エレノアの正義
アルカディア歴1824年6月10日
ルゼス王国ネイブル侯爵領苗床村
エレノアが寝室を出ると、ロディがさわやかな笑顔で迎えた。
ログハウスのリビングダイニング。四角いテーブルに椅子が4脚。あるのはそれだけだ。
「昨日はちゃんと眠れましたか?」
言いながらロディが素早く茶の準備をする。
「ええ、3日目ですもの。だいぶ慣れてまいりましたわ」言った後に、慌てて付け足す。「もちろん、ロディさんが昨日、シーツや毛布をお干しいただけたおかげで、寝心地が良かったということでもありますのよ」
エレノアたちがルゼス革命軍のアジトに来て3日目。エレノアは初日と翌日は寝付けなかった。寝室がかび臭く、シーツや毛布は汗やいろんな臭いがしみついて、さらに臭かった。
ロディは寝室には入っていないので、それに気が付くのが遅れた。寝室はエレノアだけで使わせたのだ。
「まあ、俺はどこでも寝られますから。むしろ、ひとりの方が寝心地がいいくらいですね」
などと初日の、いざ眠ろうという時に、どこかソワソワとしているエレノアに言った。
実際にはロディは眠る必要がない。エレノアの手前眠った振りをするだけである。
なので馬車から毛布をとってくると、リビングの隅に適当に寝床を作ってしまった。どうせ形だけのものである。
そのため、ロディは、エレノアが寝付けないのは、ルゼス革命軍に協力することに対する悩みや葛藤のせいだと考えていた。
そして、一昨日の夜。ロディは深夜にリビングへと現れたエレノアに言ったのである。
「今日も寝付けないんですか?」
あまり悩まない方が良いですよ、と続けようとしたロディに、エレノアが金切り声をあげた。
「臭いんです。臭いんですわ。とっても臭いんですの」
それでようやくは寝室のあり様に気が付いたのである。それならそうと早く言ってくれれば良かったのに、とロディは苦笑い。
「わたくしのワガママですもの。少しばかり、かび臭かったり、汗臭かったりするのは、甘んじて享受しなくてはなりませんわ」
言ったあと、自分に言い聞かせるようにもう一度言う。
「享受しなくてはなりませんのよ」
「お嬢が辛い思いをしても、それで誰かが得をするわけじゃないですよ。明日、毛布やシーツを干しましょう。今晩は一緒に寝ますか?」とは気軽に言った。もちろん、リビングで寝たら良い、と言ったつもりである。
「な、な、なにを、なにをおっしゃるのですか。わ、わたくしはそんなふしだらなこと。いえ、ロディさんが嫌というわけではなく、ただ、そういったことは特別なご関係にあるお相手とすることで……」
エレノアは顔を赤くして、怒っているのか照れているのかわからないような様子であった。彼女自身にも、どちらなのか判別がつかない。
エレノアの返しが明らかにおかしかったので、ロディも自分が言葉足らずだったことに気が付いた。
「あっ、いや、そういうことではなくてですね。この部屋に毛布を持ってきて寝ませんかということですよ。毛布ならまだありますし、野宿をすることを思えばどうということもないでしょうし」
ロディも図らずもエレノアを誘ってしまったことに動揺した。
「いや、違うぞ。そもそも、俺が寝室で寝て、お嬢がこっちで寝れば解決する問題だな。毛布も俺が使っていた分も合わせれば、寝心地はそこまで悪くないですよ」
最後はエレノアに向けて言った。
「そ、それではロディさんが臭い思いをすることになりますわ。本当に、ものすごい臭いですのよ」
「俺なら大丈夫ですよ。厩や家畜小屋で寝たこともありますし」
そんなわけで、その日は、ロディが寝室へと入り、エレノアはリビングの床に毛布を敷いて寝ることになった。前夜眠りが浅かったこともあり、床だというのに、それからすぐに眠りにつくことができた。
