ネイブル侯爵領の決着
アルカディア歴1824年6月10日
ルゼス王国ネイブル侯爵領ディアロ
その朝、ディアロ街の各所に領主からのお触れを書いた看板が建てられた。
「ルゼス革命軍の情報を提供した者には、最大で100ルーガ(100万円)の報奨を与える。また、ルゼス革命軍の協力者を捕らえるのに協力した者は、最大三百ルーガ(三百万円)の報奨を与える」
それを読んだ街の者たちは浮足立った。破格の報奨である。そういえば、このあいだ酒場で、とか、息子の友人がとか、そんな言葉が交わされる。
フードを深く下ろした男は、足早に、興奮して話す人々の間を抜けていった。
人気のない路地に入り、そこに面したドアを叩く。
しばらくすると、ドアの向こうから誰何の声があった。
それに男は合言葉で答える。ドアが開いた。
男はすぐに中に入った。
店屋の倉庫。埃をかぶった薄暗い部屋だ。その床に四角く開いた場所がある。男は迎え入れた者に、うなずいて、床に穿たれた四角い穴に入った。そこには階段があり、地下室につながっている。
階段を降りた先にまたドア。それを開けると一気に明るくなった。
さして広くもない部屋に六人もの男女がいた。樽に座る者。テーブルについている者。立って、壁に背を預けている者。
「どうでした? 外の様子は」
テーブルについていた革命軍のリーダー、クロスが言った。
「まずい状況だ。領主が、街中に触れ書きを立てたんだ。俺たちの情報を提供したり、俺たちを捕まえるのに協力したら、報奨を出すってさ」
それに室内の者たちがざわめいた。
「静かに」
クロスの言葉ですぐに静まる。
「密告されるのも時間の問題かもしれませんね。まさか、領主不在に合わせて、そんなお触れを出してくるなんてね」
領主が騎士団を率いて街から出た今こそ、大きく活動を起こすときだと準備していたが、それも無駄になったようだ。
「一度、街での活動をやめて、村に戻った方がいいんじゃないか?」
クロスは目を閉じた。
ディアロ街には様々なところにアジトがあり、革命軍や協力者が隠れている。だが、あまりにも数が少ない。まだ、その時ではないのだ。
「いや、そう簡単に街を出られないだろう。それこそ捕まっちまうよ。いっそさ、一斉蜂起したらどだい? 領主や騎士団がいない今こそチャンスじゃないのかい」
小太りの中年女性が言った。
「俺も、それがいいと思う。このままじゃ、密告されて、仲間がどんどん捕まってしまう。その前に、動くべきだ。みんなで火をつけて回ろう。そうすれば、兵士たちは消火に追われるだろ? その間に、城を占拠すれば」
「まだ、駄目です。その時ではありません。今、動いても叩き潰される可能性が高い」
クロスは目を開くと言った。
「今は耐えるときです」
「だが、ひょっとしたら、今、この時にも……」
まさにそのタイミングで、上から激しい物音が聞こえてきた。怒鳴り声。
全員が血の気の引いた顔を見合わせる。
クロスはそっと息を吐いた。
どうやら、すべてが遅かったようだ。
◇
アルカディア歴1824年6月10日
ルゼス王国ネイブル侯爵領とある集落
メルが村に戻ると、そこは彼女の知っている場所とはまるで変わっていた。地面は煤け、家や倉庫は焼け、黒い炭の塊のようになった家族や友人が転がっていた。
メルはあまりの喪失感に泣くこともできずに家族の亡骸を見つけていった。槍で串刺しにされた弟。首をはねられた母。
やがて、地面に座り込み、膝を抱えた。
こんなことなら逃げずに一緒に死んでいればよかった。
自分一人だけ生き残って、これでどうしろというのか。
みんなを埋めてやらなくてはならない。
だが立ち上がる力がでない。
そうしてどれだけの時間が過ぎただろうか。風に乗って話し声が聞こえてきた。
また騎士たちが戻ってきたのかもしれない。
恐怖がメルを動かした。あれほど重かった体が勝手に動いて立ち上がる。
幾重にも重なる足音。大人数だ。
思ったよりも近くにいる。
今から森へ逃げるのは間に合わない。
メルは焼け残った家屋の陰に身を隠した。できるだけ、体を小さくして、見つからないことを祈る。
足音と話し声は大きくなる。
