう、少年。元気にしておったかね」


「いつ王家から公爵家へ鞍替えしたんだ?」


「すでに引退した身だからなあ」


 そんな話をしながらも、ふたりは攻防を続けていた。闇の中、見えない斬糸が次々とクロウに襲い掛かる。

 だが、それをクロウはことごとくかわす。


 壁や床に、一つ、また一つと裂け目ができていく。


 本来のクロウならば、いくらファルクの繰り出す斬糸が不可視でも、簡単にかわしてファルクを倒していたことだろう。

 少なくとも、4年前に戦った時はそうだった。


 だが場所が悪い。地下からの気配のせいでクロウの感知能力はほとんど役に立たない。

 糸が闇の鎧に触れるか触れないかという寸前で、ようやく存在を知ることができる。

 攻めに転じる余裕がなかった。


「まあ、少しばかり儂と遊んで行けよ。まだまだ、お主が行くには早いのだ」


「その口ぶり、あんたが裏で手を引いてるのか」


「はて、なんのことだかね」


「グリンニル公爵をそそのかして、なにをしたい? お嬢……エレノア・ウィンデアをどう使うつもりだ」

 クロウの語気が強くなる。


 すでに廊下は細い傷跡が無数にできて模様のようになっている。ガラスは割れ、照明は切れ、床や壁のタイルは幾枚も剥がれている。


「教えてやったろう。グリンニル公爵がアルベルト殿下とエレノア・ウィンデアを狙っていると」


 その言葉に、クロウの反応が一瞬遅れた。

 そしてその一瞬が命取りになった。斬糸がクロウの足を斬りつける。クロウのまとっている闇が裂け、その下の肉体を割る。


 なんとか切断はまぬがれたが、ひとつの行動の遅れが、次には致命的になる。

 かわした先に、張り巡らされた糸。


 かわせない、そう判断したクロウは守りに身を固めた。おかげで斬糸は闇の鎧を通ることはなかった。だが、破ることもできず、クロウのまとう闇は、ファルクの糸を寸前で防ぎ続ける。


 その時にはすでに彼の周囲には糸が無数に張り巡らされ、逃げる隙間は残されていなかった。


「さすがよな。殿下の『光の剣』の数倍は鋭いのだが」


 細く集約されている分、ファルクの糸は鋭い。

 クロウが守りを緩めれば一瞬で切り裂かれるだろう。


「教えたといったな。あんた、まさか……」


 さすがのクロウも驚いた。まさか付き合いの長い情報屋のジャックが、ファルクだとは思わなかったのだ。


「なに、時々、お前さんの相手をしていたくらいだよ。儂の二つ目の加護技スキル『憑依』は、一時的に人の中に入れるだけだからなあ。儂もそれほど暇ではないよ」


 クロウは舌打ちした。常に冷静な彼には珍しいことである。意識していないがエレノアがさらわれたことに焦りがあるのだ。


「そんな強力な加護技スキルを二つも持っているなんて反則だな」


「お前さんにはだけは言われたくないな」


「こっちはそれなりの代償を払ってる。もう一度聞くが、エレノア・ウィンデアをどうするつもりだ。公爵のために殺すのか?」


「取り引きをしないかね」


「取り引き?」


「こちらで『聖女』ニーアを保護しよう。まあ、一生飼い殺しの身となるが、それなりに優雅な暮らしはできるだろうな。お前さんの望んでいた通りに。その代わりに、エレノア・ウィンデアを王家に差し出せ。もちろん、こちらは最高の待遇を約束するとも。なにせ、王妃になっていただくのだからな」


