夜明けへ
エレノアは結局街を出ることを選んだ。
リージュン街の目抜き通り。そこに冒険者ギルドを見つけ、そこで薬師の話を聞いたのだ。冒険者ギルドならば薬師の作る回復薬や魔力回復薬とは密接な関係がある。薬師の所在を知っているだろう。
エレノアの見込み通り、リージュン街郊外の集落に腕の良い薬師が住んでいるという情報を得ることができた。
そのまま、目抜き通りを突き進み、南側の門から街を出ると、教えられた集落に向かった。
街の外壁から少し離れてポツンポツンと建っている家屋のひとつ。煙突からモクモクと煙が出ている家。
すでに日は落ちている。
エレノアは飛び降りるように馬車から降りると玄関扉を叩いた。
「どちら様ですか?」
扉越しに問われる。
「冒険者ギルドからご紹介いただいた旅の者ですわ。御者……仲間が『人食い蜂』に刺されましたの。解毒剤をご調合いただきたいのですが」
扉が開いた。40代とおぼしき、女性が立っていた。エレノアを見て目を見張る。
やはりわたくしの顔立ちはきついのですわね。
などとこんな場面ながら思ってしまうエレノアであったが、実際のところ、ただエレノアの美貌に驚き、緊張しただけである。
しかし薬師の女性はすぐに厳しい顔に戻って言った。
「患者はどこです?」
「馬車ですわ。すぐに連れてまいります」
「では、そちらの治療室に寝かせてください。鍵は開いています」
薬師の女性は言って隣に建つ小さな小屋を指さした。
エレノアは馬車に戻るとロディを抱きかかえた。ロディは相変わらずうなされている。
「もう少しですわよ。がんばってください」
ふいに、ロディが自分の名を呼んだ気がした。エレノアはギクリとしてロディの顔を覗く。
ロディの顔が少しだけ緩んでいた。
「エレノア……君が、とても……」
「とても、何ですの? 何ですの?」
つい聞き返す。
返事はなく、また苦しそうな顔に戻った。
治療室には中央にベッドが置かれていた。四方の壁に棚が設けられていて、そこに瓶詰の薬がいくつも並んでいる。
ベッドにロディを寝かせる。
すぐに薬師の女性がやってきた。
ロディの首筋に手を当て、それから手首、足首、と触っていく。
「『人食い蜂』の毒を受けてから、もうすぐ丸一日が経過いたしますわ。早く解毒剤をお飲ませくださいな」
「ああ、丸一日というのはただの例えですよ。人によりけりですから。この方の症状はまだ初期段階。これなら解毒できます」
薬師の女性が安心させるように微笑んだ。
エレノアは安堵の息をついた。
ずっと張り詰めていた心が和らぐのを感じた。すぐに、まだ治ったわけではない、と気を引き締める。
「とても強い耐性を持っているのでしょうね。『人食い蜂』の毒は強力で、実際には半日ももちませんよ」
言いながらも薬師は棚から瓶を取った。赤っぽい液が半分ほど入っている。
「解毒剤は段階を分けて飲ませていきましょう。1時間に一度、こちらを飲ませてください」
5つの小瓶に分けた物をベッドの脇の台に置いて言った。
「承知いたしましたわ」
「飲ませ方は、こんな感じで」
薬師の女性はロディの頭を持ち上げると、口を開き、さっと解毒剤を流し込んだ。
「吐き出さないように、しばらく頭を支えてあげてくださいね」
言葉通り、薬師の女性はロディの頭をしばらく腕に抱いていた。彼女の顔とロディの顔の距離にエレノアは不快感を感じた。
「私は母屋にいます。もし症状が悪化するようだったら、遠慮なく起こしてください」
言って薬師の女性は出ていった。
エレノアはベッド脇の背もたれのない椅子に座ると、眠るロディの顔をじっと見ていた。
心なしか呼吸がゆったりとしたものになったようだ。
「わたくしが、なんですの、ロディさん」
そう問いかけたが、もちろん答えは返ってこなかった。
◇
