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エレノア御者となる

 エレノアは緊張しながら御者台に座っている。雨はすっかり上がり、空からは暖かい日差しが降りそそいでいる。


 2頭仕立ての大型馬車は勢いよく走り、まっすぐに伸びた道を進んでいる。

 あの後、四苦八苦しながらなんとか馬車に馬を取り付け、ロディを馬車に運び、出発した。


 御者などやったことがないので、うまく走らせられるか不安だったものの、馬車馬たちは2頭とも賢く、エレノアの意志を汲み取ってくれた。


 同じ御者でもホークとロディのやり方は大きく違う。ホークはしきりとむちを打っていた。


「馬はむちで動かすもんです」


 一方、ロディがむちを使うところは見たことがない。御者台の上部に取りつけられた鐘を軽く鳴らしたり、あるいは、「じゃあ、出発しようか」などと馬に命じたりする。


「賢い馬たちですからね。自分がやることはちゃんと分かっているし、こっちの考えも先読みしてくれる。忠義にも厚い。俺がやることは、彼らの仕事を邪魔しないようにするくらいですよ」


 そんなロディだが、御者の腕は一流だった。エレノアはホークの父の操る馬車にも良く乗ったが、彼の熟練の技よりも、ロディの腕の方が上のように思える。それほど乗り心地が良かった。

 走行中はほとんど揺れないし、走り出しも、停車もスムーズだ。


「そりゃあ、俺の腕じゃなく、馬車が優れてるんですよ。あと、やっぱり馬たちがね。彼らの世話をした方は、本当に良い職人だったんでしょうね」


 エレノアはロディの言葉を思い出しながらも、彼のやり方にならって、馬にしきりに呼びかけた。すると、確かに馬はエレノアの言うことをよく聞いてくれた。

 馬車につなぐときもスムーズだったし、むしろ、エレノアを正しい方法へと導いてくれた。


 宿から道へ出るときも、勝手に出てくれたし、本道へと戻る時も、そこから王都方面へ折れる時も、エレノアが、「そこを右へ」と声をかけると曲がってくれた。


 しかも、本道に出てからはスピードを上げた。まるでエレノアの焦る思いを汲み取ったかのようだった。


 2時間ほど馬を走らせていると緊張も解けてきた。途中、向こうからの馬車とすれ違ったり、徒歩の旅人を追い抜くこともあった。

 それにしても一向に街は見えない。エレノアの焦りが高まる。


 馬車の操作に慣れてきたために、考えを巡らせる余裕ができ、不安があおられる。

 何度も何度も後ろを振り返り、窓から座席で寝ているロディを振り返った。

 相変わらず苦しそうだが、見たところ症状が悪化しているという様子もない。

 もちろん、消耗はしているだろうが。


 出発前に眠るロディの口にコップをあてがい水を飲ませた。高熱にうなされながらも、ちゃんと飲んでくれて、ホッとした。

 その際、彼は、目を閉じたまま、礼を言った。

「ありがとう、ニーア」と。


 ニーアが誰なのかエレノアには分からない。ただ、なぜだか胸の奥がムズムズとして、落ち着かない気分にさせた。


 治ったらちゃんと聞かせていただきますわよ。


 思えばエレノアはロディのことをほとんど知らない。器用で、如才なくて、遠慮もなくて、それから妙に甘い。容姿も整っており、きちんと服装を整えれば、どこかの貴族の子弟といっても通用しそうだ。

