エレノアとアルベルト
エレノアは悶々としていた。寝室からリビング、ロディ用の部屋と、ひたすら歩き回っていた。
考えることは、もちろんロディのこと。聖女ニーアと密会するロディ。愛しそうに見たこともない聖女を抱きしめるロディの姿を想像し、何度も部屋を飛びだしたい衝動にかられる。
落ち着きなさい、エレノア・ウィンデア。ロディさんはそんな軽薄な方ではありませんわ。
だが、そんな風に自分を叱ってもすぐに反論されてしまう。
もちろん軽薄ではありませんわ。なにしろ、高熱にうなされながらも、何度も名を呼ぶほど愛しているのですもの。
けれど相手は『聖女』ですのよ。神殿に立ち入ることもできないロディさんが、『聖女』とどうこうなど、できるわけがありませんわ。
だからこそ燃えが上がったのかもしれませんわ。禁じられた想いは、より強く燃え上がったのですわ。
頭の中での論破合戦。
混沌としたエレノアを救ったのは来客を告げる呼び鈴の音だった。最上級の部屋だけあって、玄関ドアには魔法道具が取りつけらている。触れれば部屋の中で音を鳴らす簡単なものである。
はっ、としたエレノアは玄関ドアに駆け寄った。
そのまま開けそうになったものの、すぐ思い直して、ドアの向こうに声をかける。
「何用ですの?」
「……エレノア・ウィンデア殿ですか?」
聞き覚えのない男の声がした。
特に居場所を隠していたわけではないので正直に答えた。王国政府からなんらかの接触があるだろうことは、王都に向かう道中、さんざん検討した。
「ええ、エレノア・ウィンデアですわ」
「私は……。覚えているでしょうか? その、あなたとは何度か会ったことがあるが。その、アルベルト・アルクです」
エレノアは一瞬誰のことかと思った。それほど予想外の名前だったのだ。すぐに、それがこの国の第1王子のことだと気づく。
施錠を解いてドアを開けた。
緑色の髪の秀麗な顔立ちの青年が立っていた。服装は少し汚れているが、たたずまいに気品がある。
「アルベルト様……」
子供時代の記憶がふいに蘇った。
緊張するエレノアに明るく元気に接してくれた緑の髪の男の子。城の中を得意げに案内してしてくれた。
数年後、彼がエフィレイアに来た時も、エレノアは会っている。パーティの時だ。あの時は、他の子供もいたので、あまり話せなかったが、かわした視線には懐かしさと親しみがあった。
次に会った時はエレノアはジークフリートと婚約していた。やはり城でのパーティでのことだ。ジークフリートと踊ったあと、アルベルトと踊った。ダンスはジークフリートよりも上手かった。
「私は冒険者になりたいのです。大きな武功を立てたい」
そんなことをこっそりと教えてくれた。
アルベルトと会ったのはその3回だけ。だが、そのどれもが気持ちの良い思い出だった。
目の前の青年は幼少時代の面影を残しつつも、たくましく成長していた。同じ王子でもジークフリートと違い、体つきがふた回りほど大きい。
「驚かせてしまいましたか?」
アルベルトが言った。
顔が強張っているのは緊張のためだろう。
「はい、正直に申し上げれば……。あの、中へお入りください」
「いや、そういうわけには行きません。よければ、下で話しませんか」
確かに、エレノアは追放されたとはいえ公爵令嬢。ロディとの旅ですっかり感覚が鈍ってしまったが、慎みを持たなくてはならない。
先に立って歩くアルベルトを追いかけながらも、今更、自分の言動に顔を赤らめる。
1階にはラウンジがある。店内は空いており、テーブルが三つほど埋まっているだけだった。
アルベルトとエレノアは奥のテーブルについた。そこそこ高級な宿のラウンジとはいえ、王子と公爵令嬢である。そのふたりがつくには、とても相応しいとはいえない。それも互いに供も連れずに、である。
「まさか、あなたとの再会がこんな形になるとは思ってもいませんでした」
席についてから、そうアルベルトが言った。
「私の現状はご存じですか?」
