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怒れるドラゴン

 最初のドラゴンの咆哮は洞窟の外にも響き渡った。さすがに間近で聞いたときのように威圧や恐慌状態を引き起こすことはなかったが、待機していた騎士団たちが顔を強張らせた。


「始まったようですわね」

 エレノアが言った。

 馬からは降り、その足元には魔法陣が描かれている。

 魔法陣を使えば、魔術を強化したり、呪文を簡略化できるのだ。


 エレノア同様、外で待機していた騎士団は全員下馬して、それぞれに攻撃の準備を終えている。魔術が使えるものは魔法陣の上に陣取り、そうでないものはクロスボウや槍を手にしている。


 さらに『網』の加護技スキルを持つ騎士が洞窟の入り口をおおう光る網を張っている。これでドラゴンは通り抜けることができない。加護技スキルは30分程度しか維持できないが、その間は加護技スキル以外で破ることはできない。

 使用者が死亡するか、解くかしない限りは。


「お嬢……」

 ロディは『周辺感知』で中で何が起こっているのか正確に把握していた。

「トイレに行ってもいいですかね」


 洞窟内に加勢に行くことを決めたのだ。

 すぐに動かなければ手遅れになる。


「この緊張感の中で、あなたという人は」

 エレノアがキッとを睨んだ。緊張してピリピリとしているのだ。

「勝手になさい」


 だが、ロディは首を横に振った。その顔が苦い。

「いえ、もう大丈夫です。引っ込みました」


 もはや手遅れだった。ドラゴンは冒険者たちを蹴散らして、外へ向かっている。


 エレノアが怒鳴ろうとした時に、ドラゴンの咆哮が再び聞こえた。それは先ほどよりも近く、騎士たちに不安を呼び起こさせる。


「皆の者、間もなくドラゴンがくる。迎撃せよ」

 シルヴィオ伯爵が剣を抜き、前に振り下ろす。


 その数秒後、炎が洞窟から吹き出した。

 シルヴィオ伯爵は、このことを予想していたため、騎士たちを洞窟の正面には置かなかった。

 洞窟入り口の両脇に布陣している。 


 ドラゴンが現れた。真っ赤な巨体を光の網にぶつける。だが、どれほどの力をもってしても、加護技スキルの網は破れない。

 むしろ、強靭な鱗を網が貫き、ドラゴンを傷つける。


 もし、ドラゴンに理性が残っていたのならば、一度、退いていたことだろう。だが、レッドドラゴンは命の危機にさらされ、依然として、パニック状態。

 正面が駄目ならばと、壁や天井に体をぶつける。


「撃て」

 騎士団長が轟音に負けぬように叫ぶ。


 短い呪文が幾重にも重なり、いくつもの魔術が放たれる。

 風の刃。氷の槍。光の矢。雷。


 それらはドラゴンの体を容赦なく傷つける。中でも、魔術ではなく加護技スキルの遠距離攻撃をした者の一撃は痛打となった。

 さらに暴れるドラゴン。


 大地が揺れて、横穴周辺が崩れる。

 ドラゴンが3度、咆哮した。

 絶叫である。

 それは聞く者を昏倒させるだけの力があった。


 多くの者が一瞬、意識を失った。

 その中に、『網』の加護技スキルを張ってドラゴンを閉じ込めていた者もいた。

 ロバートという名のその若い騎士の意識が跳んだのは、ほんの3秒ほどだろう。だが、その3秒が最悪の結果につながった。

 光の網が消えたのだ。


 ドラゴンが解き放たれた。

 赤い巨体が飛びだして、四方に炎を放つ。

 近接攻撃の準備をしていた騎士たちが果敢に挑み、加護技スキルの力を得た剣で斬り、あるいは槍を突き刺す。


 ドラゴンが飛び立った。

 シルヴィオ伯爵の誤算はドラゴンの翼が無事であったことだ。もちろん、攻撃にさらされ、無傷ではないが、飛行能力はいまだに健在。


 そして、この場で空を飛べるものはたった2人しかいなかった。

