エレノア、襲撃される
アルカディア歴1824年4月21日
ルゼス王国ヴァミリアン伯爵領北部山道
半日ほど山道を進んだところだった。
片側は河原になっていて水音が響いている。
鳥の声がそれに交じり、なんだかとても心地よい音色となった。
山の合奏ですわね。
エレノアは馬車を止めて、ゆっくりと自然の演奏に聞き入りたくなった。
ふいに轟音が轟いた。
馬たちがいななく。馬車が揺れる。
執事長アンジェリカが悲鳴をあげる。
何事ですの?
エレノアは窓から上体を乗り出した。
シュッという風切り音。
彼女の美しい金髪を裂いて、矢が馬車に突き刺さった。
「お嬢様、馬車の中にお隠れください」
執事長ベンジャミンの怒声。
「敵襲です」
敵?
エレノアはわけがわからなかった。
魔物? いえ、これは……。
剣戟の音が聞こえる。
それに怒鳴り声。
人が襲ってきている?
◇
馬車の外は戦場と化していた。
『ファイア』の戦士が怒声をあげて、『レッドシールド』のリーダーに斬りかかっている。
その傍らには、『ファイア』のリーダーで魔術師マリアーナが、胸に矢を受けて倒れている。
『ファイア』の探査師が矢を矢継ぎ早に放って、木々の間から雨のように矢を降らせてくる敵に応戦。
その近くでは『ファイア』の治癒魔術師の女性がメイスを振るって、『レッドシールド』の魔術師と、探査師をけん制している。
だが、そこに次々と林間から降りてきた賊が合流。『ファイア』の治癒魔術師は囲まれ、じりじりと下がる。
『ファイア』の斧使いの戦士は、ベンジャミンとともに馬車を守るように男たちと戦っている。
ベンジャミンは突然、斜面から大量の矢が降ってきた時に、すぐに山賊の襲撃だと認識。だが、その考えはすぐに変わった。
護衛たるべき『レッドシールド』が、『ファイア』のメンバーに襲い掛かったのだ。
仕組まれていたか。
ベンジャミンを後悔が襲う。
『レッドシールド』が裏切ったというより、ハナから襲撃の手駒だったのだろう。もちろん、エレノアを抹殺するための、である。
黒幕は当然、宰相ハリス・ローゼン。後の禍根を残さぬための一手に違いない。
なんという悪辣な。
ベンジャミンは馬上で長剣を振るって、わらわらと押し寄せてくる賊をけん制する。
数が多すぎる。
矢がベンジャミンの脇腹に突き刺さった。
痛みに振り上げた剣が止まる。
そこに賊が槍を突き出してきた。
穂先が腿に突き刺さる。
「女を引き出せ。殺す前に楽しもうぜ」
男が叫んで槍を引き抜こうとする。
お嬢様に指一本触れさせるものか。
ベンジャミンは長剣で槍ごと男を斬った。馬上から落ちそうになるも、こらえる。
その体に、ぶすり、ぶすり、と矢がいくつも刺さった。
ベンジャミンは血まみれになりながらも、怒声をあげて賊をけん制する。もはや声にも力がなかった。
お逃げください、お嬢様。
馬車を振り返る。
その時、馬車の扉が開き、エレノアが飛びだしてきた。
手には美しい装飾の施された愛用の細身の剣。
ベンジャミンと目が合うと彼女の美しい相貌が、憤怒の形相に変わった。
ベンジャミンに向かって放たれた矢が、宙で剣の一閃を受けて地に落ちる。
エレノアはダンスのステップのように軽やかに大地を蹴って賊たちのあいだをすり抜ける。
エレノアの刃を受けた賊が、2人、ほとんど同時に倒れた。
『ファイア』のメンバーはすでに大剣使いの戦士だけとなっていた。彼は『レッドシールド』のリーダーに加え、賊三人と斬り合っている。
ベンジャミンのそばで戦っていた斧使いの戦士は、複数の矢を受け、針立てのような様で地に転がっている。
治癒魔術師は賊に囲まれ、引き倒され、もはや肉の塊と化していた。
矢で賊に応戦していた探査師も圧倒的な矢の数に負けて倒れた。
対して敵は『レッドシールド』のメンバーを含め30人を越す。
馬車から降りたエレノアを極上の女と見て、賊たちがなんとか生け捕りにしようと周囲を囲む。
エレノアは近づいてくる賊を一刀の元に斬り伏せる。まるで紙を裂くかのように人間が斬れる。
『レッドシールド』の魔術師がエレノアを捕らえようと呪文を唱え、杖をかざす。
宙に描かれていた白色(発動前の魔法陣は無垢なる魔力の色たる白色)が、発動言葉でオレンジ色の閃光を発する。
オレンジ色の魔法陣から飛びだした赤黒い触手が幾本もエレノアに襲い掛かる。
エレノアは迫る触手に対して左手をかざした。2メートル先の空中に緑の閃光が起こり、魔法陣の周囲にガラスの壁のようなものが現れ触手をさえぎる。すると触手は溶けるように消えてなくなった。
エレノアがかざしていた左手で宙を薙ぐ。藍色の閃光が走る。見えない風の刃が飛び、『レッドシールド』の魔術師の胸に一文字の裂傷つけた。
うめき、倒れる魔術師。
「加減してんじゃねえ。さっさと殺せ」
『レッド・シールド』のリーダーが怒鳴った。