メルは物陰からそっと、様子を窺った。
大人数の武装した男たちが近づいてくる。だが、つい半日ほど前に見た騎士団のように揃いの鎧を着ているというわけではない。
むしろ、全員、バラバラのかっこうだった。そして、なんだか粗末な感じがした。
ただ、その中のただひとりいる女性だけは、まるで印象が違った。長い黄金の髪がクルクルといくつも巻いている。その容貌はとても美しく、メルはつい見惚れてしまった。
女性と目が合った。
メルは体が痺れたようになって動けなくなった。それほど心に衝撃を受けた。
母が言っていた聖女様のことを思い浮かべた。
女性がメルの方に向かって駆け出す。
メルはすぐに我に返って逃げた。
彼女たちが誰なのかはわからない。騎士たちの仲間ではなさそうだが、それでも武装している。殺されるかもしれない。
「お待ちなさい」
凛とした声が後ろからかかる。
ミルは止まらなかった。だが女性がどんどん迫っていることは感じた。
「お待ちなさいというのに」
声は上から聞こえた。見上げると頭の上を女性がひらりと跳んで行った。そのままメルの前に立つ。
驚いて立ちすくむ。
「この村の生き残りはあなただけですの?」
女性が言った。
メルは口を開こうとするが、どうしても声が出なかった。
「お嬢。まずは安心させないと。怯えているじゃないですか」
男性が近づいてきた。ほかの男たちのように鎧も剣も身に着けていない。スラッとしていて雰囲気も優し気だ。
「そ、そうですの? わたくしは優しく呼びかけたつもりなのですが」
女性が戸惑ったような顔で言った。
メルの緊張はそれで解けた。ふっと体の力が抜ける。ふわりと良い匂いがして体がぬくもりに包まれた。
メルは女性の腕に抱かれていた。
「大丈夫ですわよ。わたくしはあなたを傷つけたりは決していたしませんから」
止まっていた涙がまたあふれだし、メルは声を上げて泣いていた。
◇
集落の生き残りの少女メルに食事を与え、落ち着かせた後、エレノアはあらためて集落を見回した。
殺され、打ち捨てられた死体。火を放たれ燃えた家屋。
まるで賊に襲われたかのような有様だ。
「見せしめというより、ただの憂さ晴らしのように見えますね」
隣でロディが言った。
「こんな小さな集落を焼いたってなにが起こるってもんでもないでしょうに」
「革命軍にプレッシャーをかけているのではなくて? 実際、わたくしたちは動かされておりますし」
「まあ、確かにね。ただ、平民の立場から言わせてもらえば、例え10年先の豊かさのためでも、こんなことをする連中を正しいとは思えませんね」
エレノアは、朝、会議で自分が発した言葉を思い出し、うつむいた。
「お嬢がこの先、どんな風に生きていくのか、俺にはわかりませんけど。ただ、多くの人の上に立つ人は合理的で効率的なものが正しということになるのかもしれませんね。1人を殺して10人が助かるのなら、それが正しさというように」
ロディの口調は、ひどく乾いていた。エレノアは彼に突き放された気がした。貴族であるということを咎められてれているようにすら感じた。
「それではウィンデア家の正しさとはなんだったのでしょう。わたくしは幻を追っていたのですか」
そんなことをクロウに聞いても意味がない。自分が出さなくてはならない答えなのだ。それは分かっていたが、聞かずにはおれなかった。
ロディがエレノアの顔を正面から見た。真っ黒い瞳が深い井戸の底のようにエレノアの心を吸い込んでいく。
エレノアはそんな場合でもないのに、ドキリとして、心臓が高鳴った。
「決まっているじゃないですか。ウィンデア家はエフィレイアの『正義の天秤』なのでしょう。公平さこそが正しさのよりどころなんじゃないですか」
「そう……。そうですわ。その通りですわね。わたくしはそんなことも忘れていたなんて」
「ただね、お嬢。あなたが今、このありさまを見て感じた憤りは、公正さを破られたからではないと思いますよ。命を尊いと思い、人の暮らしを尊重する優しさが元なったもの。少し前に言いましたよね。正しさを測る秤には二つがあると。覚えていますか?」