「王妃? エレノアを……アルベルトにあてがうつもりか」


「お前さんの妹と知れば、エレノア・ウィンデアは『聖女』を保護しようとするだろうな。アルベルト殿下よりもよほど、頼りになろう。そう思わんか?」


 クロウは目を閉じた。

 確かに、エレノアが王妃となればこれほど心強いことはないだろう。ニーアも自由気ままというわけにはいかないだろうが、衣食住には不自由することない。


「エレノア・ウィンデアにとっても良い話だと思わんか? アルク王家にウィンデアの血を残せるのだからな。ゆくゆくは、エフィレイアのウィンデア家再興の道も開けよう」


 それも正しい。このままクレイモスの親戚を頼ったところで、どれほど力を貸してくれるか。せいぜい、有力貴族との婚姻に使われるだけではないか。

 同じ政略結婚ならば、エレノアのためには、アルベルトとの婚姻が最良である。


「なにを隠そう、儂は王の意向で動いているのだよ」


 王の意志。それはこの話が実現するだろう可能性が高いことを意味していた。


「まあ、アルベルト殿下をエレノア・ウィンデアの元へと向かわせたわけだ。ちょうど、お前さんと儂が話していた頃かな。そこを公爵に狙わせた。グリンニル公爵は代々頭がめでたくてな。秘宝である闇の神の神像を隠し通せていると思っている。『見えざる牙』はとっくに把握しておったのだがなあ。歴代の王も使えると思ったからこそ、放置しておったにすぎんというのに」


 闇の神の神像。それが、この気配の元なのだろう。恐らくはそれによって、闇の神の力を一時的に借りる。もちろん、対価は必要だろうが。


「なぜそんなことをするか、不思議かね? 要するに夫婦となるふたりの気持ちを近づけるためだよ。アルベルト殿下がエレノア・ウィンデアに惹かれるだろことはわかっているからね。エレノア・ウィンデアもそう悪い気はせんだろう。現に、今のところ、うまくいっているようだよ」


