王都のふたり
アルカディア歴1824年6月25日。
ルゼス王国王都ルーベリア近郊
王都が近いせいか街道では頻繁に馬車とすれ違った。道が広いので片方が譲ることもなくスムーズにすれ違いができる。
それでも、距離が近すぎると馬同士がいさかいを起こすこともある。興奮して、暴走したり、逆にのったりと走るようになることもある。
エレノアの馬車馬たちはそんなこともなく堂々と走り続けていた。
エレノアは前面の小窓に見えるロディの後頭部を眺めながら、そんなところにも今更気づいて得意になった。
さすがわたくしの馬たちですわ。
もちろん、それだけではない。ロディの御者としての技術のたまものでもある。
ロディさんは本当になんでもできますのね。
そんなことを思って惚れ惚れとその頭を見つめる。
と、その頭が動いて振り返った。
「お嬢、王都が見えてきましたよ」
目が合ったせいで心臓が大きく跳ねた。顔にカーと血が上る。
目が合ったくらいでなにをのぼせているのですか。
自分を叱る。
ディアロ街まではルゼス革命軍のリーダークロスと同行した。饒舌なクロスは顔を合わせれば終始話し続けていたので、彼がいる間はロディへの恋心から少し気がそれていた。
だが、再び二人旅に戻ると、どうもぎこちなさが出てくる。意識しすぎてしまうのだ。
ロディの所作の端々に意識を向けてしまったり、彼の言葉を心の中で反芻したり。そんなことばかり。
ちょっと体が触れてしまうことがあれば、大げさなほど動揺した。
その度に、ロディが不審に思っていないか、自分の気持ちが漏れ出ていないか、気になった。
実際、もし第三者が見ていたら、エレノアがロディに好意を持っていることなど丸わかりであっただろう。
ただ、ロディ……クロウの方も必死であった。自分の気持ちを徹底的に抑制し続けた。そうしなくてはエレノアへの想いがとめどなく広がってしまう。エレノアのように素直にその気持ちを受け入れることができない。
自分が邪神や魔王と恐れられるシャドーと契約した者であること。加えて、あと数ヵ月程度で命を終えることを考えれば、ほんのわずかでもエレノアに恋慕の情を気取られるわけにはいかない。これ以上、エレノアに背負わせるわけにはいかない。
クロウはエレノアに対して鈍く、出来る限り意識を向けないようにしてきた。この時も目が合い、心に大輪の花が開くような心地であったが、それを無視して別のことを考えた。
ニーアのことである。
遠目に見える王都の影。そこに半年前に別れた妹がいる。まさか、もう一度その顔が見れるとは思ってもみなかったので、素直に嬉しい。
クロスから『ホライズン』凋落の話を聞いたクロウは街に寄るたびに密かに情報を集めた。
おかげでクロウと別れた後の『ホライズン』のたどった軌跡がだいたい分かった。
まったく不甲斐ない話だ。
クロウも、『ホライズン』がBランクに落ちるだろうことは予想していた。彼が手を出さなければ、いいところBランク止まりだろうとはパーティ在籍中から思っていたことだ。
だが、まさか戦士のバッツを首にするとは。
クロウがいなくなったパーティで唯一、ニーアを御し得る可能性があったのは、あの鈍感で素朴な男だった。
ニーアは鏡のような部分がある。邪気を抱いた人間と対するとそういう部分が引き出される。逆にバッツのような素朴なタイプだと穏やかな優しい少女としての性質となる。
また冒険者パーティとして見た場合、バッツの戦士としての安定感は要だろう。ニーアはもとよりアルベルトも能力が不安定すぎるのだ。レイアは日和見で言動に芯がない。要するにバッツがいなければパーティの信頼性が一気になくなる。
別のパーティを吸収合併したが、次々と仲間がいなくなってしまったのもそのあたりが原因だろう。
いっそもう冒険者から足を洗ってくれれば楽なんだが。
クロウにしてみればルゼス王国がニーアを聖女として飼い殺してくれるのが一番良い。
王国にとってもフレア神殿との関係を保つ上で良いカードになるだろう。落ちぶれたといえ、『勇者』と勇名を馳せたアルベルトならば次期王として箔もついただろう。
問題はアルベルトの矜持だけだ。ただ、それがどうも難しい気がした。