エレノアはすぐに答えた。実はずっとその続きが気にかかっていたのだ。
「ウィンデア家の正しさはそのうちの一つ。論理の秤。そうでしたわね」
「ええ、そして、もう一つの秤は、ここにあるんじゃないですかね」
ロディが左胸に手を当てた。
「心臓? 心……」
「人それぞれの正しさがあるとか。正義はそれぞれの側にあるなんてよく言われますけどね。ただ、俺にはやっぱり、本当の正義というものがある気がします。人を踏みにじり、殺し、破壊する。それは間違いなく邪悪ですよ。この有様を見て、怒りを感じるのならば、それは心の秤が正しく働いている証拠じゃないですか。そして、邪悪に対することこそが正義といえるんじゃないですか」
それはエレノアがこの国に来たばかりの時に。ひどく打ちのめされ、気力を失っていた時に、クロウがかけてくれた言葉だった。あの時は、壁を隔てて、見知らぬ隣人として。
今は、まっすぐに自分を見つめ、迷う自分に教えてくれる。
エレノアは込み上げてくる想いを抑えるために、胸に両手を重ねた。
「……あなたは、まるで聖人ですわね。ロディさん」
ロディ……クロウが大きく目を見開いた。そして優し気に目を細めた。
「同じことを昔言われたことがありますよ。けど、俺はそんな大層な人間じゃない。ただ、昔も今も、自分が大切にしている人を、守りたいだけなんだ」
ふたりの熱を帯びた視線が絡み合う。その時、確かにふたりは互いが抱いている想いを認識しあえた。
だが、それは本当に一瞬のことで、すぐに現実がふたりの気持ちを幻のように見失わせた。
先に視線をそらしたのはロディだった。彼は自分の命がもう1年もないことを思い出し、エレノアが公爵令嬢であることを思い出し、自分が感じ取ったエレノアの想いを妄想だと自嘲した。
エレノアはロディが貴族というものに抱いている壁を思い出し、そして彼が自分を守ってくれるのは期間限定の契約のためであることを思い出した。
途方もない寂しさと切なさがあった。
そこへ隊長たちがやってきた。斥候に出した者が帰ってきて、ネイブル侯爵軍が街道をディアロ街へ向かって進んでいることをつきとめたという。
「どうする。徒歩の俺たちじゃあ、追いつけねえぞ」
「途中で寄り道するかもしれん。とにかく、後を追おう」
エレノアは大きく一つ咳をした。
男たちが黙り、エレノアを見る。
「わたくし、ひとりなら追いつけますわ」
エレノアは言った。
「わたくしはやはり革命軍としてではなく、エレノアとして戦おうかと思います。ウィンデア家の娘としてではなく、ただの剣士として。皆様は、どうぞ焦らずに」
言ってからエレノアは、ロディを振り返った。
「ロディさん、エスコートしていただけまして?」
「俺はしがない御者ですよ。お嬢」
ロディは首をかしげて頭をかいた。
「だけど、まあ、付き合いますよ。役には立たないかもしれませんがね」
ふたりは先ほどの心のつながりのようなものの残滓を求め、躊躇いがちに目を合わせた。
◇
藍色魔術『疾風走』。自身の周囲に強力な追い風を起こして高速で走る魔術である。
魔術そのものは簡単だが、うまく使いこなすには高い運動能力が必要である。あまりにも風が強いと、足が追いつかずに、転んでしまうのだ。
エレノアはこれを最強風で行った。足を上げただけで前に進むというほどの強風である。
これにより、疾走する馬よりも早く走ることができる。
隣を走るロディも平然とついてきている。彼の正体であるクロウならば大丈夫だろう、とエレノアは確信していた。
それでも、走り出しは不慣れなようで、「わっ、お嬢、ちょっと、これは難しい」などと慌てていた。
だがエレノアが、先に行ってますわよ、と言い実際にをおいていくと、ほどなくして追いついきた。
街道を2時間ほど進んだだろうか。途中、小さな村で休憩し、領主と騎士団の情報を集める。領主軍は村でゆっくりと昼食を取ったらしく、出発したのは1時間ほど前だという。
「それで、お嬢にはなにか作戦があるんですか? まさか全員斬り捨てるとか言いませんよね」
ロディは言ってみた。
本当ならばルゼス革命軍が囮となって騎士団の戦力を引き付けている間に、エレノアが領主に接近する予定だったのだ。