 つまり、ファルクはそのためにクロウを足止めしているわけだ。グリンニル公爵を倒すためにクロウの力を借りる。だが、もう少し、時間が欲しい。


「どうだね。お前さんにとっても悪くない話だろう」


 ああ、そうだな。

 クロウは心の中で答えた。確かに、これ以上ないほどに望み通りの展開だ。ニーアとエレノア、ふたりの未来は明るいだろう。


「先に公爵を殺しに行け。そして、そのまま姿を消すことだ。あとのことは儂が責任を持って引き受けよう。『見えざる牙』の元統領ファルク・レインの名にかけてな」


 妹を守ってくれという母の願いが響く。

 ニーアの無邪気な、そして危うい笑顔が浮かぶ。

 それらは、クロウの心を暗い暗い底へと引きずり込んでいく。

 ああ、分かってる。分かってるさ。

 これまでも俺はそうしてきた。あと少し、仕上げをする程度だ。 


「わたくしは正しいことが好きです」


 エレノアの声がした。

 闇に差し込む一条の光線のように、鮮烈にクロウの心に突き刺さる。

 キッとクロウを睨むエレノアの顔が浮かぶ。強い意志のこもった瞳。


 ふっ、とクロウは笑った。

 そうだな、お嬢。あなたはいくらお膳立てをしたところで、鼻で笑って別の道を選ぶんだよな。


「舐めるなよ。ファルク。俺のお嬢は自分で決めた道しか進みはしないんだよ。もしも、その道にアルベルトが必要なら、胸倉をつかんででも手に入れるさ」


 そうだ。そんなエレノアだからこそ、クロウは強く惹かれたのだ。そんな彼女だからこそ。


「取り引きは不成立か。ならば、もうしばらく足止めをさせてもらうとするか。いずれにしても、レオニスを倒すのは儂では難しいからな」


「そうはいかんね。お嬢の忠実なる御者として、期待を裏切るわけにはいかないからな」

 クロウは言うと一歩前へ踏み出した。


 クロウを何重にも囲んでいた不可視の糸が闇の鎧を切り裂く。

 ……いや、鎧がその闇を大きく広げ、その場を呑み込んでいく。

 クロウがさらに一歩進むごとに、闇はさらに広がり、一帯に張られた斬糸を溶かしていった。


「なんとまあ、厄介な奴よな」

 ファルクが呆れたようなに言う。


 クロウはファルクの前に立った。闇は再び収束し、闇の鎧に戻っている。だが、すでにそこはクロウの間合いだった。ファルクが動く前に彼の命を断つことができる。


「公爵はどこにいる? エレノア・ウィンデアは?」


「公爵は上だよ。俗物らしく、楽しんでおるよ。エレノア・ウィンデアは下だね。アルベルト殿下と閉じ込めれているよ」


「分かった」


 地下の闇の神シャドーの神像か、上階の公爵か。

 ただ、いくらクロウでも神像を破壊できない可能性が高い。それどころか、エレノアを助けることもできないかもしれない。


 やはりグリンニル公爵を先に倒すべきだろう。


「忠告しておくが、もし、俺を止めようとしたら、殺す。あんたが命を惜しむ奴じゃないのは分かるが、するべきことはできなくなる。確実にな」


「見逃してくれるか? 優しい奴だな」


「アルク王家と敵対するつもりはないからな」


 クロウは天井からに逆さにぶら下がっているファルクの下を通り過ぎた。

 ファルクは動かなかった。

 今はまだ決着をつけるつもりはないのだろう。



 グリンニル公爵レニオスは自身の苛立ちをぶつけるように、目の前の少女を凌辱していた。彼は無垢な少女を汚すことが好きだった。身分が高ければ高いほど良い。その点では今夜の得物は平民のため不満であった。


 レオニスのプライドは高い。生まれた時から次期公爵としてこびへつらわれることに慣れ、現在もルゼス王国でも高い地位にある。

 公爵という地位を存分に使って好き勝手にしてきた。他家の娘を奪い取り、平民を蹂躙し、奴隷を売り飛ばし。


 王家がルゼス王国の表の王だとすれば、自分が裏の王だという自負があった。それほど彼は腐敗の頂点にいた。


 そんな彼を脅かす存在が二つ。

 ひとつはアルベルト・アルク。彼が王位につけば、現王よりも強硬な姿勢で貴族の腐敗を掣肘せいちゅうするかもしれない。だが、それに対しては、まだまだ先の話しであり、猶予は十分にあった。