「冒険者としてご活躍中だとうかがっておりますわ。『勇者』と呼ばれておいでだとか」
アルベルトの顔に苦いものが広がる。
「『勇者』か」
「一時はAランクにまでお昇りでしたとうかがいましたわ」
「それは……」
勢いよく言いかけアルベルトは、言葉を詰まらせた。
「今はBランクですらありませんよ。パーティそのものが、維持できなくなった」
「ご苦労をなさっているのですわね。城へはお戻りになりませんの?」
アルベルトが首を振る。
「恥ずかしくて戻れませんよ」
「左様ですか」
「エレノア殿もご苦労されていると聞いていますよ」
エレノアは苦労などという言葉ではとても片付けられないほどの辛苦を味わってきたが、穏やかな笑みでそれに応えた。
「はい、婚約破棄された上に、国外追放となりました。さんざんな目にあいましたわ」
アルベルトが驚いた顔する。エレノアがこんな風に軽く言ってのけるとは思わなかったのだ。
「ジークフリート殿は何を考えておられるのか。エレノア殿ほどの女性を捨てるなんて」
そういえば、とエレノアは思った。
ジークフリートとアルベルトは、昔からどこか噛み合っていない様子だった。互いに第1王子ゆえに、礼儀正しく話していたが、よそよそしく感じられた。
「嘘を見破る者を好きになる者などいない、そうですわ。わたくし、最後に加護技で、自分の何がいけなかったのか、問わせていただきましたの」
「ああ、そういえば、エレノア殿は嘘を見破る加護技をお持ちでしたね」
バツが悪い顔になる。
エレノアはクスリと笑った。
「アルベルト様は表裏のない方ですのね」
「そんなことはありませんよ」
事実、アルベルトは相応にずる賢い部分を持っている。だが、今は少し自棄的になっており、取り繕うところがなかった。
「お互いの状況を確認しあったところで、そろそろ本題に入りませんこと? わたくしにご用があって、訪ねてこられたのでしょう?」
エレノアとしては、アルベルトに懐かしさは感じるものの、親しみまでは感じなかった。思い出はただ思い出としてあるだけで、それは完全な過去にすぎない。むしろ、彼が自分に声をかけてきたその理由が気がかりだった。
アルベルトは一度口を開きかけ、声を発することなく、しばらく沈黙。やがて、決意したように、まっすぐにエレノアを見た。
「私と婚約して欲しい」
あまりにも意外だった。意外過ぎてエレノアの反応は遅れ、時が止まったように硬直してしまった。
「要するに、これは互いにとって利のあるやり方だと思うのです。私は時間が欲しい。冒険者として十分な成果を出せる時間が欲しいんです。だが、このままでは、城に連れ戻されかねない。城では私の仲間としてSランク冒険者を用意してきた。最後に武功を立てて、さっさと戻れということですよ。だが私にだってプライドはある」
アルベルトの目はギラギラと燃えていた。
「自分で自分の価値を証明してみせる」
エレノアはアルベルトの婚約の提案が、純粋に自身の利益にもとづくものだと理解し、安心した。それならば遠慮なく断ることができる。
「わたくしと婚約すれば、お時間が稼げると?」
「エレノア殿。あなたのこの国での武功は聞いています。そんなあなたとの婚約は、王家にとって喜ばしいことだ。平民は熱狂するし、貴族たちを抑える力にもなる。だが、エフィレイアとの関係もある。正式な婚約とするには時間がかかるだろう」
そこまで話を聞いて、エレノアはようやくアルベルトの考えを理解した。エフィレイアとの調整。それらが片付き、正式な婚約となる際に、エレノアの方から断らせる。あるいはエフィレイアとの交渉が難航し、婚約が破綻する可能性もある。
いずれにしても、結論が出るまでは時間がかかる。
その間、ルゼス王もアルベルトを無理に連れ戻すよりは、遊ばせておくだろう。
「もちろん、あなたさえよければ、本当に私の妻となってくれてもいい。正式な婚約になるにしろ、破断するにしろ、あなたの汚名は濯がれるはずです」