「そうですわね。この際、正面から問いかけてみようかと思います。ご領主にもわたくしの名は耳に届いているでしょうし、話しがあると言えば無下にはなさらないのではないかしら」
「アドモア・ネイヴルを斬るかどうかは、まだ決めていない、と」
「優柔不断だと思いまして?」
「いえ、命を絶つのならば納得の上で責任を負うべきでしょう。いいと思いますよ。ですが、そのあとはどうします。アドモア・ネイヴルが斬るに値する悪だと感じた時は」
「戦いますわ。わたくしの抜き打ちは、かなり速いですのよ」
「……やっぱり全員と戦うつもりなんですね。お嬢は、なんというか意外と……」
「意外となんですの?」
エレノアの目つきが鋭くなる。
「いえ、正面突破が好きな方なんだなあと。戦術やなんかは習わなかったんですか?」
「単騎で戦術もなにもないでしょう。斬って逃げる。これしかありませんわ。ロディさんには、騎士たちの注意をそらすお働きを期待しいたします。できれば長い時間」
「まあ、努力してみましょう」
ロディはそう答えた。闇の加護技を使えば、注意をそらすどころか、敵全員の身動きを封じることもたやすいだろう。
「頼りにしておりますわ。ロディさん」
そんなことを言われ、ロディは身震いした。エレノアに頼られることが嬉しかったのだ。
ただ、あまり気張っては臆病なロディという仮面がとれてしまう。どうしたものかな、と考えた。
「いくつか準備が必要ですね」
ロディとしての能力を考え考え言う。あとあと、エレノアからあれはどうやったのか、などと聞かれるかもしれない。
「よしなに」
エレノアはそんなロディの心情をある程度察して、微笑んだ。
あなたがクロウだということは、もう知っていますのよ。心の中でそう、つぶやいた。
◇
アドモア・ネイヴルは大きなあくびをした。大型の馬車。その車内である。前日から今朝にかけての集落襲撃。
久しぶりに魔術を使い、興奮した。火球を逃げ惑う村人にぶつけ、炎の波で家屋を焼き払い。馬車ではなくきらびやかに飾り付けた白馬に乗って、騎士団の指揮をとった。
そして先ほど昼食に立ち寄った村で、勝利を祝い、食べ、酒を飲んだ。村から徴収した食料は粗末な物だったが、たまには粗食も悪くないと、大いに食った。
おかげで眠くなり、馬車に乗り換えて、うつらうつらしているところである。
トントンと馬車のドアが叩かれた。気だるげにアドモアが目配せるすると侍女が窓を開けた。
「侯爵様。怪しげな色の煙が見えます」
馬車に馬を寄せた騎士が窓から言った。
「怪しげな煙? なんだそれは」
「はい、青い色をしていて、なにか奇妙な」
「ほう。青い煙か。それは珍しいな。見てみよう。止めろ」
侍女がベルを鳴らし、馬車が止まる。
横に大きな体を侍女に支えられながら、馬車から降りる。
あそこです、と騎士の差す方角を見ると、確かに斜め前方に鮮やかな青い煙が立ち昇っている。
「なるほど。なるほど。確かに怪しい。ちょうど眠くなっていたところだ。ひと眠りするから、その間に正体を確かめてこい」
はっ、と騎士が言い、ほかの者に指示を出す。
アドモアは馬車に戻ると、ごろりと長椅子に体を横たえた。アドモア用に長椅子は大きく作られている。窮屈だが寝そべることも可能だ。
「おい、枕」
その言葉に侍女が長椅子に座り、アドモアの頭を腿に乗せる。
目を閉じると、急速に眠りの世界へ誘われた。
「ご主人様」と呼ぶ声にアドモアは目を開けた。
「ご主人様、アリオス様が……」
侍女の言葉を大あくびで遮り、体を起こす。ドアが開き、騎士が外に控えていた。
「侯爵様。エレノア・ウィンデアと名乗る女が面会を求めております」
寝起きとあってアドモアの頭はいつも以上に働きが鈍かった。しばらくして隣国を追放された公爵令嬢のことだと思い出す。
「エレノア・ウィンデアがなんのようだ?」
反乱分子と合流したとかなんとか聞いたが。
「分かりません。ただひとり、我が軍の前に立ちはだかり、ネイヴル侯爵に会いたいとの一点張り。本物かどうかも分かりません。ただ……」
「なんだ?」
「類まれなほど美しく」
