フランツとアライア
アルカディア歴1824年6月16日
エフィレイア王国王都ウィンストン
侯爵家の屋敷の一室にしては飾り気ない部屋である。調度品といえば壁にかけられた剣と盾くらいだろう。奥に大きな窓があり、そこから見下ろす街並みの美しさが絵画のように見える。
中央のソファセットにふたりがついている。
綺麗に整えた口髭の黒髪の中年。ジョシュア・ウォルト侯爵。今やエフィレイアの良心とも言うべき、良識的な上級貴族である。
これに対しているのは濃紺の髪の少年である。まだ幼さの残る秀麗な顔立ち。だが姿勢が良く、体つきもしっかりと鍛えられている。
フランツ・レイアー。エフィレイア王国第二王子。エレノアの元婚約者ジークフリートの異母兄弟である。
「結局、なにが問題なのですか?」
フランツがウォルト侯爵を睨む。
「もう少し、はっきりと言ってほしい」
ウォルト侯爵は心の中でため息をついた。
フランツのまっすぐで素直な気質は、評価できるところだが、もう少し察したり、言葉の裏を読めるようになってもらいたい。
ただ、フランツの後見人で、養育の一端を担っていたウォルトにもその責任がある。
「要するに、宰相殿が強すぎるのですよ。ジークフリート王子の後ろに宰相殿がいる以上、こちらの味方につく者は少ない」
「そんなことは分かっています。ただ、宰相に不満を持っている者も多い。それは事実でしょう? 侯爵のところにも、多くの者が接触してきているはず。その目的は要するに私でしょう?」
気質は素直なのだが論理的に物事を考えられるのがフランツの長所だろう。このあたりは、ジークフリートと大きく差がついている点だ。
「ええ、その通りです。だからこそ、慎重さが求められるのですよ。機が熟すタイミングが重要です。必ずその時は来ますよ。焦る必要はありません」
「しかし、エレノア殿の身が心配です」
言ってからフランツの頬が薄っすらと赤みを帯びる。
「エレノア嬢ならば心配はいりませんよ。なにしろ、あのバイゼル殿が手塩にかけて育てられた方ですからね。噂では、またしても武功を立てられたそうですよ」
エレノアの新たな情報にフランツが目を輝かせて飛びついた。
「それは、一体どのような?」
「領民を虐げていた悪徳領主の首を、一刀のもとにはねたとか。ただ、ルゼス王国の公的な発表では、その侯爵は落馬による事故死となりましたが」
「それはまた、なんと痛快な」
フランツは鳥肌が立った。
公爵令嬢のエレノアとはいえ、追放された身である。それが他国でその国の大貴族を斬る。豪胆などという言葉では言い表せないほどの行動力、決断力。
「ルゼス王国としても、侯爵には手を焼いていたのかもしれませんね。あの国は、王家の力が我が国ほど強くない。貴族たちの協力を得て国の体裁を整えているというのが現状でしょう。ルゼス王国にしてみれば、侯爵の悪政を野放しにしていたことに触れられたくはない。エレノア嬢が斬ったなどと公的に発表すれば、なぜ、そんなことを、と理由を探られますからね」
「しかし、一度広がった噂は消せない」
「噂は噂。知らぬふりをすることもできますから」
しばしの沈黙。フランツはエレノアの豪勇にさらなる憧れを抱き、ウォルト侯爵はそんなフランツを困ったような面白いような気持ちで見守っていた。
ウォルト侯爵としては、ジークフリートを廃嫡し、フランツを次期国王として立てることは決まっている。
だが、フランツの立っての願いを聞き入れて、エレノアの国外追放を解くとなると、ハリス・ローゼン宰相を退任させる必要があるだろう。かなりの無理筋だ。
ただ他国で名を上げているエレノア・ウィンデアを王妃として迎えれば、それは国民の熱狂的な支持を得られるだろう。効果は絶大である。
「何事も順を追っていかなくてはなりません。まずは、ジークフリート様のご廃嫡。これを目指すべきです」
「どうすればいい?」
「フローリー男爵令嬢がかなえてくれましょう。彼女がいずれ大きな事件を起こすことは目に見えている。その際、ジークフリート様まで類を及ぼすために、多くの貴族の支持が必要です。彼らも、ただ、ジークフリート様を廃すれば良いとは思わないでしょう。その先のヴィジョンが必要です。要するにそれこそが、フランツ様ですね」
「なにか武功を立てた方が良いのだろうな」
「もちろん、分かりやすい名誉があれば支持は得られるでしょうが。それよりも、重要なことがありますよ」
それは? とフランツが身を乗り出した。