婚約破棄の上、国外追放。だが、ルゼス王国の次期王が婚約を申し込んだとなれば、エレノアの貴族としての格は復活をとげるだろう。武ではなく、貴族としての格がである。
「『聖女』ニーア」
エレノアの言葉にアルベルトがギクリとして、顔を強張らせる。
「結局のところ、『聖女』とはどういうご関係ですの?」
エレノアにとっては、アルベルトとの提案よりも、彼が『聖女』ニーアとパーティを組んでいることの方が気になった。
「ただの冒険者仲間ですよ」
そこで、エレノアの『虚言看破』が発動した。笛の音のような音が、冒険者仲間という部分とかぶさった。
「嘘ですわね」
エレノアは微笑んで言った。
アルベルトが面白いほど動揺する。それから観念したようにうつむいた。
「確かに、『聖女』とは、仲間以上の関係になっています。ただ、『聖女』とはいえ、彼女は平民です」
それが答えだ、と言わんばかりであった。
エレノアは不快感を感じた。ロディが、あれほど大切に思っている相手を平民だからと片付ける。
「アルベルト様はどこまでいっても王子ですのね」
「どういう意味ですか?」
「わたくしには……好意を寄せている相手がおります。彼は私が知る限り、もっとも優しく、気高い人ですわ。ですから成立しない婚約であっても、それを承諾するつもりはございません。例え、形だけであっても、それがわたくしのただの一方的な想いであっても、裏切ることはできません」
初めてエレノアはロディへの想いを言葉にした。それはとても気恥ずかしく同時に誇らしい気持ちになった。
「平民なのですか? その男は」
アルベルトの顔は、はっきりと不快感を現している。そこにはエレノアに対する軽蔑も含まれていた。
「貴族だの、王族だの、平民だの。わたくしには興味がありませんわ。尊敬に値するか、否か。ただそれだけではありませんこと?」
「だが血筋というものを背負っている。それは確かだ」
アルベルトは言った。
クロウに感じていた劣等感の逃げ場。それこそが、アルベルトの王族としての誇りだった。
「そうですわね。わたくしもウィンデア家の血を誇りに思っておりますわ。ウィンデア家を尊く思ってくれる方々もおります。けれど、それは、わたくし自身が勝ち取ったものではありませんもの。わたくしは、ウィンデアである前に、エレノアとして自分自身で誇りを勝ち取る必要がありますの。それが、ウィンデア家の誉れとなるのならば、それは喜ばしいことですわ」
「誇りを勝ち取る……自分自身で」
それは、アルベルトの心に滞っていた思いを言葉にしていた。
それこそが、つい先ほど、エレノアに向けて言った自分の価値を証明するということだ。
そうだ、だからこそ、私は、まだ戻ることができないのだ。
アルベルトはエレノアを見た。婚約破棄され、追放されてもなお、自分自身で道を切り開いてきた。そんな彼女がひどくまぶしく見えた。
「すごいな、あなたは。たったひとりで……」
「あら、ひとりではありませんわ。わたくしには……」
その時だった。
突如、ホールが暗くなった。壁、床、天井、まるでインクのように黒いものに覆われた。
「なんだ、なにが起こった」
アルベルトが立ち上がり、周囲を見回す。
エレノアも同様に立ち上がり身構えるが、彼女には心当たりがあった。闇を操る加護技。
ロディさんの仕業? どうして?
店内にいた他の客も従業員もパニックになって悲鳴をあげている。
ホールの中央に人型のシルエットが現れた。黒一色で、影をそのまま立体化したような様子だった。
アルベルトが再び声をあげた。
「貴様か、クロウ」
エレノアはドキリとしてアルベルトを見る。
なぜ、クロウの名前を彼が……。
影の者が笑った。顔はないのに確かに笑ったように見えた。
次の瞬間、周囲を覆っていた闇が収縮し、アルベルトとエレノアはその中に呑み込まれてしまった。
あとには、無人のラウンジだけが残った。