 そのうちのひとり、エレノア・ウィンデアは、太陽目指して飛び立つレッドドラゴンを追いかけて、宙を跳ぶ。飛ぶのではなく、文字通り跳んでいく。

 足元に見えない足場を作り、それを踏んでは跳ぶ。


 だが、さすがに追いきれなかった。

 最後に、渾身の斬撃を飛ばすも、急速に遠ざかるドラゴンには届かなかった。


 もうひとり。

 黒い炎のようなものを身にまとう者が一直線に飛んでいく。闇の甲冑の背に生えた黒い翼。


 落下を始めたエレノアの視界に、その者が入った。『闇をまとう者』。


「クロウ」

 エレノアは叫んでいた。


 それに応えるように、ロディ……クロウの手の平がエレノアに向けられる。そこから放たれた黒い球体。半透明のそれは、エレノアの体を包んで、ゆっくりと彼女を地上へと下ろして、弾けた。


 クロウがドラゴンに追いついたのは雲の上。はるかに下界を見下ろす天空で、その背に取りつくいた。


「悪いな。だが、あんたは殺し過ぎたよ」


 闇がクロウの体から大きく広がり、真っ赤な巨体を包み込んだ。


 それはすぐに溶けるように消えた。

 ドラゴンの命の灯とともに。

 ドラゴンは大きく翼を広げたまま、地上へと落ちていった。


 クロウはレッドドラゴンが木々の間に墜落したことを見届けると、そのまま飛んでいった。

 さすがにこの姿のまま戻るのはまずい。

 エレノアはともかく、ほかの者には誰何すいかされることだろう。

 一度、離れ、後から何気ない顔をして合流するしかない。



 一方、地上では、喝采が起こっていた。

 逃げたかと思われたドラゴンが地に落ちてきたのだ。

 

 シルヴィオ伯爵の指揮の元、騎士団がドラゴンの元へと向かう。洞窟からずいぶん距離が離れていた。


 エレノアはロディの姿が見えないことに不安を覚えた。

 ひょっとしたら、と背中を冷たい汗が流れる。


 暴れるドラゴン。吹き荒れる炎。あの中に運悪く飲み込まれていたら……。

 現に騎士たちが点呼を取る中で、何名か行方不明の者がでていた。あのアレックスも見当たらないという。


 ロディさん……あなた……。


 この場に踏みとどまってロディを探したいという思い。ドラゴンに止めをささければという使命感。

 その二つの中で葛藤する。

 だが、長く悩む時間はなかった。騎士団が移動を始めると、エレノアも動かざるを得ない。


 せっかく『闇をまとう者』クロウが作ってくれたチャンスなのだから。

 それにしても、なぜ彼はいつも自分が窮地の際に現れるのだろうか? 

 意識してロディのことを考えないようにするために、クロウについての思考を進める。 


 ひとつの可能性は、エフィレイア王国の何者かがエレノアを守るために遣わした護衛である線。反宰相派にとってみれば、エレノアの存在は国外にあっても有効な武器になるだろう。

 護衛を付ける価値は十分ある。


 ただ、エレノアの気のせいかもしれないが、クロウは自分に個人的な好意を抱き、手助けをしてくれているように思える。

 それにあの宿で、互いのことを話した際、彼は自分が冒険者であり、パーティから追い出されたと話していた。気になる相手ができて、見守ってやりたいというようなことも。

 エレノアの『虚言看破』はそこに嘘を感知しなかった。


 となるとやはり、自分を密かに守ろうとしてくれているのだろうか?

 自分に好意、あるいはそれは単に好感が持てる相手であるというものを越えたもので、ひょっとしたら異性に抱くような感情であるのかもしれない(クロウはあの時妹にむけるようなものだと言っていたが)。


 その考えはエレノアの心拍数をいやがおうにも上げた。

 ときどき眠りにつく前などに、クロウのことを考えることがある。彼の勇姿を。自分が折れそうな時にいつも投げてくれた言葉を。思い出す。

 すると、心に火が灯るように、芯が熱くなるのだ。


 クロウ、あなたはなぜ、いつもわたくしを助けてくれるのですか?