彼は名をウッズという。
表の顔はBランク冒険者パーティのリーダー。裏では山賊『ブラック・ドラゴン』の首領。
ウッズが受けた依頼は国外追放された公爵令嬢エレノアの抹殺。
依頼主の確かな正体は不明だが、仲介人の話によるとエフィレイア王国のお偉いさんとのこと。欲を出して生け捕りにし、売り払うような真似はできなかった。
部下たちにそのことを厳しく言っておいたというのに。
だが部下たちの気持ちを分からないではない。
細身の芸術品のような剣を手にし、赤いマントをなびかせる絶世の美女。鮮やかな金髪の巻き毛が彩る雪のような白い肌。興奮のためか、頬に朱が差しており、それがまた、たまらなく色っぽい。目尻のツンと上がった大きな目は、猛る獣を思わせるほど攻撃性を露わにしており、それが華奢で繊細な肢体とミスマッチだ。
なによりも、その姿には犯しがたいような気品がある。高貴な身分と、ひと目で分かるだけの上品さがあるのだ。
売れば、さぞ高値がつくことだろう。
「斬り合うな。射殺せ」
ウッズは自分の迷いを振り切るように怒鳴った。
その言葉に、手下たちが矢を雨あられとエレノアに降りそそぐ。
エレノアが跳んだ。
矢の間をすり抜けるように、高く高く跳んで、そこからさらに宙を蹴る。彼女の蹴ったところは緑色の閃光が瞬く。
着地と同時にエレノアはをばにいた射手を3人斬った。
彼らが倒れた頃には、エレノアは別の獲物の元へと移動。残像を残して敵を切り裂く。
瞬く間に賊は数を減らしていく。
エレノアもさすがに無傷とはいかず、左腕と脇腹にそれぞれ裂傷を受けている。矢がかすった時にできたものだ。
「そこまでだ。公爵令嬢様」
エレノアは動きを止めて振り返った。
馬車のそばで侍女長アンジェリカが男に捕らえられていた。髪をつかまれ、その首には短剣が当てられている。
「でかした、バジル」
盗賊首領ウッズが言った。さすがは自分の右腕。
「剣を捨てな。公爵令嬢様」
「お、お嬢様、お、お気になさらず。どうか……」
侍女長アンジェリカが、かすれた声をあげるが、バジルに髪を引っ張られ、悲鳴に変わる。
「こっちにも、もうひとりいるぜ」
別の男の声。御者ホークを地に押さえつけている。
「馬車の下に隠れてやがった」
御者ホークはアンジェリカとは真逆で必死に命乞いをしている。
「お嬢様、どうか、ご慈悲を。俺はまだ死にたくない」
エレノアは、ふっ、と息を吐いた。
怒れる獣を思わせるほど鋭かった眦が緩む。復讐に燃えていた瞳に諦めの色が浮かぶ。
ここまでですわね。
エレノアは御者ホークから、侍女長アンジェリカに視線を移し、最後に、そのそばで地に伏せて動かない執事長ベンジャミンを見た。
国外追放される前のエレノアならば、家臣を犠牲にしても敵を倒す道を選んだだろう。ウィンデア家のため、そして胸に抱いた理想のために。
だが、今のエレノアにそれだけの想いはなかった。嫌疑をかけられた際に折れかけた心は、追放とともにほとんど折れていた。
そんな彼女を支えていたベンジャミンも、すでに死んだ。
「ハリス様のお手配かしら。だとしたら、わたくしが死んだという確かな証人が必要でしょう。アンとホークを、そうなさい。なんでしたら、わたくしの首を持たせても構いませんわよ」
言うとエレノアは剣を地に投げた。音もたてずに大地に剣が突き刺さる。
「お嬢様」
侍女長アンジェリカが叫ぶ。
「わたくしは魔術もかなり使えます。自暴自棄になれば、この周辺一帯を火の海にすることくらいはできますわ。無論、あなた方とご一緒に」
「おお、怖え、怖え。こっちとしても、使用人なんてどうだっていいんだ。皆殺しにしろなんて命令は受けてないからな。しかし、部下をたくせん殺しやがってよう」
ウッズが言って、死体となった手下たちを見た。
胴を二つに割られ、首をはねられ、臓物をまき散らし。むごたらしく死んでいる。
「気が済まないのでしたら、わたくしの四肢を切り落とすなり、腹を裂くなりお好きなように。ただし、そのふたりを殺してはなりません。わたくし、エレノア・ウィンデアは最期の一瞬まで、悪を討つ機会を逃すつもりはございませんわよ」
言ってニヤリと口の端を吊り上げて笑うエレノアは壮絶なほど美しかった。
「誰が、そんなおっかねえことするかよ」
ウッズは、エレノアの美貌に魅了されかかった自分を振り払うように吐き捨て、腰の短剣を抜くと、それを彼女の足元に放り投げた。
「さっさとそれで、蹴りをつけてくれ。あんたの言う通り、このふたりにはあんたの死体でも持って帰ってもらうさ」
エレノアは短剣を拾った。
それを逆手に持って自身の右胸に向けて勢いよく振り下ろす。短剣はエレノアの右胸に深々と突き刺さった。
その動きに、ただ一瞬の躊躇も見られなかった。
そこにいた誰もがエレノアの見事な死にざまに見惚れた。
彼、クロウも。