やがて馬車はルゼス王国王都ルーベリアに到着。
エレノアは過去に一度だけ来たことがある。まだ子供の頃だ。
エフィレイアの王都ととはまた違った発展をした大都市。
分からないものですわね、とエレノアは自分の境遇におかしみを覚えた。1年前は、まさか、婚約破棄されて、エフィレイアを追放され、ルーベリアへ来ることになるとは思ってもみなかった。それも、こんなにも異性に心を奪われた状態で。
城壁の外側の街は外側へ行くほどに雑多になっている。明確に境界となる門などもなく、ポツンポツンと家屋が建っていたものが、どんどんと増え、いつの間にか街に入っていたという感じだった。
ここでもエレノアの馬車はよく目立っていた。道行く人々が目を向けてくる。
「お嬢、壁内……つまり、壁の中にまで行ってしまっても構いませんか? そちらの方が治安がいいし、少し寄りたいところがあるんですよ」
「ええ、かまいませんわよ」
「助かります」
言うクロウの気持ちは、懐かしの冒険者ギルドへと向かっていた。
◇
馬車を預け、そこそこ高級な宿を取った。壁の内側とはいえ、宿屋の中には信用のおけないものもある。それに、あまり粗末な宿だとエレノアの沽券に関わる。さすがに、今までと違い、王都となればエレノアを知る者も多いだろう。
「そのようなことをお気になさる必要はありませんけれど」とエレノアはロディの案に対して言ったが、強くは反論しなかった。
ただ、クロウ……ロディが、お嬢は公爵令嬢なんですから、とことさらに言ったことが少し気になった。
エレノアの部屋は宿の中でも、最上級の部屋で通常の部屋が五つは入るほどに広かった。ちゃんと使用人用の小部屋もついている。浴室までもあった。
大部屋の窓からはルーベリア城が見えた。夕日が照らす城のシルエットが美しく、エレノアはロマンチックな気分にひたった。
隣に立つ青年の顔をチラリと見る。
ロディの黒い瞳はなにか物憂げに見えた。チクリと胸が痛んだのは『聖女』ニーアのことを思い出したからだった。
結局、ここに来るまでも『聖女』ニーアとロディの関係を知ることはできなかった。
エレノアは自分の心が濁り始めたのを感じて、ロディから目を背け、再び、窓の外の美しい景色を見た。
ちょうどエレノアの視線と入れ違うように、ロディはエレノアの横顔を見下ろした。
本当に綺麗だった。夕日に照らされ、潤んだ瞳で遠くを眺める美女。
まるで一枚の絵画のようだ。
心が吸いつけられて目を背けようとしても、上手くいかない。
エレノアを抱きしめたい衝動にかられ、それを抑える。
なにを考えている。
自分を叱り飛ばして、窓に背を向けた。
「俺はちょっと知り合いに会ってきます。今夜は戻らないかもしれません。構いませんか?」
エレノアの返事が遅れた。
「……え、ええ。良いようになさってくださいな」
それから小声でつぶやく。
「どうして、お戻りになりませんの?」
かなり老成したところのあるロディだったが、動揺し、ミスを犯した。エレノアの聞き取れないはずの小声に答えてしまったのだ。
「いや、すぐに会えるとも限りませんからね。夜通し探すことになるかもってことで。なにも娼館なんかにしけこもうってわけじゃないですからね」
おまけに冗談のつもりで言った言葉が、エレノア向きではなかった。
すぐにそれに気が付き、「いや、違う、気にしないでください」と、より怪しい態度になる。
エレノアは娼館という言葉にピンとこなかったが、ロディの態度がなにかを隠しているように見えた。ニーアの名と今夜は戻らない、という言葉が胸の内側を圧迫する。
その圧力に押されるようにエレノアは、ロディに険しい顔を向けていた。
「別に御者の行き先をいちいち問いただすようなことはいたしません。どこへなりとお行きになれば良いでしょう」
自分で言った言葉は相手よりも自身に深く突き刺さった。
ロディが寂しそうな顔になったので、より一層、胸の痛みが増す。
「助かります。それでは、失礼しますね、お嬢様」
ロディ……クロウが言って背を向ける。
エレノアは去っていく背中に手を伸ばすが、声は出なかった。
じくじくと広がる後悔。
ああ、わたくしは、どうしてこうも……。
◇
