ルゼス革命軍
アルカディア歴1824年6月7日
ルゼス王国ネイブル侯爵領北部
馬車に揺られながら、エレノアはじっと前方の窓越しに、御者の後頭部を見つめている。
すぐに我に返り、開いている本に視線を落とす。
ここ4日ほどは、この繰り返しである。
薬師の解毒剤により『人食い蜂』の毒から回復したロディ。翌日には、すっかり元気になりエレノアに、迷惑をかけたことを謝った。
「そ、そんな、あ、当たり前のことをしたまでですわ。あなたはわたくしの大切な御者なのですから」
エレノアは大いにどもりながらそう返した。
ロディと話すときに、ひどく緊張した。顔も熱くなる。動機もする。
「どうしたんですか、お嬢。なんだか、そわそわとしていますけど」
ロディが不思議そうな顔で言った。
これはいけませんわ。普通の態度で。わたくしが彼の正体に気が付いたことを悟らせてはなりませんわ。
エレノアはそう自分に言い聞かせた。
きっと正体を隠すにはそれなりの理由があるのだ。エレノアがロディこそクロウだと気が付いたと知れば、ロディとの旅は終わってしまうかもしれない。
とはいえ、エレノアは隠し事も嘘をつくのも苦手だ。挙動不審になってしまう。ただでさえ、ロディと向き合うと緊張して、うまく話せないというのに。
そういった理由で、ここのところ、ロディとは最低限しか話していない。ついつい、避けてしまうのだ。
その代わりにロディのことが常に気になった。観察してしまう。そして、眠る前などに、その顔を思い浮かべて、なんだかたまらない気持ちになり、毛布を抱きしめてしまうのだ。
一方、ロディ……クロウの方にも変化があった。こちらもエレノアに対する好意が大きくなり、抑えるのに必死であった。
自分はもうすぐ死ぬ。そう言い聞かせても、恋の炎は一向に鎮火しない。
いつものならば、エレノアのあからさまにおかしな様子に察するものがあっただろう。今の彼にそんな明敏さを求めるのは酷である。
クロウは、シャドーと契約して以来、初めて沸き起こった自身の欲求を完全に持て余していた。
要するに、クロウにも、まったく余裕がなかったのだ。ロディとしての体裁を取り繕うだけで精一杯。クロウとしては、エレノアが避けてくれるのも好都合だった。
そういったわけで、エレノアとは、互いに接触を避けていた。今まで顔を合わせるたびに行っていた軽口の応酬も申し訳程度に減り(おまけに、どちらも飛んできた言葉にうまく対応できない)、食事の時は、なにか理由をつけては席を外し、エレノアも理由をつけてエスコートを断ったりした。
クロウは、闇の神シャドーの加護技で周囲の状況を感知する能力がある。だが、エレノアに対しては出来る限り、感知を避けるようにした。なにか、盗み見しているような罪悪感を感じるためだ。それどころか、直接視線を送るのもためらうことがあった。彼女の姿が目に入れば心が暴走する。ロディを取り繕うことができなくなる。
俺なんかに好かれても不快なだけだろうしな。
などと自分を卑下する。
だが実際にそうだろう。
貴族、それも最上位の貴族のエレノアからしたら、ロディなどただの御者。しかも、その御者は闇の神と契約している。邪神、魔王と恐れられるシャドーと。
自分の気持ちはもとより、正体もエレノアに悟らるわけにはいかない。今まで以上に言動には注意する必要がある。
ルゼス王国の中心である王都ルーベリアまで、あと3日程度の道程。
両脇を木立に挟まれた道。木陰で少し涼し気な風がホロの下に座るクロウ……ロディを撫でていく。
さて、どうしたものか、とは、前方を塞ぐバリケードを見て思った。
丸太を×印に組んだもので、道の中央に置かれている。
もちろん人為的に置かれたものだ。その意味するところもすでに察知している。エレノアへの感知は避けているが、その分、周辺の感知には今まで以上に気を配っている。
前回、遅れをとったことを気にしてのこと。