 今度会ったら、勇気を出してそう問いかけてみたい。

 もし、自分の思っている通りの答えが返ってきたら。

 その時は、何か自身の世界が大きく変わりそうな気がする。


 やがて、騎士団はレッドドラゴンが墜落した場所へとついた。

 ドラゴンは死んでいた。傷だらけの巨体はピクリとも動かない。


 誰もが、大きく息を吐いた。

 ついで、その顔に笑みが浮かんでいく。

 互いに肩を叩き合い、笑い声をあげる。


「我々は勝利した。ドラゴンを倒したのだ。皆、よくやってくれた」

 シルヴィオ伯爵がそう勝利を宣言。


 歓声が爆発した。

 そんな中、シルヴィオ伯爵がエレノアの元へとやってきてねぎらってくれた。エレノアはそれに謙遜する。実際に、自分の働きは大したものではなかったと思っているのだ。


 シルヴィオ伯爵の見解は違った。エレノアの空中で放った斬撃(紫色の光を遠距離に飛ばした)で止めをさしたと誤解しているのだ。

 実際に、多くの者がそう思っただろう。


 ドラゴンが飛び立ち、その後を追いかけるようにエレノアも宙を跳んでいった。

 それはあまりにも速い展開で、その瞬間をはっきりと目にした者はいなかった。

 エレノアが天空に向かって飛んで行く姿を見た者がひとり。大きく剣を振る場面を見た者がひとり。そして黒い影のようなものがドラゴンへ向かって飛んでいく様子を目撃した者が数名。

 シルヴィオ伯爵はその貴重な目撃者のひとりで、エレノアが剣を振った場面を目にしていた。当然、誤解した。


 謙虚な娘だ、とシルヴィオ伯爵はエレノアに好感を抱いた。

 アレックスにも見習わせたいものだ、と。


 そのアレックスだが洞窟についた辺りから姿が見えない。どこかで道草でもくっているのか。あるいは土壇場で臆病風に吹かれたか。

 シルヴィオ伯爵にしてみれば息子のことは優先順位が低い。もちろん、かけがえのない家族として愛しており、その存在には大きな期待を寄せている。

 だが、領主としてドラゴンを退治すること。それに比べれば息子に武功を立てさせることなどはついでのようなものである。


 そのため、姿が見えないアレックスに対しても、変に騒いで反感を買うよりはよいかと考えていた。


 勝利を喜んだあとは戦いの始末をしなくてはならない。ドラゴンの死骸は皮も鱗も肉もすべて貴重である。きちんと解体する必要がある。もちろん、それを見越して、昨日とまった街に、解体処理する者たちを待機させてある。

 

 街の者たちにも協力させた代償に大きく報奨を払うつもりである。ドラゴンの被害を受けた者たちの暮らしを少しでも豊かにしてやりたかった。


 街に解体班を呼びに行かせ、自分は騎士団とともに洞窟前に戻る。中に突入した冒険者たちが誰も出てこない。ひょっとしたら全滅したのかもしれない。


 騎士たちの被害も出ている。夢中で逃げてしまった者もいるだろう。きちんと被害を確認する必要がある。


 洞窟前に戻るとシルヴィオ伯爵は洞窟内の探索と周辺の探索を行わせた。

 ドラゴンと入れ違うように洞窟に逃げ込んだ騎士や従者もいたし、木々の中に蹴散らされて気を失っている者もいた。


 行方不明者が次々と発見されていく中、エレノアは声をからしてロディの名を呼んだ。

 焦りが心を削っていく。声を出していないと、崩れてしまいそうだった。


 最後に彼を見たのはドラゴンが洞窟の入り口に現れる直前。やはり、混乱で炎にまかれてしまったのか。

 

 わたくしは、また失ってしまったの?


 もはや日常と化したロディとのやりとり。

 歯にきぬ着せぬ彼の言葉。憎たらしいと思いながらも軽口の応酬を楽しむ自分が新鮮だった。


 公爵令嬢、それに『虚言看破』という加護技スキルのせいで、対等の友人をつくれなかったエレノアにとって、ロディは特別な存在だった。形こそ主従であったが、初めてできた友人のような。

 なんだか一緒にいて楽しい、そんな気持ちを抱く相手であった。


「ロディさん、いい加減に出ていらっしゃい」

 木々の間を歩きながら大声で呼ぶ。

「別に逃げたことを怒ってはおりせんわよ」

 ただ願いを込めて、そう言った。


 逃げていてくれたら、どれだけ良いか。

 

