ホライズンの凋落・アルベルトの悲劇③
アルカディア歴1824年5月27日
ルゼス王国バルス子爵領ギール大洞窟
鮮やかな緑色の髪を金属のヘアバンドで逆立てた青年が光でできた剣を握り、毛むくじゃらの大男と戦っている。
Bランク魔物ビックフットだ。
体長5メートル。横幅も大きく、全身は真っ白い剛毛に覆われている。やはり白い毛に覆われた大きな足がついている地面は、白く凍っている。
ビックフットは冷気を操る魔物である。
足同様に大きな手の平に捕まりでもすれば、そこから凍らされてしまう。
危険なのはそれだけではない。口から真冬の風のような『凍える息』を吐き出す。これを喰らうと、体温が奪われる。
戦いが長引け長引くほどに消耗する相手である。
青年アルベルト・アルクは、全身を体の線に沿うような黄色金属の青い甲冑で守っている。この半透明の魔法金属には耐熱、耐冷などあらゆる属性に高い耐性がある。おまけに軽い。非常に高価ではあるがそれだけの価値はある。
それでもビックフットの冷気攻撃を完全には防ぎきれない。なにしろ、周囲の温度は極寒並み。体力がグングン奪われていく。
広い洞窟内。アルベルトとビックフット以外に動くものはない。
つい数分前まで動いていた者はいる。
『ホライズン』の新メンバー、ケイン・バロー。もとAランク冒険者パーティ『レッド・クラウド』のメンバーで、腕利きの探査師である。
彼はビックフットの攻撃をその身に喰らって倒れた。
ルゼス王国南方にあるギール大洞窟。百を越える洞窟への入り口があり、無数のルートが存在する。
ルートにより生息する魔物が大きく違い、その難易度にバラツキがある。
戦士バッツをクビにして、Aランク冒険者パーティ『レッド・クラウド』を吸収合併した『ホライズン』。腕試しにBランクのルートを進んでいるところである。
途中で分岐点があり、ほかのメンバーが休んでいる間に、探査師のケインとアルベルトが様子見に先行していたところだった。
突如、脇道からビックフットが現れたのだ。とはいえ、相手はBランク魔物一体。
アルベルトもケインも状況に危機感を感じなかった。
「ビックフットか。タフだし、長引くのはよくなねえ。王子様よ、ちょっと引き付けていてくれ。その間に俺が、急所をつくからよ」
ケインが言った。
「分かった。任せておいてくれ」
『ホライズン』は『レッド・クラウド』を吸収合併したことによりAランクに戻っていた。それは元『レッド・クラウド』メンバーの手堅さと安定感、さらにアルベルトとニーアの将来性を見越しての評価だった。
だが、かつてクロウが見抜いていた通り、アルベルトの実力はせいぜいBランク。それも強力な加護技を加味してのことである。
剣の技量だけで見れば、Cランクがせいぜいというところ。
当然、ビックフットの巨体の割には速い攻撃に対応しきれない。おまけに一撃の威力は大きい。
最初に肩にパンチがかすめたアルベルトは、ビックフットの攻撃力を恐れた。かすっただけでも、体が持ってかれるほどの衝撃だったのだ。
おまけに、黄色金属鎧に白い霜が張った。全属性の攻撃に高い耐性を持つ、黄色金属だからこそ、これですんだのだ。
あれをまともに喰らえば……。
そんな想像が攻撃を浅くさせ、回避を必要以上に大きくさせた。
一方、気配を消して、ビックフットの背後に回り込んだケイン。
ビックフットの急所である、後ろ首の下。ちょうど毛の流れが反りあってつむじのようになっている場所。そこを見定める。
手には刺突に特化した短剣。ケインの加護技は『削り刺し』。突き技特化の加護技である。突いた箇所を最大、直径50センチの球体状に削ることができる。
掘削作業などに重宝する加護技だが、ケインはこれを戦闘技に昇華していた。
急所に短剣を突き刺し、そこを削り取る。削る直径が小さければそれだけ消耗も少なくて済むので、使い勝手が良い。
タフなビックフットとはいえ、首の後ろをねこそぎ削られれば確実に倒れるだろう。
とっとと仕掛けろよ。
ケインはアルベルトが大きく踏み込んで攻撃するのを待っていた。ビックフットが前面に防御を向けた時。その時に必殺の一撃を突き刺す。
だが、なかなかアルベルトが強力な攻撃を仕掛けない。腰が引けたような軽い攻撃しかしていない。これでは、ビックフットが反転するかもしれない。