「ほう、そんなに美人か?」
アドモアの顔が好色そうに緩んだ。
最近では、もっぱら色より食のアドモアであるが、類まれな美人と聞けば興味はある。
「はい、大変見目麗しい方です」
「よし、会おう。連れてこい」
本来ならば、隣国の公爵家の令嬢が面会を求めてくれば迎えに出向くのが礼儀だろう。ただ相手は国を追われている。そこまで礼を払う必要はない。
馬車を降りて待っていると、騎士たちに囲まれて、黄金の髪を風になびかせながら、美しい少女が歩いてきた。
凝った意匠の銀の胸当てがよく似合っている。いかにも気が強そうな鋭い眼差し。なるほど、観賞用にはこれ以上ないほど美しい少女だ。
少女は優雅な礼をするとエレノア・ウィンデアと名乗った。アドモアもそれに応え、侯爵として礼をもって挨拶を返し、名乗る。
「貴殿のお噂は私の耳にも届いておりますよ、エレノア殿。我が領内へ向かっていると聞き、お会いするのを楽しみにしておりました。差支えなければ我が城へお招きしたいのですが」
アドモアの言葉にエレノアは品よく微笑んだ。
「お心遣いありがとう存じます。その前に、わたくしはネイヴル侯へおうかがいしたいことがございます。よろしいでしょうか?」
「もちろんですとも。なんでもお聞きください」
エレノアの白目が白く輝いた。加護技『真実の問い』だ。
「わたくしが貴殿におうかかがいしたいことは一つだけ」
ギョッとしたアドモアだが、不思議とエレノアの白く光る両の目から視線をそらせられない。
「なぜ領民を虐げるのです」
エレノアの両目の白い光が消えた。その光は代わりに、アドモアの両目に宿る。
アドモアの意識は夢うつつの時のように混濁とした。その中でエレノアの問いかけだけが強く響き続ける。
「平民など家畜。豚のようなもの。気晴らしに痛めつけても構わんだろう? ああ、それにな、私はどうも農民という奴らが目障りだ。あいつらは臭い。汚い。我が領内には不要だな。いずれは農村などすべて焼き払ってやろうと思っている」
アドモアの両目の光が消えた。
次の瞬間、その首が飛んだ。
太った体だけが立ったまま、噴水のように血を吹き出す。
「しっかりと邪悪で安心いたしましたわ」
エレノアは剣を振って、刃を濡らす血を払った。
血まみれになった侍女が悲鳴をあげる。
騎士たちは何が起こったのか理解できずに呆然とエレノアと首を地に落とした主人を見る。
そのうちのひとりが大声をあげて、剣を抜く。それにほかの騎士たちも我に返ってエレノアに向かう。
エレノアが跳んだ。トントントン、と瞬間、瞬間、緑色の光る宙を蹴って、空を駆けていく。
「矢だ。撃ち落とせ」
そんな怒号。
空のエレノアに向けて矢が次々と放たれる。さらに馬に乗った騎士たちが地を駆ける。
ドン、と耳をつんざくような轟音が鳴った。馬が驚きいななく。弓をつがえていた兵士たちが周囲を見回す。
その間もエレノアは宙を駆け続けた。彼女が踏む宙が、ピカピカと緑色に光っている。それがどんどん遠ざかっていく。
「魔術はまだか」
そんな怒号。
しかし、魔術や加護技を準備していた騎士たちも、轟音に虚をつかれ、攻撃の機を失った。
エレノアはすでに射程外に逃れてしまった。
エレノアを追うのは騎乗していた騎士だけ。その馬が次々と足を止める。騎士たちは馬の腹を蹴って、進ませようとするが、まるで言うことを聞かない。
それどころか、馬たちは踵を返して戻り始める。
「なにをしている。そっちじゃない」
そんな声が各所から聞こえてくる。
馬たちを惑わせていたのは気配を消して立つ、黒い炎のようなものを身に纏う男だった。闇武装したクロウである。
ロディ……クロウの加護技のせいで馬たちは正気を失っていた。
遅まきながらも放たれた矢や加護技、魔術も、途中で黒い壁に遮られ消えてしまう。
クロウはエレノアの気配が遠く離れたことを確認すると、馬車に向けて右手を伸ばした。
黒い巨大な半球が現れ、周辺一帯を包む。中にいる者たちは、突如、闇に覆われてパニックになっていることだろう。
「お嬢、お見事」
ひとりつぶやくと、クロウはエレノアとの合流地点に向けて歩きだした。