クロウにとってルーベリアの街は慣れたものである。冒険者時代に何度も訪れていたし、長期間滞在していたこともある。
日が暮れてきたとはいえ迷うことなどなく『冒険者横丁』へとやってきた。
相変わらず、この一体は夜でも賑やかだ。不規則な生活をする冒険者は昼夜逆転した生活も珍しくない。当然、夜中にも店を開けているところもある。
冒険者目当ての娼婦も街角に立っており、そのうちのひとりは顔見知りであったために軽く立ち話をした。
話題は落ち目のアルベルトのことと英雄エレノア・ウィンデアのこと。
「高貴な人たちってのは、なんだか大変そうね」と笑っていた。
まったくだね、とクロウも心の中で同意して顔見知りの娼婦と別れた。
ルーベリア冒険者ギルドは石造りの古めかしい建物である。1階には、貴族がパーティを開催する大ホールもかくや、というほどの広い酒場がある。この酒場こそが冒険者ギルドそのもの。
冒険者たちは飲み食いしながらも、よさそうな依頼が壁に張り出されるのを待ったり、仕事の疲れを癒したりする。
クロウは、ここでは、そこそこに有名人である。『ホライズン』の『闇を纏う者』として。
ただ、名前は売れているが顔はあまり売れていない。加護技で印象に残らないようにしているのだ。ただ、こちらから話しかければ別で、その時に初めて、相手は彼のことを思い出す。
そういったわけで誰も久しぶりに顔を見せた『闇を纏う者』に目を向けなかった。
クロウは店内に居合わせる大勢の中、隅でちびちびと飲んでいる老人に足を向けた。
うらぶれた感じのする老人は、赤ら顔で、目を細めている。
クロウがテーブルの傍らに立っても目を向けることはない。
「ジャック、久しぶり」
声をかける。
老人がクロウに目を向ける。わずかに目を大きくした。
「ああ、クロウか。どうりでな。あまり老人を驚かせるなよ」
「目立つのは嫌いなんだ。知ってるだろう?」
「ああ、そうだったな。いつ戻った」
「ついさっきだ」
言いながら対面の席につく。
ウェイトレスの女性を呼び止めて、ビールを2杯と料理を注文した。
「知りたいのは、妹とアルベルトのことかね」
クロウはうなずくと、彼らがこの街に至るまでのことと、現在の状況を細かく教えてくれるよう頼んだ。
ジャックは情報屋である。元は凄腕の探査師。現在は冒険者は廃業して、冒険者相手に情報を売っている。
ジャックはクロウが追い出されてからのふたりの軌跡をつまびらかに説明してくれた。まるで当事者のように、細かく状況が分かっている。
途中、運ばれてきたビールで乾杯しながら、クロウは話しに聞き入った。
ルーベリアに来るまでに、それなりに情報は集めてある。だが、知りたかったのは、アルベルトの心理状態だ。これから接触するにあたり、相手を理解しておく必要があった。
1時間ほどニーアとアルベルトの今までと現状の話を聞いた。
「なるほどね。ありがとう。助かった」
言って、金貨を数枚ジャックの前に置いた。
「ずいぶん多いじゃないかね?」
「別件で聞きたいことがある。エレノア・ウィンデアについて知りたい」
ジャックが喉を鳴らして笑った。
「そりゃあ、お前さんの方が詳しかろうよ」
ジャックは当然のようにエレノアの御者の正体を知っていた。
クロウは驚かなかった。プロの情報屋とはそういうものだ。一つの情報からいくつもの情報を得る。
「正確には王や政府がどういうつもりか知りたいんだ。無視ってことはないだろう?」
「ところが、そのまさかさ。城じゃあ、エレノア嬢を無視しようって決めてる。保守的で消極的。それが今のルゼス王国だね」
「火傷をしたくないってことか」
クロウとしては王国がエレノアに対してどう出てくるかを懸念していた。
もっとも考えらるのが城に招待して縁を結ぶことだろう。北部でのエレノアの活躍を労い、報奨を与える。積極的にエレノアを取り込むつもりならば領地を与える手もある。
あるいは伴侶の世話をするか。
だがルゼス王国政府は考えていた以上に弱かったようだ。これでは貴族が勝手をするのも仕方がない。
「ただ、王は迷ってるかもしれんなあ。息子の嫁になんて、思っているかもしれんよ」
「王が密かに動くかもしれないってことか。そんな気概があるかな」