ほとんど防具もつけていないケインに、Bランクでも最強クラスの腕力のビックフットの一撃を受け止めることはできない。
ましてや、治癒魔術師が側にいない状況。危険は冒せない。
ついにアルベルトが大きく踏み込んだ。
ケインは同時に動いた。すっと音もなく駆けると、やはり音もなく跳んで、鋭い直剣をビックフットの後ろ首の下に向けて振り下ろす。
その時、ビックフットが上体を反転させた。ぐるっと後ろを向いて振り向きざま振るった腕で、ケインを殴る。
アルベルトが攻撃を途中で躊躇したのだ。
そのせいで、ビックフットは背後の攻撃に対応する余裕ができた。
ビックフットの剛腕がケインの脇腹を殴る。ケインは大きく吹っ飛んで、壁に叩きつけられた。そのまま転がり、動かなくなった。
こうして、アルベルトはビックフットと一対一で交戦するはめになったのである。
自身のせいで仲間が倒れたというのに、アルベルトにそれについての悔恨はなかった。むしろ、攻撃に失敗してあっさりと倒れたケインに対して、恨み言を言いたい気分だった。それでもAランク冒険者か、と。
こうなっては出し渋っているわけにはいかない。とっておきを使うしかなかった。
アルベルトは光の剣を右手のみに持った。空いた左手にも白い光が伸びあがり、剣となる。
アルベルトの加護技『光の剣』は、一定の長さ、太さの剣状にしかできないという汎用性の低い加護技だが、その分、威力、持続時間、消耗度合などは格別。戦士にとっては、非常に使い勝手の良い加護技である。
アルベルトはこれを2本作る方法を開発していた。クロウが去った後に彼なりに試行錯誤していたのだ。
それでもアルベルトは慎重だった。浅い攻撃を繰り返す。
だが、今度は2本。もともと、『光の剣』は振るう力に関係のない威力を発揮する。両手で振ろうと片手で振ろうと威力に違いはないのだ。
ビックフットの体に次々と裂傷ができていく。
ビックフットの動きは目に見えて鈍ってきた。それにつれて、アルベルトの動きも大胆さを取り戻していく。
やがて、アルベルトの光剣がビックフットの腹部を大きく割る。ビックフットは前に倒れて動かなくなった。
「手こずらせてくれたな」
アルベルトは吐き捨てると、ビックフットの頭を蹴った。
加護技の光る剣を消す。
それからようやく、ケインの様子を見に行った。恐らく手遅れだろう。まだ、一緒に冒険を初めて数日。特に感慨はわかない。
頭の中で仲間にどう説明するべきかを考える。
ケインは生きていた。
だが、呼吸は弱々しく、顔色は青みがかかっている。いかにも瀕死。
さて、どうするか。
死んでいるとばかり思っていたので、生きているとなると勝手が違う。ケインは自分が大怪我を負った理由を説明するだろう。
アルベルトとしては特に後ろめたくも思っていないが、ケインは致命的なミスだと責め立てるかもしれない。いや、きっと追及するだろう。
新メンバーたちがパーティに馴染む前である。それは避けたい。
アルベルトは大きく足を後ろに振りかぶると、ケインの喉を蹴った。グシャリと潰れたような感触があり、ケインの呼吸が完全に止まった。
「仕方がないことさ」
アルベルトは言うと、その場を後にした。
ビックフットの出会いがしらの一撃で死んだことにしよう。アルベルトにはどうしようもなかった不運。
冒険者にはよくある死に方。
◇◇◇
アルカディア歴1824年5月30日
エフィレイア王国王都ウィンストン
ジークフリートはため息をついた。
部屋の前に立っていた衛兵が扉を開くまでのほんの僅かな合間である。
すぐに気を取り直し、部屋へと入る。
部屋の主たる老紳士が柔和な目でジークフリートを迎える。
エフィレイア王国宰相ハリス・ローゼンである。
「いかがされました。王太子殿」
ハリスが、ソファセットへとジークフリートを導きながら言った。
「相談があります。いえ、要望と言った方が良いのか」
「また婚約者殿に甘えられましたかな」
ソファにかけると、ハリス。
ジークフリートの顔に苦みが浮かぶ。
エレノアの後釜となった婚約者のアライア・フローリー男爵令嬢は、物欲の塊であり、毎日のように何かを欲しがる。