「恩恵です。フランツ様が次期国王となった際に、どのような得があるか。それを匂わせる、あるいは実際に口に出し約する」
フランツが不快そうな顔になった。政治の悪臭をかすかに嗅いだせいだろう。清廉な青年には、当たり前の調略も嫌悪感が沸くのだろう。
「良い役職を用意するというようなことか?」
「ほかにも、融通を利かせるというようなことですね。まあ、その辺りの具体的な話しが必要な相手は限られています。目下のところは、話せば分かる、という認識をもたせることでしょうか」
「ひどく馬鹿にされている気がする。話せば分かるのは当たりまえじゃないか」
「その当たり前が当たり前ではないのです。例えば、ジークフリート様ですが、話せば分かるお方でしょうか?」
「それはそうだろう。兄上とて、馬鹿じゃない」
「例えば、ある子爵が自領での小麦の流通を制限して欲しいと願います。ただ、その子爵領に小麦を卸していた商人はフローリー男爵家のお抱えであった。当然、商人はフローリー男爵家に泣きつき、男爵はアライア嬢を使って、ジークフリート様に訴える。ジークフリート様はいかがなさいますかね?」
フランツは答えられなかった。いや、答えは分かっている。例え、商人やフローリー男爵に不正があったとしても、子爵の訴えを退けるだろう。
「お分かりですか? 話せばわかる、というのは政治の世界において、一定の公正な判断が保証されている、ということなのです。王国でそれを保証していたウィンデア家が不在の今、フランツ様に求めれられるのはまさにその公正さなのです」
「よく分かった。今私に必要なのは武功を立てることではなく、政治的なパフォーマンスということか」
やはり顔が苦い。
「難しいことではありませんよ。現に、すでにひとつはそれを行っている。フランツ様がフローリー男爵令嬢の行動に不満を抱いている、という噂はすでに広まっています。この一事だけでも、フランツ様を支持するきっかけになる」
◇
ウォルト侯爵との対談を終えたフランツは、消化不良の気分のまま同屋敷の一室を訪れた。
要件を告げる前に、フランツの顔を見た使用人がドアを開ける。
ホールだった。磨き抜かれた床に大きなシャンデリア。庭側の窓からは明るい日差しが差し込んでいる。
普段はパーティに使われているもののひとつある。
フランツと同年代の青年ふたりが剣と盾を手に、戦っている。真っ赤な髪の青年と黒髪の青年。ふたりとも入ってきたフランツなど目に入らないらしく、気が付かない。
それはそうだろう、ふたりの戦いは攻守が入り乱れ、高く跳んだかと思えば、床を転がり、と激しい。相手から目を放している暇はない。
フランツはしばらくそれを見守っていた。すると、エレノアの新たな武功が思い出されて、うずうずとしてきた。
やがて、どちらからともなく剣を引いた。
息を切らしたまま、ふたりがフランツの元へ駆けてきた。
「フランツ様。声をかけてくだされば良いのに」
赤毛の青年が言った。
「そうすれば、さっさと決着をつけてしまったものを」
「本当ですよ。こんなことなら、出し惜しみしないで本気を出すべきでした」
黒髪の青年が言った。
「おい、つまらない見栄を張るな。必死の形相で剣を振ってた癖に」
「その言葉、そっくり変えさせてもらおうか」
フランツがあわや取っ組み合いになりそうなふたりの間に入る。
「じゃれ合うのはそれくらいにしてくれ。そして、私も交ぜてくれ。剣を振りたい気分なんだ。どちらでも良いから、相手をしてほしい」
俺が、私が、と同時に声を上げる。そして、また睨み合う。
「お前の剣は汚い。フランツ様の相手には役者不足だ」と赤毛の青年、ポーシー・ウォルト。ウォルト侯爵の次男坊である。
「お前の軟弱な剣に比べれば、ずっとマシだね。フランツ様、ぜひ、俺とやってください。実は、必殺技を編み出したんです」
黒髪の青年、ダンディス・クレインが言った。
「必殺技ねえ。確かに面白かったが、使い物にはならないだろうな」
「これから使い物にしてくんだよ」
結局、フランツはダンディスの必殺技とやらに興味を惹かれて、彼と立ち会うことになった。
だが、だからといって、ポーシーと立ち会わなかったわけではない。すぐに、私も、私も、とポーシーも立ち合いを求め、2試合目。
どちらも、フランツが圧勝したが、そのあとは、交互に立ち会うことになった。
終わった後は、さすがにへとへとである。
シャツを脱いで、上半身裸になるとタオルで汗を拭う。
