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宿の夜

 ロディ……クロウは、ドアを開けるかすかな物音を聞いていた。寝ていたわけではなく、単に目を閉じて横になっていただけ。闇の神シャドーの加護を得ているクロウには睡眠は必要ない。


『周辺感知』で侵入者の様子はドアの前に立つ前から分かっていた。子供。ミリアの娘アンリだ。

 不審に思い、そのまま寝たふりを続けていると、彼女はベッドへと寄ってきて、の体を揺らした。


「どうかしたのかい?」

 寝ぼけた様子で尋ねる。


「お母さんが、戻ってこない」


「ミリアさんが?」


 ミリアに連れられて1階の裏口へと向かう。たどたどしいアンリの話によると、うまやに馬車の手入に行ったまま、1時間以上、戻ってこないらしい。

 夜、外へ出ることは母から固く禁じられていたために、クロウに相談したらしい。


 クロウは、すぐにミリアが戻ってこない理由を察した。うまやの周囲に大量の虫が発生している。

『毒バサミ』よりもずっと小さい羽虫で、鱗粉に毒がある。

 強い雨を避けるようにうまやのひさしの下に集まっているようだ。ミリアの気配はうまやにある。


 虫が減るまで待ち続けるつもりかもしれないな。


 ここで暮らしているのならば虫への対処法も心得ているだろう。待つことが最前ということか。

 だが小さな娘を心配させておくのも可愛そうだ。


「分かった。ちょっと様子を見てくるよ」

 言って裏口を開けて雨の中を飛びだした。


 うまやまでは大した距離ではないが強い雨が視界を遮る。ただ、闇を見通す目を持つクロウにはどうということもなかった。

 体を濡らす雨も、その気になれば一切体に触れさせないこともできる。


 うまやの周囲にいる毒の羽虫の大軍を闇の加護技スキルで退治。うまやへと入った。

 光石のランプが照らすうまや。クロウを5頭の馬たちがを見る。


 ミリアは馬に身を寄せるようにして立っていた。クロウを見て驚いた顔をする。


「アンリさんが心配してね。様子を見に来ました」


 クロウの言葉にミリアが謝罪。申し訳ない様子で事情を話す。エレノアたちの馬車に不備がないか手入していたところ、雨足が強まり、毒虫が沸いてきたこと。


「滅多にこんなことはないんです。もうしばらくすれば、雨も弱まるでしょうし、虫もいなくなると思うんですが」

 もう少し待って、それでも虫が消えないようなら、マントをかぶって強行突破するつもりだったらしい。


 毒を持っているとはいえ、目や鼻に入らなければどうということはない。万一、目に入ってもすぐに洗い流せば大事にはならない。


「かえってご迷惑をおかけしてしまいましたね」

 ミリアが濡れそぼったクロウを見て言った。


 相変わらず、少しうるんだような瞳が魅惑的だ。服も濡れており、体に張り付いている。

 クロウは息苦しさを覚えて彼女の体から目をそらした。

 こんなことではエレノアの疑いを裏付けてしまう。


 ところが、ミリアはクロウのそばにきて彼の体に触れた。

「こんなに体を濡らしてしまって」

 しっとりとした声。

「早く温まらないと」


 ミリアの手がクロウの頬に触れようと伸びる。クロウはギクリとして、それを避けた。


「こんな年増じゃ嫌かしら」

 はっきりとした誘い文句。


 クロウも健全なる青年である。美女の誘いに体が反応してしまう。だが、彼には自分の命が極めて限定的なものであり、もう間もなく散っていくという認識がある。

 冒険者時代、女性から誘われることは多々あったが、それらをかわし続けたのは、生への執着を残したくなかったからである。

 未練が湧くような快楽は覚えたくなかった。

 だが、この時のクロウは妙に頭がぼうっとしており、体を寄せてくるミリアを引きはがすことができなかった。

 ミリアの焦げ茶色の瞳がクロウを吸い寄せる。まるで強力な磁石のようだ。