2度、解毒剤を飲ませると、ロディの症状はすっかり和らいだ。呼吸も安定し、安らかなものとなっている。発汗も収まってきた。
気持ちに余裕が出てきたせいか、エレノアはあらためてロディのことを考えていた。
なぜフレア神殿に入れなかったのか。
あそこまで強く拒まれることなど聞いたことがない。それこそ稼働死体などの不死者であるかのように。
彼なら、ひょっとしたら。
ふいにそんな考えが浮かんだ。
『闇を纏う者』クロウ。彼が邪神の加護を受けているだろうことは、その加護技から予想がつく。クロウならばフレア神殿に入ることはできないだろう。
そうえいば、クロウの素顔を見たことはない。彼の本当の声も。
ロディを見る。胸が激しく高鳴る。
そうだ。
思い返してみればクロウはいつもエレノアの行く先々で姿を現した。彼女の窮地にさっそうと駆けつけ救ってくれた。
もしロディがクロウだったなら、それもしっかりと説明がつく。
あ、ありえませんわ、そんなこと。
エレノアは頭を振った。顔が真っ赤になっている。軽薄なロディと重厚な雰囲気のクロウ。まったく結びつかない。
けれど、あの時のクロウは……。
宿でホークに捨てられたあと、ひとり泣くエレノアを隣室から慰めてくれた。はっきりと聞いたわけではないが彼がクロウであったことは間違いない。
あの時、互いのことを話した。
あの夜の彼の雰囲気は確かにロディにも重なる。
時々、真剣な目をするロディ。彼が自分でいうほど軽薄な人間でないことは、とっくに分かっている。
その誠実さや優しさがエレノアをいつも救ってくれていた。傷つき弱り切っていたエレノアを支えてくれていた。
態度はまるで違うのにロディとクロウには確かにどこか通ずるものがある。
ロディさん、あなたはクロウなの?
気づいたら立ち上がっていてロディの顔を間近から覗いていた。そっと彼の唇に指を当てる。
「……ニーア」
その言葉にエレノアはビクリと震え、それから自分の様子に気が付いた。ひどく狼狽しながら椅子にまた座る。
名前が違いますわ。わたくしの『虚言看破』を破るなど、そんなことは……。
できない、とも言い切れない。なにしろ、邪神の加護技には謎が多い。ひょっとしたら、フレア神の加護技を無効化する技もあるのかもしれない。
いや、そもそもロディというのは愛称だ。
ロディって呼んでください、最初に彼はそう言った。
彼が名乗ったのは……。
ふふっ、とエレノアは声を漏らして笑った。ロディの名を思い出したのだ。
それは完全な答えを示していた。
◇
ロディ……クロウは夢を見ていた。
長い長い夢だ。最初は例のパーティから追い出された場面。それが時間を遡り、孤児院で暮らしていた頃の少年時代に戻り。時々、差し込まれるようにエレノアと旅もしていた。
夢はやがて闇の神シャドーと契約する前まで遡った。家族と暮らした幼少期。
ああ、もうすぐだよ。もうすぐだ、父さん、母さん。
夢の中で両親に甘えながら、そんなことを思った。
もうすぐ彼らと会うことになるだろう。
闇の神シャドーと強力な契約を結んだロディは、死後の世界を知っている。善人も悪人も神々の元へと魂が帰還し、そこで次の生を待つのだ。
きっと両親は待っていてくれる。そんな気がした。
その時、ちゃんとニーアを幸せにできたと報告できるだろう。
それにエレノアという素敵な女性に会ったことも話そう。
夢はドラゴンの襲撃で燃える村と、闇の神シャドーとの契約を追体験し、いきなり現在に戻った。
エレノアとふたりで御者台に乗り、ゆっくりと進む馬車に揺られていた。
それはとても心地良く、幸福だった。
だが同時にひどく寂しさも感じた。
自分はもうすぐ降りなくてはいけない。
エレノアがなにか言った。その言葉が聞き取れない。もう、自分に時間が残されていないからだろうか。
夢の中では、かっこうをつけることもできなかった。言い訳もできなかった。
