クロウの決断
屋根の上に黒鎧の初老の男がいる。夜空に溶けるように立つその男は、ルゼス王家に仕える隠密部隊『見えざる牙』の元統領ファルク・レイン。
ファルクは顎に手を当て、ふむ、とうなずいた。
アルベルトに貼り付けていた『目』のひとつが闇に呑まれて閉ざされた。どうやら、目論み通り、グリンニル公爵が動いたようだ。
グリンニル公爵に公爵家に代々伝わる秘術を使うように彼の執事の口を借りてそそのかしたのは、ファルクである。
加護技『憑依』。他者の意識を乗っ取り、操ることができる。研鑽によって、ファルクは3人まで同時に意識を乗っ取ることができる。ただし、人数が増えるほど、コントロールが雑になるが。
アルベルトにエレノアとの婚約を進言したのもファルクだ。
彼は王の意向を受けて、アルベルトとエレノアの婚姻のために、密かに動いていた。
「さて、ここから上手くいくかは、運次第よな」
つぶやく。
グリンニル公爵の手に落ちたアルベルトとエレノア。命の危機を前に、ふたりの心が僅かにでも通じ合えば良いが。
もともと両者の婚姻は双方にとって有益な話しである。アルベルトはエレノアの個人の武功と、ウィンデア家の持つ信用を手にすることができる。
エレノアはウィンデア家の血をルゼスで残すことができる。さらには、エフィレイアのウィンデア家を再興する足掛かりにもなるだろう。
ルゼス王国はエフィレイアとの関係が一時的に悪化する可能性があるが、エレノアによって将来もたらされるだろう利は、それを考慮してもなお大きい。
アルベルトとエレノア。当人同士の強い意向により、結ばれた婚約。さらに王が後押しすれば反対する者も黙る。
問題は当人同士がその気になるかどうかだ。こればかりは人心を操ることに長けたファルクをしても読み切れない。
せいぜいお膳立てを整えるくらいである。
アルベルトに関しては大丈夫だろう。エレノアは彼の理想そのものの姿だ。強く、気高く。アルベルトがなりたい姿。間違いなく惹かれるだろう。
エレノアが問題だった。どうやらクロウに惹かれているようだが。
『闇を纏う者』クロウ。
以前、彼を『見えざる牙』にスカウトしたことがある。
「ありがたい話しだが、俺の命は残りが少ないんだ。ニーアのために使おうと思っている」
そんな風に断られた。
ファルクも長年『見えざる牙』の統領として隠密業の第一線で活躍してきた。
邪神と契約し、力の代償として命を捧げるという話を聞いたことがあった。
以来、クロウにはなにかと注意を向けてきた。彼が王都に居れば情報屋ジャックの耳目を借りて、あるいは彼の口を借りて、情報交換をした。
おかげで最後のピースであるクロウを動かすことができた。グリンニル公爵がアルベルトとエレノアを狙っている。先ほど、ジャックを使ってそんな情報をクロウに与えたのがそれである。
クロウにはグリンニル公爵を道連れにして逝ってもらう。
エレノアはクロウを失った痛みと、彼の妹ニーアを守るために、アルベルトと生きる道を取る。それがファルクの考える筋書きである。
眼下ではクロウがニーアとまだ立ち話をしている。クロウはニーアの危うさを再認識しただろうか?
『聖女』はこのままでは遠からず破滅する。それがフレア神殿内か、あるいはルーベリア城内か、あるいは路上かの違いだろう。
最期に託せよ、クロウ。
ファルクはそんな願いを持って兄妹を眺めていた。
◇
クロウはニーアの話を聞きながらも、どうするべきかを思案していた。
「だから、兄さん。アルベルト様にもう一度、力を貸してあげて欲しいの。もちろん、アルベルト様に気づかれないようにね。兄さんならできるよね」
アルベルトの苦境を楽しそうに話していたニーアが、最後にそう結んだ。
「だが、Sランク冒険者が仲間になったんだろう。俺が出る幕はないだろう」
「だって、あの人たち優しくないもの。アルベルト様の心が折れてしまうわ。そんなの面白くない」
「俺は、お前がアルベルトを愛していると思っていたんだけどな。だから、託した」
「もちろん愛してるわ。とても見た目が美しいし。王子様ですもの。彼が、悩んだり、嘆いたりすると、胸がキュッとなるのよ」
キラキラとした目でそんなことを言う。
「……ニーア、それは……」
愛ではないと言いかけてクロウは言葉を飲み込んだ。
ニーアには人として大きく欠落したところがある。人の感情に共感することができない。まるで、ひとりだけ舞台の上を外から眺めているように人生を生きている。
王子であるアルベルトならば、ニーアを時折、眺めるだけの花としてそばにおいておくだろうと思った。『聖女』であるし、美しくもある。退屈を紛らわせるには、ちょうどよい。