 その時、ふいにエレノアの怒った顔が頭に浮かんだ。

 それが強烈な反発となって作用し、ミリアの体を引き放していた。


「大変、光栄ですが。俺の雇い主は軽薄な男が嫌いなようなのでね。お相手はできかねます」


「そう、残念だわ。あなた、とても好みなのに」


 言葉も声もいちいち色っぽい。

 クロウは未練を断つように背を向けた。

 落ち着け。今更、女を知ってどうする。


 クロウはうまやの外に出た。

「羽虫もどこかへ行ったみたいですし、戻りましょうか。アンリさんが心配していますよ」


 そのまま雨の下へ出る。冷たい雨に熱くなった血がスッと冷えた。

 振り向かなくてもミリアがついてきていることは気配でわかる。

 来た道を戻り、宿の裏口へ。

 アンリがドアの前で待っていた。


「お母さんも戻ってくるよ」


 クロウの言葉にアンリが彼の脇を通り過ぎ、裏口から入ってきた母の元へ。

 その時、チクリとももに痛みを感じた。


 なんだ、と足を見ると、ももに針が刺さっているのが見えた。


 しまった。

 クロウはアンリを見た。小さな娘は母の腕の中で振り返り、彼を見ていた。

 ニヤリと口の端を上げて笑っている。


 油断した。母ミリアについては、警戒はしていたが、娘にまでは意識が回っていなかった。

 加護技スキルの治癒を使おうとするが急速に意識が薄れていく。


「人食い蜂の毒を抽出して作った毒よ。すぐには死なないから安心してね。素敵なお兄さん」

 アンリの声をクロウは最後まで聞き取ることができなかった。



 目を覚ましたエレノアは、外から聞こえる強い雨の音に憂鬱な気分になった。この分では今日は旅立てそうにない。

 薄暗い部屋。見慣れない天井を見上げながら、もう少し寝ていようかと考える。


 駄目ですわ。自堕落なことを考えては。


 エレノアは無詠唱で『灯り虫』の魔術を使った。白い光の小さな球体が自身の上に浮かぶ。それが意図せずパチンと弾けた。


 なぜ失敗したのか首をひねりながらも体を起こした。

 そのままノロノロと身支度を整える。

 どうも今朝はやる気が起きない。雨のせいだろうか。


 こんなことではロディさんにしめしがつきませんわ、と自分を叱咤する。

 だがトイレで用を足すときに気だるさの正体に気づいた。


 ああ、そういうことでしたのね。


 さらに憂鬱になった。


 部屋に戻って、指輪からそれ用の下着を出して身に着ける。数日は魔術が不安定になりそうだ。

 一応、ロディにほのめかしておいた方が良いのだろうか。

 すぐにその考えを振り払う。


 ロディならば察してくれるかもしれないが、それはそれで気恥ずかしさを感じる。前の時はどうだったかしら、と思い返す。道中に、さらっと終わったような。


 しばらく考えたあと、体調が悪いということでここに滞在させてもらうのが良いだろうと結論づける。同性のミリアならばなにかと融通がきくだろう。


 もう一度、鏡に向かって身支度を確認。こういう体調の悪い時は注意力も散漫になっている。ロディにみっともないところを見られるのは絶対にごめんである。


 談話室へと行くと、ロディの姿はなく、ミリアの娘のアンリがソファで本を読んでいた。


 おはよう、と挨拶をすると逃げられた。

 人見知りをする子だというのは聞かされていたが少しショックだった。


 やはりわたくしの顔は柔和さが足りないのですわ。


 公爵令嬢たるもの、やたらめったら、媚びてはいけない、と微笑みすら見せないようにしてきた。そのせいで社交界でも敬遠されていた気がする。


 そこへミリアが入ってきた。

 ロディはまだ起きてきていないとのこと。

 珍しい、とエレノアは思った。

 ロディは、いつもエレノアよりも早く起きている。準備万端、身支度もしっかりと整えて、エレノアを起こす。


 この起こし方がとても気が利いている。

 旅の最中、野宿をするときは、エレノアは馬車の中で眠っているため、トントンと優しく馬車の壁を叩く。何度か、トントン。