「エレノア、とても君が好きだ。どこまでもまっすぐで不器用な君が。最後に君に会えて色々なものを取り戻すことができたよ。ありがとう」
エレノアが怒った顔になった。やはり何かを言っているが、クロウには聞き取れない。
「君は今まで、多くの人に支えられてきたし、これからもきっとそうだろう。俺も、そのひとつになれたかな。いつか、君の問題がきちんと片ついたとき。俺みたいな人間がいたことを思い出してくれたらいいな」
遠くに分かれ道が見えた。片側はそのまま青空が続いているが、片側の道の先には暗雲が垂れこめている。
あれがクロウにとっての終点らしい。
「エレノア、君が幸福であることを祈ってる。君の神様には祈れないけどね」
エレノアがクロウの手を握った。
驚いたクロウはエレノアの顔を見る。怒った顔のまま泣いている。
それまでにないほどに胸が痛くなり、苦しくなった。クロウはエレノアの手を振りほどいた。
「卑怯者」
エレノアの言葉がやっと聞こえた。
ふいに、なにか熱いものに体が包まれた。
暗闇。
ああ、これが死か。
そんなことを思っていると視界が少し明るくなった。
腹が減ったな。
死んでも腹が減るんだな。
音が聞こえる。かすかな寝息。すやすやと心地よさそうだ。
ベッドかなにかに寝ている。硬い。顔になにかがかかっている。
少しずつ記憶が戻ってくる。ミリアの宿に泊めてもらったこと。帰らないミリアを心配して娘に呼ばれたこと。ミリアを呼んで戻ってきたときに、チクリと腿を刺されたこと。
ミリアの娘アリサの言葉。
エレノアが危ない。
早く起きなくては。
重い瞼を持ち上げる。
金色が目に入った。綺麗な金色。それが透けて、見覚えのない天井が見える。
顔に手をやると、その金色が糸状のものだと気づいた。ゆっくりとどかす。
寝息は思ったよりもずっと近くで聞こえている。
頭を横にして見ると、エレノアの潰れた顔があった。顔にかかっていたのは彼女の髪だったのだ。
驚き、一体、どういう状況なんだ、と『周辺感知』を働かせる。
診察室のような場所。棚に薬瓶が並んでいるところを見ると、薬師の診察室か。
ベッドに眠る自分と、そのすぐ隣で椅子に座ったまま、頭をベッドに預けて眠るエレノア。
クロウの顔に笑みが広がる。きっと毒を受けた自分を助けるために看病してくれたのだろう。
このままこうしてエレノアの寝顔を見ていたいという抗いがたい欲求。
クロウはそれを振り切って上体を起こした。
体は少しだるい。闇の神シャドーの加護を得ている自分が倒れたのだから、よほど強い毒だったのだろう。
ベッド脇の台には小さな瓶が五個。そのうち二つはまだ中身が入っている。解毒剤のようだ。
クロウはベッドから降りると、エレノアをベッドに寝かせてやろうと、彼女を抱えようとした。だが、伸ばした手が止まる。
エレノアに触れることに抵抗があったのだ。
今までロディとして、あるいはクロウとして何度か体が触れ合うことはあったのだが。
あの夢のせいかな。
自分が夢の中で感じていたこと、思っていたことを思い返して、顔が赤らむ。
おいおい、今更、色気づくなよ。
自分に呆れながらも、できるだけ淡々と無感情にエレノアを抱き上げ、ベッドに移した。
よほど疲れていたのだろう、エレノアに起きる気配はなかった。
クロウが回復したのを確認してホッとしたのかもしれない。
考えてみれば夢を見るなど幼少期以来だ。なにしろ、闇の神シャドーと契約しているクロウは睡眠を必要としていない。
眠る振りはしても眠ることなどないのだ。
たまにはいいもんだな。
そんなことを思いながら部屋を出る。
ちょうど太陽が地平線から上るところだった。一度、部屋を振り返る。
眠るエレノア。胸になにか甘く優しいものが込み上げてきた。それを感じないように無視する。
部屋の中に長く伸びている自分の影。
わかっているさ。ちゃんと代償は払う。