そして、夜が明けた昨日。ロディは、寝室を徹底的に換気し、シーツや毛布を干した。さすがにそれだけでは臭いは取り切れなかったので、密かに加護技を使って、臭いを消すことまでした。
その甲斐もあり、昨晩、エレノアはしっかりと眠れたようだ。
「ありがとう存じます。ロディさん、あなたは本当に有能ですのね」
「えっ、いや、まあ」とエレノアがこんなに素直に礼を言うとは思わなかったので、の受け答えはぎこちなくなった。
照れ臭くなり黒髪をかきまわす。
「いろいろやってきただけですよ」
言った後、なにか軽口でも叩いて自分の動揺を誤魔化そうとした。
「お嬢、今朝はいつもより輝いていますよ。この村に気になる男でもいましたか?」
今までのエレノアならば、キッと睨みつけて毒を吐く場面だろう。だがエレノアは自分の気持ちを見抜かれたような気がして、ドキリとした。
「そ、そんなことはございません。わたくし、そんなに浮ついた人間ではありません。き、気になる殿方など……」とそこで口ごもる。
「まあ、お嬢は上級貴族ですからねえ。追放されたとはいっても」
フォローのつもりで言っただったが、その言葉は大きな威力を持ってエレノアの心に突き刺さった。
「当り前ですわ。わたくしにはウィンデア家の血筋を残していくという使命がございます。生半可な殿方では申し訳がたちません」
それは胸の痛みを隠すための言葉だった。だが、発した途端に、自分自身に重くのしかかってきた。
「まあ、クレイモスでいい人を見つけるといいですよ。今度は婚約破棄されないようにしてくださいね」
ロディは、いそいそと茶を入れながら言った。彼は彼で、胸に痛みを覚えていた。
どちらにしても、自分がエレノアと添い遂げる道などないというのに。
「そうですわね。ええ、本当に」
エレノアのつぶやくような声は、ひどく寂しげであった。
そこに勢いよく玄関扉が開いた。
エレノアは跳び上がらんばかりに驚き、入ってきたローグを見た。
ロディも、気がそぞろになっていたために、気配を察することができず意表をつかれた。ただ、こちらは動じることなく迎える。
「ずいぶん慌てているようだが、どうかしたのかい?」
「ネイヴル侯爵の奴、またやりやがった。騎士団を率いて、村を焼いて回ってやがる」
ローグの顔は真っ赤だ。
「作戦会議を開く。あんたたちも広場に来てくれ」
◇
広場には男たちが集まっていた。中央のテーブルには革命軍の幹部たちがついていて、声を荒げて話し合っている。
そこに、人垣を割って、ローグに先導されながらエレノアとロディが近づいた。
「クロスがいないのに、勝手をするわけにはいかんだろ」
「だが、せめて一矢報いなけりゃあよ。俺たちのことを誰も応援しちゃあくれねえぜ」
50がらみの男が言った。
「だが、相手は騎士だ。全滅なんて、ことになったら……」
「とにかく、クロスが戻ってからだ」
エレノアはテーブルの脇に立った。彼女の放つ圧倒的な存在感に、男たちがひとり、またひとりと黙る。
全員が黙ったところで、エレノアは口を開いた。
「状況のご説明をお願いいたします」
代表してクロスの片腕のロイアルという青年が説明役を引き受けた。
急遽、ネイヴル侯爵が騎士団を率いて、ディアロ街を出たのが昨日の朝。そのまま、小さな集落を襲撃。
「ひとり残らず皆殺しという話しです」
集落を焼いたネイヴル侯爵と騎士団は、そのまま二つ目の集落を襲撃。ここも皆殺し。
「どっちの集落も5、6戸の小さなものです。税が払えなくて追い出された者や、村を焼かれたものが寄せ集まって作ったところで。焼かれたあとの集落に、『反乱を企む者たちを処罰する』と書かれていたそうです」
要するに見せしめということらしい。もちろん、ルゼス革命軍に対するものだ。