 街や村で宿を取った時は、やはりドアをトントンと叩く。

 やることはそれだけ。決して急かさない。エレノアが身支度を整えて出てくるまで声をかけてこない。


 そうして、エレノアが出ていくと、さわやかな笑顔で挨拶をする。

「おはようございます。エレノアお嬢様」


 いつもは、お嬢と呼んで言いたい放題言ってくるのに、朝の挨拶だけはきちんと礼儀正しくしてくる。エレノアはそんなところも気に入っていた。


 たまにはわたくしが起こして差し上げますわ。

 

 なんとはなしにワクワクとしながらロディの泊った部屋の前に行った。

 コホン、と咳払いして、トントンと優しくドアを叩く。


 しばらく待ったが返事はなかった。

 もう一度、今度は少し強く叩いた。

 やはり返事はない。


「ロディさん、朝ですわよ。そろそろお起きになってくださいな」


 これでも、まだ返事はなかった。

 そもそも本当に部屋にいるんだろうか。

 ひょっとしたら馬車の手入でもしているのかもしれない。


「ロディさん、開きますわよ」

 呼びかけてから、ゆっくりとドアを開く。


 薄暗い部屋。ベッドは盛り上がっている。

 まだ寝ていたようだ。


「ロディさん、いい加減、お起きになって」

 大きな声で呼びかける。

「朝ですわよ」


 だが、ベッドの上の毛布の塊は動く様子を見せない。

『灯り虫』の魔術を飛ばしてみる。オレンジ色の光の粒が、スー、と部屋の中に入り込み、ベッドの上を旋回する。


 ここまでやっても反応がない。

 仕方がありませんわね、とエレノアは寝坊助の御者に呆れた。昨日は夜更かしでもしたのだろうか。


 そういえばロディのことを聞いたときにミリアがなにか少し変だった気がする。

 昨日、ロディがミリアの胸に手を入れていた様子が思い浮かび、エレノアは非常に腹立たしい気持ちになった。


「ロディさん、お起きなさい。そんなことでは、エレノア・ウィンデアの御者として失格ですわよ」

 言いなが、ベッドに近づく。


 毛布ごしにかすかだが呼吸の音は聞こえる。

 エレノアは一度、ためらったものの、毛布をめくった。


 ロディは眠っていた。だが、その息は荒く、顔は赤い。苦し気だ。発熱しているらしく、毛布は汗で湿っていた。

 エレノアはすぐに治癒魔術の詠唱を始めた。治癒魔術には怪我の治療のほか、体力の回復や自然治癒力の向上効果もある。

『中級治癒』では病気などを完治させることはできないが、症状を緩和させることはできる。


 だが。

 エレノアが手の平から発する治癒魔術のオレンジ色の光がロディの体に触れる前に霧散する。

 こんなことは治癒魔術を覚えて以来初めてのこと。


 エレノアは自分の体調のせいだと考えた。確かに月経のタイミングで治癒魔術を使ったことなどなかったが。

 2、3日で収まるはずだから、終わったタイミングで治癒をかけるしかないか?


 いえ、それでは根本的な解決になりませんわ。


 もしロディのこの症状が危険な病であったら。いたずらに時を無駄にしてしまう。

 病ならば薬師くすしに見てもらう方がいい。彼らは専門の知識を持っているし、中には加護技スキルで病を治すことができる者もいる。


 あるいはフレア神殿に連れて行けば、『上級治癒』の魔術が使える神官もいるかもしれない。上級治癒ならば病も治すことができる。


 エレノアがそんな風に思考を進めている間にもロディは苦し気にうなっている。

 恐る恐る顔に手を伸ばした。黒髪が張り付いた額に触れる。


 熱かった。人がこれほどの高熱を発するのか、というほどに。まるで命が燃えているかのようだった。

 これを放っておくなどできない。


「ロディさん、必ず助けて差し上げますわ」

 言って汗ばんだ頬を撫でた。

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