「おかげでいい汗をかいた。すっきりしたよ」
フランツにしてみれば気の高ぶりを沈めるのにはちょうどよかった。
「なにか、今日のフランツ様はいつもと違いましたね。こう攻撃的というか、苛烈というか」
ポーシー・ウォルトが言った。
「ああ、それは俺も感じましたよ。いつもは、こう、いなされる感じなのに、今日は正面から打ち合うことが多かった」
ダンディス・クレインも言う。
「つい先ほど侯爵から聞いたんだが、エレノア殿がまた武功を立てたらしい」
これで、ふたりともフランツの心境を察した。なにしろ幼少からの付き合いである。フランツがエレノア・ウィンデアにご執心なことくらいとっくにバレている。
目を輝かせて語るフランツに、ポーシーとダンディスは、なんとしても彼の想いをかなえてやりたいと、あらためて思うのであった。
◇◇◇
アルカディア歴6月16日
エフィレイア王国王都ウィンストン
「たまには街に出てみるのもいいものね」
ドレスで着飾った赤毛の少女が馬車の窓から、街並みを眺めながら言った。
肩口で切りそろえた赤毛。大きな焦げ茶色の目。ドレスを着ていても、どこか活発な印象を感じさせる。
アライア・フローリー男爵令嬢。現在は、第1王子で王太子のジークフリートの婚約者である。
彼女の乗っている馬車は大金をかけて作った大型のもの。車内も広々としており、隣に侍女2人が向かい合わせに座っていてもまるで窮屈ではない。
ただ、内装は少しばかりケバケバしいが。
「ここのところ、屋敷にお籠りでいらっしゃいましたから。きっと市井の者たちはお嬢様の姿が見えず、寂しかったのではないでしょうか」
侍女のひとりが言った。
「そうですよ。ほら、今も街ゆく人々がこちらを見ているじゃないですか。お嬢様のことを心待ちにしていたに違いありませんわ」
もうひとりの侍女がさらに言う。
アライアは、あら、そうかしら、と満更でもない。
それどころか、すっかり街中の人たちが自分を待ちわびていたような気になって、手などを振ってみる。
ここのところ、街に出ていなかったのは、屋敷のことで忙しかったからだ。元ウィンデア公爵家の屋敷に、好き勝手に手を入れ、自分好みに変えていた。
さすがは由緒ある公爵家の屋敷だけあって、その規模は大きい。金もかかっている。
毎日、毎日、ここを変えて、ここを直せ、と歩き回っては指摘する日々だった。
使用人もなんとか揃い、ようやく人心地ついたところである。
それまで控えていた物欲(商人を屋敷に呼びつけていたので、決して倹約していたわけではない)が激しく沸き起こり、こうして久しぶりに街に繰り出したという次第である。
「あら、あそこの青年なんて指を指しているわ。ずいぶんと無作法ね。ちょっと、馬車を止めなさい」
アライアが言うと、侍女のひとりがベルを鳴らした。
馬車がすぐに止まる。
馬車と並走していた白馬に乗った護衛の騎士のひとりが、窓から何事かと声をかける。
「あの人、私を指さしていました。あまりにも無礼じゃないかと思うの。だって、私は将来の王妃ですよ」
「そうですよ。アライア様は、この国を支えていく大切なお方。それを指さすなんて」
「本当です。平民風情が何様のつもりかしら」
騎士はアライアの意をくんで仲間たちと相談。その間、指さしていた青年は、ほかの通行人と同じく、何事かと不審にアライアの馬車を見ていた。
と、騎士たちが通行人を蹴散らすように馬を走らせ、青年に迫ってきた。そこで青年は初めて自分が目をつけられたことを悟った。
隣の友人が逃げるぞ、と声をあげる。
だが白馬に乗った騎士が前に回り込んできた。青年の襟首をつかんで捕まえる。
青年は暴れるが、他の騎士から剣を突き付けらると大人しくなった。
そこに人垣を割ってアライアが現れた。左右を侍女に挟まれ、黒いビロードのマントの下の黄緑色のドレスの長い裾をつまんでくる。
「お、俺がなにをしたってんだ」
青年がわめいた。
「私を指さしたじゃない。平民風情が、このアライア・フローリーを指さしたわ」
言ってアライアは青年を睨んだ。
不運なことに青年は気骨のある男であった。理不尽に責められ、はい、すみません、と謝るどころか、怒りに反発の言葉が飛びだす。
「ああ、そうだ。確かに指さしたさ。あれを見ろよ、噂のアライア・フローリーの馬車だぜって、な。エレノア・ウィンデア様を罠にはめて、まんまと王子の婚約者に収まった悪女に相応しい、下品な馬車だってな」