 きっと社交会で女性たちが放っておかないだろう。


 ニーアというのは恋人かもしれない。

 いや、きっと恋人に違いない。

 そんな風に考えると、また胸がムズムズとしてきた。

 なんとなく不快なのだ。ロディに恋人がいるかもしれないということが。


 嫉妬というほどまで、はっきりとした形をとるわけではなく、ただなんだか気に入らない。


 エレノアはロディへの不満に対抗するためにクロウのことを考えた。すると今度は胸がおどる。なにかいてもたってもいられない気持ちになってくる。

 また会いたい。彼のことが知りたい。

 最近は、ふとした時に、クロウのことを考える。


 エレノアのクロウへの好意は恋として、はっきりとした形を為しつつあった。


 途中、小さな村をいくつか通りすぎた。エレノアは休憩がてら村人に声をかけて、情報を集めた。今まで、こういったことはロディが知らないところでやってくれていた。

 彼は本当に如才がない男なのだ。


 リージュンという街が近くにあるらしい。村人の口ぶりだと、夕暮れまでには到着しそうだ。


 油断は禁物ですわ、とエレノアは安堵する自分を叱咤した。街に到着して、フレア神殿にロディを連れて行って、彼をちゃんと治療するところまでいかなくてはならないのだ。


 やがて、遠目に街が見えた。リージュン街だろう。

 はやる気持ちを押さえながらも、窓を振り返り、ロディに呼びかける。


「ロディさん、もう少しですわよ」


 ロディはひどくうなされていた。後ろからたびたび、なにか叫ぶような声が聞こえてきていた。今も、片手を伸ばして、宙をかくように動かしている。


 エレノアは唇を噛んだ。

 大丈夫。まだ時間はある。フレア神殿ならば上級治癒の使える神官がいることだろう。


「ロディさん、がんばって」

 声をかける。


 早く早く、とエレノアの心は焦れていた。


 リージュン街は高くはないが一応、外壁に囲まれていた。道を進んだ先に門があり、脇に門番が立っている。

 特に旅人に声をかけるという様子もなく、暇そうにしている。


 街によっては簡単な質問をされたり、多少の金銭を支払うところもある。リージュンはそういったこともないようだ。

 ただ、エレノアの馬車が通り過ぎる際、門番にジロジロと見られた。


 これはエレノアの美貌につい視線を引き寄せられただけなのだが、エレノアはいつ呼び止められるかとドキドキした。

 結局、彼女も呼び止められることはなく、そのままリージュン街へと入った。


 落ち着いた雰囲気の街。門を抜けた先がそのまま目抜き通りとなっており、商店が並んでいる。歩道と車道が別れていることはなく、そのくせ人通りが多い。

 馬たちが注意深く進んでくれたので、通行人に接触するようなことはなかった。本当に賢い馬たちである。


 フレア神殿は探すまでもなく、すぐに見つかった。目抜き通りを進んだ先、街の中心に白石で建てられた美しい建物が建っていた。何人もの人間が出入りしている。


 神殿の周囲は家屋がなく広場のようになっていた。そこに馬車を止めて休んでいる者も多い。

 エレノアも彼らにならって馬車を止めた。

 馬をつなぐような杭もあるが、エレノアにはやり方がよくわからない。


「お行儀よく待っていてくださいな」と馬たちに声をかけると、任せておけというように頼もし気にいなないた。


 今まで、馬車のことばかり気にかけていたが、すっかり馬たちにも愛着が沸いている。ロディが治ったら、やり方を聞いて自ら世話をしたい。


「俺の仕事を取らないでくださいよ。ひょっとして、クビにするつもりですか?」

 などと言うロディの顔が思い浮かび、なんだか楽しい気持ちになった。


 あと少しですわ。

 太いいくつもの柱によって支えられた三角屋根の神殿を見上げ、エレノアは顔を引き締めた。


 ロディは相変わらずうなされており、息も荒い。汗が滝のように流れている。途中、何度も水を飲ませてはいるが、飲んだ端から汗になって出ているような気すらする。


「さあ、ロディさん。行きますわよ」