だが、アルベルトは急速に余裕を失い、ニーアを疎ましく思っているようだ。
「ねえ、兄さん。私、兄さんの命があと7ヵ月くらいだって知ってるのよ。だから、最後まで一緒にいてとは言わないわ。あと3ヵ月くらい、力を貸してほしいの」
もし、エレノアと出会っていなければ、クロウは3ヵ月とは言わず、最後の最後までニーアのために尽力しただろう。
ニーアとエレノア。
過去に自分のすべてだったものと、今、大切に思うもの。
クロウは一度目を閉じた。
エレノアの照れたような笑みが目に浮かんで愛おしさが込み上げてきた。
だが、それを打ち消すように、頭の中で声が響いた。
「クロウはお兄ちゃんなんだから、ニーアのことを守ってあげるのよ」
母の声。
ああ、そうだな。俺はそのために生きている。
クロウは目を開けた。
ニーアはクロウの答えなど最初から分かっているかのように、ニコニコと笑っている。
「分かった。なんとかするよ」
ニーアが抱き着いてきた。
「ありがとう、兄さん大好き」
クロウはニーアの黒絹のような髪を撫でながら、抗議し続けるように揺れる心を沈めようとゆっくりと息を吐いた。
◇
ニーアと別れたクロウは憂鬱な気持ちで宿へ向かった。足が酷く重い。『ホライズン』を追放されたときも、これほど足が重くはなかった。
ニーアを助けるために王都に残る。あるいは影ながら支援するために、ふたりについていくことになる。
当然、エレノアとはここで別れることになるだろう。
どうせ7ヵ月の違いだ。どうということもないだろ。
自分に言い聞かせるが、まるで効果はない。
エレノアとの日々は毎日が輝いていた。まるでクロウの纏う闇を払うように、エレノアは彼の周りを照らしてくれていた。
できれば、あなたのために残りの命を使いたかった。
それでもクロウはニーアを助ける道を選ぶ。どうしようもないことだった。クロウがクロウである以上、いくら彼が足掻こうと、結局、この道を行くしかない。
エレノアに告げる別れの言葉をなんとか頭の中でひねり出す。中々、考えがまとまらない。
宿の近くまで来て足を止め、踵を返そうとする。だが、違和感を感じ、再び宿へ向かった。
足が早まる。同時に加護技の感知能力で宿を探る。
部屋は無人。
エレノアはどこかへ出かけたらしい。問題は一階のラウンジだ。人気がない。従業員すらいない。
そして、かすかに残る特殊な気配。
クロウには安らぎを与える闇の神の気配。
クロウは走っていた。
宿に駆け込み、受付で困った顔で話す宿屋の従業員に話しかける。
「どうかしたんですか?」
クロウの言葉に受付の女性が話していた中年男性を見る。
「最上階に数日間お泊りのお客様の……」
中年男が深々と頭を下げて店主のデックだと名乗り、事情を話した。
急にラウンジで働く者たちがいなくなってしまったこと。受付の女性やほかの者の話しだと、何人か客もいたはずなのに、急に静まり返ったこと。
「お客様のお連れの方もラウンジにいらっしゃったはずです。とてもお綺麗でしたので、覚えています」と受付の女性。
それにクロウが固まる。目つきが自然と鋭くなる。
店主デックが慌てた。
「人が急にいなくなることなどありませんから。勘違いということも考えられます。なにか一斉に外に出る用ができたのかもしれません」
クロウは最後まで話を聞かなかった。
無人のラウンジへ入る。
広い店内。通りに面した窓から外の景色が見える。天井の照明は控えめに輝き、フロアを薄暗く演出している。
クロウはテーブルの間を縫って、ホールの中央に立った。闇の神の気配の痕跡はここだ。
床に触れる。
闇の神が顕現したのならば、この程度の残滓では済まないだろう。
眷属か。クロウ同様に契約した者。
立ち上がろうとしたクロウは隅のテーブルの近くに何かが転がっているのを目にした。
すぐにそれがなんなんのか理解する。
意匠を凝らした美しい銀の髪留め。ウィンデア家の紋章である天秤のマークが入っている。エレノアが髪型を固定するために使っているものだ。いつも彼女の前髪を飾っていた。
髪留めを拾う。
手の平で輝く銀の髪留め。クロウはそこにかすかにだがエレノアの命を感じた。
凍てつきかけていた心に温かいものが広がっていく。
エレノアはまだ生きている。
それは確信だった。
恐らく異変を察知したその直後、エレノアは髪留めを外したのではないか。
自分の危機を告げるために。
誰に?
決まっている。
自分以外に誰がいるか。
クロウ……ロディは髪留めを握りしめた。
エレノアの信頼。力がふつふつと湧いてくる。
「必ず、助けるよ、お嬢」
クロウはつぶやいた。