もともとアライアは直情的な気質の持ち主で、その言動がジークフリートにとっては目新しく新鮮に映り、彼の寵愛を得た。
そして、アライアは今、ひどく調子に乗っていた。
そんな彼女が、平民と蔑む者から言葉の礫を投げられたのだ。顔は真っ赤に染まり、眦りが吊り上がる。
「この男を縛り上げなさい。早く」
金切り声で怒鳴った。
騎士たちが暴れる男を取り押さえ、縄で縛り上げる。護衛の騎士たちにしてみれば、アライアは将来の王妃。少しでも覚えをよくしておきたいと考えていた。
また、そういう者が率先してアライアの護衛を買って出ていた。
「私はとても傷つきました。こんな、平民に馬鹿にされるなんて。私を侮辱するということは、ジークフリート様に弓を引くも同じことだわ。ねえ、そう思わない?」
アライアの言葉に侍女二人が、すぐに追従。
「はい、本当に、その通りです。アライア様はジークフリート様にとって何よりも大切なお方ですもの。そのアライア様を往来で侮辱するなんて。これはもうジークフリート様に対する敵対行為ですよ」
「立派な反逆行為です。だって、アライア様は将来の王妃なのですから」
アライアは侍女たちの言葉に何度もうなずいた。そう、私はアライア・フローリー。もうただの男爵令嬢ではない。ジークフリート様の婚約者。それは公爵令嬢と同義。なぜなら、エレノア・ウィンデアの代わりに、自分が婚約者になったのだから。
「もしも、エレノア・ウィンデアが公衆の面前で侮辱されたのなら、どうするかしら」とアライア。
「たぶん、彼女は怒り狂って、その場で首をはねるんじゃないかしら。あのエレノア・ウィンデアですものね」
「そうするに決まっています」
「間違いありませんわ」
侍女たちの後押し。
アライアは、今や青ざめた顔で震えている青年に近づいた。
「安心なさい。私はエレノア・ウィンデアみたいに気が短くはないの。いきなり、命を取るような真似はしないわ」
「では、いったいどのような罰をお与えになるんですか?」
侍女のひとりが期待に満ちた目を向ける。
刺激を求めているのだ。
「鞭打ちなどはどうですか。鞭打ち100回」
別の侍女。
「あら、それじゃあ、軽すぎるわ。なにしろ、アライア様を侮辱したんですもの。逆さづりなんてどうかしら?」
「でも、あまり時間がかかっては、アライア様の予定が狂ってしまうでしょう。そうだわ。私、聞いたことがあるんです。馬に両足を縛って、引きずり回すんです。それなんてどうかしら。こう馬車の後ろに縛れば、私たちも見ることができるわ」
侍女たちのやりとりを聞いていたアライアがポンと手を叩いた。
「それにしましょう。とても、刺激的だし、街中の人にも罰を見せることができるもの。そうしましょう。さあ、聞いたでしょう。その男の足を馬車の後ろに縛って。私はこんなことで時間を取られたくないの」
青年が今更ながら許しを請うが、アライアはふんぞり返って聞かない。
「自分の発言には責任を取りなさい。大丈夫、死にはしないわ。たぶんだけど」
騎士たちが悲鳴をあげる青年の足をロープで縛り、それを馬車の後ろに縛った。
アライアはエレノアの凛とした気高さに劣等感を抱いていたので、彼女を真似するように傲然と青年を見下ろした。
もちろん、エレノアが実際にそんな高慢な態度を取ったことはなく、ただのイメージなのだが。
「感謝なさい。このアライア・フローリーの馬車で引きずってあげるのだから」
アライアは言うと青年の慈悲を求める声を無視して馬車に乗り込んだ。
周囲の者たちはアライアの蛮行に眉を潜めたり、怒りに顔を赤らめたり、あるいはその残酷さに青ざめたりしているが、誰も止めようとはしなかった。
自分にとばっちりがくることを恐れたのだ。
アライアの馬車には後ろにも窓がある。侍女のひとりがそれを開けて、後ろの様子が見えるようにした。
「私、こんなの初めてです。なんだか、ドキドキしますね」
侍女のひとりが言う。
「ええ、私もよ。どんな感じになるのかしら」
アライアも、これから目にするだろう刺激的な光景に、胸を躍らせている。
「さあ、出発しましょう」
侍女がベルを鳴らすと、馬たちがいななき、馬車が発車した。
両足を縛られ、地面に寝かされた青年が、なんとか体を起こそうと、両手を地面につくが、すぐに断念して身を丸くする。
馬車のスピードがあがり、悲鳴をあげる。
それが絶叫に変わる。
転がりながら声をあげる青年を、アライアと侍女たちはキャッキャと言いながら眺めていた。