ジークフリートも王太子という立場上、自由に使える金はあるが、その枠をはみ出すようなものを欲しがるのだ。
そういった時にハリスに相談すれば、融通してくれる。本来は宰相に掛け合うことではないのだが、ハリスはいわばジークフリートとアライアを結びつけた裏の立役者。
ジークフリートとしては頼りやすい。
「その前に確認したいのですが、ウィンデア家の屋敷は現在どうなっているのでしょうか?」
ハリスが首を傾げた。質問の意図を図りかねるという様子。もちろん、ただのポーズである。実際のところ、ハリスはジークフリートの訪問理由も把握していた。
「私の管理下にあります。咎あって追放されたとはいえ、エレノア殿の後見人を務めていますからね。いつか、追放が解かれる日が来るかもしれません」
「その、いつかの日までは空き家だということでしょうか? つまり、別の者が住んでいても差支えはない?」
「さて、それは……」
差支えないわけがない。下級貴族ならばともかく、ウィンデア家は由緒正しい公爵家である。
追放されたのを良いことに乗っとるような真似をして良いわけがない。
「つまり、私の婚約者であるフローリー男爵令嬢が、ぜひとも私の婚約者たるに相応しい場所に住みたいと望んでまして」
現在は王宮の端にある『銀翼の屋敷』に住んでいる。もちろん、そこが質素というわけではないが、アライアは社交会の発信元となるような豪邸を希望している。
なるほど、とハリスはうなずいた。
「彼女にしてみれば、自分の家格に負い目があるのやもしれませんね。ウィンデア家の屋敷を借りれば、格を借りることができると、そう考えたのでしょう。可愛いものですね」
最後は、ふふっ、と笑った。
「無理だと何度も説得をしたのですが。まるで聞きはしません。ジーク様なら簡単です。宰相様に相談なされば聞き入れてもらえます。そんな風にしつこく言われて」
ふむ、とハリスは考え込む振りをした。
もちろん、結論をはとっくにでている。いや、そもそもアライアにウィンデア邸を乗っ取らせるまでは作戦のうちである。
そうなるように誘導もしてきた。
ハリスにしてみれば、今回のエレノア追放劇を企画した当初から、その後始末は考えていた。ウィンデア家はただの上級貴族とは違う。平民の味方であり、王国の秩序の象徴。
それを強引に追放すれば大きな不満が溜まるのは当然だった。
それならば、どうするか。
ジークフリートとアライア。ふたりに不満の矛先を押し付ければ良い。ジークフリートは王太子とはいえ、代わりになる弟は3人いる。
アライアには好き放題にやらせ、最終的にはジークフリートの廃嫡という形で幕を下ろす。
良識派で穏健なウォルト侯爵が後見しているフランツ・レイアー王子。彼がジークフリートの後任となる予定だ。
ハリスの派閥とウォルト侯爵を旗頭にした良識派で、政治闘争が起こるだろう。だが、それでいい。
コントロールできる闘争。最終的にはハリス・ローゼンの辞任という形で終わらせる。宰相を倒す役目は、即位したフランツに負わせる。新しい時代の幕開けとしては相応しいだろう。
宰相職を辞した後も、彼の派閥に対する影響力は残る。新王の改革に対するほどよい対抗。
良識とその目を潜り抜ける腐敗。そのバランスを程よくとりながら、次の時代を作っていけばよい。
それがハリス・ローゼン宰相の構想である。すべては、自分亡き後も、エフィレイア王国が存続し続けるために。
「分かりました。一時的に、フローリー男爵令嬢に貸与するという形を作ってみましょう」
ハリスは言った。
長く考え込んだ振りをしてからの発言である。
ジークフリートの顔が輝いた。
「ありがたい。ぜひ、そのように取り計らってください」
もう少し物事を広く見ることができれば良いのだがな、とハリスは目の前の若者について思った。今更だが、あまりにも分別がない。
少しでも自分の立場を客観視できれば、自身に大きな付加価値を与えていたエレノア・ウィンデアを粗雑に扱うことなどできなかっただろうに。
『王国法の番人』『正義の天秤』古くからそんな風に呼ばれるウィンデア公爵家。歴史を紐解けば、幾度も王国のために戦い、悪を正している。時には、腐敗した貴族を裁き、時には暴虐なる王を打破して新たなる王の即位に手を貸し。