「まあ親というのはなにかと世話焼きなものさ。あれは、王としては小物だが、だからこそ父親としては、まあまあなのさ」
アルベルトとエレノア。クロウは二人が結婚することを想像し、不快な気分になった。それは、ある意味ではお似合いである。だからからこその不快感。
「年相応の顔もするようになったじゃないか。そういうのは大事だよ」
ジャックがニタリと笑う。
「しかし、ふたりにはなんのつながりもないだろう?」
「そんなことはないさ。エレノア嬢は一度、この街に来ている。それに王子とは、何度か会っているはずだよ」
「そうか。公爵令嬢だものな」
言った声が沈んでいた。
ジャックが今度は声をあげて笑った。しばらく笑い続ける。
クロウは、なにがおかしいのかといぶかしんだ。
「だが、追放された公爵令嬢だ。平民にも王妃にもなれる。そう思わないかね」
まるでクロウの気持ちを知っているかのような口ぶりだった。いや、実際に、この短いやり取りで気づいているのかもしない。
クロウは顔を赤くした。どうも、エレノアのことになると感情の揺れ幅が大きくなる。
「平民にはなれないさ。あの、エレノア・ウィンデアだぜ」
「だからどうしたよ」
クロウは黙った。
どちらにしても自分には選択の余地はない。残された時間はもう僅かなのだ。
「サービスにいいことを教えてやろう。さっき、グリンニル公爵がアルベルトを下ろしたいって話をしたろう」
アルベルトの情報のひとつに、グリンニル公爵が彼を王太子の座から降ろし、孫で後見を務める幼い王子を代わりに立てたいというものがあった。あらためて聞くまでもない話しだったが。
「やるなら、ジークフリートが落ち目の今がいい。そう思わないかね」
「仕掛けるってことかい?」
「エレノア嬢と一緒に消しちまおうって思っていても不思議じゃないね」
「アルベルトはともかく、エレノア・ウィンデアが邪魔なのか? グリンニル公爵は」
「それはそうだろう。あいつは真っ黒だ。セクプトの領主代理とも、ネイヴル侯爵ともつながっていたしな。エレノア嬢が怖くて仕方ないのさ。例えばエレノア嬢と再会した王子が、初恋を燃えがらせた、とか。わかりやすいと思うんだよなあ。手に手を取っての、愛の逃避行ってわけだ。公爵にしてみれば、邪魔者2人を消せるわけだ」
確かに筋書きとしては分かりやすい。もちろん、実際には人知れず殺すのだろう。
「アルベルトは弱くない。エレノア・ウィンデアも加わったらいっそう手強いと思うが」
「だが、それだけの価値がある冒険だ。英雄譚の結末としては悪くないんじゃないかね」
クロウは公爵がエレノアとアルベルトを狙う可能性を考えた。力技でエレノアを捕らえるには、それなりの者でなくては無理だろう。
思い浮かんだのは、一度だけ会ったことのある初老の探査師。だが、あの男の主人は公爵ではない。
「グリンニル公爵家か」
つぶやいた。
公爵本人に興味はないが、あの家事態には興味があった。冒険者時代から感じていた、妙に惹かれる感覚。グリンニル公爵家には何かがある。
少し探ってみるか。
もし、危険があるようならば排除してしまおう、とクロウは思った。
「いろいろと助かったよ。たぶん、これで会うのは最後になる。元気で、ジャック」
「寂しいことを言う奴だね。確かに、俺はもう長くはないけどよ」
「いや、そういう意味じゃないんだが」
クロウは頭をかいた。
「冗談だ。俺は、あと30年は生きるつもりだからよ。満足な死に方ができるといいな」
全部、お見通しか、とクロウはあらためて老人に脅威を感じた。すぐに、それは消え、こそばゆいような感情に変わった。
自分の行く末を知っている人間がいるというのは悪くない。
「ああ、そう思うよ。さよなら」
クロウは席を立った。そのまま、やや足早にテーブルを離れる。
ちょうど店外に探していた気配を感じ取ったのだ。
懐かしさと愛しさ。もう一度、会うことがあるとは本当に思っていなかった。
ギルドの玄関ドアを開けると、黒髪に白衣の少女が彼を出迎えるように立っていた。
「久しぶり、兄さん」
ニーアはニコニコと笑っていた。
「……ああ、久しぶりだな、ニーア」