「昨夜、ネイヴル侯爵と騎士団はアルス村に泊ったようです。アルス村を東に行ったところに、似たような集落がありまして。たぶん、次はそこを目指すのかと」
これに対し、革命軍はどう動くべきかと話し合っているところだった。ネイヴル侯爵に攻撃をしかけるべきという者。戦力差は圧倒的であるし、今は動くべきではないという者。
「ネイヴル侯爵がお連れになっているのは、何人くらいなんですの?」
ロイアルの説明が終わったあと、エレノアは言った。
「アルス村からの情報だと、騎士が30人。従卒や弓兵が50人とのことです」
思ったよりも少数である。エレノアはクロウを振り返った。
「ロディさん、どう思いまして?」
それに、男たちの視線がロディに向いた。
「俺に聞くんですか? 俺は荒事は苦手ですよ。知ってるでしょう?」
「けれど、わたくしよりも聡明ですわ」
「そんなことは無いと思いますけどね」
ロディは言いながらも、エレノアの期待に応えたい、という気持ちが湧く。
「そうですね。チャンスだと思いますよ、単純に。相手はこちらを舐めてます。ネイヴル侯爵を討つならこういときがいいと思いますよ。街で侯爵を討つのは難しいんじゃないですかね」
ロディとしては、これ以上エレノアにルゼス革命軍に関わらせたくないという思いもあった。さっさとアドモアを倒し、王都には寄らずにクレイモスに行ってしまうのが良いのではないか。
エレノアが微笑んだ。場の殺伐とした空気が、すっと入れ替わったかのようだった。
「わたくしもロディさんと同じ考えですわ。わたくしはアドモア・ネイヴル侯爵に直接問うてみたいのです。なぜ、平民を苦しめるのかを。その返答によっては、為政者として断罪すべきですわ」
エレノアとて、ウィンデア家の娘として為政者としての心構えは学んできた。
完全な平等も公平も実現できるものではない。物事には優先順位があり、為政者はより効率的に豊かになる未来へと舵を切っていかなくてはならない。
時には領民に犠牲を強いることもある。
だから、もし、アドモア・ネイヴルの暴虐な治世に一片の理があるのならば、彼を裁くのはエレノアの役目ではないだろう。
「それなら、ネイヴル侯爵をさらってしまいましょうか?」
ロディが言った。以前ならば臆病風に吹かれた御者を演じるところだが、彼もエレノアの覇気に打たれ、興奮していた。
「おできになりまして?」
「革命軍の方々次第でしょうね。いかに、ネイブル侯爵をおびき寄せられるかにかっかっていますから」
そこまでエレノアとの話を聞いていた男たち。思わぬ話しの展開に目を白黒とさせている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。相手は騎士団だぞ。そりゃあ、こちらが、全員で当たれば、数ではいい勝負かもしれねえけど。騎士は魔術を使うんだろ?」
「戦闘訓練も積んでいるだろうし、現在の我々では蹴散らされるだけだと思うが」
「装備も違う。あいつら、金にあかせて青色金属の鎧を身に着けてる。矢なんか弾かれるぞ」
「ネイヴル侯爵もかなり魔術を使うって聞くぞ。自ら魔術で村を焼くこともあるんだろ」
バンっ、とテーブルが鳴った。エレノアが手の平を叩きつけたのだ。
「革命軍を名乗るのでしたら、覚悟のほどをお示しなさい。あなた方を支持する者たちのために。あなた方の犠牲になった者たちのために。役にも立たずに、ただ存続するための組織など邪魔なだけ。無い方がましですわ」
有無を言わせぬ迫力で、男たちを威圧する。
「中途半端は許しませんわよ。あなた方はわたくしを招いたのですからね。このエレノア・ウィンデアを」
お見事、とロディは思った。
エレノアは男たちの意気を完全に吞み込んだ。誰がこの美しく正しく覇気に満ちた少女に抗うことができようか。