平民が飢えれば、私財を投げ打って施し、隣国が攻めてくれば兵を率いて打ち破り。
エフィレイア王国民の心の中には、ウィンデア家は自分たちの守護者だという意識が少なからずあるはずだ。
そして、その正統な後継者たるエレノア。ウィンデア家を象徴するような三つの加護技を受け継ぎ、武芸では天賦の才を見せていた。魔術にも精通し、頭も良い。さらには絶世の美貌の持ち主。
まさに非の打ちどころのない少女だった。
その婚約者であったジークフリートにも、エレノアの人気の恩恵が与えられていたはずなのだ。
良識派の貴族たちからの支持。平民からの好意。そういった目に見えないものが、本人の知らないところで作用して、彼を守っていた。
エレノアに対する仕打ちは、すでに王国中に広がっている。それは次第にジークフリートに対する敵意へと変わっていくだろう。王国や貴族に対する不満が彼とアライアへと向かう。
ジークフリートは知らないうちに暗い未来へと進んでいるのだ。
「エレノア殿のことは耳に入っておりますかな」
ハリスは、ふと、そんなことを言ってみた。ただの好奇心である。エレノアに対して、ほんのわずかにでも罪悪感、あるいはその行く末に興味があったのならば噂のひとつも耳に入っているはずである。
エレノアの名を聞き、ジークフリートは露骨に顔をしかめた。その反応で、どれだけ彼がエレノアを嫌っていたか分かるというものである。
彼女の優秀さ、特に武芸の才に対する嫉妬が起因しているのだろうが。
「いいえ、特に聞いてはおりませんが。ルゼスで屋敷でも構えるのでしょうか」
エレノアがクレイモス王国に向かっているということすら把握していない。
「あの紅騎士と戦い、これを破ったそうですよ」
ジークフリートが目を見開いた。
ルゼスの美貌の女騎士はエフィレイアでも有名だ。
ハリスは、エレノアがセクプトの街を支配していた悪の領主代行とその手下たちを打ち倒し、かの街を救ったことを話した。
ジークフリートの顔がどんどん引きつっていく。
「さらに、これはつい先日のことのようですが」
そう前置き、最新情報を披露する。
「エレノア殿はアロアーを襲ったドラゴンの討伐隊に加勢し、これを倒したそうです」
「ド、ドラゴンをですか?」
さすがのジークフリートも驚愕した。
なにしろ、『竜殺し』の称号は男子ならば誰もが憧れるものである。
ドラゴンを倒す英雄。ジークフリートも子供の頃はそんなものに憧れていた。
「まあ、セクプトの件はともかく、アロアーのドラゴンについては、まだ人々の知るところではないでしょう。私は、エレノア殿の後見を務めていましたからね。彼女の行く末に少なからず注意を払っておりますゆえ。しかし、ドラゴンを倒したとなれば、我が国民はいっそうエレノア殿を惜しむでしょうな」
ジークフリートの顔が青ざめた。
少しは自分の立場を自覚したのかもしれない。
余計なことを話したか。
ハリスは自省した。自分がジークフリートに対し、怒りを覚えていることを自覚した。
ハリスにとってエレノアは親友の孫娘である。幼少期どころか赤子の頃から知っている。可愛くないはずがない。
ハリスが誘導した婚約破棄や追放劇についてはともかくとして、彼女に対してあまりにも無関心であるジークフリートに怒りが沸いた。
元婚約者。将来ともに人生を歩むはずだった女性である。追放された彼女が、どうなるのか、少しでも考えたことはないのか。
すぐにハリスは個人的な感情を抑え込んだ。彼は常に公的な立場を優先する。宰相として国の行く末のための判断をする。
エレノアを陥れ、追放し、あまつさえ、暗殺しようとしたことも、すべては王国に大きな内乱を起こさないためだった。
だが、一方で、親友の孫娘の活躍に喝采をあげたくなる時もある。事実として、ドラゴン退治の報告を聞いた今朝、ハリスはひとり、満面の笑みを浮かべ、「バイゼル、お主の孫は、見事だな」とつぶやいたものである。
エレノアに対する手はすでに打ってある。
ほどなくして、彼女は絶体絶命の窮地に陥るだろう。
ハリスはやがてエレノアの死の報告がきたとき、自分がどんな顔をするのか、予想できない。宰相として、安堵するのか。
あるいは私人ハリス・ローゼンとして、親友の孫娘の死を嘆くのか。