 より、脅威なのは、最近、現れた二つ目。エレノア・ウィンデア。

 追放されたと聞いた時から興味はあった。年齢が行き過ぎているために、彼の趣味の対象外であり、積極的に接触しようとは思わなかったが。


 セクプトでのエレノアの活躍。

 レオニスの配下ともいうべき領主代行アーキスは処刑され、奴隷売買のルートが消えた。


 目障りな奴だ、と思った。

 エレノアがクレイモスを目指していることは分かっていたので、すぐにルゼスから出ていくだろうとタカをくくっていた。

 さすがに公爵たる自分に牙を向けるようなことはするまい。


 だが、エレノアはネイヴル侯爵を討った。たった一人面会を求め、一刀の元に首をはねたという。

 無茶苦茶であった。他国の貴族を殺すなど。


 ネイヴル侯爵とは懇意にしていた。レオニスにとっては価値観の近い盟友ともいうべき存在。頼りにもしていた。


 次は自分では、という思いが日に日に強くなっていった。侯爵を討てたのならば、公爵である自分を討つこともためらわないだろう。

 なにしろ、自分の名が悪名として広がっている自覚はあった。王都では多少は遠慮しているが、東の自身の領地では、神のごとく振る舞ってきた。


 くさい臭いがしたというだけで村を焼き払い、暇つぶしに殺し合いをさせ、娘を差し出させて遊んだ。

 税を取り立て、美食の限りを尽くし、邪魔者はむごたらしく処刑した。


 そんな悪の帝王たる自分レオニス・グリンニルを、正義のエレノア・ウィンデアが見逃すはずがないではないか。


 ただ、これはレオニスの自意識過剰であった。エレノアとて万能ではない。自分に助けを求める者がいて、レオニスの悪行を知れば、彼を討伐したかもしれない。

 だが、エレノアがレオニスの悪行を知る暇はなく、ともすれば、見逃していた可能性の方が高い。


 レオニスがなにもしなければ、エレノアも王都でなにかをすることはなかっただろう。


 レオニスはエレノアに怯えているという事実に我慢できなかった。公爵たる、悪の帝王たる自分を、小娘がおびやかすとは。

 そう彼は怯えていた。王都にエレノアが来たと聞いて防備を固めた屋敷に引きこもるほどに。


 そんな時に側近がレオニスに告げた。エレノアが彼の命を狙っているという情報を得たと。

 その側近は代々グリンニル公爵家に仕える譜代の家臣。グリンニル家に伝わる邪神像のことも知っていた。


「レオニス様。あれを使う時が来たのではありませんか? あれを使い、エレノア・ウィンデアを始末するべきです。そうだ。この機会に、アルベルト殿下も……」

 そんな風にレオニスをそそのかした。 


 レオニスは知ることはないが、側近を操ったのはファルクだった。


 レオニスはすぐにその気になった。懸念事項であったアルベルトも始末すれば、まさに一石二鳥。さっそく、いつか使おうと考えていた娘を生贄にして、邪神を呼びだした。


 暗黒の世界で、声だけが語りかけてきた。


「確かに代償は払われた。良かろう。契約はなされた。我が力を授けよう」


 邪神の力。いや、契約した今となって、邪神ではなく闇の神シャドーだということが分かっている。

 教えられる必要もなく力の使い方が分かった。まさに無敵の力。無限の可能性を秘めていた。

 光の神フレアから凡庸な加護技スキルしか得られず、少年時代鬱屈していたレオニスは大いに興奮した。


 試しに使用人を溶かしたり、潰したりしてみた。実に愉快であった。

 平民腹の娘一人でこれなら、なんと安いものか。もっと早く闇の神と契約していれば良かった。


 平民街で暴れてみようか、などと思っていると、エレノア・ウィンデアがアルベルトと接触しているという情報がきた。まさに好機である。

 さっそく、闇の神の加護技スキルで彼らを拉致した。


 本来ならば、わざわざ屋敷に連れてきて閉じ込める必要はなかった。闇の神の加護技スキルを使えば宿屋ごと消し去ることは容易だったのだ。

 だが、それではつまらない、とレオニスは思った。


 今までさんざんに自分をおびやかしてきたのだ。訳も分からず死んでいくなどというのでは、あまりにも簡単すぎる。つまらない。


 たっぷりと怯えさせてやろう。

 そのつもりで、彼らの前に姿を現し、タネを明かした。

 だが、エレノア・ウィンデアはこともあろうにレオニスを辱めた。レオニスが自分に怯えていると言ってのけたのだ。


 だからこそ、レオニスは一度下がった。衝動に任せて殺してしまっては、それまでだ。じっくりと時間をかけ、死に怯えさえせ、命乞いをさせよう。


 絶対者たる自分に歯向かった愚かさを徹底的に思い知らせてやろう。


 レオニスは先ほどから反応がなくなった娘を見下ろし、唾を吐いた。

 衝動を抑えた分、この程度の慰みではまるで足りない。

 メイド見習いに子爵家の娘がいる。その娘でも呼ぶか。


 そう考えて部屋の隅で彼の行為を時に手伝い、見守っていた側近に声をかける。

 横たわる娘を片付け、子爵家の娘を連れてくるように申しつける。


 側近はすぐに部屋を出ていった。


 さて、少しその間に、エレノア・ウィンデアの様子でも見てこようか、と考える。

 レオニスの予想では、なんとか闇の獣を撃退したところだろう。

 だが、エレノアたちを包む闇の空間は、少しずつ縮んでいる。せまりくる闇に気が付き、試行錯誤しているのではないか。


 ドアが開いた。