「ロディさん」

 叫ぶ。


「はいはい、そんなに呼ばなくても聞こえてますよ」

 後ろから、いきなり応える声。


 驚いて振り返ったエレノアは、何も変わらずに立っている御者の姿を見つけ、目を見開いた。

 涙で潤んでいた瞳が木漏れ日の光を反射して、キラリと光る。

 

 クロウ……ロディは、思わず息を飲んだ。

 胸に妙な圧迫感を覚える。

 とっさに、いつもの軽口が出てこなかった。


「ロディさん、あなた、ご無事でしたのね。良かった」

 エレノアが、ふらふらと寄ってきて、ロディの腕に触れた。

「どこもお怪我はおりませんの? わたくしが治して差し上げましてよ」


「あっ、いえ、大丈夫ですよ。怪我ひとつしていませんとも」


「姿が見えないものですから、わたくし、てっきりロディさんは炎にでもまかれてお燃えになってしまったのかと……」


「勝手に殺さないでくださいよ。大丈夫、危ないと思って隠れていましたからね」


「そう……。良いご判断でしたわね。でも、それならば、すぐに出てきてくれたら良かったのです。わたくし、とても心配しましてよ」


「おや、お嬢らしからぬ可愛らしい発言。俺がいなくなったら、お嬢は路頭に迷いますからね」

 などと言う。多分に照れ隠しが入っている。


 クスっとそれにエレノアが笑った。

「そうですわね。わたくし、ロディさんがいないと何もできませんもの。これからも、どうぞよしなに」


「……ええと、まあ、その、こちらこそね」

 ロディは髪をかきまわして言った。



 シルヴィオ伯爵ドラゴンを討つ、の報は瞬く間に領内に広がった。レッドドラゴンの脅威に怯えていた人々や、ドラゴンの被害にあった人々は、その朗報に沸いた。

 さすがは我らの領主様だ、と誰もが自分たちの為政者を誇りに思った。

 アロアーの街には、シルヴィオ伯爵に感謝の念を伝えようとやってくる人々が詰めかけた。


 シルヴィオ伯爵は、民衆の気持ちに応え、街や村の復興に力を入れることを笑顔で約束した。

 だが、彼の胸中には悲しみがあった。

 アレックスの死がはっきりとしたのだ。


 今回のドラゴン討伐の功労者であるエレノア・ウィンデア。その御者がアレックスが炎にまかれる瞬間を目撃したという。

 彼の言った場所の周辺からアレックスの遺品のアミュレットも見つかったため、シルヴィオ伯爵も息子の死を認めぬわけにはいかなかった。


 もちろん、これはロディのはからいである。事実はアレックスが突入部隊に勝手に加わり、ドラゴンに殺されたのだが、それを明かしたところでシルヴィオ伯爵を傷つけるだけである。


 ロディはエレノアの『虚言看破』に検知されないように、彼女の耳の届かないところで、この報告をする必要があった。さらにエレノアにあとからその時のことを聞かれても、嘘とならないように気を付ける必要があった。