丸太バリケードは足止めのため。そして、それをしたのは山賊、あるいは盗賊。林の中にはクロスボウや剣を構える者たちがいる。
彼らの存在に気が付いたのは、ずいぶん前だ。
だが、迂回する道がなかった。恐らく通行料として、それなりの額を払えば素直に通してくれるだろう。
王都近辺で無茶なことをしていれば、すぐに討伐隊がでてくる。少人数で常に拠点を変えるような者たちならともかく、大人数ではそれも難しい。
問題はエレノアだ。正義感の強い彼女がやる気になってしまうと、一気に血なまぐさい展開になる。ロディとしては、できれば避けたかった。無用な殺生はしてほしくない。特にエレノアには。
ちらりと後ろを振り返ると、ちょうどこちらを見ていたエレノアと目が合った。慌ててロディは目を逸らした。
ほぼ、同時に、エレノアの方でも目を逸らしたが。
「お嬢、どうやら賊の類です。道を塞がれてますね」
「そ、そう。そうですの。それは困りましたわね」
「まあ、通行税のようなものを払えば、すんなり通してくれると思いますけどね。農民や貧民崩れの者たちでしょうし、戦闘にはそう慣れていませんから、力づくでもいけなくはないでしょうが」
ロディは正攻法でいくことにした。ようするにエレノアの情に訴えようということである。
実際、林の中から武器を構えて様子を見ている者たちは、身なりからして粗末だ。王都で食うや食わずの生活をしていた者が集まっているのだろう。そんな彼らを見ればエレノアも正しさだけにはこだわらないだろう。
「貧しい者たちが賊になるのですの?」
エレノアの声が困惑の色を帯びる。
「ええ、珍しいことではありませんよ。根っからの悪党って連中は確かにいますし、そういう手合いにかける情けは無用ですが。家族を養うために、仕方なくって者も大勢いますよ」
「ですが、人を脅し、金銭を奪い取るのは間違っています。それは罪悪ですわ」
「ええ。そうですね。だから、こういった時は理屈ではなく、心に尋ねればいいと思うんです。ほんの少しだけ、理屈に目をつむって、折り合いをつければ良いのではないでしょうか」
「ですが、例外を作れば、正しさの根拠を見失っていきますわ」
「お嬢、正しさの秤は二つあると思いますよ。ひとつは法や道徳観などの、『見える』秤。もうひとつは……」
そこまでが言ったところで、林に潜んでいた者たちが姿を見せた。
「とにかく、お嬢、ここは俺に任せてもらえませんか? なんとかしますから」
言うとクロウは御者台から降りた。
男たちは12人。うち3人がクロスボウを構え、後方に待機。剣や手斧を構えたものが前に出てきた。全員、革鎧を身に着けている。
「こんなところで山賊に合うなんてね。王様のお膝元じゃないか。よく騎士団が黙っているね」
「俺たちは山賊じゃねえ」
男の一人が言った。手斧を構えた大柄な男だ。
「そんな連中と一緒にするな」
「どう見ても、山賊にしか見えないね。現に我らの行方を阻んで、武器で威圧している。それで、幾ら払えば通してもらえるんだい?」
「だから俺たちは山賊じゃねえ」
手斧の男が言った。
その男を手で制して別の男が近づいてきた。剣を構えている。彼だけは素人の構えではない。30前後の男だ。
「エレノア・ウィンデア殿の馬車とお見受けする。姿を現してはもらえないか?」
剣を構えた男がロディではなく、中のエレノアに向かって言った。
「交渉は俺がするつもりなんだが」
「無駄なことをするつもりはない」
剣を構えた男はそっけなく言った。
まずいな、とロディは思った。
相手はエレノアの馬車だと知って襲撃をしかけてきた。彼女の素性を知っているなら要求する額も高額になるだろう。
「お嬢は腕がたつ。あんたたち全員を斬り伏せるくらいなら、5分とかからないぜ」
ロディは言った。
事実である。
「100ルーガ(約100万円)でどうだ? 怪我人も出ないし、打倒なところだと思うが」
「何度も言うが我らは賊ではない」
剣を構えた男はロディには目を向けずに言った。