 側近が部下を連れて戻ってきたか、と思ったが、それにしては静かだ。不思議と人の気配がしない。


 レオニスは振り返った。


「なんだ、貴様は」


 炎のようにたゆたう闇を身にまとった者。もし、レオニスが闇の神シャドーと契約していなければ、まるで心当たりがなかっただろう。

 だが、レオニス自身もつい先ほど似たような姿になっていた。


「闇の神の使いか?」


「ああ、あんたと同じ闇の神シャドーと契約した者さ。あんたを始末しにきた」


「始末? アルベルト殿下を助けにでも来たのか」

 心当たりがあるとすれば、王家の密偵『見えざる牙』である。レオニスも噂しか聞いたことがない。


「まあ、そんなところさ。ところで、あんた、どれくらい捧げたんだ? 闇の神は代償を払わなくては力を貸してはくれないだろう」


「どれくらい? ああ、平民腹の娘を生贄にしたな。安い対価だったぞ」

 自分を殺しにきたという相手に対し、レオニスは不思議と警戒心を抱かなかった。同じ闇の神との契約者。同胞という意識があった。

「おい、貴様。私に仕えぬか? 王家よりは高い金を払ってやるぞ」


『闇をまとう者』クロウは、それには答えなかった。ただ、思っただけだ。闇の神にとっては、娘の命と当人の70年の命、どちらが高額なのだろうか、と。


「無礼な態度は大目に見てやろう。なにせ、同じ神を信奉する仲間だからな。今日から私に仕えるが良いぞ」

 はっはっは、と上機嫌に笑うレオニス。


「もう、その口を閉じろよ。気分が悪いぜ」

 クロウは吐き捨てた。


 恐らくは生贄を捧げ力を得るという行為が、闇の神の信仰として残っていったのだろう。だからこそ邪神や魔王などと忌み嫌われる。


 再三の無礼な態度に、さすがのレオニスも腹がたった。もともと気は短く、怒りを抑える自制心はとぼしい。


「無礼者が。ならば、手打ちにしてくれる」

 加護技スキルを発動する。『闇衣やみころも』。クロウと同じようだが、こちらは裸身に闇を黒く塗ったかのようだ。瞬く間に黒い人影ができあがる。

「死ね」


 レオニスがクロウに向かって手を伸ばす。闇が手の平から伸びて、クロウを撃った。クロウの姿は闇に呑み込まれ球体となった。

 だが、すぐにその球体は消え、クロウが姿を見せた。


「それじゃあ効かないな」

 クロウは言った。


「ならば、これはどうだ」

 レオニスは自信たっぷりに人差し指を伸ばして、それで宙に線を引いた。

加護技『影刃かげやいば』。あらゆるものを切り裂く刃だ。


 クロウのまとう闇が一瞬、大きくたゆたったが、それだけだった。

 クロウは無言で、レオニスを見る。


 レオニスはそれも効果なしと見ると、今度は闇の獣を3体召喚した。黒い獣がクロウに飛びかかる。

 だが、クロウの前で獣たちは身を伏せた。服従するかのようだ。


「なるほど。良くわかったよ」

 クロウはレオニスに向かって歩き出した。

「あんたの払った代償じゃあ、それくらいしかできないんだな」


 ひょっとしたら当人の価値観次第なのかもしれない。レオニスにとって娘の命が低かったからこそ、闇の神が与えた力はこの程度だったのではないか。

 

 レオニスはむきになって次々と闇の神の加護技スキルを繰り出した。

 床一面に黒いインクを垂らしたように闇が広がる。黒いイバラがそこから現れ、クロウを絡めとる。


 クロウはなにひとつ抵抗を感じないように、平然とそれを払い、歩き続けた。


 巨大なベッドに転がる娘が起き上がり、黒い煙をまき散らしながら向かってくる。クロウが飛びついてきた少女を軽く抱くと、彼女は安らかに眠った。


「き、貴様、よ、寄るな」


 すでにクロウとの距離は5メートル程度。

 レオニスが怒声をあげる。彼の両手に黒い剣が握られた。大してものにはならなかったが彼も剣術をたしなんでいる。そのまま斬りかかる。


 だが、レオニスの渾身の斬撃も、クロウは軽く手で受け止めた。


「あんたの娘の命より、俺の70年の方が価値があるなんて思えない。たぶん、あんたが、自分の支払うものを小さく見積もっていたから、こういう結果になったんだろうな」


 剣が逆向きになった。クロウが柄を握り、レオニスが刃を握っている。

 レオニスは悲鳴をあげて、剣を放した。

 両手首が黒い衣を剥がされ、むき出しになっている。

 

「よ、寄るな。来るな」

 レオニスがむき出しになった両手を前にして、あとずさる。


 クロウは剣をレオニスに向けた。黒い剣先から闇が伸びてレオニスの顔に向かう。レオニスの顔から闇が剥がれる。それは首、胸元まで広がり、ついには上半身がむき出しとなった。


「く、来るな」

 レオニスが叫んだ。


 クロウの姿が消えた。闇が一瞬、レオニスの体を通過する。

 レオニスの背後に立ったクロウは、手にした剣を捨てた。それは床に黒いインクのように広がって消えた。


 レオニスの上半身がゆっくりと下半身から滑り落ちていく。残った下半身は未だ闇の衣に包まれたまま。それは先ほどの剣のように、床に黒い水たまりとなり溶けて消えていった。


 残った上半身が床を這う。

「や、闇の神よ。ち、力を」


 宙に手を伸ばす。だが、伸ばした指の先から、溶けて、消えていく。手首、腕、胸、最後に頭が、消えてなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