 長子アレックスの死。それはシルヴィオ伯爵カイルに大きな痛みをもたらした。

 だが、民衆にとっては、それはよりいっそうの忠義の種となった。

 領主様はドラゴンを討つためにご子息を亡くされた。俺たちもいつまでもメソメソとしていられない。

 ドラゴンの被害に遭った者たちはそんな風に感じて、復興のために力を尽くしていくのであった。


 エレノア・ウィンデアがアロアーの街を後にしたのは、ドラゴン討伐から10日後、アルカディア歴1824年5月26日のことだった。

 セクプトと同様に、あまり長く滞在しては迷惑がかかるかもしれない、と思ってのことである。


 シルヴィオ伯爵カイル、さらにともに戦った騎士団の面々が門の前にまで見送りに来てくれた。


「エレノア殿。こたびのあなたの働き、私も領民も決して忘れることはない。もし、あなたが強大なる敵と戦うような時があれば、必ずや私と騎士団が駆けつけよう」

 シルヴィオ伯爵カイルは最後にそんな言葉をエレノアに送った。


 暗に、エフィレイアに攻め入る時があれば、手を貸そうと申し出たのだ。

 もちろん、ルゼス王国の意向もあるので、確約というわけにはいかないだろう。だが、セクプトのレミー・ベラルルと同様に心強い味方である。


 エレノアが馬車に乗り込むと騎士たちが一斉に、直立した。シルヴィオ伯爵カイルが剣を抜き、それを天に掲げると、騎士たちも一斉に習った。

 統一王国アルカディア時代から受け継がれた『剣の礼』。仲間の武運を祈る際に送られるものである。


 エレノアは面映おもはゆい心地だった。次に訪れるときは、ドラゴンによる傷跡がすっかりと癒えたアロアー街であることをただ願った。


「お嬢もついに『竜殺ドラゴンスレイヤーし』ですね」

 エレノアのカタルシスを打ち破るように、ロディが後ろを向いて、窓から言った。

「『竜殺ドラゴンスレイヤーし』の称号を持つ公爵令嬢なんて、なかなかいやしませんよ」


「何度も申し上げましたけれど、わたくしはなにもいたしておりませんわよ。『竜殺ドラゴンスレイヤーし』とおっしゃるのならば、シルヴィオ伯爵ですわ」


「そのシルヴィオ伯爵がお嬢の手柄だと言ってますからねえ。公的見解になりますよ」


「わたくしは、何度も否定いたしましたわ。ですが、謙遜と取られてしまって。それに、あの方のことを勘ぐられてもいけませんし……」

 しどろもどろになるエレノアであった。


『闇をまとう者』クロウ。彼が姿を公けに現すのを好まないだろうことは、今までの行動からも明らかだ。

 あの姿。ひょっとしたら、彼は邪神の加護を得ているのではないか。


 邪神シャドーもフレア神と同様に加護技スキルを人に与えると伝えられている。大きな代償を払う代わりに得られる特別な加護技スキル

 おとぎ話では邪神の加護を得た者が、非道を行い、英雄に討たれるというようなものがいくつかある。


 もし、クロウが邪神の加護を受けていたのなら、彼がパーティを追放されたことも得心がいく。


 彼のことがもっと知りたい。


 エレノアは速さを増す鼓動を沈めるように、左胸に手を置いた。

 まぶたを閉じると、ドラゴンを追いかけて天へと駆けあがっていく彼の姿が思い浮かんだ。

 彼が手の平から出した、闇の球体。その中に包まれたとき、とても安らかな気持ちになった。まるで彼の優しさを現すように。


 クロウ、わたくしはあなたのことをもっと知りたいのです。


 エレノアはそのクロウが御者台に座って、彼女を優し気な目で見ていることを知らない。

 エレノアにとって、ロディとクロウはあまりにも違った存在である。強く、頼りになり、謎めいているクロウ。臆病で、軽薄で、あけすけなロディ。

 ふたりが結びつかないのは仕方がないことであった。


 一方、ロディの方は、少しエレノアの前にクロウとして出過ぎていることを気にしていた。

 彼としては今の御者と主人という立場を気に入っている。いや、それは主従というよりも、友人同士のような関係。

 ちょっとした軽口を叩き合う間柄が、とてもしっくりときて居心地が良い。できれば、自分が『闇をまとう者』クロウだとは知って欲しくなかった。


 出しゃばりすぎては良くないかな。


 セクプトの『ブラッディメテオ』のアジト内でのときも、ドラゴン退治も、エレノアの護衛ということだけ考えれば手を貸す必要はなかったのかもしれない。

 だが、つい、義憤にかられ、動いてしまう。

 エレノアの正義感に共感し、手を貸してしまうのだ。


 まあ、バレたらバレたでその時はその時か。


 邪神の加護を受けているということでエレノアにまれるのならそれも仕方がないだろう。その時は、彼女に気づかれずこっそりと手を貸せばいい。

 どちらにしても、あと1年と経たず、自分は死んでいく身である。その残された時間だけでも、エレノアを見守ってやりたかった。


 ロディは、もう一度、エレノアを振り返った。美しい巻き毛が窓から差し込む光で輝いている。考え事をしているのだろうか、目は閉じていて、長い睫毛がちりちりとかすかに震えている。


 心の内側で熱のようなものが広がっていく。温かく、いや、熱く。

 それが欲求となる前には、頭を振って、自身の内側から意識をそらした。


 これ以上惹かれてはいけない。

 生に未練がわく。

 叶わない願いを願ってしまうことになる。

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