 何事かひとり言をつぶやいているロディを持ち上げる。魔力で身体強化をしているので、大の男の体でも抱えるのに苦労はない。

 ただ、ロディの体を引き寄せた際に、彼の腕が首に回されて抱き着いてきたので、それに慌てた。


 熱い顔が首のところにギュっと押し付けらる。

「……母さん」


 顔を赤らめるエレノアの耳にそんな声が届いた。しくしくとロディが泣いている。

 エレノアはロディをそのまま抱いて背中を叩いた。


「大丈夫ですわよ、ロディ。大丈夫、なにも心配いりませんわ」


 ひどく優しい気持ちになっていた。

 幼子を抱く母というのは、こういう気持ちなのだろうか。


 ロディが落ち着いたのでエレノアは彼の体を抱え上げた。そのままフレア神殿へと向かう。

 フレア神殿の幅広の階段を上り、白い荘厳な建物へ。

 ところが神殿に入ろうとしたその時に、バチッと紫電が走り、エレノアはロディごと弾かれた。

 高い運動能力のおかげで転ばずに済んだが、大きな音に人々の視線が集まった。


 一体、なにが……。


 腕の中のロディが耳をつんざく悲鳴をあげる。


「大丈夫。大丈夫ですわよ。落ち着きなさい、ロディ」

 何度も呼びかける。 


 エレノアは、もう一度、神殿に入ろうと入り口に近づいた。

 やはり先ほどと寸分たがわぬ地点で弾かれた。今回は予想していたために、体がよろめく程度ですんだが、ロディはさらに暴れ、悲鳴をあげる。


 中から神官がやってくるのが見えた。

 まずい、と直感で感じた。

 このまま彼らと対面するのは、ひどく危険だ。


 エレノアは階段を飛び降りて一気に路上に降りると、馬車に乗り込み、走らせた。

 さすがにロディを後ろに寝かせる余裕はなく、御者台に並んで座ることになった。

 隣でロディがまだ悲鳴をあげている。


 馬車馬たちが危機を察したのか、勢いよく走り、すぐに神殿から遠ざかった。御者台から身を乗り出して後ろを振り返ると、神殿前に神官が2人立って、こちらを指さすのが見えた。


 追いかけては来ないようだが、見つかれば不審者扱いは免れないだろう。馬車もバッチリと見られたし、捜査の手がかかれば、すぐに見つかるかもしれない。


 ともかく今はロディさんですわ。


 エレノアは、まだ叫び続けているロディをなんとか静まらせたかった。だが声をかけて聞くような状況ではないだろう。気が付くと彼の頭を胸に抱きしめていた。


「大丈夫。大丈夫ですわ。わたくしがなんとかいたします」


 ロディの悲鳴がやんだ。


 エレノアはそのままロディの頭を抱きしめていた。燃えているように熱い。その熱がエレノアの胸まで熱くする。


「このまま街を出てしまうのが安全なのですけれど」

 つぶやく。


 目抜き通りをこのまま進めば、恐らくリージュン街を通り抜けることになるだろう。

 フレア神殿関係の面倒を避けるならそれが一番だ。

 ただ、そうなるとロディを救える可能性がグッと下がる。


 街の行政府に駆け込むという手もあるが、フレア神殿の神官に声がかかることになるだろう。そのあたりを追及され可能性がある。

 フレア神殿に拒まれるというのは、邪神の手先と言っているようなもの。いくら、エレノアが由緒正しき公爵令嬢だといっても、邪教徒の嫌疑がかかれば、ルゼス王国が動くかもしれない。

 

 そもそも、なぜ、フレア神殿に入れなかったのか。

 エレノア自身はフレア神殿に日曜日ごとに顔を出していた。日曜の朝の祈禱式に出るのがウィンデア家の家訓でもあったのだ。

 子供の頃からかかさず出席していた。


 胸に抱いているロディの頭を見る。

 ロディが邪教徒。あるいはなんらかの邪神の呪いを受けている可能性はある。

 エレノアの内部で得体のしれない不安と嫌悪感が広がっていく。


 その時、ロディがまたひとりごとを言った。

「俺が、守るから。絶対に、ニーアを……死んでも」


 嫌悪感は綺麗に消えた。代わりに、なにか胸を締め付けられるような気持ちになり、それを堪えるために、ロディの頭を強く抱いた。

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