それから、また馬車の中のエレノアに出てくるように呼びかける。
馬車のドアが開いた。ロディは舌打ちしたい気分だった。これで両者にとって嫌な展開が近づいた。
姿を現したエレノアに剣を構えた男が息を飲む。ほかの男たちも呆然とした顔でエレノアを見る。
優雅に馬車から降りたエレノアはロディの横に立った。
少し近すぎるな、とロディは思った。御者と主人というには少し不自然な距離感だ。彼を間に挟むように後方に立つのが自然な位置なのだが。
「わたくしがエレノア・ウィンデアですわ。山賊ではないとおっしゃるのでしたら、まずは武器をお下げになるべきですわね」
男は剣を下げた。まだエレノアの美貌に衝撃を受けているようで、その目が泳いでいる。
「我らは、ルゼス革命軍。エレノア殿、あなたに協力を願いたい」
はあ? と思わず声をあげたのはロディ
の方である。完全に意表をつかれたのだ。
エレノアはそんな場合でもないのに、ロディの様子に可愛げを感じて顔が緩んだ。
すぐに顔を引き締める。
「ルゼス革命軍。存じませんわね。どういった組織なんですの?」
「ルゼス王国は腐敗しきっている。あなたも、セクプトの有様を見て、思うところはあったのではないか?」
「あれは不心得な領主代理のせいでした」
「問題は、それを野放しにした王国政府にある。この国はどこも、多かれ少なかれセクプトと同じような状況だ。特にこのネイヴル侯爵領はひどい。ひどすぎる」
男の顔は苦渋に満ちていた。
エレノアもルゼス王国の貧富の差が激しいことは知っている。暴虐な圧政をしく領主が多いことも。
「わたくしに何をお求めになっていらっしゃるの?」
「我らとともに戦って欲しい。セクプトを正したように、この国全体を助けて欲しい」
ロディは焦りを覚えた。
こんな展開になるとは本当に予想外だった。これでは、山賊よりもよほど性質が悪い。
「わたくしは追放された身ですのよ」
「だからこそ。正義を尊ぶウィンデア家の名はルゼスでも有名だ。そのあなたが革命軍に加われば、我らの旗の元に集う者たちが出てくるだろう」
「ともかく、場所を移しませんかね。そろそろ、別の通行人が通りかかってもおかしくない」
ロディは言った。エレノアに冷静に判断する時間を与えるためだ。そして、実際に、の周辺感知能力は、はるか後方から馬車が近づいてくる気配を察知していた。
「確かに。我々もここで目立つことは避けたい。拠点のひとつにご同行願えるか?」
「承りましたわ」
エレノアはそれに応じた。その視線がちらりとロディに向く。
「馬車で行ける場所ですかね?」
「問題ない。私が先導する。君の隣に乗せてくれ」
「お嬢と話せる俺の特等席なんですけどね」
ロディの言葉にエレノアの顔がわずかに赤らむ。しかし言った当人はそんな彼女の様子には気づかなかった。
常時気配感知を使っているので、故意に感知を避けているエレノアに対して、どうしても鈍くなってしまうのだ。
◇
ルゼス革命軍の男はローグと名乗った。
元はアドモア・ネイヴル侯爵に使える兵士であったという。
「もともと、このネイヴル侯爵領は王都の食糧庫と言われるほど、農業が盛んだったんだ」
歴代のネイヴル侯爵は開墾と治水に励み、農民の生活を豊かにするために試行錯誤してきた。おかげでネイヴル侯爵領は他の地域に比べて潤っていた。
それが現領主アドモアに代替わりして、様相が変わった。
「領主は平民の生活なんてどうでもいいんだ。自分の住むディアロ街を大きくすることばかり考えてる。劇場をつくり、楽団を組織し、ハーレムを作り。やりたい放題さ。おかげでディアロ街以外はどんどん貧しくなってる。冒険者ギルドへの支援金なんかも討ち切っちまって、どこにも冒険者ギルドもない。魔物を退治する者もおらず、誰もが魔物に怯えて暮らしてる」
御者台のロディの隣に座って、ローグはいかに平民が苦しんでいるかを語って聞かせた。それは、ロディに聞かせるというよりは、後ろのエレノアに聞かせているようだった。
当然、貧しい村では税を払えない者たちがでてくる。アドモア候は兵士に無理やり取り立てさせた。売れるものはすべて奪い去った。
「俺も何度かそんなことをさせられた。泣いてすがる者たちに剣を向けて、殴って、蹴飛ばして。彼らの生活の糧を。僅かばかりのたくわえを奪ったんだ」
ローグの顔には深い悔恨が見えた。
やがて反乱が起こった。飢え死にさせられるくらいなら、と農村が団結して反旗を翻した。
「ネイヴル侯爵は激怒した。あいつにしてみれば、平民なんて家畜みたいなものなんだろうな。家畜の分際でご主人様に逆らうとは、ってわけさ」
ネイブル侯爵は自ら軍を率いて反乱を起こした村を焼いていった。
「ろくに武器も持たない者たちを、皆殺しさ。老人も女子供も。平民なんて放っておけば勝手に増えるってよ」
ローグは焼き討ちの途中で逃げた。一度は、そのまま他領へと逃げた。だが、時間が経てば経つほど、自分がやったことが、殺した者の顔が浮かんできて、強い後悔に苛まれた。
そんな時に彼は故郷で領主に逆らう者たちのことを聞いた。ルゼス革命軍。税を払えず飢え死に追い込まれた者たちの生き残りが、あるいは反乱の焼き討ちにあった村々の者の親族や友人が、ひとり、またひとりと立ち上がり、合流している。
中にはローグのように侯爵に仕える兵士だった者もいる。
ローグは侯爵領に戻り、革命軍に合流。以後、戦闘経験のない者たちを訓練したり、指揮をとったりしている。
「アドモア侯爵をいさめる者はいなかったのかい。彼の家臣や親交のある貴族なんかだけど」
ロディは言ってみた。
答えは分かっているが、これも後ろのエレノアに聞かせるためだ。彼女が抱いたであろう疑問を質問したのである。
「いたさ。俺が知っているのは、まずケイネス・クレイス。代々侯爵家に仕えていた老騎士様さ。川に落ちて死んじまったよ。次に、ザイル・フォートラン。アドモアの父の忠臣で良識のある人だった。屋敷を強盗に襲われて一家皆殺し。ヴェラ・ネイヴル、いやヴェラ・ファリオ様は不義の嫌疑で離縁の上、蟄居させられた屋敷が賊に襲われたんだったかな。アドモアには、すぎた嫁さんだったのになあ」
それからローグは暗い笑みを浮かべた。
「セクプトと同じさ。領主の手足となる連中がいて、そいつらが邪魔者を消してる。領主の友人? よく言うだろ、類は友を呼ぶって。結局、同類同士つるむもんなのさ」
「王家は?」
そう聞くとき、ロディの脳裏に、アルベルト・アルクの顔が思い浮かんだ。緑色の髪のハンサム。クロウをパーティから追い出した戦士。
ローグが鼻を鳴らした。
「王家に貴族連中を抑える力がもうないのさ。アレキサンデル王もろくに公の場に出てこないって話しだ。噂じゃあ、第1王子が冒険者をやってるらしい。勇者だのと呼ばれていい気になってるようだ。そんな場合かよ」
最後は吐き捨てる。
「だが革命軍に勝ち目はあるのかい? ネイヴル侯爵の軍だって、かなりの数なんだろう?」
「だから、あんたの主人の力がいるんだ。エフィレイアの『正義の天秤』。エレノア殿が俺たちの仲間になれば、俺たちの正しさが知れ渡る。俺たちに合流しようって連中も増えるはずだ」
「それはそうかもしれないが。だが、いいのかい? それは、王国にとっても無視できない存在になるってことだ。圧倒的な武力で叩き潰されるかもしれないぜ」
エレノアが革命軍に合流すれば、ルゼス王国はエフィレイアの陰謀だと考えるかもしれない。どちらにしても本気で潰しにかかるだろう。それこそ、徹底的に。果たして、ルゼス革命軍にそこまでの考えがあるのか。
「やらなきゃあ、飢え死ぬだけだ。どっちみち俺たちは戦うか死かさ」
ロディは息を詰めるように後ろで聞いているエレノアの気持ちを思った。
これは本当にやっかいなことに巻き込まれた。
ひょっとしたら、ここが大きな分岐点になるのかもしれない。




